夜間飛行のその前に
やることをやりきった気だるさを感じながら、腕の中の女に口づけを落とす。枕元のランプだけが灯る薄闇の中、いたずらっぽい笑みを浮かべて俺の唇を舐め返し、身を寄せてくる女の柔らかな胸が、腕や胸元に密着する感触。
「ね」
女の甘ったるい声が、俺の耳元で囁く。
「さっきから、何か、聞こえてない?」
「気のせいだろ」
もちろん、気のせいじゃないってことくらいはわかってる。わかってるが、部屋の隅に放った通信機のコール音なんかに応えてる場合ではないのだ。
俺好みの弾力を備えた女の乳房を、手のひらや指先でもたっぷり堪能していたその時、明かりを落としてあるはずの部屋に、突然光が差した。
「ゲイル、出撃だ」
同時に響く、聞き慣れた声。そちらを見れば、寝室の開け放った扉に寄りかかるようにして、一人の男が立っていた。逆光でよく見えちゃいないが、つややかな黒髪に、まるで人形のように整った顔立ちをした野郎は、その紫色の目で、女を抱いた姿勢のまま固まっている俺を睥睨しているんだろう。本人にその気がなくとも、どうも威圧感を感じさせる無表情で。
そして、こいつがここに現れてしまった以上、これ以上のお楽しみは許されないってことだ。
きっと何が起こったのかよくわかってないんだろう、そいつと俺とを見比べて目を白黒させる女から少しばかり身を剥がして、奴さんを睨む。
「おおーい、邪魔すんなよな、オズぅー」
オズ――女王国海軍中尉オズワルド・フォーサイスは相変わらずのしれっとした面のまま、軽く肩を竦めて言い放つ。
「はいはい、夜分遅くにいいところの邪魔をして申し訳ありませんね」
「絶対に『申し訳ない』なんて思ってねーツラと棒読みっぷりだなおい!」
「上からの命令なんだから諦めろ。三分後に出撃前ミーティングだ」
「へーい」
どうやら相当急の出撃らしいな。ぴったりと触れ合った肌の温もり、乳の感触は名残惜しかったが、諦めてのそのそベッドから降りる。三分ってことはシャワーを浴びる時間もないってことだが、まあ、急の出撃なんて霧航士にはよくある話だから仕方ない。
そのままオズと一緒に部屋を出て――行こうとしたら、オズがすらりと長く伸びた足で行く手を塞いできやがった。こいつ、時々自分が足が長くて容姿端麗であることを無意識に主張してきやがるから性質が悪い。
そんなおみ足から顔へと視線を移せば、オズは、その端正な顔を歪ませて、めちゃくちゃ嫌そうな顔で俺を睨んでいる。
「せめて下は穿け。露出狂か」
「いやー、折角の機会だから俺様のこのイチモツを見せびらかそうかと」
「オーケー、下を穿け。さもなければ潰す」
「……お前、潰すって言ったら絶対潰すよな?」
ああ、と絶対零度の顔で頷いたオズは、地を這うような声で言う。
「一分だけ外で待つ。潰されたくなかったら真面目にやれ」
流石に冗談言ってる間に潰されたら話にならん。慌てて脱ぎ捨てておいた下着を引き寄せる俺を一瞥して、オズは部屋を出て行った。音もなく閉まる扉を眺めながら、下着を穿いて、流石に下着一丁はそれはそれでオズに怒られそうだから軍服の下も穿いて、シャツを羽織る。
その間もベッドの上で白い裸体を晒していた女は、すらりとした足でぱたぱたシーツを叩きながら言う。
「ねえ、あのやたら綺麗な顔のお兄さん、あんたの何なの? 彼氏?」
「彼氏じゃねーよ。乳がない奴を抱く趣味ねーもんよ、俺様」
オズが巨乳だったら一度くらい抱いてみたかった気はするが、そこはそれ、完全に「ありえない仮定」ってやつだから、頭ん中から追い払っておく。こんな下らないこと考えてるとオズに知られたら、それこそ潰されるだけじゃ済まない。
女は長い睫毛をぱちぱちさせながら、ヘイゼルの目で上目遣いに俺を見上げている。
「じゃあ、何なの? やたら仲はよさそうだけど」
まあ、仲良くなきゃ、部屋の合鍵を渡したりもしないからな。とはいえ、俺とあいつの関係はあまりにも腐れ縁に過ぎて、どんな言葉でも表現しきれないところはあって。
「んー、そうだな。昔からの弟分で、仕事上の相方ってとこ」
「弟分、ねえ。あんたの方がよっぽど弟っぽいけど」
「はは、よく言われるぜ」
オズの方がいくらか年上だから「弟」というのもおかしいんだが、それでも、出会った頃のオズは確かに俺の後ろを雛鳥のようについて回る「弟分」だった。最近はめっきり立場が逆転しちまっているけれど、俺にとってオズは未だに「弟分」だし、オズはオズで俺のことをまだ「兄貴分」だと思ってくれてはいるはずだ。要は、ちゃらんぽらんな兄としっかり者の弟、そんな感じだ。自分で言うのもあれだが。
腰のベルトを締めたところで、外から「まだか?」とオズの神経質そうな声が聞こえてくる。あいつ、秒単位で時間計ってやがるんだろうなあ……。
とりあえず「すぐ行く」と扉越しに返し、ベッドの上の女への口づけついでに、その豊満な胸の谷間にポケットの中でしわくちゃになってた紙幣を押し込む。枚数なんか数えちゃいないが、足りないってことはないはずだ。
「じゃ、悪いけど適当に片付けといてくれ。仕事が終わったら声かけるから、そん時はまたよろしくな」
「はいはい。またのご利用を、英雄様」
ひらひら、手を振る女は愉快そうに笑っている。何もかもを完全に仕事として割り切った態度が、何とも小気味よい。
それにしても、「英雄様」か。そんな風に呼ばれるのは未だにこそばゆくて仕方ないが、まあ、折角貰った肩書きなんだ、精々たっぷり利用させてもらうことにする。
――俺と、あいつの、夢のために。
「おう、お待たせ、オズ」
「二十六秒遅い」
「やっぱ秒単位で数えてたのか……」
お前が遅れると何故か怒られるのは俺だからな、とオズは色の薄い唇を尖らせる。
実際の年齢はもう三十近いはずだが、オズは時々その綺麗な面に似合わない、ガキみたいな顔をする。そういうところがやっぱり「弟」っぽいんだよなあ、とオズの頭をわしゃわしゃと撫でてやる。昔、俺がオズにいつもそうしていた通り。
案の定、オズはむっとした顔で俺を見上げてくる。
「何すんだよ」
「なーに、たまには兄貴らしく振舞ったっていいだろ」
「何だそれ」
不審げなオズの視線を、軽く受け流す。
そうして、今日も俺たちは霧の海を飛ぶ。それが夜闇と殺意に包まれた「戦場」であろうとも、俺たちのすることは何一つ変わらない。
誰よりも速く、誰よりも高く。目指した場所に辿りつくために、俺たち二人で飛び続けるのだ。
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