第4話 アフタースクール・プログレッシブ《柴藤綾乃》その1

1.

 大講堂に、まだ『熱』が籠っているような気がする。

「はー。あー……もぉ、どうしようかなぁ、これ」

 わたし、《柴藤綾乃》は、ため息を禁じ得ない。

「華恋ちゃん、やりすぎだよぉ……」


 相変わらずの『情熱系』、いや、これはもう『熱血系』じゃなかろうか? 演壇から弾むような足取りで降りてくる華恋ちゃんの背後に、ビームやミサイルが飛び交う宇宙空間が見えそうなのは、わたしの気のせいか。

 おかげさまで、古代ギリシャの劇場を思わせる半円形の階段教室は、今や、沸騰する釜のようだ。『一番手』が作り上げたの中、つぎに登壇せざるをえない『二番手』の発表者が気の毒でならない。

 ……まあ、わたしのことなんだけど。

 

 主に精神的な原因でずっしり重い体を椅子から持ち上げ、愛用のブックカバーをつけた『文庫本』を手に、演壇へ向かう。


「綾乃。」


 呼ぶ声に振り返る。――と、胸の前で腕を組み、短めのスカート姿にも関わらず、――というか、むしろ見せつけるように、しなやかな美脚を堂々と組んだ我が親友、《皐月レオン》が、いたずらっ子のように笑っていた。


「華恋が道を拓いたよ。キミはただ突っ走ればいい」


 意味が分からない……と、いえればいっそ楽なのに。などと、わたしが思っていると、彼女は「にへら」と、すっごくいい笑顔で、親指立ててサムズアップ。

 あー。どうして、このは、こうも男前なんだかー。

 黙って座ってれば、誰もが息を飲むようなびしょうね……じゃなくて、美少女なのに。

 しょーがないなーとか思いながら、わたしもノリで胸の前でちっちゃくサムズアップ返そうとしたのだけど――

 彼女は、そっから。立てた親指を「ぐいいいいっ」と下に向けた。 

「ぶ・ち・か・ま・せ ♡」

 こらこらこらぁ! 女の子! 女の子の自覚、大事!

 やらないよ! やらないからね! わたしは!


「まったく、もう」

 座っていた席から一段降りると、そこは『劇場』のどん底だ。7歩の距離に演壇が設えられており、マホガニーの重厚な演台がある。

 かつて、ここは、新時代明治とともに訪れた解放の喜びを胸に、若き神学者たちが大いに神の教えについて論じた場所だと聞いている。ここらあたりじゃ、ちょっと知られた自慢の観光名所。

 なんでそこが、近隣ビブリオバトラーの聖地『定例の大講堂』なんて言われるようになったかについては……ちょっと余裕がないのでまたの機会にゆずろう。


 そんな歴史ある、暖色系のオレンジのライトの光を乱反射する板張りの床に「たたた」と軽い足音が響く。

 まっしぐらに、華恋ちゃんが私めがけて、駆け寄ってきた。

「綾乃ちゃん! がんばっ」

 熱狂のバトルの後、興奮した様子そのままの彼女と、右手でハイタッチ。――よし。たしかに、うけとりました! 

「おつかれさま! よかったよ!」

 

 ――なんて、一応は口にして。


 わたしは、一歩ずつ、確かめるように演壇へ上がる。

 踏みしめる一足ごとに、内心の動揺を押しつぶしながら。


 ◆◇◇


「ちょっぴりロマンチストで朗らかで。人見知りせず誰にでも明るく声をかける、本が大好きな女の子。」


 歯に衣着せぬ物言いの、同学年のとある《親友》に言わせれば。周囲は、わたしに……《柴藤綾乃》に、そんな『幻想』を抱いているらしい。


 なるほど。『幻想』かもしれない。実際のわたしではない、何処かの誰かによって生み出された、もう一人の『わたし』。

 

 実際の《わたし》は、ただの臆病者だ。

 これから五十人ものの人を相手に話さなければならないと思うと、こうしていても手足が震えてとまらない。実はこれはいつものことだ。家族や親しい友人たちの前でならともかくも、そもそも、人前で大きな声で話すだなんて、わたしの性分じゃない。

 雨の日の図書室。閲覧コーナーの隅の窓際の席が定位置。

 いつも触っていてアメ色になった古い革のブックカバー。財布よりも手になじんだそれに今日の文庫本を包み、でもただ机の上に置いて開きもせず、ぼんやりと窓の外、灰色の空から落ちてくる雨をながめている。

 それが、きっと本当の、わたし。

「朗らかで人見知りせず、誰にでも明るく声をかける」なんて、誰のことかと思う。そんなことができる人間は空想の世界に逃げ込んだりしない。きっともっと別の場所で別のことをやっている――


 そんな風に、どうしようもなく落ち込んだ時、私が必ず思い出す『物語』がある。


 少年と少女。ある一組の、相思相愛の彼らの『物語』。


 少年は、現実世界の言葉に出来ない生きづらさからゲームにのめり込んでいて。

 少女は、お仕着せのレールの上の自分に何の疑問も持たずに日々を過ごしていた。


 現実世界では決して交わることのないはずの「ふたり」の人生。それがある『事件』で、「現実」とはことなる「場所」で「交錯」する。

 約1万人がVR――仮想現実上のゲームの世界に拘束され、うち約4000人が死亡した『SAO事件』。

 

 その渦中で二人は、すれ違うように出会う。そして、その中心で、あるいは最前線で、時にぶつかり合いながら、少しずつ、お互いを理解してゆく。

 周囲の理解と無理解。膨れ上がる悪意ある虚像と過剰な期待。隠し事や嘘。すれちがい。欺瞞と策略。やがて巨大な陰謀すらも二人を隔て引き裂こうとする。彼らはその苦難に立ち向かい乗り越えていく。出会った場所はVR――仮想現実の偽りの楽園だった。でも、だからこそわかることがある。幻の向こうの互いの真実に近づこうと、傷つきながらも寄り添い続け、信じつづけて共に歩いていく――


 私にとってかけがえのない、その大切な物語を、登場人物たちを、アニメで見た美しい世界とともに思い出し、静かに息を吸い込んで、

「――――……」

深呼吸。

 弱くて、泣き虫で、臆病で、不器用な「わたし」が、ビブリオバトルで戦うために行う、誰にも内緒の、密やかな『おまじないルーティーン』。

 さあ、詠おう。『彼ら』にもらった、大切な魔法の言葉を。


「――『リンク・スタート』。……」


 この一言で。

 柴藤綾乃わたしは、普段のわたしとは少しだけちがう、『わたし』になる。


2.


「……」

 遠目に、演壇に登る柴藤さんをみながら、僕は不安を隠せなかった。

 隣のクラスで、それほど話したこともない。わずかに図書室の「定位置」が近かった。ただそれくらいの間柄。

 気づいてしまえば、自分は彼女について何も知らないのだと実感する。

 雨の図書室。革のブックカバーに包まれた古い詩集を机の上において、彼女は静かに窓の外を眺めていた。背筋を伸ばした、きれいな姿勢の佇まい。華奢な肩を流れ落ちる長い髪。明るい受け答えの隙間に差し込まれる、物憂げな横顔。

 あんまりそのまますぎて、声をかける事すら憚れるほどに『文学少女』。

 それが僕が、幽かな憧憬とともに、彼女、『柴藤綾乃』に抱く印象だった。

 今、まさに演壇の階(きざはし)に漆黒のローファーの右足をかけようとしている、母校の制服を纏った彼女を見てもその印象はかわらない。

 ビブリオバトルなんて自己主張の激しい催しには無縁に見えたが……いや、いつも手にしている革のブックカバーの、今日の『中身』が、じつは大岡昇平編の『中原中也詩集』あたりというなら、いっそ彼女がどんな評価をするか聞いてみたいのだけど――たぶん、


 思わず、ため息とともに、

「大丈夫かなあ。柴藤さん……」

「――ま、心配には及ばないさ」

「うおおおおああっつ」

――漏れた独り言にいきなり合いの手が入って、僕は階段教室の狭い椅子を飛び出す勢いで仰け反った。そして、左隣を――をみると、背もたれから胸から上を乗り出すようにしている『顔見知り』がいた。

「―――はあっ!? えええっ!」

 僕が混乱して言葉を失っていると、そのまま「よっこらしょ」という掛け声とともに、(短めのスカート姿であるにもかかわらず)背もたれを跨いで隣の席に潜り込むと、黒いストッキングに包まれた細い足を見せびらかすように足を組んで、自分の部屋みたいにくつろぎはじめる。

 僕とい言えば。え?え?え?と、思わず、大講堂の一番前の演壇前を二度見する。

 うそっ。つい今まで、一番前に……ああ、いない!

「……レオン、お前、いつのまに」

 ばくばく跳ねる心臓をだましだまし睨みつける。と、何故か一年の時から同じクラスになるばかりか、近くの席に必ず座っている腐れ縁のクラスメイト《皐月レオン》が、やれやれ、なんて肩をすくめるジェスチャアを入れてから、

「おいおい。スキだらけじゃないか、相棒。めずらしいね?」

実に腹の立つ顔で「ふふん。」と、こっちを見てきた。

「こっそり上ってきた甲斐があるよ。壇上のお姫様がよほど気になるのかい?」

「うるせえよ」

 ああ、そうだった。こいつはこういうヤツだった。ちくしょう、離れてたからって――くそ。油断した!

 ……で、その無駄に綺麗な顔を見ているうちにさっきから頭の隅に引っかかっていた雲みたいに形の無い疑問が、きゅっと固まった。

 猫屋敷が言っていたのだ。

『女子5人で謀議の上、その男の人をいつも集まってる『第二小会議室』に誘き出したしたんです』――と。

 小会議室の「ラノベ縛りビブリオバトル」の参加者は7人。オーディエンスの僕と他に女子が6人。――一人、足りない。人数が合わない。

「レオン。お前、まさか『ぐる』になって……」

 なにゆえに柴藤さんが「ラノベ縛りのビブリオバトル」に参加していたのか、わからない。猫屋敷ともレオンとも知り合いだから、というなら。あるいは――

「心外だね。綾乃は承知の上さ。ビブリオバトルもラノベ縛りも――まあ、彼女にとって予想外なのは会場が急に大講堂に変更になったのと」

右手をピストルの形にして、こっちに人差し指を向けて、嗤う。

「キミの存在だね」

 やっぱり謀ってんじゃねえか!……ん? 僕の存在が伏せられたのはなんでだ?

 そう思うものの、僕がその疑問を口にする前に、次の質問がくる。

「キミは華恋の発表、どう思った?」

「どうって……」

 猫屋敷? いい発表だった。熱を感じたし、わかりやすく纏まってもいた。状況の変化にめげずに、体制を立て直して「これしかない」という、プレゼンをやってのけた。

「……かなり、やり込んで。いや、ようにみえた」

 つまりは、少なくとも『初心者ビギナー』じゃない、ということ。皐月は得たり、と口元を歪めた。

「人数は少ないし身内だけど、毎回、かなり濃いぶつかり合いをやってるんだ。出稽古みたいな感じで遠征もやってるしね。――もちろんラノベ縛りで」

 そういって、皐月レオンは、僕と合わせていた視線をゆっくり、壇上の彼女へ向けた。

「念のために、付け足しておくと。綾乃はウチじゃ最古参だよ?」

 常日頃「ラノベ嫌い」を標榜している僕に、ラノベを読ませるための、ビブリオバトル――というのが猫屋敷のたくらみで。

 柴藤さんはそれを知らずにいたとして、しかしやはり、あのブックカバーの中身はライトノベル。

 彼女がどのような意図で参加し、どのような考えで今、壇上にあるかはわからないけれど。

「それから。ついでに断言しておく。キミはちょっとどころじゃなく、驚くことになる」

 詠うようにそう言った、レオンの声が耳の奥に響く。そして――


 促されて見つめる先、壇上の彼女が、深々と一礼し、顔を上げたその刹那

「――え?」

大講堂の空気が、一変した。

 

 何とも言い難い、雰囲気。あるいは空気感。時間が止まってしまったかのような緊迫感が辺りに立ち込める。


 壇上の彼女が、きれいな姿勢でまっすぐ立ち、手を――まるで、大講堂全部を包むように、広げた――ただ、それだけの動作、で、まるで建物全体が金縛りで、動けなくなったかのように。


 ――なんだ、これは。


 口にしたつもりの、言葉がのどの奥に貼りついて、出ない。

 自分だけではなく、この部屋にいる全員がそうなっているのだと、視覚でもなく聴覚でもなく、肌で感じた。

 その、異様な空間の中で、彼女が口を開いた。

  

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 咄嗟には意味が摑めなかった。

 彼女の言葉の意味も、この状態も。だが、こちらの都合などおかまいなしに、彼女の言葉は続く。


『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ。』

  

 知らない名前……だが、それで彼女が何をしているのか――何をしようとしているのかは、わかっった。


『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である。』


 この作品を知らない自分には推測するほかないが、おそらく作品の一節、たぶん冒頭の、作品を知る人が「あそこか?」と気づく、『急所』だと思われた。

 それにしても、と思わずにいられない。

 あれは、僕が知っている図書室の隅が定位置の『放課後の文学少女』柴藤綾乃……と、同一人物なのだろうか。


『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない……また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除もあり得ない。もしそれが試みられた場合――』


 わずかな間。

 講堂の50人が一人残らず息を詰めた、途方もなく途方もなく重苦しい静寂のなか、その言葉はゆっくりと発せられた。


『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる。』


 この講堂のオーディエンスは一人残らず、彼女の『虜囚』だ。ただ独りすら制止するものもなく、あっけにとられて演壇を眺めている。


『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ、アインクラッド最上部、第百層までり着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう。』


 と、ここで。がた、と音を立てて聴衆の一人が立ち上がり、大きな声で呼びかけた。

「何を言ってるんだ! ゲームを攻略しろだと!? ログアウト不能の状態で、暢気に遊べってのか!?」

 若い声だ。少年のようにも、女性のようにも聞こえるが、その声調は厳しかった。

「こんなの、もうゲームでもなんでもないだろうが!!」


 彼女は――今や、講堂の支配者と化した彼女は、いきなりの糾弾にも動揺せず、まったく問題ないように無視して託宣を続ける。

 厳かとすら言える声で。その問いかけに対する答えともそうでないともいえる言葉を。


『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に――諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』


 あくまで無機質に端然と。超越者の威風で宣言する。


『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。それでは、プレイヤー諸君、健闘を祈る』


 最後の一言が、わずかに残響を引き、彼女の舞台の、第一幕が終わった……


 そして――もう一度、深々と頭を下げて、もう一度、顔を上げた時、そこにいたのは、僕もよく知る、柴藤綾乃さん。で。


「失礼しました。『ソードアート・オンライン』第一巻『アインクラッド』の冒頭、ゲーム内に現れた茅場晶彦がデスゲーム開幕を告げるシーンを、時間の関係で勝手ながら短縮させていただいた上に、初めての方にもわかりやすいように、少しアレンジさせていただいて、発表の導入とさせていただきました。――はじめまして。高校二年。柴藤綾乃です! わたしも『定例』は初参戦です! そんなわたしが本日わたしがご紹介させていただきたい『一冊』は、もちろん『ソードアート・オンライン』……なのですが、本格的に発表に入らせていただく前に! 今、わたしの朗読にすばらしい『合いの手』を入れてくださった方に、お礼を申し上げたく思います!」


 彼女がまっすぐ差し出した手のひらに応えて、パンツ・スタイルの若い女性が軽快に立ち上がった。照れくさそうに頭に手をやっており、その横に連れらしい男性がいて、苦笑しているのが印象的だった。


「最高の『キリト』でした! ありがとうございます! とってもうれしかったです! この『援護』に応えるためにも頑張ります!」

 

 超越者の仮面は外し終えている。だが、一度握った主導権は手放していない。

 がっちりつかんで、あいもかわらず、講堂全体を支配下においている。


「『ソードアート・オンライン』は川原礫さんによるライトノベル作品です。2009年4月10日に第一巻が刊行、以来21巻になる大作で、なおも続編が続く予定ですが、第1巻が100万部を突破、シリーズ累計発行部数が2000万部を越えました……とんでもない作品です。小説だけではなく、順番にアニメ化されていますし、完全オリジナルの劇場版も公開されました。わたしがわざわざ紹介しなくても、みなさんとも、いずれどこかで出会えるかもしれない小説です」


「そういった観点からは、はなはだビブリオバトル向きではない『作品』なのですが今回は、ちょっとしたわたし個人の事情もありまして。そのあたりも含めて、ご紹介していきたいと思います。とはいえ既刊の本編21巻ではなく。本日はこちら、」


 そこで彼女はようやく、愛用のブックカバーを外してその『文庫』を取り出し、右手で掲げて、聴衆にしめした。


「本編第一巻『アインクラッド』SAO事件最後の三週間へつながる前日譚。

 外伝『ソードアート・オンライン《プログレッシブ》です』」


 ◇◇◆

 

 言葉は明確に、理論は明晰に。

 よどみなく作品の概要を説明し、あらすじを簡略に述べ、自分が取り上げた一冊が、膨大な作品群のどのあたりに位置するかについて、語る。

 小気味いい発表に作品を知る人も知らない人も、彼女の語り口に引き込まれて、前のめりになっている。

 もちろん作品自体の力もあるのだろうけど、これはもう、発表者の剛腕というほかはない。

 ビブリオバトルは、バトラーが手にした本の――作品そのものの魅力を競うもので、発表がいかに巧みであるかの優劣を競うものではない。

 なのでは、あるが。

 これは、そんな僕の常識を吹き飛ばすような、圧倒的なプレゼンだった。

 いや、それよりなにより。

「……」

 柴藤さんに、あんな一面があったとは。

「……まじか」

 思わずつぶやく。

「キミの中の『綾乃』がどんなだったか、もう聞かないけどさ」

 すると、横からレオンの声が聞こえてくる。

「意外な一面、なんて言葉があるけれど。でも人間はそもそも『多面体』だろう? 誰かのたった一面を見ただけでわかった気になる方がむしろ変だと、ボクは思うね」


 たとえば、と、視線はそのまま演壇に向けて、つづける。

「あの、存外に打たれ弱くってね。怖い小説とかてんでダメなんだよ」

 そして聞こえてきた内容が、また予想外だった。

「つらいのがだめ、寂しいのがだめ、痛いのがだめで、悲しいのもだめ。読まないんでも、否定するのでもない。けれど読んでいるうちに苦しくなってくるらしい。見ててビックリするくらい、ダメージ受けて放心したり、ショックでぐったりしたりするんだよ。感受性豊かといおうか、感情移入過多といおうか。かなり深く登場人物に、《リンク》しちゃうらしんだよね」


 だから、こそ。


「いったん呑み込みさえすれば、登場人物が友達であるかのように語り始める。その物語を知る者にとってはキャラクターが実際に存在するかのように鮮烈に。物語を知らないものにとっては、どんな物語か興味を惹かれずにいられないほどに魅力的に、実に楽しそうに話すのさ」 

 机に肘をついて、こちらの視線に無防備に横顔をさらしながら、皐月レオンは笑った。

「始まってしまえば止められない。オーディエンスは彼女と一緒に『物語』の中にいる気分になっている。年齢性別の区別なく、一人残らず」


 まいった。さっきの猫屋敷が聴衆を向こうに回しての『所信表明演説』だったとするなら、彼女は観客を驚かせ、引き込み、味方につける「プリマ・ドンナ」。……まるで『歌劇オペラ』じゃないか。


「これが『ビブリオバトル』だってのか……」

「これも『ビブリオバトル』、さ」

 レオンは体を起こし、両肘を机について覗き込むように演壇を見下ろしていた。


「そして。あれこそが『柴藤綾乃』。ボクらの仲間で、イベント型のビブリオバトルじゃ負けなしの絶対的エース。常勝不敗の『円卓最強The First Knight』だよ」





《柴藤綾乃》その2に続く

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