第32話 何も出来なくて

 ユキちゃんを助けるため、わたしも何かしたい。

 そんな思いをこめて、できることはないかお父さんに聞いたけど、返ってきた答えはひどく冷たいものだった。


「どうして? わたしだって忍者だよ。そりゃさっきは失敗したけど、今度はもっとうまくできるかもしれないじゃない」

「ならん!」


 納得できずにはりあげた声は、だけどもっと大きくて強い声にかき消されてしまった。


「これは、いつもやっている修行とは違うのだ。まだ未熟なお前が手を出していいものではない!」


 いつになく激しくまくしたてるお父さん。そしてその口調も、それまでとはまるで違っていた。だけどこれを聞いたのは、初めてってわけじゃない。


(お父さん、忍者モードになってる)


 忍者モード。わたしが勝手に名前をつけていたそれは、たまに急変して出てくるお父さんのもう一つの性格だ。普段は優しいお父さんも、こうなったらすごく厳しなる。

 わたしに忍者修行をつける時や、大事な任務に行く時。そんな、忍者として本気になるような大事な場面では忍者モードが出てくる事が多かった。


 つまり今のお父さんは、それだけ本気でわたしを止めようとしているってことだ。


「で、でも、お父さんもすぐにはこれないんでしょ。だったら……」


 それでもなんと食い下がろうとするけど、一度忍者モードになったお父さんの意見を変えるのは難しいと分かっていた。そして思った通り、わたしの言葉ははねのけられてしまった。


「さっきはケガもなくすんだが、一歩間違っていたら大変な事になっていたかもしれないんだ。これ以上ムチャはせず、自分で何とかしようとも思ってはならん。これが、忍者の師匠として与える任務だ!」

「…………」


 なにも言い返せなかったのは、お父さんが厳しく言ったからだけじゃなく、その通りだと思ったからだ。実際、さっき稲葉に立ち向かおうとした事を思い出すと、悔しさといっしょに怖さがあふれてくる。


 当たり前だけど、稲葉は自分よりずっと体が大きくて力も強かった。そんなヤツ相手に何かしようと思っても、自分がピンチになるだけかもしれない。


「……わかった」


 結局、しぼりだすようにそう言うしかなかった。


「色々あって疲れただろう。今日はもう、ゆっくり休みなさい」


 いつの間にかお父さんの忍者モードも終わっていて、最後に優しい言葉が届く。わたしも、お休みと返して、静かに電話を終えた。


(これでよかったのかな?)


 本当は、今もまだ何とかしたいって気持ちはあった。だけどお父さんからああ言われて、戦った時の怖さを思い出して、あれ以上何か言うことはできなかった。


 こもっていたトイレから出て、部屋に戻ろうと廊下を歩く。すると角を曲がったところで、同じように部屋の方に歩いていく人がいた。

 沖くんだ。


「芹沢か。そっちも電話してたのか?」

「うん。お父さんに全部話したら、急いで駆けつけるって言われた。それと、あとはまかせて、もう何もしないようにって」


 最後の言葉を言った時、なんだか胸がモヤモヤした。それはきっと、まだどこかで、自分も何かしたいって思っているからだろう。


「オレも同じ。父さんが、知ってる忍者に連絡をとるから、オレは何もするなって言われた。ただ、今から連絡しても、いつ誰がこれるかなんて分からないけどな」


 沖くんの言うそれは、本当にわたしとそっくりだ。ならきっと沖くんも、わたしのこの胸のモヤモヤと同じものを感じているんだろう。


 そんなことを考えていると、沖くんはさらに続けた。


「なあ芹沢。芹沢のお父さんが来たら、オレに教えてくれないか。これ、見せたいから」


 そう言って、ポケットからスマホを取り出し画面をわたしに向ける。なんだろうと思って見てみると、そこには地図が映し出されていた。そしてそのまん中には、赤い印が表示されていた。


「なにこれ?」

「地図アプリ。それで、今この印のあるところに、要がいるはずだ」

「えぇっ!」


 あまりに意外なその言葉に思わず声をあげる。ユキちゃんがいるって、それって凄い情報なんじゃないの?


「どうしてそんなの分かるの!?」

「さっき稲葉にしがみついた時、要に発信器をつけた。発信器はこのアプリと連動してるから、それで居場所が分かるようになってるんだ」

「発信器って、沖くんは忍者だよね?」


 そう言うハイテクなやり方って、忍者としてどうなの? そう言えば、データもパソコンで管理してるって言ってたっけ。


「だから、そんな言い方はもう時代遅れだって言っただろ」

「でも沖くんのお父さんって、ケータイも使いこなせないんだよね。沖くんは大丈夫なの?」

「俺は、苦手な父さんの代わりに機械をいじるようになったんだよ。それで、こういう技術も、これからの忍者には必要だって思った。現にそのおかげで、要がどこにいるか分かったじゃないか」


 確かに。わたしだって、ユキちゃんを助け出せるなら、忍者だろうとハイテクだろうとなんだっていい。


「警察の人に渡そうかとも思ったけど、さっき言ったみたいに、忍者の相手は忍者の方がいいからな。だから、オレの父さんが呼んだ忍者か、芹沢のお父さん、どっちでもいいから、先に来た方にこれをわたしたいんだ」

「うん。必ず知らせるから」


 どこにいるのか分かれば、すぐにだって助けに行くことができる。沖くんの提案したそれは、不安ばっかりのこの状況で、数少ない希望の光のようにも見えた。


「ねえ。お父さんに知らせるのはいいけど、今ここで見てもいい?」


 これを見ても、今のわたしに何かできるってわけじゃない。だけどどこにいるか知ることで、少しでも安心できるような気がした。


「ああ、いいぞ」


 画面を見ると表示された場所は意外と近くて、その気になれば行けそうなくらいだった。何もするなと言われたのがもどかしいくらいだ。


 早くお父さんがやって来て、ユキちゃんを助けてくれますように。

 そう祈りながら、改めて画面を見つめる。だけどその時突然、画面に変化がおきた。


「あれ? 急に印が消えちゃったけど、どうしたの?」


 さっきまで映っていた、ユキちゃんのいるところを知らせる印。それが、突然消えてしまった。

 何があったのか沖くんに聞いてみると、焦った顔でまずいとつぶやいた。


「発信器からの信号が消えたんだ。もしかすると、バレて壊されたのかもしれない」

「えぇっ! それって、だいじょうぶなの?」


 きっと、稲葉も十分用心をしていたんだろう。せっかく沖くんがつけた発信器が、こんなにもアッサリ見破られてしまったのが悔しかった。


 そして、だいじょうぶかと聞いておきながら、わたし自身その答えはだいたい分かっていた。


「居場所がバレたって分かったら、どこか別の場所に移るかも」


 やっぱり。どこにいるかバレてるって言うのに、そのまま同じところにい続けるなんてありえない。


「でも、今すぐ行けばまだ間に合うかもしれない。芹沢のお父さんって、どれくらいで来れるんだ?」


 希望にすがるように言う沖くんだけど、日本にいないお父さんは、残念ながらすぐには来れそうもない。

それを伝えると、沖くんは力なく肩を落とした。


「俺の父さんも、すぐに忍者を呼んでくるのは無理。ごめん、もっと上手く発信器をしこめていたら、バレずにすんだかもしれないのに」


 だけど、それを責める気はちっともなかった。そんなこと言ったら、わたしなんて何もできてない。


 二人とも、気がつけばどんどん気持ちが沈んでいっている。

 せっかくユキちゃんの居場所が分かったのに、このままみすみす逃がすかと思うと悔しかった。またなにもできない自分が悲しかった。


 だけど、お互いに言葉も無くしたその時、わたし達のいる廊下のさらに先から、大きな声が聞こえてきた。


「はなせ、はなせよ!」


 それは、男の子の声だった。

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