鰭脚類飛行物体
「シロさんシロさんっ! アザラシは、空を飛べるんですか?」
「飛ぶに決まってるじゃないか。何言ってるんだ君は」
わたしより頭一つ背の高いシロさんは、不機嫌そうな顔を隠しもせずに言いました。
飛ぶんですか? アザラシが? この小さな前脚で、どうやって?
はてなマークばかりが頭の中に浮かびますが、シロさんはそれ以上の説明をしてくれません。その代わり……、というわけでもないとは思いますが、背中をぐっと曲げてわたしの腕の中を覗き込み、眉間の皺を更に深めて聞きました。
「で、それ、どうしたの?」
「お、落ちて、きたんです……」
わたしは、つぶらな瞳でシロさんを見つめ返すふわふわの毛玉、もといアザラシの赤ちゃんを抱えたまま、ただ、おろおろすることしかできなかったのでした。
わけもわからないままに、この不思議な世界に迷い込んでしまって、一ヶ月が過ぎました。この一ヶ月、色々なことがありましたが、わたしを拾ってくださったシロさんやお世話をしてくださる大家さん、そして長屋の皆さんのご協力もあり、何とかでこぼこやっています。
しかし、まさか、空から落ちてきたアザラシを拾うとは思いませんでした。しかも、シロさんも、先ほど偶然通りがかった大家さんも、空からアザラシが落ちてくるという現象を「珍しい」とは言えど、不思議には思っていないみたいです。この世界のアザラシは、どうやら空を飛ぶのが当たり前のようです。恐るべし、異世界。
ただ、困ったことに、空から落ちたアザラシの子供をどうすればいいか、ということまでは、シロさんにも大家さんにも、すぐにはわからないようでした。物知りご隠居さんに聞いてみようにも、今日はお留守のようです。
「だからって、僕の部屋に連れ込むのやめてくれないかな」
「ごめんなさい。でも、シロさんのグーグル先生だけが頼りなんです!」
「前から思ってたんだけど、その『ぐーぐるせんせい』って何なの」
畳の上に座布団を敷いて正座するわたしとシロさんをよそに、小さなアザラシさんは、ぷかぷか楽しげにお部屋の天井辺りに浮かんでいました。小さな脚をちょこちょこ動かしながら、わたしにはさっぱり用途のわからない不思議なオブジェの隙間にもぐりこみそうになって、その度にシロさんに追い出されています。
シロさんは、わたしが住まわせてもらっているお部屋のお隣に住む、魔法使いです。通り名が示すとおり、真っ白な髪と真っ白な肌をしていて、分厚い眼鏡の下に隠れた目の色は、明け方の冬の空のような、淡く透き通った、とてもきれいなブルーです。と言っても、ここの空は常に真っ白な霧に包まれていて、この一ヶ月一度も「青い空」というものを見たことはないのですが。
今日も白いシャツに袴という、いわゆる書生さんのような格好をしていますが、これはシロさんに言わせれば魔法使いはみんな大体こんな感じ、なのだそうです。ただし、わたしが今までシロさんの他に出会った魔法使いらしい魔法使いは、スキンヘッドに改造白衣にアロハシャツに片眼鏡という強烈な個性の持ち主だったので、一体何が標準なのかは未だにわかりません。
魔法使いと言っても、シロさんが杖や箒を使うことはありませんが、わたしから見れば本当に魔法としか思えない力を使うのです。
その一つが――グーグル先生。
「まあ、とりあえず、調べてはみるよ。期待はなさらず」
シロさんは、その場に立膝をついて、人差し指で虚空をちょんちょんと叩くような仕草をします。その瞬間、部屋いっぱいに淡い光の文字が浮かび上がって、ものすごいスピードで流れていきます。わたしには全く読み取れないそれらの只中で、シロさんは指先一つで文字を弾いていき、光の流れを乱していきます。
すると、光が収束して、シロさんの掌の上にいくつかの光の板のようなものが浮かび上がりました。
「『アザラシの幼生の保護』、で調べてみてもほとんど情報は無いよ。元々、アザラシが人里まで下りてくるのも年に一度程度なんだ、珍しい例なんじゃないかな」
「……そういう生態なんですか?」
「うん。こっちを読めばわかる」
つい、と。実体の無い光の板のひとつがわたしの目の前まで滑ってきました。その動きが気になったのか、ぷかぷか浮かんでいたアザラシさんも、一緒になって光の板を覗き込んできます。
光の板には、図や絵を含めて詳細にアザラシの生態――ただし、わたしの知っている「アザラシ」とは全く違うもの――が記されていました。図鑑の一ページ、のようにも見えます。
魔法使いなら誰でも使える、いつでもどこでも調べ物ができる図書館のようなもの、と前にシロさんが(めんどくさそうに)説明してくれましたが、つまるところグーグル先生の魔法です。パソコンやスマホをはじめとした、電化製品らしい電化製品が存在しないこの世界でそこまで苦労せず暮らしていけるのは、このような便利な魔法がたくさん存在しているからだったりします。
「この世界のアザラシは、渡り鳥みたいな生態なのですね……。不思議です」
「君の世界では違うの? 空も飛べずに、どう移動するのさ。この体型じゃ、まともに歩けないでしょ」
シロさんは、アザラシさんの背中を大きな手で掴んで、じたばたする前脚や、くにくに動く後脚をじっと見つめます。部屋に連れ込んだことに対して、色々文句は言っていましたが、珍しい例というだけあって興味はあるみたいです。
「ええと、わたしの世界でも、陸上での移動は得意ではないですよ。ただ、空は飛ばずに、海を泳ぐものです」
「……海? ああ、君たちの世界では、大きな水溜りのようなものを海って呼ぶんだっけな。まぎわらしい」
そうでした。
この世界には、海がないのでした。
いいえ、正確には、霧に包まれた空のことを「海」と呼ぶのです。
真っ白な霧に包まれた空と、霧の中に浮かぶ大地。それが、この世界の全てなのだと、かつてシロさんは言いました。
一体、どういう仕組みなのでしょうか。世界が違うのだから、わたしが知っている物理法則や「宇宙」の概念は意味を成さないのかもしれませんが、つい、そんなことを考えずにはいられません。
だって、わたしとシロさんは色こそ違えど同じような姿かたちをしていますし、シロさんの手の中でじたばたするアザラシさんは、わたしの目から見る限り「アザラシ」にしか見えません。だから、世界こそ異なれど、全く別の法則が働いているわけでもない、ような気がしているのですが――。
「シロさん、離してあげませんか?」
とりあえず、苦しそうなアザラシさんを助けてあげるのが先決な気がしました。
シロさんは、ちょっとだけ残念そうな顔をしながら、アザラシさんから手を離しました。
ふわりと浮かんだアザラシさんは、シロさんから離れて、なぜかわたしの腕の中にすっぽりと収まってしまいました。真っ白な毛はふわふわもこもこで、とっても温かいのです。そんなアザラシさんがぐいぐいとわたしに体を押し付けてくるのですから、あったかいやらくすぐったいやらで、ついつい、頬が緩んでしまいます。
「……君、今、すごくだらしない顔をしているよ」
「はっ! す、すみません」
ちょっと放送禁止な感じになっていたかもしれません。しっかりしなければ。
「と、とにかく、ずっと育てるわけにもいきませんし、どうにかして、群れに帰してあげなければなりません」
「でも、どうやって?」
「シロさんの魔法で、どうにかなりませんか? アザラシ探知とか」
「術式はそんな便利なシロモノじゃないよ。アザラシ探知なんてピンポイントすぎる術……、いや、海軍とか、飛行艇を扱う組織では使ってるだろうけど」
確かに、霧の海に群がるアザラシの中に飛行機が突っ込んだら、ちょっと洒落にならない気がします。アザラシ限定とは言わなくとも、飛行物体に対するレーダーのような魔法は存在するのかもしれません。特に、霧が晴れないこの世界では、レーダーは必須ではないでしょうか。
とはいえ、流石にシロさんの専門ではないらしく、ゆるりと首を横に振ります。
「僕には、すぐにどうにかするのは無理」
「そうですか。困りましたね……」
本当に困っているのですが、その思いは、アザラシさんには伝わらなかったのでしょうか。真っ黒な目でわたしを見上げて、こくんと首を傾げるだけでした。かわいい。
かわいいのはいいのですが、これから、どうすればいいのでしょう。
ふわふわと頬に擦り寄るアザラシさんを抱きなおしていると、シロさんが助け舟を出してくれました。
「今日はもう遅いから、一旦帰ったらどう? 夜のうちに、何か手は無いか調べておく」
「あ、ありがとうございます」
「僕も暇じゃないんだけどね。まあ、いつも通り、後で何かしらで返してよ」
シロさんは、不機嫌そうな顔をしながらも、いつもそう言ってわたしを助けてくれます。その度に、わたしは大家さんと相談して、シロさんの好きな食べ物でお返しをするのです。今回は、かぼちゃの煮つけか、肉じゃがにしようと思います。
シロさんの部屋の玄関口を出ると、シロさんの言う通り、既に日は暮れて夜になっていました。夜、と言っても、決して真っ暗闇にはなりません。昼間ほどの明るさはありませんが、辺りを包む霧が仄かに輝くことで、幻想的な光景を生み出しています。
よくよく見れば、アザラシさんの白い毛も、ぼんやりと輝いているようでした。霧に反応しているのでしょうか。シロさんも、わたしの腕の中で丸まっているアザラシさんを覗き込んで、顎に手を当てます。
「興味深い。霧に近しい性質を持ってるのかもしれないな」
「そうなのでしょうか……、あっ」
眠そうにうとうとしていたアザラシさんが、急に顔を上げて、わたしの腕からするりと抜けて浮かび上がります。空に向かって、懸命に後脚を動かして、前脚で舵を取って高く高く上っていこうとするのですが、乳白色に輝く毛並みが霧に隠れてしまいそうになったその時、大きく方向転換したかと思うと、突然、落下を始めてしまったのです。
慌てて、落ちてきそうな場所に向かって駆け出しますが、手が、届かない――!
そう思った瞬間、アザラシさんの体が光に包まれて、ふわりと浮かび上がりました。振り返れば、人差し指を虚空に向けたシロさんが、周囲に光の渦を生み出していました。さすがシロさん、咄嗟に魔法で受け止めてくれたのです。
ゆっくり下りてくるアザラシさんの体を、そっと抱きとめて。胸がどきどきするのを何とか押さえながら、小さな声で問いかけてみます。
「どうしましたか?」
アザラシさんは、目をぱちくりさせたまま、答えません。言葉がわからないのだから、当然かもしれませんが。
「……もしかすると、まだ、上手く飛べないんじゃ?」
子供だし、と言うシロさんは、相変わらずの仏頂面ですが、もしかすると、心配してくれているのでしょうか。シロさんは、なかなか素直に感情を見せてくれないので、判断が難しいところですが。
「そうかもしれませんね。どうしましょう……」
「僕らにはどうしようもないよ。とにかく、今日のところはこの子を連れて帰るしかない」
「そうですね。なるべく、部屋の中から出さないように気をつけます」
「うん。そうして」
また、わたしの見ていないところで飛ぼうとして、今度こそ助けられなかったらと思うと、気が気ではありませんから。
そんなわたしの気も知らず、小さな小さなアザラシさんは、わたしの掌に、真っ黒い鼻を擦り付けていました。
それから、アザラシさんとの生活が始まりました。
ふわふわ浮かぶアザラシさんは、どうも完全にわたしに懐いてしまったようで、どこへ行くにもわたしの後をついてきます。特に、わたしの首の辺りがお気に入りなのでしょうか、まるでマフラーのようにふわふわの体を首に巻きつけて、そのまま眠ってしまったりもします。
首元に巻きついているときは、勝手に飛んでいくこともないので、一緒に町を歩くことも多くなりました。アザラシさんはどこに行っても人気者で、特にクラスメイトに見つかったときにはアザラシさんがぐったりしてしまうほどもふもふされてしまいました。でも、アザラシさんのもふもふぶりでは、仕方ないかもしれません。首に巻いている今も、とても温かくて、ふわっふわなのです。この触り心地はなかなかやみつきになります。
もちろん、困ってしまうこともたくさんありました。特に困ったのは食べ物です。食べるものもわからなくて、シロさんに調べてもらいながら、アザラシと同じように霧の中を飛ぶ鳥や魚(そう、魚も空を泳ぐのです!)をあげてみたのですが、なかなか食べてくれなくて困りました。ただ、次の日、わたしが食べようとしていたご飯をおいしそうに食べていたので、もしかしたらこの世界のアザラシは雑食なのかもしれません。
これには、シロさんも不思議そうな顔をしていましたが、アザラシさんの体調がおかしくなったようには見えないし、むしろ毛並みが一段とつやつやしてきたようなので、とりあえず問題なしとしておきました。
別の日には、アザラシさんが長屋のご隠居さんところのタマさんと遊んでいました。タマさんは見事な三毛猫で、そしてご隠居さんがかわいがりすぎた結果でしょうか、アザラシさんに負けないくらいまるまるとしています。
そんなタマさんとアザラシさんがころころじゃれあっているところを見ると、何とも微笑ましくてついつい頬の辺りが緩んでしまいます。一緒に横に座ってその様子を見ていたご隠居さんも、湯のみを手ににこにこしていました。
「この子は、お嬢さんが拾ってきたのかい」
「この前、空から落ちてきたんです」
「なるほど、迷子というわけか」
迷子。その言葉に、ちくりと胸が痛みました。アザラシさんの境遇を思って、というのももちろんあったのですが、それよりもまず、自分のことを考えてしまったのです。
群れからはぐれてしまった迷子のアザラシさん。
元の世界から、見知らぬ世界に流れ着いてしまった迷子のわたし。
いつの間にか、わたしは、このアザラシさんにわたし自身を重ねていたのかもしれません。
「いつか、この子は群れに戻してあげるのかい?」
「はい。できれば、お母さんのところに戻してあげたいなと思っています」
そうか、と。ご隠居さんはわたしの言葉に頷いて、優しい目でタマさんとアザラシさんの追いかけっこを見つめていました。
きっと、いつか別れの日が来る。その時のことを、考えていなかったわけではないのです。
きちんと群れに戻れるように、いつも空にアザラシの群れを探していましたし、わたしが変な愛着を抱かないように、名前もつけずにただ「アザラシさん」と呼ぶようにして。
それでも、別れを思うと、どうしても、胸がぎゅっとするのです。
その時、タマさんとの遊びにも疲れたのでしょうか。アザラシさんがふわっと飛んできて、わたしの胸に飛び込んできました。ふかふかで温かな体を擦り付けながら、黒く潤んだ大きな両目で、わたしの顔をじっと見つめてきます。
アザラシさんの両目に映ったわたしは、何だか、ひどく不細工な顔をしていました。
そして、出会いが突然であったように。
アザラシさんとの不思議な共同生活のおしまいは、突然訪れたのです。
「どうして、こいつは僕の頭に乗るんだよ」
「背が高いからじゃないですか? アザラシさんは、高いところが好きなようなので」
「君に乗るときは肩なのに、解せない」
買い物帰りに偶然出会ったシロさんの頭に、真っ白な頭に前脚でしがみつこうと頑張るアザラシさん。シロさんの後頭部で後脚をばたばたさせている様子は何とも愛らしく、通りすがりの人たちも、にこにこしながら行きすぎていきます。
とはいえ、シロさんは、見世物のようになってしまっているのが気に食わないようで、いつもよりも更に眉間の皺を深めて、ずんずんと大股に歩いていきます。それでも、アザラシさんを振り落とさないでいてくれる辺りが、シロさんの優しさなのだと思います。
荷物を抱えて、少し小走りになりながらシロさんの後を追いかけていくと、突然、アザラシさんがシロさんの頭から離れました。
――振り落とされた?
一瞬そう思いましたが、違いました。アザラシさんは、自分からシロさんの頭を離れて、じたばたと不器用に脚を動かしながら空を目指して飛んでいこうとするではありませんか。
「アザラシさん!」
慌てて、駆け出します。わたしの名前を呼ぶシロさんの声も振り切って、手に持っていた荷物も投げ出して。
「アザラシさん、どこに行くんですか!」
アザラシさんは、今まで見たことのない速さで、道に立つ柱を避けながら飛んでゆきます。わたしは、見失わないようにするのが精一杯です。
けれど、そんな追いかけっこもすぐに終わりました。
道が終わった先には、開けた公園があって。その上空に――。
「群れだ」
わたしのことを追いかけてきてくれたのでしょう、シロさんの声が聞こえてきました。
そう、シロさんの言うとおり、霧に隠れそうになるくらいの空の上に浮かんでいたのは、アザラシさんと同じ、鰭のような前脚と後脚を持つまあるいアザラシの群れでした。そのうち一匹、特に大きなアザラシがすいっと、それこそ空を泳ぐように優雅に降りてくるのがわかります。
アザラシの群れが、迷子になったアザラシさんを、探しに来てくれたのです。
公園の真ん中に浮かぶアザラシさんは、空から降りてくるアザラシをじっと見つめ、それから、わたしに目を向けました。
「アザラシさん?」
アザラシさんは、じっと潤んだ目でわたしを見つめ、空のアザラシを見つめ、を繰り返すばかりで、なかなか空に飛んでいこうとはしません。
少しでも、別れを惜しんでくれているのでしょうか。わたしのことも、友達だと思ってくれたのでしょうか。どこか喉がひりつくような感覚を覚えながらも。
「アザラシさん、お迎えですよ」
わたしは、困ったようにふわふわと浮かぶアザラシさんの頭を、優しく撫でました。このふわりとした感触を、きっと忘れまいと思いながら。
すると、するり、と。アザラシさんは、いつもそうしてくれていたように、わたしの首の周りに巻きつくように体を絡めて。それから、音もなく離れました。
それが、別れの挨拶だったのかもしれません。
アザラシさんは、もしかしたらお母さんでしょうか、大きなアザラシに導かれるようにして、群れに向かって飛んでいきました。最初は危なっかしく空を掻いていた脚も、周りのアザラシたちの真似をしているうちに、しなやかな動きになっていって、やがて空の高みへと上っていって、すぐに、どれがアザラシさんだったのかもわからなくなってしまいました。
ぼんやりと、空を見上げていたシロさんが、ぽつり、言葉を落とします。
「帰ったな」
「そうですね」
「よかったんじゃない? 家族と一緒にいられるなら、その方がいい」
「……そう、ですね」
家族。そうです。家族がいるなら、きっと、その方がいいのです。シロさんも、今は家族と離れて暮らしていますが、お互いを大切に思い合い、時々同じ時間を過ごしていることを知っています。
けれど、わたしは――。
「ごめん」
不意に、言葉が振ってきて、わたしははっとして顔を上げました。
いつの間にか、シロさんは、アザラシさんが浮かんでいった空ではなく、冬空色の瞳でわたしを見ていました。なぜか、酷く、傷ついたような表情で。慌てて、わたしは首を横に振ります。
「いいえ、シロさんは、何も悪くありません」
「でも、ごめん。無神経だった」
いいえ、いいえ――。
そう言いたかったのに、声は、出せませんでした。すっかり、視界が滲んでしまっていて、口を開いたら、もっとシロさんを困らせてしまいそうだったのです。
アザラシの群れは、ぼやけた視界を横切り、すぐに霧の向こうに見えなくなってしまいます。
それでも、わたしはずっとアザラシさんが向かっていった空を見上げていて。
シロさんはそんなわたしに、何も言わずそっと寄り添ってくれたのでした。
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