ものとおもいで

「なあ、セレス」

 俺が声をかけると、ベッドの上で足をぱたぱたさせながら本を読んでいたセレスが、「はい」と返事をして顔を上げた。薄青の長い睫毛に縁取られた瑠璃色の目が、じっとこちらを見つめてくる。

 その、真っ直ぐな視線を受け止めて。

「……何か、もの、増えてね?」

 ついに、ここしばらく言いたくてたまらなかった疑問を吐き出したのだった。

 

 

 我らがサードカーテン基地司令ロイド先生の陰謀により、奴の死から長らく一人で燻ってた俺が、女王国初の人工霧航士ミストノート・セレスティアと組まされ、しかも部屋まで一緒に使えと命令されて二ヶ月。

 セレスとの奇妙な共同生活は、最初こそセレスの無常識――あくまで非常識ではない、セレスは常識を教えられていなかっただけだ――っぷりに振り回されたが、今のところは、何だかんだ上手くやっていけていると思う。

 が、二ヶ月を経て、気づいたことがある。

 というより、気づいていながら、気づかないフリをしていただけだ。

 部屋の半分――セレスの割り当てであるそこが、形容しがたいガラクタ置き場と化していることに。

 俺の領域にまでガラクタが侵蝕していないことに関しては、言いつけをきっちり守るセレスの真面目さを積極的に評価したいと思う。

 ただ、このガラクタはどうして湧いて出たのか。もちろん言葉通り「湧いて」出るなんてことはあり得ないわけで、必ず出所はある。

 例えば、窓際に置かれている妙な形の酒瓶はおそらく整備班の連中が捨てたものを拾ってきたんだろうし、古びた小さな木箱の隙間から覗くきらきらしたものは、きっと島の端に流れ着いた魚の鱗だ。普通ならゴミと何も変わらないそれらを、セレスは、丁寧に拾い集めては至極大切に保管しているのであった。

 セレスは、じっと俺を見上げた後に、無表情のまま、こくん、と首を傾げた。

「片付けた方がいいですか?」

「や、別に、そうじゃねーんだけど」

 正直、セレスが鬱陶しくないならそれでいいと思う。部屋の使い方は、俺の領域を侵蝕しない限りは自由だ。俺も、セレスの邪魔にならない範囲で好き勝手に部屋を使ってるしな。

 だから、俺はただ「疑問に思う」のだ。

「単純に、不思議だなって思っただけ。何で、ものを集めてんのかな、ってさ」

「なるほど?」

 セレスはもう一度こくん、と首を傾げてから、手元の本を閉じて身を起こした。少年とも少女ともつかない――実際そのどちらでもない――つくりものの体は、小さくて、壊れもののようで、何となく見ていて不安になる。実際には、へなちょこな俺よりよっぽど筋力も持久力もあるわけだが。すごいよな人工霧航士ミストノート

 そんな、やけに華奢な手が寝台の横の台に伸び、置かれていたものを摘み上げる。俺の目から見る限り、単なる硝子の欠片にしか見えないそれを手のひらの上で転がしながら、セレスは俺に視線を戻す。

「ゲイルには、何かを収集したい、という欲求は無いのですか?」

「んー……、そういや、収集欲求は人より少ねーかもな」

 よくよく思い返してみれば、奴――昔の相方や、同期にも同じようなことを言われたことがある。お前は「もの」に対する執着が薄すぎるのだ、と。正直、奴にだけは言われたくなかったが。奴は奴で相当「もの」の扱いは悪かったから。

 セレスは大きな目をぱちぱちさせて、そして一つ頷いた。

「なるほど……。確かに、ゲイルには、必要ない行為なのかもしれません」

「必要?」

 俺の疑問符に「はい」と歯切れよく返事したセレスは、俺の前に硝子の欠片を差し出す。

「これは、一ヶ月前、わたしが初めて、徒歩でサードカーテンの西海岸に行ったときに拾ったものです」

「ああ、そうだったな」

 ――それは、よく、覚えている。

 

 

 俺たち霧航士ミストノートは、普段は魄霧の海の高い場所から、翅翼艇エリトラを通して地上や海の底を見下ろしている。要するに、そもそも魄霧を見通せるようにできている翅翼艇エリトラの目と、自分の目で見る風景は明らかに違う。

 俺にとって当然だったその事実は、しかし、生まれながらの霧航士ミストノートであるセレスにとっては意外なことだったのだと、その時初めて気づいたのだ。

 今まで散々上空から見下ろしてきたはずの海岸にたどり着いたとき、セレスは、砂利と瓦礫に覆われた岸を舐める濃い魄霧の波を、瑠璃色の目でじっと見つめていたのだった。

 魄霧は音もなく寄せては返すだけ。それでも、セレスには何かが見えて、聞こえていたのかもしれない。そのくらい長い間、立ち尽くしていたのだと、思い出す。

 そして、ぽつりと、言ったのだ。

「海岸とは、こういう場所なのですね」

「岸を見るのは初めてか?」

「はい。時計台の周りには、海岸はありませんでしたから」

「そりゃそうか」

 時計台――セレスが生み出された女王国軍本部は、ここサードカーテン島からは遥かに遠い、女王国本島の内陸部に位置している。俺もここに逃げてくるまでは時計台にいたから、そこに「地の終わり」が無いことだけは知っている。

 だから、セレスにとってこれは紛れもなく、初めて見る風景だったのだ。自分の目で見つめる、地の終わり。俺たちがいつかは越えなければならない、海のはじまり。

 大地の端を舐める魄霧の波を見つめたまま、セレスは淡々と言葉を落としていく。

「何故でしょう。この波を見ていると、この辺が、ぎゅっ、とするのです」

 ぎゅっ、という言葉に合わせて胸の辺りで手を握り締める。相変わらず、その顔はほとんど表情らしいものを映してはいなかったけれど、目の奥で微かに何かが揺れたことだけは、俺にだってわかった。

 セレスの心を締め付けた「それ」が何なのか、俺にはわからない。俺の目に映る光景は、ただの寄せては返す波でしかなかったから。強いて言えば、白い魄霧に覆われた世界の中で、セレスだけが青く、淡く、輝いて見えていて。それを、ただ「綺麗だ」と思っただけ。

 そんな俺に、セレスが抱いた感慨を理解できるはずがなかった。

 理解できなかったことが、何とはなしに、悔しかった。

 

 

 そんな海辺の記憶を紐解いていると、セレスが硝子の欠片をそっと両手で包み込んで、ぽつりと言った。

「この欠片を見ていると、胸の辺りがぎゅっとした、ということを思い出すのです。海岸の風景も、そこにゲイルと一緒にいたということも、その時何を話したのかも」

「って言ったって、大したことは話してねーだろ。それに、この時だけじゃなくても大体一緒にいるじゃねーか」

 そう、ここにあるガラクタの出自が一目見ただけでわかるのも、俺とセレスが常に一緒にいるからだ。情勢の都合、セレスを一人にしておくのが怖いってのもあるし、そうでなくとも、セレスと一緒にいるのは面白い。セレスの感覚や言葉は、いつだって俺とは少しだけずれた場所にあるから。

 今だって、そう。セレスはぱちくりと青い目を見開いて、それから、ほんの少しだけ口元を緩めて。

「そうですね。ゲイルは、わたしの、大切な相棒ですから」

 そんなことを、きっぱりはっきり、のたまってのけるのだ。

「あー……、何の衒いもなく言われちまうと、流石に、照れるな」

「そうなのです?」

 そういうもんなんだよ、と。口の中でかろうじて返事をする。誰に聞かれてるわけでもないんだから、照れる理由だって何もないはずなんだが、未だに、セレスの直球の物言いにはどうも慣れることができないままでいる。

 セレスは不思議そうに俺を見上げていたが、やがて「話が逸れました」と口元を引き締め直す。

「ここにある『もの』は、全部、わたしの思い出です」

 一瞬、言われた意味がわからなかった。多分、セレスにも俺が「わかってない」ってことだけは伝わったのだろう。口元に指を当てて、言葉を探すように、虚空に青い視線を彷徨わせる。

「毎日、色々なことがあります。だから、その中で忘れてしまうことも、いっぱいあって。でも、ここにある『もの』を見たり、触れたりすると、ふと、その時の光景が目に浮かびます」

 言葉を切って、セレスは目の前に「海辺の思い出」そのものである硝子の欠片を翳す。

「だから、わたしには必要で、大切なのです」

「そういうもん、なのか」

 なるほど、俺にはわからないわけだ。必要がないってこともあるが、何より、セレスに出会う前の俺は、そもそも「思い出」ってものに意味を感じていなかったから。過去を振り返ることを、恐れていたから。

 けれど、今は、どうだろう。

 過ぎ去った記憶、頭の内側に煌く、今はここにいない奴の姿。振り返る度に感じる、胸を締め付けるような痛みは消えないし、きっと二度と消えることはない。

 それでも――、それでも。

「なあ、それ、触ってもいいか」

「はい」

 セレスは、俺に硝子の欠片を手渡す。少しだけセレスの体温が移ったそれを、手の上で転がす。

 形のある思い出は、俺に何かを物語ってくれるわけでもなければ、セレスの意図の全てがわかるわけでもないけれど。かつて、記憶の中にあったものに、今この瞬間確かに触れている、という感触は――。

「……何か、いいな。こういうのも」

 つい、ぽつりと落とした俺の呟きに、セレスはぱっと顔を輝かせる。表情はほとんど変わっていないはずなのに、不思議と「喜んでいる」ことだけははっきりとわかるのだ。不思議なことに。

「それなら、ゲイルも、何か集めてみますか?」

「んー……、いや、やめとく。はじめると、収拾つかなくなりそうだ」

 それこそ、セレスのようなかわいらしい収集癖では済まされなくなる気がしてならない。これでも、そういうところの加減が利かないという自覚だけはあるのだ。

「ゲイルは凝り性ですからね」

「あのなあ、どこで覚えてきたんだ、そんな言葉……」

 グレンフェル大佐が言っていました、とセレスは真顔で言う。うん、まあ、ロイドなら仕方ないな。あの人は、俺のことを、俺自身よりよく知っているから何も否定ができない。

 セレスに「海辺の思い出」の欠片を返して、改めてセレスの寝台の周りを眺めてみる。

 初めてセレスがこの部屋に来た時、俺一人では広すぎた部屋は、酷くがらんとしていた。けれど、今はこうして、俺とセレスの「思い出」が、少しずつではあるけれど、詰みあがってきている。

「これから、もっと増えるといいな」

 俺の言葉に、セレスはこくりと深く頷いて、それから、青い眉をほんの少しだけ寄せて目を細める。

「しかし、増えすぎると置く場所に困るので、今から収納について考える必要がありそうです」

「まあなあ」

 その、真剣この上ない面がどうにも面白くて、つい、笑いがこぼれる。

 もちろん、こちらを見上げるセレスの「解せぬ」という視線が突き刺さったのは、言うまでもない。

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