第21話 ほんの少しの事

 ドキドキしながら深呼吸をしていると、ユキちゃんは体を起こし、眠そうに目を擦りながら辺りを見回していた。


「…………ここ、どこ?」


 今この部屋は、夢の世界っぽくするため、いくつもの色の煙で覆われている。ここがどこだかわからずに不思議がっているみたいだけど、それはうまくいっている証拠だった。

 あとは、わたしたちがちゃんとユキちゃんのお父さんとお母さんになりきれるかどうかだ。


「小雪──」


 まずは、お父さんがユキちゃんの名前を呼ぶ。ユキちゃんがそれに気づいてこっちを向くなり、ハッと息を呑むのが分かった。


「お父さん、どうして? お仕事で帰ってこれなくなったんじゃ?」

「小雪に会いたくて、急いで戻って来たんだよ」

「だって、しばらくは帰ってこれないっていってて……なのに、なんで……」


 ユキちゃんはまだ目の前の事が信じられないようで、驚いて目を白黒させている。だけど次の瞬間、お父さんの隣に目を向けた瞬間、そんな言葉も途切れてしまった。


「お……お母さん?」


 やっと、それだけを絞り出すように言うと、それからはまるで、声の出し方を忘れたみたいに黙り混む。亡くなったはずのお母さんが目の前にいるんだから、どんなに驚いてもおかしくない。

 ただ、声を出す代わりに、その両目からはポロポロと涙がこぼれていた。


 それを見てわたしはどうしていいのか分からなくなる。いきなり泣き出すなんて、ぜんぜん想像していなかった。

 もしかして、ビックリさせすぎちゃったのかな? 何か言ったほうがいいのかな?


 だけどどうすればいいのかわからず、うまい言葉だって出てこない。せっかくユキちゃんを喜ばせようと思ったのに、このままじゃ失敗しちゃうんじゃないか。そんな思いが頭をよぎる。


 だけどその時、部屋の中に声が響いた。それは、優しそうな女の人の声だった。


「ビックリさせてごめんね。小雪の顔が見たくなって、会いに来ちゃった」


 急に聞こえてきたその声に驚いて、だけどすぐに、それを言ったのがお父さんだと気づく。お父さんは口を全く動かすことなく、まるで女の人のように声色を変えながら喋っている。事情を知らないユキちゃんからすれば、わたしが、と言うよりユキちゃんのお母さんが喋っているように見えるだろう。


「あの頃はまだ小さかったのに、知らない間にずいぶん大きくなったわね」


 お父さんの声に合わせて、ゆっくりとユキちゃんのそばに近寄り頭を撫でる。するとそのとたん、ユキちゃんの目から今まで一番大きな涙が流れ、次の瞬間には、わたしに向かって抱きついてきた。


「お母さん……お母さん……」


 そこにお母さんがいるのを全身で確かめるように、全力でしがみつくユキちゃん。ボロボロと涙を流し、掠れそうな声を出してだけどユキちゃんは確かに笑っていた。そんな中、抱き締める手だけが、嘘のように力強かった。


「いつも一人にさせてごめんよ。寂しい思いをさせてごめんよ」


 お父さんがそう言いながら、そっとユキちゃんの肩に手を置いた。ユキちゃんは、片手でお母さんを捕まえたまま、もう片方の手でお父さんの手を握る。


「う、ううん。わたし、寂しくなんてないよ。お父さん、いつもお仕事で頑張ってるんだし、ワガママなんて言わないから。でも、でもね…………」


 そういいながら二人を引き寄せて、同時に抱き締めるようにしがみついた。


「今は、もう少しだけこのままでいい?」


 一緒にいたいと甘えるユキちゃん。

 それは、ずっと友達だったわたしも、今まで一回も見たことのない姿だった。


「もちろんだよ」


 そう答えると、わたし達を握るユキちゃんの手の力が、よりいっそう強くなる。わたし達も、ユキちゃんを包み込むようにそっと背中に手を回し、お互いに抱き締めあった。その時のユキちゃんは、本当に本当に、幸せそうに笑ってた。


 ユキちゃんが静かに目を閉じたのは、それからほんの少ししてからだった。


「どうやら、もう眠ったみたいだね」


 少し前みたいにスヤスヤと寝息をたて始めたのを見て、お父さんが呟いた。

 その手には、小さな香水のようなビンを持っていた。忍者道具の一つ、眠り薬だ。


「お父さんが寝かせたの?」

「ああ。今のは全部夢って事にするからね。あんまり長いと、夢だって思ってくれないかもしれないよ」

「でも……」


 本物ではないとは言え、せっかくお父さんやお母さんと会えたんだから、できればもう少し一緒にいさせてあげたいと思ってしまう。


「いいかい真昼。僕たちは、ユキちゃんの本当のお父さんやお母さんじゃない。そんな僕たちにできるのは、ほんの少しの事だけなんだ」

「うん……」


 ちょっとの寂しさを感じながら、それでもうなずくと、お父さんは今度は安心させるように言う。


「大丈夫だよ。ユキちゃんのお父さんだって、ユキちゃんのことは大好きだからね。寂しい思いをさせて、それでおしまいってことはないよ」


 そうだといいな。そう思いながら、わたし達は静かに部屋を出た。

 落ち着いたところで、一気に眠気がおそってくる。いつもならとっくに寝ている時間だから無理もない。

 変化の術をといて部屋に戻ると、わたしの布団のとなりで、ユキちゃんがぐっすりと眠っている。その寝顔は、とても幸せそうに見えた。

 今度の夢でも、お父さんやお母さんと会っているのかな? そんなことを考えながら、わたしも静かに眠りに落ちていった。

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