告白



 今日は朝から機嫌がいい。シャオタオと活動写真を見に行くからである。


 休みは週一度、完全に泰定酒家と重ねた。逢い引きのためだ。つんと上がった低い鼻。きれいな二重の目に、おちょぼ口。可愛らしい声。そのすべてが愛おしい。


 生徒らには一日中寝て体力を回復しとけと言ってある。かなり無理をさせてあるので見えない疲労が蓄積しているためだ。


「休養しなくて大丈夫なの?」

「鍛えているから平気さこれくらい」

 フェイロンは拳で胸を叩く。シャオタオも叩いてみると、どしんとした厚い胸板に跳ねかえされる。

「すごーい。石みたーい!」

 などとイチャイチャしながら大通りを歩いて行くのであった。


 すると前から警官がやってくる。フェイロンは気付かず肩がぶつかる。

「端を歩かんかー!二等めが」

「二等ってなんだ」

「二等国民のことだ。日本人が一等国民。その他は全て二等だ!そろって武術着なんか着やがって。武術は全て禁止になったのを知らんのか」


「行こうシャオタオ、気分が悪い」

 フェイロンはシャオタオの手を取り足早に過ぎて行った。


 活動写真屋に着くと、演目は悲恋ものであるらしかった。フェイロンは字が読めない。その事を自ら嘆かわしく思っている。


 入場券を購入し、中に入ると後ろはほぼいっぱいなのだが、前列はすかすかだ。フェイロンが空いている前に行こうとすると、ほうきを持ったおばさんに止められる。


「お客さん、中国人は後ろの席に座って下さいな」

「何だって!どういうことだ」

「いいから、そういうきまりになったんです」

 フェイロンは憤慨しながらも空いている席を探す。

 横に二人が座られる席はもうない。仕方なく一人づつ離れて座った。


 しかし納得がいかない。おばさんを呼びつけると何があったのか訊く。

「一ヶ月ほど前の事さ。日本兵がぞろぞろ表れて前の席は日本人向けに開けとけっと言うじゃないか。前例のない事態だけれど仕方ないね。銃で脅されちゃーね。二等国民は、引き下がるしかないね」


 またしても二等国民だ。憤懣ふんまんやるかたなしだ。


 この明らかな差別政策に、フェイロンの怒りがたまっていく。活動写真が始まっても内容が頭に入って来るはずもない。


 ――そういえば最近日本人がふえてきたな……


 次第に征服された事が目に見える形で表れてきた。


 活動写真が終わってホールを出る。昼飯屋を探して散策していると、珍しく洋食レストランを見つけた。興味深げに入ってみることにした。


「このコロッケというのと、オムレツをそれぞれ二人分づつたのむ」


 足が悪そうな女給に頼むと、メニューをパタリと閉じる。


「あれは何だろうな、二等国民っていうやつ。劣った民族ってー意味なのかな」

 フェイロンの問いかけに

「もう、忘れてしまいましょうよ! そんなこと。それよりオムレツが楽しみー」

 フェイロンが今まで見たことのない難しい顔をしてるのでシャオタオは無理に明るく振る舞う。


 揚げたてのコロッケが出てきた。

「うわ。おいしい! なにこれ」

「どれどれ。……本当だ。いままでこんな旨いもん食った事ねぇや!」

 二人とも笑顔になる。


 洋食屋を出るとフェイロンが誘う。

「俺達が稽古をしている小山の頂上にある寺に行ってみるか」

「行く行く~!」


 二人は一転して無口になり、シャオタオはフェイロンの左手を取って歩き始めた。時たまシャオタオがフェイロンの生い立ちなどを訊いてくる。フェイロンは父親の死を事故だと濁した。

「それからは屋敷の掃除ばかりやらされていたよ。でも逃げ出さなかったのは毎日洪拳の練習ができたからだ。もうそのころからかな、将来はこの道で食って行こうって決めたのは」


 寺院への石段をゆっくりと登っていると蝉の鳴き声がやかましい。


 登ってみるとびっくりした。十名ほどの生徒が各々工字伏虎拳をやったり対練をやったりしている。


「お前は休みを取らなかったのか」

「はい。自分は別の曜日に休みをとるのでその穴埋めにここで仲間同士稽古をしております」

「自分はいつも昼までなので遅れを取り戻すために休みに通っております」

「そうか、いい根性しているじゃねーか」


 しばらく生徒の指導をしているフェイロン。自分の一番好きな仕事をやって生活している人生が羨ましくなり、笑顔でその光景を見守るシャオタオ。この人について行けば、私も一生笑顔で生きていける……そう確信するシャオタオなのであった。


 稽古から離れてシャオタオの方にかけてくるフェイロン。


「こうして自主的に鍛練を積むやつは必ず強くなる。何としてでも後一ヶ月半で仕上げてやんなくちゃーな」

「後一ヶ月半か……危ないことしないでね」

「大丈夫だって。俺達は役所を取り囲むだけだ。逃げて来る奴は正門に向かうだろう。その辺りは義和門の奴らが固めている。俺達は高見の見物さ」

 フェイロンはからからと笑う。ほっとするシャオタオ。


 寺の石段に二人並んで座るとフェイロンがもじもじして話しかけてくる。

「俺達気が合うと思わねーか」

「どうして、そんなこと訊くの?」

「俺はシャオタオの事が好きだ!良ければ付き合ってくれねーかなーと思ってさ」

「あら、私はもうそのつもりでいたんだけど」

「本当か? じゃあ、これからは彼氏と彼女でいいんだな」

 フェイロンは喜びのあまり、いきなりシャオタオに抱きついてきた。

「いきなり過ぎよ」

 でもシャオタオは体の力を抜いた。

「あ、ああ、悪りー悪りー」

 シャオタオが頭をフェイロンの肩に寄せる。これが幸せかと甘い雰囲気に酔うフェイロン。シャオタオの小さな手を握りしめ、その手をさする。

「これからは色んな所へ行こう。近所の花園でもいいし、遠くの奇岩城でもいい。俺はこの一件が片付いたら生まれ故郷の河南省に行くつもりだ。そこでまた新しく武館を開き、幸せに暮らそう。ついて来てくれるな」

「うん、私も新しい世界を見てみたい。どこまでもついていくわ」

 二人は未来を夢見ながら語り合うのであった。


 それを木陰から鋭い目付きで見つめる五人の男……

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