デスマッチから始める修羅場葬送曲
昼は少し汗ばむ暑さだが、夜になれば肌寒い。そう言える季節の夜だった。
スーツのネクタイを緩め、帰り道を行く。
普通に仕事を務め、家族を養う。そんな毎日。とりたてて裕福でもなければ、不幸のどん底………ではないと思っている。
友人からは「何故縁を切らない」と不思議がられているが……俺からしてみれば何故縁を切らなければならないのかが不思議だ。
そんなことは家族だから、大切だからに決まってるだろう。
……ただ。自分の感情を抜きにしてみれば、なるほど確かに常人なら即座に逃げ出す境遇なのだろうと思う。
父は酒に呑まれ、母は薬に溺れ、妹は素行不良。
四面楚歌というモノなのだろう。何一つ幸福な要素は無いが、それでも。幼少の頃の、家族皆が笑顔で過ごしたあの日々を、俺は信じている。
父と母が居なければ俺は生まれて来なかったし、妹は、どれ程変わろうとも、守るべき家族であることに変わりはない。
思いを馳せていると、信号機で足を止める。
そういえば、この信号は長かったな。
ふと隣を見ると、小学生くらいの子供が単語カードを見ながらぶつぶつ呟いていた。塾帰りだろうか。
熱心で微笑ましく思うが、根を詰めなければいいとも不躾ながら心配してしまう。
視線を信号機に移し、漫然と眺めていると、青になった。
俺が歩き出すより早く子供が飛び出すように前を行く。
子供を目で追って、気付く。車が──止まらない。
考えるよりも速く。鞄を放り、子供の首根っこを掴んで引き寄せ、入れ替わるようにして自分の体を前、に──
「……ソ……さ……」
声が、聞こえる。つい最近聞いた声だ。
「シ……ソー……さ……ん」
声は……俺を呼んでるのか……?
「シーソーウーさーん」
目をゆっくりと開いていき、眩しさに警戒して眇めつつ徐々に視界の焦点を合わせていく。
「シソウーさーん。……んー、起きないですね…………えいっ」
焦れたような様子で腑抜けた掛け声と共に体に痛み──
「──ッてえ!」
「あ、起きました」
一瞬で意識を覚醒させて跳ねるように飛び起きた。
痛みを加えられた方向と距離を空けるべく、転がりながら脇腹を押さえて立ち上がる。見ると、右足を上げた、白髪のおかっぱ頭に絶妙に気色悪い髪飾りを着け、白のバルーンワンピースを纏った少女──ムンが居た。あの様子から推測するに、蹴られたか。
「何すんだてめえ」
「何度も呼び掛けてるのに起きないシソウさんに非があると思うんですけど」
「だとしても蹴られる筋合いはねえ!」
「むしろ蹴っ飛ばしただけで済ませたことに感謝して欲しいですね」
「このアマ……!」
ムンは俺の睨み付けた視線を余所に、俺の後方へと歩いていく。ムンを視線で追った先には、首と胴体が別れていた人の死体が転がっていた。
「どうせやられると思ってましたけど、大金星じゃないですか。おめでとうございます」
「直前に蹴られてなきゃ素直に礼は言ったんだがな……」
「あ、でも駆除した直後に気絶じゃ先が思いやられますね。大金星は言い過ぎました。ただの白星です」
「……そうか」
一応、誉められたんだよな。ムンの態度が淡々とし過ぎて非常にわかりづらいが。それにしても、俺がぶっ倒れてから何時間くらい経ったんだろうか。トゥリヤに喧嘩売ったのが昼過ぎくらいで、今は……夜だな。暗いし。
「そういや、お前今までどこに居たんだ」
蹴られた痛みで諸々の疑問をすっ飛ばしていたが、俺の記憶が確かなら、パレードを最後にあそこに置いてきたような。
「シソウさんが喧嘩を売ったあとに、私も一応ギャラリーの中に居たんですよ。そのあと転移させられて国の中に居ましたけど。どうも国に結界を張ったらしく、大人しくしてたらいきなり解けまして。それでこうして迎えに来た次第です」
「そうかよ」
こいつはこいつで流されてただけか。
それにしても……
「……俺が殺したんだな」
トゥリヤの遺体を見て一人呟く。間抜けな表情の首と、鮮血を流している胴体。自分の手を見ると震えていた。
「もしかして、後悔とかしてます?」
「後悔……」
俺の様子を見ていたムンが訊ねてきた。その言葉に今一度考え、答える。
「いや、全く」
「でも震えてるじゃないですか」
「そりゃ、人を殺した訳だからな。常人なら恐慌してもおかしくねえだろ」
淡々と答える俺にムンは眉をしかめて続ける。……おかしな事を言ったつもりはないんだがな。
「…………シソウさんって変ですね」
「変?」
「体と頭が別々というか、乖離してるというか。もしかして夢だと思ってます? もう一回蹴りましょうか?」
自然体で失礼だな。だが、しかし……奇妙に思われても仕方ない事か。トゥリヤの遺体に近寄り、改めてまじまじと見る。グロテスクで吐き気を催すが耐える。
「あれだけの激痛を味わっておいて夢とは思ってねえよ。俺が平然としてんのは、そうだな……こいつ元々死んでんだろ」
「へ? あー……まあ、そうとも言えなくない……かもですね」
「なんだ、歯切れ悪いな。俺からしてみれば動く死体を動かなくしただけだ」
「はー。ふーん。ほー」
殴りてえ。聞いておいて飽きたのかコイツは。
ムンを蔑んだ目で睨んでると、頭に音が割れた野太い男の声が響いた。
『はろー! ハロー! 初めての駆除オメデトー! こんぐらっちれーしょーん! シソーウ! ヒューッ!』
忌々しい。実に忌々しい。蹴り起こされた次はこいつか。
やたら元気な声の主は……ニャー。俺から死と名前を奪い、転生者どもを駆除するようパシらせ、俺の家族を人質にしている張本人。
「お前に誉められても何一つ嬉しくねえ」
『やだー! シソウきゅん、なっまいきー! そんなシソウくんにはお仕置きしちゃうぞッ』
指を鳴らす音が聞こえたと同時に、息、が──
「は──ひゅ、は──」
こ、きゅう、でき、ない。
『せっかくコズミックビューティフルな邪神たる私が誉めてあげてるのに態度がなってないねー。お礼くらい言おうよ。あんまナメてると、とっとと君潰して家族の誰かに引き継がせるよ?』
くそ、この、このクソアマ、くそッ。
怒りで意識を繋ぎ止め、声を絞り出す。
「あ、り、がとう──ござい、ます」
『はぁーい、オッケーぃ。反抗的な態度は程々にね!』
「はぁっ──げ、ほっ、がほっ」
掠れた声で礼を告げると、呼吸できるようになり、むせる。
俺の命は、俺のモノでは無く。ここではない何処かでおぞましい存在の手に握られている。それが、非常に腹立たしい。
呼吸を落ち着かせていると、トコトコとムンが近寄ってきた。
「急に呼吸困難とか、シソウさん本当に愉快な癪持ちなんですね。それはそうとお腹空きました」
「おッ、らあァッ!」
「よっと。何するんですかいきなり。暴力反対」
「悪い。つい……ってお前も俺のこと蹴っただろうが」
「だってシソウさん起きないんですもん」
ムンのマイペースさに怒りが一瞬で沸点に達し、思わず蹴っていた。軽やかに避けられたが……こいつ地味に動けるな。
『じゃあ、祝勝会しよっか! パト国へレッツゴー!』
「うるせえッ!」
「シソウさんの方がうるさいですよ」
くだらないやり取りをしながらトゥリヤが治めていた国、パトリック・ウィンターフィールドへと向かって行く。
国に着いてから俺とムンはその辺の料理店に入り込んでいた。武装したままでも特に言われなかったのは気になったが……異世界の理屈はどうもわからん。
空いた席に向かい合うように座り、ムンが奇妙な名前の料理を大量に注文し終るのを見計らい、恐る恐る切り出した。
「……ちょっといいか?」
「何ですかシソウさん」
「着いてから気づいた俺も間抜けなんだが……国王を殺した俺がここに居るっていうのは……」
「……はぁ。そんなことですか」
ムンは溜め息を吐きながら半眼で呆れたように睨んできた。ひっぱたきてえ……
続々と運ばれて来る料理を片っ端からカチャカチャと食器を扱い食べていた。
「そんなに気になるなら、そこら辺の人に訊けばいいじゃないですか」
「食器で人を指すな。行儀悪い」
もしゃもしゃと食べ続けるムンを他所に、丁度いいタイミングで料理を持ってきた店員に訊ねる。
「あの、ちょっといいですか」
「はい、ご注文ですか?」
「いえ……そういうわけでは無く。つかぬことを伺いますが、この国の国王は、どうなっているのでしょうか」
「国王……?」
「……?」
俺の質問に店員は少し困惑した後、思い出しながらといった風に続ける。
「国王さまは確か居なかったですね」
「……は?」
「この国を治めてる方なら、トサフルベ・アーネルエ・ナミュという、女王さまですけれど」
「……、そうですか。ありがとうございます」
「あ、注文いいですか。カトブレパスのステーキ一つ追加で」
話の終わりを見計らって、ムンが追加注文をし、店員は奥へと引っ込んだ。
どういうことだ………?
『むふふー、困惑してるねえ。そんなシソウくんにこのニャーさまがやさしーく説明してしんぜよーう』
「………………………ッ、はぁ……お願いします……」
何度聞いても慣れることのない、音の割れた野太い声に渋々、素直に応じる。声を聞いた瞬間キレそうになるが、そこは必死に堪えた。
話が進まないし、何も解らんからな。
『シソウくんにしちゃあ、素直だねえ。つまらん。ま、いいけど。そんで、シソウくんの疑問は“国王ぶっ殺したのに何で襲われないんだろー”ってとこかな?』
「……まあ、そんな所だ」
落ち着け………深呼吸だ……あのクソアマがうぜえのは今に始まったことじゃねえ。この怒りはどっかの転生者にぶつけるまで取っておこう。うん。それがいい。
俺の違和感は、おおよそニャーの言った通り、国王が死んだのに平和すぎるという点。
あまりにも、来た時と変わらないのどかさ。
『ただ教えるだけじゃあつまらないから、訓練の一環として、自分で答えにたどり着いてもらおうかな。ヒントはパスワードだよん』
「パスワード……」
俺の独り言に視線を向けてくるムンを意識から除外し、パスワードという単語で左手に持っていた物を見る。
「永遠の死を与える……ってのが原因か?」
『ぴんぽーん、せいかーい。っていうか、パスワードまで言えば解るよねえ。シソウくんの頭のキレがそこそこで良かったわー』
「とっとと話せ」
「シソウさんさっきから何言ってるんですか」
「お前は黙って食ってろ」
やり取りを奇妙に思ったムンに釘を刺して、ニャーに先を促す。
思ったより面倒だなこれ。どうにかならんか。
『いやあ、見てて飽きないねえ。と、その前に疑問に答えないとね。言葉通り、正真正銘、死を与えるのさ。肉体としての死、そして記憶としての死って具合にね』
「……つまり、この刀で殺した奴は知ってる奴の記憶から抹消されるってことか?」
『そうそう、そんな感じ。転生者に限定してるけど、その分効き目はバッチリみたいだねえ』
ノリが軽い……激痛以外にも、とんでもねえ刀だな。
だが……いや、待て。何か、何か引っ掛かる……記憶……そうか。
「俺やコイツが覚えてるのは何故だ」
『あー、それね。一応のキルスコアだよ。転生者をどれだけ殺したかっていう。ノルマは、そうだねえ……百人くらいかな』
「そのノルマに何の意味があるんだよ……」
『ただの嫌がらせだけど、何か?』
ニャーの戯れ言にため息を吐き、食事しているであろうムンを再び見ると、大半の料理を平らげ、水を飲んで一服していた。
「お前……俺の分まで食ったのか」
「へ? シソウさん食べるんですか?」
「その為に色々注文したんじゃねえのかよ」
ムンに不満をぶつけると、嘲笑うニャーの声が頭の中で鳴り響く。うるせえ……
『シソウくん、もしかして転生者くんに同じとか言われてホントにそう思っちゃった? やだー、間抜けすぎるー。あッはッはッは』
「うっせえな、何がそんなにおかしいんだ。てめえら」
『自分の胸に手を当ててごらんよ。そしたらおかしさがわかるからさあ』
からかうような声に釈然としないまま右手で己の胸に手を当てて、気づく。
鼓動が、無い。
あるべきはずの脈拍が感じられない。
「なんだよ……これ……」
『君はあの転生者くんのことを動く死体って言ってたけどさあ、正しくシソウくんそのものなんだよねえ。いやあ、実に滑稽だね! 屍に魂を貼り憑けただけの君に! 血も涙も三大欲求も、無いんだよ! あハハハハハ!』
死なねえかなアイツ。いや、俺が殺さねえとダメか。神妙な面持ちでテーブルの空になった食器を眺めていると、ムンが訝しむように俺の顔を覗き込んでいた。
「シソウさんもしかして……ニャーさまと話してます?」
「……ああ、そうだ」
「あー、やっぱり。九割ほど正気じゃないかと思ってましたが。一割の勘が当たりましたね。ご苦労様です」
馬鹿にしたような気遣いに、俺は再び深くため息を吐いた。
祝勝会という名のムンの食事に付き合い、国を出て、再び郊外に来た。
日は完全に落ち、星明かりが淡く平原を照らしている。
「さて、どうするか……」
「どうするも何もやることは決まってるじゃないですか」
「転生者をぶっ殺すんだろ。俺が言いたいのは行く当てはどうするかってことだ」
前回は早々に街……というか国が見つかったからいいものの、その周辺が見渡しても平原だの森だのしかなくて途方に暮れていた。
「いや、途方に暮れないでくださいよシソウさん。とりあえず深呼吸してください。深呼吸」
「は? 何で──」
「私だってとっとと終わらせたいんですよ、こんなしょうもない旅。なので、四の五の言わずに深呼吸してください」
「………」
ムンの口調に納得はできないが、一理あると考え、大きく吐いて、吸い込む。
「──うッ」
吸い込んだ瞬間、吐き気を催す程に名状しがたい腐臭が鼻腔を通り抜ける。くっせえ………
その様子を見たムンは事務的に指示を出してくる。
「臭いはどこから感じましたか? 指でさしてください」
ムンの指示に俺は指を──勘ではあるが──東の方角へと示す。
そうか、
「なるほどそっちですか。………んー、よいっ、しょっ、と」
言うやいなや、ムンはワンピースのポケットから、霜と硝石にまみれた翼とたてがみの生えた馬のような頭部を持ち、象よりも大きな体は羽毛ではなく鱗に覆われている奇妙な生物を引きずり出し、その奇妙な生物は不満げにすりガラスをひっかくような声で嘶いていた。
……取り出す際の物理法則無視は異世界の理屈と判断して流す。どうせこの先、奇妙奇天烈な事態が待ち受けると思えば、いちいち驚くのは時間の無駄だしな。
「なんだこれ」
「ニャーさまの数いるペットの一つです。名前はサンタくん」
「……サンタクロースの親戚とかじゃ、ねえよな……」
「え? なんか言いました?」
「……いや何も」
ムンはポケットから次々と馬具を取り出し手慣れた様子で着けていく。
そして数分後。
「よし、できました」
ムンが手をはたくと、そこには不機嫌に首を振り、馬具を装着したサンタくんなる化け物がいた。
いや……これはまさか……
「乗るのか……」
「空飛べますし、便利ですからね。じゃ、お願いします」
「………? 何をだ?」
「運転」
一拍置いて、視線をムンからサンタくんに移し、ムンにくってかかる。
「いや待て。俺は馬に乗ったことなんかないし、ましてやこんな化け物の運転なんか」
「手綱握って、操縦。あとは気合いでなんとかしてください。お腹一杯なので眠いんですよ」
ムンは欠伸をこぼしながらサンタくんの背に飛び乗り跨がると、うつむいて寝息を立てていた。
「──ええい、クソッ」
どこまでもマイペースなムンに悪態を吐き、サンタくんに飛び乗った。
乗ってから多少ごたつき、四苦八苦しながらなんとか飛翔させて、臭いの下へとサンタくんを駆って行く。
それから夜通しサンタくんを操縦し、臭いが強く感じられる街だか国だかを視界に捉えたのは夜が明け始めた頃だった。
……あの
サンタくんを都市周辺の藪に着地させて、後ろのムンを見やると結構揺れてたにも関わらずぐっすり眠ってやがる。
寝てるムンを意趣返しとばかりに叩き起こし、サンタくんを藪の中に放置した。
……着地した際にサンタくんが蹲り、一瞬で眠りについた事から余程疲れてたんだな。転生者を始末した後に、餌でも調達してくるか。
ムンを引き連れ、徒歩で都市に向かうと門と思わしき場所に辿り着く。何やら文字が書いてあるが……読めん。ムンに呼び掛けて、文字を指差して伝える。
「なあ、アレ、なんて読むんだ?」
「ヒロイック・セブンラヴにようこそ……ですかね」
「……もしかしてお前もわかんねえとかじゃねえよな」
「失礼な。単に見にくいだけですよ。芸術性の発露なのか分かりませんけど、うにょうにょしてて分かりにくいったらないです」
「そうかい、そりゃ悪かったな」
言いながら、ムンより先に門をくぐり、都市に入る。
……生暖かい妙な感触がしたが……何だ?
「今のは……」
「んー……舐められたというか、スキャンされたって感じですかねえ。勘ですけど」
「……まあ、今のところ体調に異常はねえからいいか」
門を潜り抜け、周りを見渡すと、パトリック・ウィンターフィールドで見たような街並みが広がっていた。
ついでにいえば、転生者の
二度嗅げば慣れるかと思ったが──そんなことは無く。
「くっ……せえ……」
「今度のは随分キツそうですね。なんかもう顔が凄い事になってますけど」
苦虫を噛み潰したような渋面を作り、ムンが呑気なことをほざいていた。
イラついて蹴り飛ばそうかと一瞬思ったが、そんなことをしても事態は進まないので、大人しく転生者を探すべく、街を探索する。
色々見物して、一つ気になったのが……
「……おい、ムン。ウェアウルフとかが着けてる首輪は、ありゃ此処の流行りか何かか」
「流行りって言えば流行りかもしれませんけれど。ヒロイック・セブンラヴでは奴隷文化が存在するみたいですね」
「奴隷……」
異世界の──イスエ・クアイの、それも一地域の文化。安易に口出しはしないにしても。
それでも。
「胸糞悪いもんだな」
パトリック・ウィンターフィールドでは目にすることがなかった風景に嫌悪感を覚え──捨て置く。俺がするべき事は、転生者を見つけて、駆除。それだけ──
「……?」
視線を感じて振り返ると、黒いコートを纏い、幼顔のガキが首輪を着けた人間の少女一人と、同じような首輪を着けた子供のウェアウルフとウェアキャットを侍らせていた。
ガキの方は俺を見て顔面蒼白になり──盛大に吐いた。
「………」
「うわぁ……」
俺は仏頂面のまま、ムンは心底不快そうに嫌悪感を現し、ゲロを吐き散らしたガキは周りの少女達に心配そうに介抱されていた。
見た目と漂ってくる臭いからして
「なんだアイツ……」
『ははぁん、さてはプライバシーを覗こうとしたなぁ?』
俺の独り言に脳内からニャーの声が響く。プライバシーを覗くって……何故解る。
ニャーが疑問に答えるように勝手に喋り出す。
『シソウくんのボディーは私お手製だからねえ。ふつーに
「つまり、俺の素性を調べようとしたら、ああなったと」
俺の応答には応えず、ニャーはゲラゲラと下卑た声で笑い続けていた。
笑い声に耐えながら、左手で持っている、鞘に収められた刀の柄に手を掛ける。
今一度、思い出す。俺の、俺がやるべき事。
ならば。
「まだるっこしいのはナシだ──殺るぞ」
「今回はスピーディーですね」
『わお、大胆』
ムンとニャーの戯れ言を流し、俺は覚悟を決めて文言を告げる。
「転生者よ、今永遠の死を与える」
言うと同時に刀を、
抜ききると、同、時──に──
「ぐ、っがあぁあぁあぁああ……ッ!」
名状しがたい激痛に、苦悶の声を上げる。
激痛に思考がズタズタになりそうになるのを必死に堪え、確信する。
──この
激痛に怒りを燃やし、改めて確認する。
先に、殺るのは──
「ぐゥううう、があッ!」
しゃがみ、地面を蹴り抜き、少女に向かって跳躍し、素っ首に刃を振り抜こうとする──が。
「
ウェアウルフが瞬時に立ち塞がり、左腕に着けていた丸盾を構えると同時に衝撃と共に弾き飛ばされる感覚を味わう。まるで、壁に激突した、ような──
「た、ああッ!」
「──が、グッ」
空中に跳ねた俺を追撃するべく、ウェアキャットの二振りの刃が直撃し、吹っ飛んで建物を破壊しながら激突した。
「く……そ……」
建物がガラガラと崩れ、人々の悲鳴やらが聞こえる中、瓦礫を押しのけて鞘を杖代わりにして這い出る。不意討ちが失敗したとなりゃあ、後は……
『くくくククク……シソウくん不意討ち失敗してやんの。だッさ』
「うっせえ黙れ」
ニャーの嘲りを一蹴し、建物から外に出る。
周囲を見渡し、見つける。
連中は……ウェアウルフとウェアキャットは居る。少女が……一人と鱗を生やした女が追加。ガキが居なくなっている。
忌々しい。ガキの方は大方匿われたか引っ込んだか。
それで増援二人。
「……転生者が、三人か」
ガキと、少女二人。
ああ、クソ、体が痛くて頭が回らねえ……
まず、まずはだ。数を減らす。できれば転生者だけ殺してとっととゲロ吐いたあのガキを殺りに行きたいが、
連中をじっと見ているとウェアキャットとウェアウルフがしびれを切らしたのか襲いかかってくる──速い。
「ぐ、ォおお、がァ……」
目にも止まらぬ速さで蹂躙されていく中、時折刀を振るって反撃を試みるも、無様に空振りした隙を突かれて追撃される。
何か一瞬でも動きを止めれば……
思い付いて。一か八かで試す。
攻撃と激痛に耐えながら、息を大きく吸って──
「──ア゛ァアアアアアアアアアアアアッ!」
「ッ!」
「く……!」
己の鼓膜すら破る程の声量で絶叫する。叫ぶ喉にも激痛が走るが、無視する。人の身ですら耳を塞ぎたくなるようなレベルなら、人より優秀な感覚器官を持つ亜人ならば一堪りもねえだろう。
事実、ウェアウルフとウェアキャットは一瞬だが、怯んだ。
今、好機は、この瞬間のみ。
「オ゛ォオオオオッ!」
腹の底から激痛と共に怨嗟の叫びを上げ、空中を蹴ってウェアウルフの死角へと入り込み、刀を突き刺すべく突貫する。
「あ──」
「チェルファっ!」
ウェアキャットがウェアウルフ──チェルファとの間に体を滑り込ませて庇おうとするが、諸共推し通る。貫く。
「が……」
「ぐ──っふ」
二匹のくぐもった苦悶の声を聞き、串刺しにしたチェルファとウェアキャットの体から刀を引き抜き──枝を切り落とすが如く、それぞれの首を刎ねた。
まずは二匹。
返り血を浴びながら残りの連中を見据える。
残りは、二人と一匹。
「き……っ様ァ!」
「落ち着きなさい、ザリネア!」
「あの人……は尋常ではありません……」
声のする方に焦点を合わせると、所々鱗が生え、トカゲのような尾を携えた女、ザリネアが槍を構え激昂していたが、二人の少女が宥めていた。
ああ……イライラする。体は痛い。家族も人質に取られている。邪神はヘラヘラしててウザい。
クソ、クソが。腹立たしい。
「すー……はぁああ……」
ぐちゃぐちゃになる思考を呼吸と共に吐き捨てる。
屈み、再び少女たちに突撃する。次はザリネアと呼ばれた槍使いに絞る。
向かって飛んで行く最中、突如体の側面から石を投げつけられたかのような衝撃を食らい、真横に吹っ飛ばされる。
「また、邪魔か、畜生がああッ!」
体を捻って滑りながら地面に着地すると、屋根の上に二人の人影が見えた。薄い緑の長髪のエルフに、そのエルフと似た顔立ちだが金髪の……何だ……? 人に似た……何かか。
増援、それも、二人。
屋根に居た二人は飛び降りて
『おやぁ? シソウくんもしかしてやる気失せた? 戦意喪失しちゃった?』
ニャーの煽りを無視して苦悶を、怨嗟を、激痛を、怒りに変えて、吼える。声だけであの連中を殺せるように、祈り、
『まぁまぁ。カッカすんな……っていっても無理か。
絶叫を上げながら連中に襲いかかり、弾かれ、倒れ、立ち上がり、突き進み、防がれ、囲まれ、蹂躙され、堪える。
その間にも、ニャーの文言が頭の中で鳴り響く。
『君もなんとなく感づいてるようだけども。
言われて、気付く。頭と腹に衝撃を受ける。痛い、苦しい。殺る。殺らねばならぬ。
金髪に、刀を振るい、鞘も振るう。防がれ、弾かれ、他の四人から攻撃を食らう。食らい、続ける。クルシイ。
俺が持っている、忌々しい刀と鞘が。クソムシどもの使うノーリスクハイリターンパワーと明らかに違う。
『
……そんな、カラクリか。
だが、しかし。一つ疑問が湧いた。
「てめえ、この刀で斬った転生者の存在を抹消するとかほざいてただろうが!」
『それはパスワードの効力であって、その刀の能力じゃないよ。言ってなかった?』
「紛らわしいんだよクソアマぁ!」
俺の狂った独り言に眉を潜める連中だが、警戒を緩めない辺り心構えはできている──どうでもいい。
ニャーが、嘆息しながら続ける。
『つーかさあ、なんかダラダラしてない? 最初の行動力は良かったけども。やっぱ家族の一人でもぶっ殺さないとケツに火が着かない感じ? 転生者ならともかくさー、そこら辺の
ニャーの、煽りに。怒りが、燃える。
あんな邪神の言うことに、目の前の転生者どもに、何より、
己の喉すら潰し壊す勢いで絶叫して、ヨクワカラナイ理屈で防御している金髪に向かって行く。こいつが、今一番邪魔だ。
刀で斬り付け──防がれる。
鞘で殴り付け──弾かれる。
背に銃弾のようなものを受け。精霊らしきものから雷撃を食らい。
左からザリネアの槍、右から少女が放つ火球が直撃する。
激痛で意識が飛びそうになるが、堪える。
今は他の奴らは捨て置く。
一人に、専念する。
「がッ、ア゛ァ゛アアアアアッ!」
儘ならない状況に、挫ける事なく。
愚直に、ひたすらに、斬って、殴り付けていく。
斬る、きる、キル──
怯まぬ俺に今まで無表情だった金髪が僅かに眉を潜める。
今、こそ──斬り裂く。
「お゛ォオオオオッ!」
絶叫しながら刀を振りかぶり、振り抜く。
防御諸共、金髪の体が、周囲の建物纏めて両断される。まず一人。
「サートっ!」
サートと呼ばれた金髪の女の頭を十字に分割した後、悲鳴をあげたエルフに狙いを定め、刀を振り抜く。
本来ならば届くはずのない、ただの空振り。
だが、ここはイスエ・クアイ。
理不尽な理屈が罷り通る世界だ。
故に──己の行為に微塵も疑問を抱かなければ出来て当然。
間合いを無視し、遠方にいるエルフも周りの景色も纏めて斬断する。胴体が分割されたエルフに空中を蹴って近づき、頭を刺し貫く。これで、二人。
「ぐ、ッがァ゛ッ、はァッ」
激痛は、治まることなく。残りを見据える──激昂した様子のザリネアが突っ込んできており。
その後方で紫髪の少女と黒髪の少女がそれぞれ構え、狙い、力を溜めていた。
「貴様、チェルファやマレイタに飽きたらず、サートやアリナサームまでもッ!」
ザリネアが繰り出す槍を刀と鞘で捌いていくが、捌き切れずに幾度か体に食らう。しかも体の中心上、正中線と来たもんだ。徹底してやがる。
「ぐゥ、オ、がぁッ!」
食らった瞬間に無理矢理刀を振るって反撃を試みるが、刀の向きを上方へと弾かれた。
ザリネアの発言から察するに、ウェアキャットがマレイタ、エルフがアリナサームか。
くだらないことに思考を使ってる間に、ザリネアは飛び退き、後ろの二人が。
「これでッ!」
「終わり……です!」
巨大な爆炎と電磁加速させた銃弾を放った。
爆炎で満遍なく体に襲いかかる激痛と、腹部……に、一点を貫く様な、激痛。
いくら攻撃による損傷が激痛に変換されて見た目は無傷でも、衝撃は消せず。
無様に吹っ飛ばされていく。
痛い、いたい、イタイ、苦しい、くるしい、クルシイ──負けない。
がむしゃらに爆炎の中を突き進み、抜ける。
抜けた先で二人の
「な──」
「そんな……」
「気を抜くな! アリシア! ルルエリ!」
二人と違いザリネアは警戒を緩めず猛然と俺に突撃してくる。
真っ向勝負というわけか。だが、しかし。
「邪ァ魔だ、どけェッ!」
転生者で無い以上、ただの、邪魔。
繰り出される槍の刺突を鞘で弾き飛ばし、下段から袈裟懸けに斬り上げ、断つ。
真っ二つに割れたザリネアを飛び越え、黒髪の少女へとかっ飛んでいく。
「オ゛ォオオオオおおッ!」
「ひっ……!」
短い悲鳴をあげた黒髪の少女の顔面に刀を突き刺し貫く。
「ルルエリっ!」
黒髪の、ルルエリという少女から刀を引き抜いた勢いで残りの少女──アリシアの首を斬り飛ばした。
今までの劣勢が何だったのかと思えるほどの迅速な処理に頭の中で口笛が鳴り響く。
『シソウくんやればできんじゃーん。見直しはしないけど、一ピコぐらいは感心したよ。うん』
「う……るッせェ……!」
まだ、一人。
必ず絶滅させねば、殺らねばならぬ奴がいる。
凄惨たる光景の中、激痛に悶えながら、視線を感じ──振り返る。
俺の視線の先には、先程出会い頭にゲロを撒き散らし、黒いコートを纏った童顔の
「……どう──」
言い切るより、速く。接近して奴の首目掛けて刀を振るう。しかし、それまでの転生者とはやはり別モノというべきか。
いつの間にか持っていた両刃の剣に防がれ、びくともしない。
「……どうして、こんなことをしたんだ」
「うるせえ、死ねクソムシ」
話しかけてくるが、会話する気など毛頭無い。ただ、殺す。
遠くからでもわかる転生者の
「なら、容赦はしない」
覚悟を決めた表情で、またもやいつの間にか手にしていた槍で突き飛ばされる。
「ぐ、が、はッ」
常軌を逸した速度で吹っ飛ばされるが、刀と鞘を地面に突き刺して滑りながら着地。
間合いが離される──ならば。
「お゛ォ──があッ!」
刀を振るう瞬間に、上から何かに叩き潰される。クソ、何だ、何が乗っかってやがる。
感触からして、鉄の塊……ハンマーか。
刀と鞘で押し退けるべく踏ん張っていると、前に居る転生者は何もない虚空に手を振り、奇妙な動きをしていた。
「イチエル・ロウ・スズァルキの主名に於いて命ずる。
ハンマーに姿勢を崩されてるから周りが良く見えんが、周囲に剣やら槍やら……おびただしい数の武器が宙に浮いて俺を囲んでいた。
『古今東西色んな聖剣や魔剣やら……伝説の武器が揃ってるねえ。流石、
うぜえ、うるせえ、うっとおしい。
「おォ゛ッ、らァ゛アッ!」
刀でハンマーと思わしき鉄塊を突き砕き、転生者──イチエルを見据える。
一瞬の間を挟み。
「──
イチエルが腕を下ろすと同時に数多の武器が俺目掛けて降り注ぐ。
『さあ、正念場だよシソウくん。君の死を想う思想が
戯れ言は捨て置く。
今俺に在るのは。身を苛み続ける
襲いかかる眼前の
「お゛ォ──」
薙ぎ──
「──ッらァアアッ!」
──払う。
刀で一閃して、武器も周りの街並みもズタズタに、斬り裂いて行く。
砕けた
細かい欠片が身体に当たるだけで激痛が襲ってくるが、それすらもイチエルへの殺意と憤怒へと変えていく。
当のイチエルは顔を僅かにしかめつつ、虚空から槍を出現させて、構え──突く。
奴の、神速の突きを身体に、受けながら。
「クソムシ、ごときがァ!」
「狂った殺人鬼めッ!」
俺の鞘の殴打と、イチエルの追撃が交差し、鞘はイチエルの顎を掠め、槍の石突きが顔面に突き込まれる。
イチエルは多少たたらを踏み、俺は無様にすっ飛ばされ転がった。
「は、っが、あ゛ァッ」
鞘で思い切り地面を突いて、激痛に喘ぎながら身体を起こし立つ。
イチエルは……無傷か。クソ。
間合いが空き、お互いに見合った状態になる。
「ぐ、ゥッ……がァ゛……」
「…………、う」
不意に、イチエルの身体がよろめいた。
今、今、この時、この瞬間に、殺る。
突っ込んで行って斬る──それだと遅い、間に合わない。
今、ここで斬る。斬って、ぶっ殺す。
「死ィイイイイ、ねェエエエッ!」
目の前に居るイチエルも、全て、斬る、斬る、斬り、殺す。
腕が千切れる程の勢いで刀を振り抜き、景色もろともイチエルを斬った。
それは、まるで写真を切ってそのままズラしたかの様に、ゆっくりと、確実にズレていく。
「──あ……?」
イチエルが間の抜けた声を出すと同時に奴の頭上へと飛び上がり、真下へ刀を脳天に突き刺し、そのまま地面へと足蹴にし、そして──
「ふんッ」
倒れたイチエルの首を刀で地面を引っ掻きながら斬り飛ばした。
「が、は……ァ゛ァっ、ぐゥ……」
ようやく。長いようで短く感じる駆除を終え、刀を鞘に収めた。
激痛の余韻がまだ残っているが、徐々に治まってきているのは、かろうじて知覚できていた。
ふらつく身体を、刀を杖代わりにして、しっかりと立つ。
前回と違い、気を失う事なく。辺りを見回す。
建物は、巨大なナイフで切断されたかの如くボロボロになっており。
眼前には年端もいかなそうな少年少女の無惨な死体が転がっていた。
『マーベラスだよ。シソウくん。実に素晴らしい。私の目に狂いは無かったねえ。しかし、転生者以外も躊躇なく殺したけども。良心の呵責とかなくなっちゃった?』
パチパチと、俺の頭の中で拍手が鳴り響き、小馬鹿にしたような野太いニャーの声が聞こえてくる。……腹立たしい。
「お前が、見たかったのは
『ほぉ』
「葛藤してウジウジ悩んでたらお前は即座に俺を潰すだろうが。つまらんとか言ってな。短い付き合いだが、その程度の事は解る」
『その為にィ、なーんの罪も無いウェアウルフちゃん達をズバズバ斬り殺したと』
ニャーの煽りに溜め息をついて続ける。
「俺は、邪魔してくる奴を選り好みなんかしない」
本当に、守りたい
だから──
「誓え」
『あん? 何を?』
「俺が挫けるその瞬間まで、家族に手を出さない。と、今誓え」
一瞬の間が空き、続いて呆れたような鼻白んだ声で問い返してくる。
「はーん。で? 君が誓いを破ったら? そこら辺どーすんの」
「俺と、俺の家族をお前にくれてやる」
『え?』
「俺が諦めたら、俺と俺の家族諸共、永劫お前の玩具になってやる」
『いや、シソウくん。大事なモノを賭けるのは
「二言は、無い」
普通ならば。大切なものを守る為に大切なものを賭けるような真似はしないだろう。
だが、相手は邪神。真に守りたければこちらの絶望をちらつかせる他、道は無い。
俺の返答にニャーはおぞましく下卑た嗤い声を響かせ、俺は声に苛まれながら街を後にした。
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