第35話 せめてユキちゃんだけでも

 ユキちゃんがつかまっている家の、二階にある空き部屋。そこでわたしと沖くんは作戦をたてていた。

 だけどその間も、下には稲葉がいる。何かの拍子に見つかるんじゃないかと不安になって、物音一つたてるのさえも怖かった。


「本当に、オレがこっちでいいのか?」


 たった今決まった作戦を決行する前に、沖くんが最後の確認をしてくる。この作戦には、わたしと沖くんにそれぞれ別の役わりがあるんだけど、沖くんは今からでもそれを代われないかって思ってるみたい。


 それはきっと、わたしのやることの方がより危険だからだろう。それは、わたしだって分かってる。これからすることを考えると早くも怖くなってくる。


 けどだからこそ、人に任せるんじゃなくて自分で何とかしたかった。

 だから、沖くんの提案を断るために言う。


「わたしがじゃんけんで勝ったでしょ。だから、これで決まり」

「それはそうだけど……」


 わたしも沖くんも、二人とも自分が危険な役をやるって言って、結局それはじゃんけんで決めることにした。

 こんな大事なことをそんなので決めるのかって思うかもしれないけど、長々とあれこれ話し合っている時間はない。


 もし稲葉がユキちゃんを連れて次の場所に向かったら、もうどうすることもできないんだから。


「危ないって思ったら、すぐに逃げろよ」

「分かってるよ。沖くんも、しっかりね」


 最後まで心配する沖くんに、心配しないでと返すと彼は一人で部屋から出ていった。これから、わたしと沖くんは別行動だ。


 沖くんが出ていってから、少しだけ待つ。もうそろそろいいだろう。


 わたしは持っていた手裏剣を取り出すと、それを窓に向かって思い切り投げつけた。


 ガシャーン!


 大きく音を立てて割れる窓ガラス。

 手裏剣は基本、刺さるものだけど、重さもそれなりにあるから、ガラスくらい簡単に割れる。

 これだけ派手な音をたてたんだから、当然稲葉にもそれは聞こえているだろう。

 そもそも、それがわたしのねらいだった。


 そっと、部屋の外の気配に気を配ると、誰かがゆっくり近づいて来るのが分かる。もちろん、さっきの音を聞いた稲葉が様子を見に来たんだ。

 そして、部屋のドアのノブが回り、稲葉が姿を現した。

 それが、わたしにとって最大のチャンスでもあった。


「忍法、クモ糸しばりの術!」


 さけぶと同時に、稲葉のまわりからロープが飛んできて、とたんにその体をグルグルと巻き付けた。


「なっ────!?」


 これには稲葉も驚いたみたいで、両手両足の自由を奪われながら声をあげる。


 これが、忍法クモ糸しばりの効果。ロープを自在操って、まるで蜘蛛の糸のように狙った相手の動きを封じる術だ。


 これをやるため、あらかじめ沖くんと二人で準備をしていた。ちゃんと稲葉を捕まえられるようにロープの位置を決めて、すぐに忍法が使えるよう、ずっと構えていた。

 さっきガラスを割ったのは、稲葉をここまでおびき寄せるため。ようは、稲葉を罠にかけた。

 まともにやって勝てないなら、勝てる状況を作ればいい。修行中、お父さんから、戦う時は自分に有利な状況を作れって言われたけど、それを実演したんだ。


 ちなみに、他の術を使うと、雲隠れの術は解けてしまう。同時にたくさんの忍法を使うのは、一流の忍者でも難しいんだ。

 だから、今のわたしの姿は稲葉に丸見えだ。その分危険も大きいけど、確実に倒すならこっちの方がいい。


「お前、まさかさっきのガキか!」


 どなりながら、必死にもがき続ける稲葉。その動きはとても激しく、いくら忍法を使って縛っていても、これじゃいつまでもつか分からない。


 その様子はとても恐ろしくて、見ているだけで今すぐ逃げ出したくなるくらいだ。

 だけどもちろんそんなことはしない。わたしがここで逃げたら、ユキちゃんを助けられなくなるから。


 暴れる稲葉に近づきながら、新たな忍法を使う。


「火遁の術!」


 わたしの体から出てきた炎が、稲葉をおそう。せいいっぱいの力をこめた、全力でうつ火遁の術だ。

 しかもほとんど密着して撃っているから、他のものには燃え移らず、ダメージはより大きくなる。


「うわぁぁぁっ!」


 稲葉の悲鳴が部屋にひびく中、わたしは、お願いだから気絶してと必死に祈っていた。

 連続で忍法を使い続けるのは、ものすごく体力を使う。実際、ちょっと気をぬくだけで倒れそうだ。


 だけど──


「てめえ、やってくれたな」


 稲葉はまだ意識をなくしてはいなかった。さすがに受けたダメージは大きくて、体はもうボロボロ。だけどそんなになってもまだ、その心はちっとも折れていなかった。


 しかも、悪いことはそれだけじゃなかった。


 ポトリ────


 稲葉をしばっていたロープが床に落ちる。見ると、どこから取り出したのか、稲葉の手には小さな手裏剣が握られていた。これでロープを切ったんだ。


「まさか、こんなガキの忍者がいるとはな。よけいな手間かけさせやがってよ!」

(まずい!)


 危険を感じて、とっさに後ろに飛びのくけど、次の瞬間お腹に衝撃が走った。倒れこんだ後に痛みを感じて、それからようやく、自分がけられたんだと分かる。


「子供にしては頑張ったじゃねーか。けどな、イタズラにはお仕置きが必要だな」


 倒れているわたしを、稲葉は乱暴に押さえつける。不思議とそこまで痛みは感じなかったけど、かわりに言葉にできないくらいの恐怖がおそってきた。


「やっ────!」


 もうまともに言葉なんて出てこなくて、だけど抵抗だけはやめずにジタバタともがく。


 押さえつける力が、よりいっそう強くなった。


「暴れるだけムダだ。あきらめろ」


 すでに稲葉は、自分の勝ちを信じてうたがっていなかった。たしかに、こうなったらもう、わたしが稲葉に勝つのはムリかもしれない。

 だけどこうして暴れるのは、決してムダなんかじゃない。


(沖くん、今ごろユキちゃんといっしょに逃げてるかな?)


 わたしがこうして稲葉の相手をしている間、沖くんがユキちゃんを助け出す。これが、わたし達の作戦だった。

 これなら稲葉を倒せなくても、ユキちゃんは助けることができるから。


 だけどこれは、稲葉の相手をする方がずっとずっと危険になる。だから沖くんも、最後まで代わろうかってわたしのことを心配してたんだ。


 そして、その心配は当たってた。わたしはこうして稲葉に捕まって、みごとに押さえつけられてる。


(ユキちゃんが逃げたことバレたら、わたしはどうなるんだろう)


 最後の最後まで抵抗を続けながら、そんな不安が心の中で大きくなっていくのが分かった。


「────っ!」


 お腹を殴られ、とうとう暴れる力もなくなったような気がした。声もなく体がくずれ、まるで床にはりついたように動けなくなる。

 それを見て、稲葉は勝ち誇ったように笑った。


「ずいぶんてこずらせやがって。まさか娘にこんなボディーガードがついてるとはな」


 娘って言うのは、もちろんユキちゃんのことを言ってるんだろう。


「でもな、これでもお前には少し同情してるんだよ。おおかた、忍者家に生まれたから忍者になれとでも言われたんだろ。それで、むりやり修行だの任務だのやらされてる。オレも悪人だけどよ、子供にこんなことさるお前の親も相当なもんだぜ」

「────っ!」


 いったい稲葉は、どこまで本気で同情なんて言ってるんだろう。だけどそれを聞いて、わたしの中に込み上げてきたのは怒りだった。

 こんなことになったのは、元はと言えば稲葉がユキちゃんをさらったのが原因だ。なのにそれを棚にあげて、勝手にお父さんを悪く言うのが許せなかった。

 それに、彼の言っていることには大きな間違いがあった。


「────ちがう」

「あ?何がちがうって?」

「わたしがここに来たのは、任務だからでも忍者だからでもない」

「じゃあ、なんだって言うんだよ?」

「わたしは、ユキちゃんの友達だから……」


 ここに来てから今まで、一瞬だって怖さを忘れたことはない。なのに逃げ出さずにいられたのは、ユキちゃんを助けたかったからだ。ずっと前からいっしょだった、わたしの大切な友達を。


 そのためなら、どんな怖いことだってがまんできた。それを、任務だの忍者だの、そんな理由で片付けられたくなかった。


「友達を助けるために、わたしはここに来たんだから!」


 ユキちゃんを助けに来てよかったと、改めて思った。こんなやつの近くに、ほんの一時だってユキちゃんをおいておきたくない。

 こうして時間をかせいでいる間に、少しでもユキちゃんが遠くまで逃げてくれればいい。そう思っていた。

 だけどその時だった。


 バン!


 急に、大きな音をたてて部屋の扉が開く。そして、その向こうにいる誰かの姿を見た時、押さえつけられる痛みも、稲葉への恐怖も、全部どこかへ飛んでいってしまった。


「まひるちゃん!」

「えっ。なんで…………」


 そこにいたのは、あれほど逃げてほしいと心から願っていた、ユキちゃんだった。

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