三人の男
ここは河北の地保定市の一角、男がどこからか走ってある武館に戻ってきた。
「兄貴ー!見てきましたよー」
兄貴と呼ばれた男はホアン・フェイロン (黄飛龍)
無敵の名をほしいままにしている。身長は五尺三寸 (百七十五センチメートル)、少しだけ大柄な男である。歳は二十八くらいか、端正な顔だちだが、少し鼻が大きい。それが何とも言えない愛嬌を醸し出している。
半袖に半ズボン。夏の暑さは正直こたえる。今、薪で魚を焼いている最中である。
どこからか帰ってきた男の名はウンラン (雲嵐) と言う。姓はない。身長は五尺(百六十五センチメートル)、いつもニコニコしている。三つのころからキリスト教系の孤児院に預けられ、十八になるまでそこで暮らした。孤児院を放り出されると、とある出来事でフェイロンの子分となる。以降洪拳も習い始め、生来の運動神経の良さでめきめきと頭角を表して三年たった今では準師範代にまで上り詰めている。
「そうか。よさげな女はいたか」
新しく開いた飲み屋の女をウンランに潜入して調べさせていたのである。ウンランは渋い顔をし、肩をすぼめた。
「まぁ、十把一からげですね。これっという女は見当たりませんでした。でも夜だけ来る女もいるかもしれませんし、行ってみるしかないですね」
「そうか、では夜俺が直々に調べてやる」
「そこの二人!」
いきなり棍がウンランの股下に突き刺さると上に跳ね上がり「パンッ」と金的を打つ。「おほっ!」とウンランは跳び上がる。
「今練習中だぞ。それがなんだ、生徒をほっぽり出してやれ新しい飲み屋の女がどうのこうの。ウンランにそんな事を命じる兄さんも兄さんだ。最近たるんでいるんじゃないのか。そんな事だと次の武術大会で足をすくわれるぞ」
「まあまあ、待てよハオユーよ」
フェイロンは股をパンパンはたきながら立ち上がる。
ハオユー(好誉)と呼ばれた男は、フェイロンの実弟である。歳は二十六、身長は五尺二寸(百七十二センチメートル)、体はやせ形で、真面目を絵に描いたような顔をして二人を睨みつけている。
「いいかい、俺たちは武館で武術を生徒に教えてその月謝で飯を食っている。真面目に教えないと生徒が逃げ出してしまうぞ」
ハオユーが吠える。
「分かってるよ。でも今日は特別だ。ザンが午後から来るんだ。だから飲みにいく店をウンランに探らせていたのさ。客には礼をもって尽くす。孔子もそんな事言ってなかったか」
「孔子はだな……まぁいいや、そのザン先生は、もうとっくに着いているぞ」
ザンと思われる男が遠くから壁に寄り添い頭を下げている。身長は五尺一寸(百六十八センチメートル)。よく整った顔だちに口の上には薄い鼻髭を蓄えている。
ザン・ポーウェン (張博文) 。義和門拳の使い手である。義和団は目下当局で最も危険な動きをしているとされ、血眼になってその動きを探されている。
「いようザン!」
フェイロンは焼いていた魚を皿に盛り、笑顔でザンの元へむかう。お互いの腹に軽く突きを入れ挨拶を交わす。
武館の方はウンランに指導を任せハオユーと二人、奥まったテーブルに皿を置くと、まずは夜本格的に飲みにいくまで軽く杯を交わす。
「久しぶりだな、三ヶ月ぶりか」
フェイロンが酒を飲みながら聞くと
「ああそのくらいだな。相変わらずか」
とこちらも飲みながら返すザン。
「二日前、梅花拳のコン老師が捕まり投獄された」
「何だってコン老師が!」
「回りの者が徹底的に付け狙われて本部を探られたらしい。明日は我が身だ。そのなかを逃亡に成功したやつがいる。梅花拳の棟梁、クス (許)だ。逃げおうせればいいんだが……」
ザンは苦々しい顔をして酒を煽る。
「要件は分かっていると思うが」
「あー分かっているよ。抗日運動の事だろう。でもまだ決めかねているんだ。相手は軍隊だぞ、銃を持っている。徒手空拳で抗ってもやられっぱなしになるのは目に見えている。無駄死にするのに、どんな意味があるのかと思ってな」
「無駄死になんかじゃない! 思い上がった日帝への報復だ。もうどれだけの中国人の血が流れているのか、考えた事はあるか。南派拳の勇、ホアンが立ち上がったときけば、あまたある南派の同士もまた立ち上がってくれようというもの。お前が動くというのはそういう事なんだ」
少しだけ熱くなったザンの熱を冷まそうとフェイロンは話題を変える。
「ところで姉御さんは元気か」
「元気もいいところさ。俺たちが武術をやっている所へやって来ては『抗日運動をやめなさい!』と説いてまわる厄介な女傑だ」
「はっは、そりゃあいい」
フェイロンは焼いた魚を箸でつまむ。
「しかし俺たちは南派拳法だ。今戦っているのは北派の連中が主力だろう。俺は政治の事はてんで分からねーが、日本軍が長江を渡って来るなんて想像もつかない。いざとなったら広東辺りに逃げればいいと考えているんだがな」
それを聞いたハオユーが口をはさむ。
「船で占領しに来るんだよ。ここ河北も日本の手に落ちた。俺はザン先生の意見に賛成だ。下手をすると武館を強制的にやめさせられるかも知れない。そうなる前に何か手を打っていないと」
ザンが我が意を得たりと膝を打つ。
「ハオユーもこう言っていることだし、運動参加の事、よろしく頼む」
日が西に傾きつつある。
「今日来たのは他でもない。抗日運動もさることながら、お前に頼みがあるんだ。俺の弟子に『河北の龍』と呼ばれるお前の洪拳を教えて欲しいんだ」
フェイロンは驚いた。
「俺の洪拳を?」
「そうだ。俺が義和門拳を教えていてもどうも強さが頭打ちになってしまっているようなんだ」
「拳理が異なる武術を教えたらものすごく弱くなる者も出るぞ。それでもいいのか」
「構わない。全員がそうなる訳ではなかろう。報酬も当然出す。どうだ引き受けてくれないか」
フェイロンは難しい顔をしてるが顔を上げた。
「よかろう、引き受けてやる。ただし一週間に一度だけだぞ」
ザンはほっとした。洪拳の強さは武術大会でフェイロンと一度手合わせした時に身をもって知らされたからだ。
その時、門の方から銃声が響き渡った。
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