シャオタオの恥じらい
フェイロンがくたくたになって宿に戻ってきた。まずは飯である。ちょうど客がいっぱいの時間帯で、繁盛している様子が伺える。
シャオタオが笑顔で注文を取りにやって来た。フェイロンは麦飯と豚の角煮と野菜炒めを注文する。
忙しそうに動き回るシャオタオ。それをニコニコ見つめるフェイロン。
そこへ運が悪いと言うか、二人組のいかにもチンピラ然とした男達が入ってきた。
注文を取りにいくシャオタオ。男達はまず酒と水餃子を二人分注文をする。
「いい女じゃねーか」
「遊びに誘いましょうか」
「おお、そうしろ」
斜めに座っていたフェイロンは、男達が発するよこしまな雰囲気を感じ取っていた。
まずはフェイロンの豚の角煮と飯が出てきた。フェイロンは角煮を頬張り、大盛りの麦飯をかきこむ。
次に男二人のテーブルに酒と水餃子だ。その時配膳をしているシャオタオの袖口を一人の男が掴み、離さない。
「横に座れよねーちゃんよ」
「今忙しいんです。離して下さい!」
もう一人の男はへらへら笑っているだけだ。
当然の如くフェイロンが立ち上がる。
何も言わずに袖口を掴んでいる左腕の手首を掴むと物凄い力で万力のように締め付ける。
「いてててて……」
「何するんだこの…」
もう一人の男が立ち上がり、言うか言わないかの内に左の裏拳が男の鼻っ柱を捉え、男はまた座る。男は鼻血をたらしはじめた。
「汚ねぇなあ」
右の男がやっとシャオタオの袖口を放した。
「お前ら店の中で暴れるのは厳禁だからな。表に出ろ!」
と、フェイロンが叫ぶも
「いえ、もういたしません旦那」
これにはフェイロンもずっこけてしまった。
「お前らやくざか。どこのもんだ」
「は…はい。龍道会の者です」
「ここはホアン・フェイロン様の縄張りだ!要らぬ事をするなよ」
「はい……分かりました、旦那」
二人は静かに水餃子を食べるのであった。
シャオタオがまたフェイロンの席に野菜炒めを持ってやって来た。
「さっきはありがと」
フェイロンの耳元でささやく。
「話があるんだ。後で少しでいいから仕事を抜けてきてくれないかな」
シャオタオが微笑む。
「いいわよ。もう少ししたら暇になるからその時ね」
お尻をふりふりしながら厨房へと戻って行った。
トントントンと二階に上がるとハオユーとウンランが何やら話しこんでいる。
「よう、帰ったぞ」
「遅かったな兄さん、どこをほっつきまわっていたんだ」
「後で話すよ。それより先に風呂だ風呂」
フェイロンはズボンを脱ぎ、風呂場に向かった。
風呂と言っても風呂桶があるわけではない。大きなタライが一つあるだけである。そこへ谷から引いて来た水がじょろじょろと流れ込んでいる簡素な造りだ。タライにじゃぼんとつかり、体をたわしでこすっていく。石鹸のない時代だ。昔はこれが当たり前だったのだ。
それからシャツとフンドシをこすりあげ、これでもかというほど絞りに絞る。そのシャツで体をふき、一丁あがりだ。素っ裸で部屋に戻るとハンガーに引っ掛け窓枠に吊るす。
「それで、何だって?」
着替えのフンドシ一丁でベッドの脇に座り込み、なぜだかニコニコしている。
「どこに行ってたんだって聞いてるんだよ」
ハオユーが尋ねる。フェイロンは鼻を掻きながら答える。
「ダーフーと試合をしてきた。勿論俺が勝ったがな。あいつの拳は最初の二歩が物凄く速い。少し苦戦したがなんとかモノにしたよ」
「それで……あの件はどうだった」
「あの件か。やはりあの時の日本兵だったよ」
「何だって! 勿論ザンに引き渡すんだろうな」
「それがな……」
フェイロンはかいつまんで説明した。言いにくかったが、五形拳を教える事 まで洗いざらい。
「何やってんだよ兄さん。相手の思う壺じゃないか!しかも洪拳の秘拳である五形拳を教えるだなんて」
「拳士には拳士として対処する。それに敵である俺に拳を指南してくれなんて面白い男じゃねーか。そうおもわねーか、ウンラン」
「お、俺はなんとも言えませんね……」
乾いたシャツを着ながらフェイロンは無造作に答える。
「お前らも秘密だからな。分かったか」
「兄貴がそうしろと言うんなら仕方がないですね。他言無用ですね」
「分かってくれればいいんだよ」
そこへ階下から、フェイロンを呼ぶ声が。
「フェイロンさーん! もういいですよー」
フェイロンはさらにニコニコすると「おうよ」と返して一階に下りて行く。
「もう何やってんだか」
ハオユーはベッドに寝転ぶ。フェイロンらしい対応に少しあきれた笑いがこみあげる。来る者はこばまず、去る者は追わずだ。ハオユーも諦めてしまった。
フェイロンとシャオタオは連れだって店の外に出た。恥じらうシャオタオ。二人はあてもなく歩きながら互いの言葉を待った。
「明後日、店休みだろう。観劇にでもいかねーか」
「うん。行く行く! 今やってる演目『桃花扇』一度見に行きたかったの」
「シャオタオは正確には何歳なんだい」
「ふふ、いくつに見える?」
「三十とか」
「もうやだ。二十一歳よ。フェイロンさんは?十年間も第一線で活躍して来たんでしょう。それこそ三十過ぎているんじゃない」
「はずれー。まだ二十八だよ。最初に大会で優勝したのが十八の時だ。それからの十年間さ」
シャオタオは改めて目をみはる。
「最初が十八って、そこから、本当に負けなしなの?」
「ああそうさ。ずっと優勝さ。おかげで弟子の数もうなぎ登りだったんだがな……一度無様な負けを喫するとみんな手のひら返しで逃げていったよ。厳しい世界さ。だから俺は面子を取り戻さなくちゃならねえ。いくら血反吐を吐こうがな」
「あ、今のかっこいい!」
「そ、そうか? へへへ」
二人は川辺に到着した。月明かりがまぶしいほどだ。石橋の欄干に腰かける。昼間は暑いが、夜は涼しい風が吹く。
「子供の頃から父さんから聞かされて育ったのよ。河北に龍がいるって。それからは大会の優勝戦があるたびに列車に乗り込み連れていかれてたわ。フェイロンさん、あなたの試合を見るためにね」
「親子揃って俺のファンだってーのか。そりゃ嬉しいぜ。よし、当日はシャツとズボンじゃなくてちゃんとした武術着を買っていくかな。シャオタオが恥ずかしくないようにな」
「私も武術着でいくわ。昔、三年間ほど詠春拳を習ってたの。そこの先生が強くてね、道場破りなんかあっという間に叩きのめしてたわ。友達と通っていたんだけど楽しかったわ。今は仕事が忙しいんで身を引いたけどね」
「お揃いだな。水色のやつを買ってこよう。そろそろ戻った方がいいんじゃないのかい」
「そうね、帰りましょうか」
泰定酒家に戻ってきた。
「ただいま。さて私は皿洗いに戻んなきゃ」
シャオタオは厨房へ消えて行った。
「フェイロン!」
見るとザンの顔が。
「よう、何か用かい。こっちの方は上手くいってるぜ」
「そうか、それは良かった。実は明日会合に出て欲しいんだ。形意拳のリァンと、八極拳のタンと言う奴が今この町に逗留している。そこでいろいろと話を聞いて欲しいんだ」
「分かった。時間は決まっているのか」
「正午からにしてほしいとの要望だ。飯でも食いながら話すようだ」
フェイロンは即決する。
――明日は忙しくなりそうだ
フェイロンはおやじさんに酒をたのみ、ザンと飲み始めた。
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