第3話 飲み会
「じゃあ、プロジェクトの成功を祈って……カンパーイ!」
異動して初めての週末、僕らの歓迎会を兼ねたプロジェクトの成功祈念会が行われた。
要するに飲み会である。
隣の部署の人間なども集まったせいか、宴会室は十数人で埋まっていた。
部長の一言から乾杯し、知っている人も知らない人も、いろんな人が入り混じる中でいろんな話をしていた。
僕の今回の
「お疲れ様です! 主任!」
「ん。あぁ、お疲れさま」
もう春も半ばである。
お酒の熱も相まってか、主任は上着を脱ぎ捨てていた。
いや、普通にハンガーにかけただけだけど。
白いシャツになった主任は頬を紅潮させて妙に色っぽかった。
周りが楽しそうに談笑しているのを、片肘を突いてウィスキーグラスを傾けながら眺めていた。
「ああやってワイワイ騒ぎたいものね」
「主任がそう言うなんて意外ですね。騒いじゃえばいいじゃないですか」
「そうもいかないわよ。部長がほら、結構寛容な人じゃない? 私がさ、締めるところは締めていかないと。後輩のことも見ながらね」
「先輩ともなるといろいろ大変なんですねぇ」
僕が返せるのはそんなありきたりな返事しかなかった。
まだ新しい環境になって1週間だ。必死で慣れる努力をした。
いや、今までだってそうだったのではないだろうか。
小学校だって高校だって、入社してからだって、自分で必死に何かを乗り越えてきたつもりだったが、自分には親もいたし先生もしたし先輩もいた。こうして認識できるだけでも数多くの恩人がいる。
影から見守ってきた人だって絶対にいるはずだ。自分が知らないというだけで、そんな人が存在しないというわけではない。
彼女だってそうなのだろう。
まだたった1週間とはいえ、僕の知らないところで何かを支えてくれていたのかもしれない。
「ありがとうございます」
僕が今までお礼を言えなかった今までの恩師たちへの分も、僕は感謝を述べた。
「大袈裟よ。まだあなたに何かをしてあげられたわけじゃないわ」
「それでも、ですよ。これから厄介になりますし、もしかしたら多大な迷惑をおかけすることだってあるかもしれません。今の気持ちを大事にしたいと思います」
本当はもっと前、成人式とかそれくらいの時に抱いていてもいいんじゃないかっていう気持ちを、今更になって噛み締めた。
僕は本当、要領を得ないなあと感じた瞬間だった。
「こちらこそ、ありがとう。そしてこれからよろしくね」
ね、とウィンクされた。
ズキュゥゥゥゥウン! と音がした気がした。
「よろしくお願いします!」
思わず平伏した。
僕の人生史上類を見ないほどの完璧な土下座であった。
「あ、でもね」
と、彼女の言葉は続く。
「たまに
「うーい! 飲んでるかぁ、
既にヤケ酒をキメていた僕は、端っこで一人グラスを傾けている同期にちょっかいを出しに来た。
「どうしたんだ、君は」
口調ほど酔ってはいないが、僕は酔っ払いの演技を続ける。
「なんだビールなんかちびちび飲みやがってさぁ。男ならこう、一気にケリつけちまえよ」
「自分で自分の飲む量を管理できない程度じゃあ、効率のいい仕事はできないんでね」
「なんだよこんな時にも効率って。いいから飲めぃ」
僕は持っていたビールを彼のグラスになみなみと注いだ。
足利は「あ!」と珍しく声を上げる。
「お前なぁ……」
「ん? オレの酒が飲めんというのか?」
「どこのオヤジだ」
僕もそう思う。
だが、足利は悪態をつきながらビールをすべて飲み干した。
え?
僕の方が驚く番だった。
「い、いや。足利……別に本当にイッキしなくたっていいんだぞ……」
「なんだ。お前が飲めと言ったのだろう。ビール程度イッキできないくらいではビジネスマンとしてやっていけるか。ほら、グラスが空だ。注ぎにきたのだろう?」
「え、あ、はい。どうぞ」
足利はまたイッキ飲みをした。
良い子はマネをしないでください。
「えー、僕がですかぁ?」
酔っぱらった足利に肩を貸しながら、僕は悪態をついた。
僕が勧めたせいもあって、足利は自分の想定以上の量を飲んでしまったらしい。吐きはしていないがなかなか身体に力を入れられない状況だった。
そこで部長や主任に「送ってあげて」と言われてしまったのだ。
「白井君が飲ませたんでしょう? いいから送って行ってあげなさい」
「主任の介抱ならいくらでも致しますが……」
「私、そんなに酔ってないし。いいから送る。これは命令です」
「……了解いたしました」
まぁ僕が悪いのは事実だし、仕方ないか。
主任たちははしごかラーメンかで賑わっている中、僕はタクシーに足利を押し込み、彼の家へと向かった。
「やっと着いた」
足利の自宅はなかなかいいマンションだった。若者の一人暮らしとは思えない。彼の肩を担いでやっと自宅の扉前まで辿り着いた。
大体、ドラマとかのストーリーってこんな感じじゃないよな。
女性を送り、そこで飲みなおしたりしていい雰囲気になって、そこから……みたいなのじゃない?
実際、僕はそのシミュレーションを主任相手にしていたはずなのに、なぜこんなことになっているのだろうか。
「うー……」
時折唸る同期を見て、僕は深く溜息をつく。
「こんなんじゃなかったんだけどな」
まぁ主任と飲むのもこれきりではないだろうし、と気持ちを前向きにして、僕は鍵を借りて目の前の扉を開いた。
「もうここでいい」
身体に力はこもっていないが、足利ははっきりとした口調でそう言った。
「なんだよ、ここまで送ってこさせといて」
「いいから。お前はもう帰れ」
「そうはいっても、お前、口以外動かせてないだろうが」
「いいから帰れって……」
力なくもはっきりとした意思を感じる。
だがフラフラな人間をここまで来て置いていけるほど、僕も薄情ではないつもりだ。
部屋を見られたくないということだろうが、仕方ない。
僕は無言で部屋に入ることにする。
真っ暗だった。
良かった。
実は奥さんか彼女がいて「あなた、お帰りなさ~い」なんて羨ましい展開に見舞われなくて。こいつも同士なのだと再認識した瞬間だった。
「電気、電気っと……」
暗い中で何も知らない部屋の照明スイッチを探すのは至難の業だ。
やっと探し当てて足利の部屋に光をもたらす。
さて、どんな部屋に住んでいるものかな、この男は。
仕事があれだけできていたとしても所詮は人間のオス。空き缶がぶちまけられていたりキッチンが汚かったりするものだろうと思って拝見しようと中に入っ……て…………
「……………………」
何もなかった。
いや、ベッドはある。
キッチンもある。
クローゼットの収納スペースはある。
だが、それくらいしかなかった。
テレビも、
本棚も、
椅子も、
何もなかった。
本当の本当に何も、である。
強いていえばごみ袋が転がっているくらいで。
僕の視界を支配しているのはフローリングと床が大半だった。
「なんだよ、ここは……」
ここが、本当に人間が生活しているスペースなのか。
ただただだだっ広い部屋に、必要最低限の家具がある程度だ。
生活なんかしていない。
暮らしてなんかいない。
これはただこの部屋で生きているというだけだ。
寝て、起きて、仕事に向かって、帰ってきているというだけだ。
風呂やキッチンは多少使っているようだが、それだけだ。
没個性やミニマリストという問題ではない。
これでは、囚人をぶち込む独房じゃないか。
この男には趣味はないのだろうか。
いや、この男には、一体何があるのだろうか。
漫画とかのキャラクターではこんな部屋に住む者もいていいだろう。
だが、現実に、存在している。
別に貧乏というわけでもないこんなマンション生活で、何もせずに生きている男。
僕は唖然としながら、言い知れぬ恐怖が僕の背中を上ってくるのを感じていた。
「出て、行ってくれ……」
ぼそりと。
足利が言う。
「……。ああ、そうだな……」
僕は彼をベッドに横たわらせて、部屋を出た。
そしてマンションの階段をなぜか走り出すような速さで駆け下りていき、
外に待たしてあるタクシーに乗り込んで、なぜか急ぐように告げた。
彼のマンションが遠ざかっていく。
夜の闇に包まれたマンションの影は、まるでマンションの形をしたナニかがこっちを見ているような気がした。
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