第36話 稲葉をたおせ!

 稲葉にやられても、ユキちゃんを逃がせたならそれでいい。そう思っていたわたしの目の前に、そのユキちゃんが現れた。


(どうしてここに来たの? 沖くんが連れ出して逃げたんじゃないの? 沖くんはなにやってるの?)


 パニックになりながらあれこれ考えるけど答えは返ってこない。そうしている間に、稲葉が動いた。


「ちゃんと縛っておいたはずたが、どうやって抜け出した?」


 稲葉も驚きながら、だけどその動きに迷いはなく、あっという間にユキちゃんの体をつかむ。


「きゃっ!」


 悲鳴をあげるユキちゃん。なんとか助けようと思ったけれど、痛みで上手く体が動かない。

 どうしよう。せっかく助けにきたのに、ユキちゃんだけでも無事に逃げてとがんばったのに、これじゃ全部ムダになっちゃう。


 だけどその時、ユキちゃんの手が素早く動いた。そして、叫ぶ。


「忍法、火遁の術!」


 とたんに、ユキちゃんの体から炎が出てきて稲葉をおそった。本人が叫んだように、それはまちがいなく、さっきわたしも使った火遁の術だ。


「ぎゃぁぁっ!」


 これは稲葉も全く予想していなかったんだろう。間近で炎をあびて、足元からくずれ落ちる。さっきわたしが与えたダメージも残っていたんだろう。少し前までの余裕なんて完全に消え去り、防戦一方になっている。


 でもなんで? どうして忍者でもないユキちゃんが忍法なんて使えるの?


 ますます分からなったところで、ユキちゃんにさらなる変化がおこった。


 体が薄く光ったかと思うと、その顔が、体が、みるみるうちに変わっていく。

 その様子に、わたしは見覚えがあった。


「変化の術!」


 思い浮かべた相手の姿に変わるって言う、忍法変化の術。それを見てようやく、今目の前にいるユキちゃんが、別の誰かの変化した姿だって分かった。

 そしてそんな事をするのは一人しかいない。


「沖くん!」


 姿を現したのは、思った通りやっぱり沖くんだった。そう言えば着ている服も、よく見たらさっきまでユキちゃんが着ていたものとはちがってた。

 沖くんがクルリと体を回転させると、その服がたちまち忍者服へと変わった。


「無事か、芹沢?」

「う、うん。だけど、ユキちゃんはどうしたの?」


 こんな時でも、まずはユキちゃんのことが気になってしまう。作戦では、沖くんが施設まで送っていくはずだったけど、とてもそんな時間なんてなかった。


「目を覚ましたから一人で帰らせた」

「そんな。一人でって、こんな夜に一人きりで!?」


 それじゃ、もしかしたら今とても心細い思いをしてるんじゃないか。そんな考えが頭をよぎる。

 だけど沖くんは、わたしの言葉をふりきるように言った。


「それは悪かったって思ってるよ。でもオレは、任務だからでも忍者だからでもなく、クラスメートを助けるためにここに来たんだ。たったら、芹沢だってちゃんと助けにいかないとダメだろ!」


 それは、さっきわたしが稲葉に言った言葉とほとんど同じで、だからこそ、沖くんがどんな気持ちでそれを言ったのかが分かった。どれだけ、わたしを心配してくれたかが分かった。


「…………ありがとね」

「…………」


 小さく言ったお礼に、沖くんはなにも答えなかった。だけどなんだか、ほんの少しだけ、照れたようにも見えた。


「それより、今は稲葉をなんとかするぞ。要の姿で不意打ちはできたけど、多分これだけじゃダメだ」


 沖くんが見つめる先には、苦しむ稲葉の姿があった。二度もまともに火遁の術をうけたんだ。ダメージもそうとうなものだろう。

 それでもまだ、稲原は倒れてはいなかった。フラフラになった足で、ゆっくりこっちに近づいてくる。


 だけどわたしも沖くんも、このチャンスを逃がしはしない。


「「忍法、火遁の術!」」


 二人の声が重なって、今までで一番強力な火遁の術をおみまいする。残っている力を全部使った、文字通り私たちの全力をぶつけた。


「うわぁぁぁぁっ!」


 声をあげ、倒れる稲葉。それから少しだけ遅れて、私たちもペタンと床に座り込んだ。

 二人とも息も絶え絶えで、まるでなんキロも全力で走った後みたいだった。

 もしまた稲葉が起き上がってきたら、今度こそもうどうすることもできないだろう。それくらい、わたしたちは疲れきっていた。

「はぁ……はぁ…………やったの?」

「……だと思う」


 それは、そうあってほしいと言う祈りにも似ていたかもしれない。稲葉を見るとその体はもうボロボロで、これならさすがに大丈夫だろうと、ホッと胸をなでおろす。


 だけどどうやら、そんなわたしたちの祈りは通じなかったみたいだ。

 その時、今まで動かなかった稲葉の体がかすかにゆれた。


「あ……あ…………」


 そんな声をあげたのは、わたしと沖くんのどっちだっただろう。震えるわたし達の目の前で、稲葉は再び、ゆっくりと立ち上がっていた。


「お前ら……殺してやる…………」


 いくら立ち上がったとは言っても、今の稲葉はいつ倒れてもおかしくない様子だった。多分あと一回ダメージを与えたら、今度こそ本当に倒すことができる。それくらいにボロボロだった。

 だけどわたし達も、全部の力を使ってまともに動けない。そんな中で、怒りに燃えた稲葉の姿は、心をくじくのには十分だった。


(もうダメかも……)


 立ち上がることもできなくて、できる事と言ったら、せいぜい震える手をさ迷う用に動かすだけ。その手が沖くんの手に触れると、彼も震えているのが分かった。こんな絶体絶命の状況なんだから当然だ。

 自然と手をにぎり合ったわたし達は覚悟を決め、顔をふせた。だけど────


 あと一歩って時、ゴンッっていうにぶい音がして、突然稲葉が床に倒れた。


(なに!?)


 何度も立ち上がってきた稲葉もとうとう限界だったみたいで、今度こそピクリとも動かなくなっている。

 助かった。でもなんで?


 わけがわからずに顔を上げると、倒れた稲葉の後ろに、別の誰かがいた。


(ユキちゃん?)


 それは、ガクガクと震えながら短い木刀をかまえるユキちゃんだった。

 ピンチの場面でやって来たユキちゃん。まるで、さっき沖くんが助けに来た時の様子を、もう一度見ているかのようだった。



「…………ねえ、あれも変化の術だったりする?」

「そんなわけないだろ。あの木刀は、何かあったときのためにと思って、オレが要にわたしたものだけど……」


 目の前でおこったことが信じられなくて、そんなことを小声で言い合う。


「あの……逃げろって言われたけど、どうなったのか気になって、あなた達のことが心配で……それで戻って来たんだけど……ダメだった?」


 ユキちゃんは震えながら、ボロボロと涙を流していた。きっとすごく怖かったんだろう。なのにここまで来て、わたし達を助けてくれた。


「「ダメじゃない!」」


 声をそろえたわたし達は、気づけば疲れも忘れてユキちゃんに飛びついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る