おかえり犯人 3

「これで、犯人がわかりましたね」

「ああ」


「矢島楓の父親、矢島隆道たかみち。被害者の父親にして、唯一の家族。つまり、矢島楓が『おかえり』なんて声をかけるのは彼しかいません」


「……たしかに、その通りだ」

 鷹野は難しい表情をしていた。


「先輩?」

「いや。済まない。上手くいきすぎてる気がしてな……」

「まあ、そうですね」


 和泉が言い終えたタイミングで、鷹野のスマートフォンに着信があった。

 同じように矢島楓の周辺を調べていた別の刑事からの連絡で、その内容は、矢島隆道が犯人であることを裏付けるような情報だった。


 二人はすぐに矢島家へ向かう。矢島楓の父にして、唯一の家族、矢島隆道に話を聞くことになった。


「刑事さんにはもう全てを話しました。できれば、少しそっとしておいてほしいのですが……」


 刑事たちを家に招き入れた矢島隆道は、憔悴しきった様子だった。たった一人の愛娘を亡くした父を、完全に演じ切っているように見えた。


 現場検証などがまだ続いており、矢島家の周りには刑事や鑑識が何人かいた。


「いえ。まだお聞きしていないことがあります。あなた自身のことを調べさせていただきました」


 些細な動作も見逃さないと言わんばかりに、鷹野は矢島隆道をまっすぐに見据える。


「私自身……ですか?」

「ええ。あなたは現在、交際している女性がいますね」


 矢島楓の母親は十年前に病気で他界しており、父親の隆道は、ずっと再婚せずに娘を男手一つで育ててきた。


 ところが最近になって、ある女性と交際しているということがわかった。……というのが、先ほど別の刑事からもらった情報だった。


「それが、今回の事件に何か関係するんですか?」

「お相手の女性は、角田つのだ美紀みきさん。二十五歳。都内に勤める会社員」


「そんなことまで……」

「すみません。これが仕事なんです」

 和泉が笑顔を張り付けて、上辺だけの謝罪をする。


「その角田さんは、あなたとの結婚を考えていた。そしてそれはあなたも同様です」


 再婚をしたいが、どうしても娘が邪魔になる。それが矢島隆道が娘の楓を殺した動機であると、鷹野は考えていた。


 別の刑事が角田に聞き込みを行ったところ、彼女は、矢島隆道が最近よく思いつめているような表情を見せる、ということを証言したという。


 ちなみに、角田自身は当事件があった時刻に残業をしており、アリバイは完璧だった。


「……」

「しかし、そうなると一人娘の楓さんがになる。高校生とはいえ、まだ一人で生きていける年齢ではありません」


 この鷹野の発言には意図があった。隆道を挑発させ、証拠となる発言を引き出すことが目的だ。


「正直、邪魔だと思ったこともあります。でも、それ以上に楓のことが大切でした。まだ彼女には伝えていませんが、美紀とは別れるつもりでいました。楓が殺されたのは、私に対する罰なのかもしれません」

 矢島隆道は、怒るでもなく焦るでもなく、ただ淡々とそう言った。


「そうですか」と、鷹野は感心したように頷く。

「はい。本当に、無念でなりません」

 彼は下を向いてぼそりと呟くように話す。その声は湿っていた。


 あの田山のデータがなければ、完全に騙されてしまうところだった。鷹野はそう思った。


「実は、犯人はもうわかっているのですよ。ここにある音声データが、事件の真相を示しています」


「そんなものがあるのですか? 何をしても、もう楓は戻ってきませんが、せめて犯人がはっきりするのなら、聞かせてください!」


 鷹野の奥の手にも、矢島隆道は自分が犯人であることを認めない。刑事の言葉は全てブラフだと信じ切っているように見えた。まさか玄関に盗聴器が仕掛けてあったなんて、想像もできないだろう。


「わかりました。今からお聞かせしましょう」

 別の刑事から借りたパソコンにメモリーカードを挿入し、データを再生した。


 矢島楓の『あ、おかえり』という発言。

 続いて、鈍い音。


「おわかりですか? 殺人が行われる直前、被害者の楓さんは『おかえり』と言いました。それを言われる人間は、この世界にたった一人、あなたを除いて他にいません」


「そんな……そんな馬鹿な…………」

 矢島隆道は、信じられないような表情で、音声が再生されたノートPCを見つめている。


「ここまで完璧な証拠があるんです。罪を認めてください」

 寂しげな表情で鷹野が言った。


 鷹野の目に映るのは、高校二年生まで男手一つで育ててきた娘を、邪魔になるからという理由で殺してしまった、憐れな男の姿だった。


「違う! 俺は殺してなんかない! 誰かに嵌められたんだ! めろおおお!」

 矢島道隆はパトカーに連行されながら叫んでいた。


 身体をよじって抵抗するが、屈強な刑事に両脇から押さえつけられて身動きが取れない。


「終わったな」

 鷹野がパトカーに乗った矢島隆道を見送り、ポツリと呟いた。


「その割にはなんだか浮かない顔をしてますね」

「事件が事件だしな。それに、違和感が残っているような……何かを見落としているような気がするんだ」


「考えすぎですよ、先輩。それよりお腹空きません? 夜ご飯でも行きましょう」

 思い悩む鷹野とは逆に、和泉は軽いノリで言った。


「署に帰って色々と資料を作らなきゃならないんだが」

 鷹野はそう言って、ため息をつく。


「明日でいいじゃないですか。息抜きしましょうよ。たまには。そんな態度だからができないんですよ。美人なのにもったいない」


「恋愛とか結婚とか、そんなのはどうでもいい。今は仕事が恋人だ」

 鷹野はきっぱりと言った。


「そんなこと言ってたら、死ぬまで独り身ですよ。ほら、今日は僕がおごりますから」


「そういうお前は、ちゃんと恋人がいるんだろ? 私なんか食事に誘ってないで、女子高生の彼女のところに行ったらどうだ?」


「あら。バレてました?」

 和泉は片目をつぶって、おどけるように言った。


「お前がおごるなんて珍しいからな。口止め料のつもりなのだろう? まあ今の発言はカマをかけてみただけだが」

「まあ。そんな感じです。どこで気づいたんですか?」


「最初に矢島楓の写真を見せたときのお前の反応だ。あのとき私は、津田という女子生徒と矢島楓が写っている写真を見せた。普通だったら、どっちが被害者か質問をするところだ。それなのにお前は、すぐにどちらが矢島楓かを判定した」


「なるほど。それで、僕が矢島楓か、もう一人の女子生徒を知っていると思ったわけですね」


「そういうことだ。クラスメイトに聞き込みを終えたあとの、担任の教師との会話で確信した。あのとき、お前は津田の名前である〝美香〟という漢字を〝みか〟ではなく〝よしか〟と正しく読んだ。名簿には振り仮名が振られていなかったにもかかわらず」


「ああ。それは失敗しましたね……」

 たしかに、その人間を知らない人なら〝美香〟は〝みか〟と読むのが一般的だろう。


「あまり後輩のプライベートに口出しをする気はないが、未成年との交際はほどほどにしておけ。せめて捕まるなよ。警察が逮捕されるなんてシャレにならん」


「わかりましたよー。でも大丈夫です。捕まることはありませんから」

 何が大丈夫なのか鷹野にはわからなかったが、これ以上込み入った話をするのも気が引けたので、彼女は会話を打ち切った。




 夜道を、制服を着た一人の少女が歩いている。

 突然後ろから手が伸びてきて、少女の口を塞いだ。


「んん~」

 少女は大きな声を出そうとするが、口を押える手は力強く、どうにもならない。


「ちょっと黙っててね」

 その声に、少女は驚いた様子で振り返った。聴き覚えのある声だったからだ。


「あはは。数時間前にあったばっかだからね。覚えててくれたんだ」

 緊張感などまるでない声音で話す男、和泉は、懐からナイフを取り出して、少女の首元へ持っていく。


「ん、んん~」

「え? 何言ってるか聞こえないんだけど。そんなことより、自分が何したかわかってる?」

 ナイフの刃が街頭に照らされて、夜の暗闇に光る。


「んんん~!」

 少女は抵抗しようとするが、当然ながら成人男性の力には適わない。


 鷹野は、和泉が津田美香と付き合っているものと勘違いしていたが、真実は違った。


 和泉は、殺された矢島楓と交際をしていたのだ。矢島楓の口から、津田美香の名前をよく聞いていたため、彼女の名前の読み方を知っていたにすぎない。


「よくも僕の楓を殺してくれたね。

「助けっ――」

 悲鳴は途中で、岡山の呼吸と共に途切れた。掻き切られた首からは、血が噴水のように溢れている。


「あんた、楓にはって呼ばれてるんだよな」


 和泉はこと切れた真犯人を一瞥すると、来た道を振り返った。

「復讐は果たしたよ。楓」

 小さく呟く。


 女子高生を殺した男は、穏やかな表情で夜道を歩いていた。

 微かに歪んだ彼の穏やかな表情を、月の明かりが照らす。

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おかえり犯人 蒼山皆水 @aoyama

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