怒発傷天
鯔副世塩
異世界は妖刀と共に
身体が、痛い。
頭も首も胸も腕も腹も脚も、全てが痛い。
「──ッがァアアアッ!」
痛みを紛らわす為に叫んだ喉も裂けるように痛い。
どれ程の激痛に襲われても。
ソレのある場所が脳ミソか心臓なのか解らないが、一つ。燃え盛り、消えない──怒りが、握り締めた刀と鞘を離さないでいる。
空気の摩擦ですら致命的な激痛になるが、気合いと根性で耐え、上空にいるクソヤロウを見上げた。周りには魔法陣が輝きそこから俺に四方八方ありとあらゆる攻撃が襲いかかる。
「ぐ、ォ、オオオオッ……!」
滅多撃ちにされようとも。止まれない。止まる訳にはいかない。
落下していく体勢を立て直し、攻撃を正面から受け、空を蹴り、突き進む──駆けて、駆け上がる。
神の
敗けない。逃げない。折れない。挫けない。
必ず、殺す。
「おォオオオオッ──!」
攻撃を潜り抜け、距離を詰めてクソヤロウの首へと刃を振り抜く──
「はァーい、一名様ごあんなァーい! ざんねん! きみはしんでしまった!」
「……」
「んんー? どォしたー? リアクションが無いぞォー?」
「やかましい」
「お、反応してくれたねェ! 死んだ時にポンコツになッたかと思ッちャッたよォ」
気がつくと、露出の高い漆黒のドレスを纏い、正気を削られそうな絶世の黒髪美女が野太い男の声で陽気に喋っていた。
「何がなんだかわからないと言ッた風だけれども森羅万象天上天下有象無象一切合切何一つ問題は無いとも! なんだッたら一九分間抱腹絶倒なユーモアを交えながらしャべッ──」
「おい」
「何かな?」
「ここはどこだ」
辺りを見渡すと、星の無い夜空に、草木一つ無い荒野だった。確か、俺は……
「ここはねェ、私が遊び場にしてる世界と君たちの世界の間ッて所かな。トンネルの中に居ると思ッて貰ッて構わないよ」
……頭沸いてんのかコイツ。意味わからん。
「つまんねえ冗談はいいから、帰り道を教えてくれ」
「ねーよ。そんなもん」
「はぁ?」
「というか、そもそも君死んでるし。元の世界に帰ろうなんて
マジもんのヤベー奴かよ。参ったな……というより、死んだ……? こうして動いているのにか……?
「お前は……」
「ああ、私のことは畏敬と尊敬とほんの少しの情欲を籠めてニャー様と呼んでおくれ」
「……お前──」
ニャーと名乗るモノが拳を握りしめると、どう、じに……こ、きゅ……う──が──
「きーみーはァ、言われたことすらキチンとできないおバカさんなのかな? かなァ?」
肺に、残ってる息を……つかって、声を、だす。
「ニ……ャア……」
「ニャー?」
「さ……ま……」
「うん! よろしい!」
ニャーが拳を開くと、呼吸ができるようになり、一気に空気を取り込んで激しくむせた。殺意の籠った目でニャーを睨みつけるが、そのニャーはケタケタとおぞましい笑みを浮かべ愉快そうに笑っていた。
「て……めぇ……」
「あッはッはッ! いやあ、いいねえ、その目! ンンー、実に私好みだ。体感してもらッた通り、君の生殺与奪は私が握っているのだよ。つまり生きるも死ぬも私の気分次第!」
こんな奴に、俺の生死が握られてると思うと今すぐにでも殴りかかりたいくらいに──ムカつく。
「さて、時間も余り無いし、いくつか質問するからサクサク答えてね」
「……ああ」
殺意を欠片も絶やさずぶっきらぼうに応えた。
「性別は?」
「男」
「家族は?」
「父と母、それに妹」
「君の着ているそれは?」
「黒のビジネススーツ」
「君の死因は?」
「……確か、車に轢かれたはず」
「ンンー。じゃあ、最後の質問だ。君の、名前は?」
「俺の、名前は……」
名前。俺の、自身を表す記号。
「…………わからない」
「だろうねえ。私が隠したんだし」
「ッ、てめえ!」
怒りが沸点に達し、殴りかかる。
「おッとォ? そうカッカすんなよ青年」
ニャーが指を鳴らすと、俺の体がまるで糸でがんじがらめにされたように動かなくなる。
どれだけ力を入れて動かそうとしても微塵も動く気配が無い。
「こ、の、クソアマ……ッ!」
「あハハ、いやあ、威勢がいいねェ。私そういうの大好き! でも罰として話が終わるまで君そのままだからね」
悪びれもなくニャーは続ける。
「君の名前は私が預かッている。オーケー? まァ了承してなくても続けるけど。君にはねェ、やッてもらいたいことがあるのよ。それには……ムンちャーん、ムンちャあーん」
ニャーがおもむろに呼び掛けると、上から白いバルーンワンピースを纏い、白髪の頭部に花弁のような触手の髪飾りを着けた少女が落ちてきた。
「げふっ……もぉー、なんですかあ? いきなり時空間に孔開けて飲み込むとか結構キツイですよ」
「ンン? 文句あんのか信者ごときで」
「い、痛い! 痛いですニャーさまぁ!」
「時間無かったんじゃねぇのかよ」
秒でじゃれ始めた二人に突っ込みを入れて次を促す。ニャーは気付き、ムンと呼ばれた少女は相変わらず頬をつねられていた。
「そーいやそうだッたねェ。私としたことがついムンちャん弄りを」
「…あの、ニャーさま……いい加減放して……」
「え? 気持ちいいからやだ」
「えぇ……」
ムンの懇願を無下に退けたニャーは俺を見据え話を再開する。
「君にはァ、このムンちャんと一緒に私が遊び場にしてる異世界、イスエ・クアイでとある連中の駆除をやッてもらうよ」
駆除って…害虫かなんか湧いてんのか……?
「少し前からゴキブリのようにわんさか湧いて来てねェ。最初は面白可笑しく眺めてたんだけども。段々食傷気味で……そこに丁度よく死んだ君がいたからちョちョいと引ッ張ッてぶちこもうかなと」
聞けば聞くほどやる気が失せていくが、拒否権なんてものは無いと悟ると同時に怒りが募っていく。
「まァまァ、そんなムスッとしないでよ。何も徒手空拳で行かせる訳じャないからさ、ッと」
そこまで言ってムンを解放したニャーは、己の髪の毛を一本抜いて恐ろしい速さで振る。
ニャーの手に毛髪は無く、その代わりに一本の刀が握られていた。
「ほら、これあげるから。頑張ッて」
刀を無造作に足下へと放り投げてきた。足首に当たってそれなりに痛い。
「その刀、
「あのう……ニャーさま、この人間の名前は……」
「名前? じゃあシソウで。粗方準備も終わッたし、イスエ・クアイの害虫虐めにいッてらッしャあーい」
ニャーは指を鳴らし、俺の近くで刀を拾い上げていたムンもろとも、地面に虚空の穴を開……け──
「こ………の、クソアマぁああああッ!!」
満面の笑みで手を振るニャーに喉が潰れる程の罵声を浴びせ、落下する感覚と共に意識が消えて行った。
「ぐぉっ」
意識が戻ると同時に地面に叩きつけられる。高さはそこまでなかったようだが、不意討ち染みててより衝撃を感じた。
「……ここが──っごぉっ」
感想を漏らす前に。背中から衝撃を感じて再び地面に叩きつけられる。
顔面を強く打ち、憤怒の表情で振り向くとムンが俺の背中に乗っかっていた。
「ニャーさまったらいつも強引で嫌になっちゃいますね……何してるんですか? 趣味ですか?」
「違う! 重いんだよ、退けっ!」
「む、レディに対して重いとは失礼ですね」
「いいからとっとと退け! マジで重いんだよッ!」
中学生みたいな見た目のクセして岩石かと思うくらいにムンは重い。どういう理屈なんだこれは。
「むー。そう何度も重いって言われると傷つきますよ、っと」
「ぐぉあっ」
踏みつけられる感触を味わい、ムンは俺の背から飛び退いた。
「て、てめぇ……」
「んー、着きましたねーイスエ・クアイ。相変わらずのどかですねぇ」
ムンは周りの景色を見渡し、俺は背中をさすりながら起き上がり、同じように周りを見渡せば、所々山があり、広大な平原がそこにはあった。
少し遠くに街が見える辺り日本の田舎、といった所か。
「じゃ、道すがら色々説明しますね。はいこれ」
「……ちっ」
ムンから一本の刀を受け取り、後を付いていく。
「イスエ・クアイは貴方が居た星の約十倍の面積がありまして。貴方達の言う幻やら伝説の生物がそこら辺にいるんですよ」
「伝説って………吸血鬼とかか?」
「そうですね、イスエ・クアイでいう“人間”はヴァンパイアとかエルフとかウェアウルフが大半ですね。他にも色々居ますけど」
「……普通の人間はどうなんだ」
「いませんよ」
「一人もか?」
「一人もです」
「……」
「あれ? 質問は終わりですか? もっとしてもいいんですよ?」
イスエ・クアイについてはおおよそ理解できた。次は……
「お前は、何なんだ?」
「私はニャーさまを崇拝する健気な月の住人です。趣味は拷問、特技は串刺し。呼び名はムンでいいですよ」
「じゃあ、ムン。この刀は……」
「あ、着きましたね。街かと思ったら国でしたか」
やり取りしてる内に目的地に着いたようだ。……刀は後で訊けばいいか。
「国の名前は……パトリック・ウィンターフィールドっていうみたいですね」
「どうでもいいだろ。国の名前なんぞ──っ!」
「どうしました?」
「……くせえ」
あまりの腐臭に思わず右手で口と鼻を覆う。まるで──そう、まるで肥溜めのような嫌な臭い……
「臭い? ……何がですか?」
「全部だ全部。この国から嫌な匂いしかしねえ」
「うーん。私には……あ」
「なんだ?」
「いえ、そういえばニャーさまのメモが……あ、あった」
ムンが服のポケットをまさぐって折り畳まれた一枚の紙片取り出して広げる。
呼吸を浅く繰り返しながらムンの頭越しに紙片に視線を落とす。
【駆除対象にはシソウくんだけが解るマーキングを付けてあるから、それを頼りに頑張ッて探して駆除ッてネ! コズミックビューティフォーなニャーさまより】
「だそうですよ」
「……てことは
「ニャーさまですからねえ」
「クソッタレが……」
ムンは紙片をポケットに突っ込み、俺は悪態を吐きつつ、ニャーの悪趣味なマーキングを探知するために腹を括って、覆っていた手を下ろし、呼吸を平時と同じように戻す。そして
「うぇっ、げぇっごほっごほっ」
「いや、どんだけ臭いんですか。それじゃ探そうにも……」
「もし、そこのお方。大丈夫ですか?」
ムンが軽く引いていると、一人の女性……耳が尖っている、俗に言うエルフか……が心配そうに話しかけてきた。言語は通じるのか。
嘔吐いている俺はムンにアイコンタクトを送り、対応を任せるように示す。俺の反応を視認したムンは女エルフに返答する。
「ええ、持病の癪が愉快に拗れてるだけなのでお気になさらず。数分もあれば収まりますし」
「そうですか……? とてもそうには見えませんけれど……」
俺の嘔吐き具合に女エルフは眉を潜めて顔色を窺ってくる。怪しまれるのは、マズイな。
姿勢を正して気合いを入れて根性で腐臭に耐える。
「……お気遣いありがとうございます。もう、大丈夫ですので」
本当は大丈夫では無いが、こうでも言わねば付きまとわれかねない。
「そう言うなら……あ、貴方もしかして!」
まさか、やせ我慢がバレたか……?
「国王さまと同じ種族ですね!」
先ほどの心配そうな顔から一転、女エルフは嬉しそうに奇妙なことを言い。
俺とムンは顔を見合わせた。
「まさかこんな日に国王さまと同じ種族の方に逢えるなんて……素晴らしい日ですね!」
「ええ……はい」
「………」
嬉々として道を先導する女エルフにムンと俺はゆっくり付いていく。
なんでも、国王の凱旋パレードを行っているので是非観て欲しいだとか。
あまりの喜び具合に断ろうにも断れず、渋々と付いていくことに決めた。
「……おい」
「なんですかシソウさん」
「普通の人間は居ないんじゃなかったのかよ」
「そのはずなんですけどねぇ……私にもわかりません」
「わからねえって、お前……」
「あ! お二人とも! 見えてきましたよ!」
ムンに更なる詰問をしようとするが、女エルフの嬉々とした声に視線を向ける。人混みのその先には、白いファーコートを纏った男が、大きな白い虎に跨がり、人々に笑顔で手を振っていた。
周りには美少女の双子のエルフ、姫と女侍っぽい格好のウェアウルフ、日傘をさしている金髪の女ヴァンパイア……その他にも美姫と言える女たちを侍らせて、国王は、笑っていた。そして確信する。
「……なるほどな」
「何がですか? シソウさん」
「間違いねえ。臭いの元は、あの野郎だ」
「あー……」
はしゃいでる女エルフに聞こえぬよう、小声でムンとやり取りする。女エルフはというと、国王に向けて千切れんばかりに手を振っていた。
「で。どうするんです?」
「そうだな……」
ムンの問いかけに一時思考する。……よし。
「おい、手袋持ってるか?」
「手袋ですか? んー……はい、どうぞ」
ポケットから取り出した手袋を引ったくり、国王を目で追う。
「手袋なんか持ってどうするんですか」
「投げる」
「……は?」
「聞こえなかったか? 投げんだよ。あの野郎が俺と同じような世界から来たんなら、それだけで意味は通じる」
「へー、人間はそんな習性があるんですか」
「……まぁ、いい。とにかく俺は行く」
ムンの感心を余所に、国王の下へと向かおうとした。
『あー、あー、テステステステス。聞こえますかー! 元気ですかー!』
突如、俺の脳内に音割れした野太い男の声が大音量で鳴り響く。
「ぐぅう……おぉ……うるっせえ……!」
人混みの中にいる以上、喚き散らす訳にもいかず、頭を押さえ苦悶する。忘れもしない、この忌々しい声は──ニャーだ。
「何の用だ、てめえ……ッ」
『あ? 聞こえる? なら良かッた! いやさァ、ちョーッと伝えること忘れてさあ』
「後にしろ。こっちは今それどころじゃねえんだよ」
『大丈夫大丈夫! すぐ終わるから!』
大音量で脳内に響き渡るニャーの話を聞きながら国王を追っていく。
ニャーの話を聞き終えた俺は、人混みをかき分け、パレードの先頭に飛び出る。周囲がざわつくが放っておく。今、見るべきは駆除の標的である──国王ただ一人。
国王は驚いたように目を見開き、その周囲の女どもは驚愕したり、嫌悪感を表情に出していた。
「……よお」
「君、は……もしかして、僕と同じ……!?」
国王は白い虎から飛び降り、笑みを浮かべて俺の下に駆け寄ってくる。
「まさか、まさかこの世界で僕と同じ、転生者に出逢えるなんて……夢にもおもっ──」
嬉々として寄ってくる国王の顔面に手袋を投げつけた。奴は直前で手袋を掴み、困惑していた。
「これは……」
「意味、解るよな? 同じ日本人ならよ」
「決闘……ね。けれど僕には戦う理由は──」
渋る国王の顔面に向けておもいっきり、唾を吐いた。
周囲がどよめき、侍らせていた女どもからは口々に「トゥリヤ様!」と悲鳴の様な声が響き渡る。無言になった国王に追い打ちをかけるように告げた。
「戦う理由、できたか?」
顔を袖で拭った国王、トゥリヤは表情を冷酷なものに変えて一言。
「わかった。郊外にいこうか」
国の外れの平原にて。
俺とトゥリヤは対峙しており、周りにはギャラリーがわんさか居た。
「見せもんじゃねえんだがな……」
一人ごちるが、周りの歓声に掻き消される。
トゥリヤはというと、時折周りに手を振って愛想を振り撒いていた。
ひとしきり、愛想を振り撒き終わるとトゥリヤはその顔から笑顔を消し、俺と向き合う。
観客もそれに合わせて静まり、トゥリヤが口を開いた。
「まだ名乗ってなかったね。僕はトゥリヤ。トゥリヤ・モルティ・ヅェイキ。君は?」
心の底から名乗りなど上げたくなかったが、一応、決闘の体でここまで来たのを思い返し、名乗る。
「シソウ」
「……名字は?」
「ねえよ」
それを聞いたトゥリヤは、黙ってコートの裏側から銃身に刃が生えた拳銃──記憶が確かならガンブレード──を取り出した。
奇襲を警戒し、素早く柄に手をかけるが、トゥリヤは銃を抜いたまま芒洋と突っ立っていた。
「……何の真似だ」
「別に。ただ武器を取り出しただけだよ。それに、君は未だ抜いて無いじゃないか。それぐらいの間は待つよ」
鷹揚と対応するトゥリヤを尻目に、手にした刀を見て、ニャーに伝えられたことを思い出す。
──『君がこれから駆除する相手は転生者だ。どっかの神様から死なせたお詫びどうこうでチート能力授かッて好き放題やッてる奴らなんだよ。自分が死んだことすら忘れてね。そして、君が持ッてる刀にはパスワードが仕込んであッて、合言葉を言わないと抜刀できないようになッてるんだよ。今から合言葉教えるから、良く覚えてね。あと抜く時は覚悟も決めてね。合言葉は──』
刀の柄を握りしめ、パスワードを告げる。
「『──転生者よ、今永遠の死を与える』」
言いながら、鞘から刀を、抜き放つ。
瞬間。
想像を絶する激痛が俺を襲う。
「ア──ぐ、がァあああッ……!」
なんだ、何故痛い。どうして、覚悟、あのクソアマ、そういう、こと、かよ。畜生。
「ぐぅウウッ、があ……ッ、ああッ」
「なんだか、随分苦しそうだね」
聞こえてきた声の方を、見る。アイツは、トゥリヤ、転生者。
悶え苦しむ俺を見下し、哀れむ、ゴミクズ。
「調子が悪そうなら、また後日……何なら、今謝罪すればこれまでの無礼は水に流すよ」
謝罪? 何を? 俺は、俺、は──
「俺は、お前をッ、
奴の言葉で怒りに火を着け、痛みに耐えて奴に突撃して行く。
嘆息したトゥリヤは手を前に突きだし、呟く。
「
駆け抜ける俺の足下がテカテカとぬめったような光沢を放っていた。
警戒する余裕もなく、その変化した場所を踏み抜く。
「アアアッ、ガァ゛アアアッ!」
俺に起こった反応はただの激痛。脚が砕けそうな程の、激痛。
痛みを紛らわす為に叫ぶが、叫んだ喉が痛い。クソが。
「滑らない……?!」
驚愕するトゥリヤの、首。首を目掛けて手にした刀、
「甘いね。それじゃあ届かないよ」
トゥリヤはガンブレードの刃で刀を止めていた。なら──
「お゛ォ、ッらあッ!」
左手で掴んでいた鞘を奴の脇腹に叩きつけて、体勢を崩して首をぶった斬ってやる。
「
トゥリヤが唱えると、脇腹に入ったはずの鞘の一撃が滑るような気色悪い感触で終わる。柳を殴ったような、ああクソ、痛い。身体がずっと痛い。
「なるほど、強化なら行けるみたいだね。じゃあ次は──」
言いかけて、トゥリヤが俺の目の前から消え──
「僕の番だ」
声が背後から聞こえたと同時にとてつもない衝撃で、身体が前に押し出されるように、吹っ飛ぶ。蹴られ、たか、殴ったか。あの野郎。クソ、痛え。
吹っ飛ばされる最中、身体をひねって振り向くと、離れたトゥリヤは手を突きだしており。
「
上下左右前後から巨大な板が俺を取り囲み、隙間から見えたトゥリヤが拳を握り、視界が暗転した。
「閉じ込められたか……!」
周囲の板を刀で斬ろうとした瞬間、地面から、腐臭を放つ泥が湧き出て身動きが取れなくなる。
「ぐぉ、こぉ…ッのォ!」
もがこうにも泥は瞬く間に俺の体を埋もれさせて行く。くせえし、痛えし、散々にも程がある。
そもそも。俺は何故、こんなことをしなければならんのか。
激痛の余り激情に駆られてこんなことになってはいるが。
俺は正直転生者などどうでもいい。
……このまま諦めれば、俺の、俺が望んだ
『え? 何? キミ諦めんの? うーわ無いわー。マジ無いわァー』
音の割れた声が聞こえる。理屈は知らんが、あのクソアマはどうやら俺の状況を把握してるらしい。
『かァー……人類ガチャやりまくって、よーやく、よォーやく当たり引いたと思ッたんだけどなあああ。はァ……』
ニャーの声は侮蔑と深い落胆の色が滲み出ていた。侮蔑はともかく、奴を落胆させたのはささやかながら悦に浸れる。身体に走る激痛でそんな気分も一瞬で消し飛んだが。
『あー……で。君諦めるんだよね。はーいお疲れしたー……次は君の──お父さんがいいかな?』
「──何だと?」
今、聞き捨てならない、言葉が聞こえた。
『いや、お母さんでも良いかも。ああ、君より優秀そうな妹ちャんでも良いかもねェ。何より! 君の次の目星が居るってのは良いねェ! あははハハハ!』
尽きかけた怒りに悪意の油が注がれる。乗せられてるのだろう。煽られてるのだろう。侮辱されてるのだろう。
ここまで明け透けにされれば俺でも解る。
解る──が。それでも、この怒りを燃やさずにはいられない。
「ぐ……おォアアアッ……!」
身体を動かして新たに加えられる激痛に耐え、泥の中でもがく。
『あ? んん? どーしたのよ。そんな張り切ッちャッて。諦めるんでしョ? 別にいいよそんな頑張んなくても』
「家族を……」
『ん?』
「家族を──守る。お前から」
『ほォ?』
そして、ここに居ないニャーに向けて叫ぶ。
「いつか、必ず、お前を──ぶっ殺す!」
『あ──は、ハハハハハハ! あーハハハ! やッ………ぱり! 君は最ッ高だ! あはは! 三七五六四人の犠牲の果てに引き当てた甲斐があッたよ! ホントに!』
狂った様に嗤い、悦ぶニャーを捨て置き、改めて今の状況を確認する。
泥は身体にまとわりつき、とても臭い。その臭さで鼻にも激痛が走る。
もがけばもがく程、痛みが加速度的に酷くなって、いく、が。
「がぁ、ぐぉ゛オオオオッ!!」
こんなもん、臭いし痛いだけだ。
もがき、進み、壁に突き当たる。
「おォオオッ、らァアッ!」
刀を壁に突き刺し、斬り込みを少しづつ、入れていく。
何をするにも痛えとか。マジで腹立つ。
「おォオオ……ぐァアアアッ、だぁああッ!!」
ある程度斬り込みを入れ、亀裂に向かって蹴りを入れ続け、幾度目かの蹴りで壁が破られ、中の汚泥と共に流れ出るように外へ戻る。
日差しに目を細め、四つん這いになってうずくまり、思考を整理する。
身体は、ずっと痛い。それはもういい、わかってる。
周りは、歓声が上がっていたようだが、今は静まり帰っている。
トゥリヤは、俺を見るなり表情を強張らせ、懐からスマートフォンを取り出し通話し始めた。
呼吸を整えようと深呼吸するも、トゥリヤから臭う
「がぁ゛アアアッ!」
刀を地面に突き刺し、身体を支え、立ち上がる。
改めて周りを見ると観客は居なくなり、眼前にはトゥリヤだけがいた。
「まさか、突き破って出てくるとはね」
トゥリヤは苦笑しながら俺を見据え、スマートフォンを懐に仕舞い込む。
奴の顔を見て、奥歯が砕ける程に食い縛り──跳ぶ。
「お゛ォ゛アアアッ!」
雄叫びをあげながら、一瞬で距離を詰め、トゥリヤの首に刃を振るう。トゥリヤは特に動かず、苦笑したまま刃を首に受けた。だが、滑るような感覚だけで手応えは無い。
「ぐ、があアッ!」
刀を振り抜いた遠心力で振り向きざまに着地し、再度跳び掛かる。
「鬱陶しい、なっと」
トゥリヤはガンブレードを構え、俺の顔面に狙いを定めて引き金を引く。マズルフラッシュに目が眩み、同時に衝撃を顔に受け、ぐ、ぉ……
「──んなもんで止まるかよォ゛オッ!」
衝撃で上を向いた頭を無理やり前へと戻し、トゥリヤの首を刎ねるべく再度刀を振るう。
だが、トゥリヤの振るうガンブレードに弾かれ、隙を突かれ弾丸を食らう。
たかが弾丸に、止まってたまるか。
常時味わう激痛と追加される銃撃の痛みに怒りを燃やし、尚、向かっていく。
トゥリヤは後方に飛び退きながら顔をしかめて銃の引き金を引く。
「もしかして、君、不死身かい? 参ったなぁ……そういう手合いは凄くめんどくさいのだけれど」
「不死身だから何だ! 死ねえッ!」
銃弾を食らいながらも刀を振り、紙一重で避けられる。大きく飛び退いたトゥリヤは「
「いちいち避けるのも面倒だからね。悪いけど制空権は取らせて貰うよ」
「クソムシがァ……ッ!」
トゥリヤを見上げ、悪態を吐く。
空を飛ばれるとは一ミリも考えていなかったが、クソ、どうする。どうすればあのクソムシを殺せる。
『いやあー、シソウくん頑張ッてるねえ』
またか。またアイツか。今度はなんなんだ。
降り注ぐ銃弾の雨に耐えていると狂喜喝采して少し落ち着いたニャーの声がまた頭に響く。
『シソウくんがやる気になってくれてるからねェ。やさしいニャーさまとしてはアドバイスの一つでもしようかニャーと』
つまんねえ。そしてくだらねえ。
「ちょっかいなら後にしやがれクソアマ」
『まあまあ。ユー落ち着きなッて』
「激痛の真っ只中で落ち着いてられるかアホォ!!」
『あーはいはい、わかったわかった。ッたくもー、私との語らいなんだからもう少しウキウキしても良さそうなのに』
「早く言えッ!」
『はい、じゃあニャーさまのイスエ・クアイアドバイスー。問、相手が空を飛んでる! どうすれば! 答、跳べばいいと思うよ。ッてことなんだけど』
ニャーの茶々に怒りが沸き上がって来るが撒き散らさずに一旦抑え、ニャーの言葉を良く咀嚼する。
………跳ぶ、跳ぶのか?
『イスエ・クアイで大事なのは認識力というか想像力というか、まァそんな感じのノリだよ。大体、君は歩行に意識を割くかい? 出来て当たり前だろう』
……………成る程。
銃弾を浴びながらトゥリヤを見据える。
高い。高い所に奴は居る。
ならば。あのクソムシに出来て俺に出来ない道理は無い。
屈み、跳ぶ。跳ぶ最中にも銃弾を浴びるが、無視。どうでもいい。
銃弾を受けたことで失速、落下を始める。
失笑して見下ろすトゥリヤに、また、怒りが燃え滾る。
「こォの、クソムシがァアアアッ!」
三角跳びの要領で空を蹴り、トゥリヤとの距離を詰める。
首を刎ねるべく刀を振るう、しかしガンブレードの刃に阻まれる。ああ、届かねえ。いや知るか、届かせる。必ず斬る。
「逃がさねえぞ!」
「しつこい!」
脚で胴を挟んで、刀を首へと押し込む。心底うんざりした表情のトゥリヤは「
「そろそろ、終わらせて貰うよ」
言いながら、トゥリヤは懐からスマートフォンを取り出して操作する。
俺の周りに巨大な魔法陣が七つ、浮かび上がっていた。マジで仕留めにかかって来やがったか。
「
魔法陣から白、黒、よく解らんモノ、火地風水の奔流が俺の四方八方から襲いかかる。
「お、が、ぐォオオオァアアアッ……!」
逃げ場は、無い。違う、俺は逃げない。痛え、痛いクソ、クソッ、クソッタレ。畜生。
止まらない。何一つとして襲ってくる力の奔流は容赦なく俺を削り、潰し、挽く。
「が、ァアアアッ!」
怒りを、燃やし。幽かに見えた隙間をがむしゃらに潜り抜け、クソムシ、トゥリヤに向かって跳ぶ。自分でも認識できない程の速さで跳ぶ。
「おォオオオオオッ!!」
我ながら、懲りずに、トゥリヤの首へと刃を振るう。そしてまた防がれる。
「君はッ、一体何なんだ!?」
トゥリヤは戦慄した表情で俺を見ていた。──まるで、バケモノを見るように。
「僕は、僕は国を興し、民に繁栄をもたらし、一人一人が幸せになるためにここまで築き上げて来たんだ! それを、君は! どうして!」
ぎゃーぎゃーと、何か言ってやがるな。かっこつけたノリでほざいてんのが腹立たしい。
「そんなもん、
「……ッ」
怒鳴ってトゥリヤを黙らせる。あと一撃、もう一撃。入れる。入れて、ぶっ殺す。
「とっとと──死ねええッ!」
刀の峰を、鞘を握り締めた左手で殴り付け。
「あ」
間抜けな声を最後にトゥリヤの首は飛び、胴体から鮮血を撒き散らした。
緊張の糸が切れたのか、そのまま空から墜落していく。
と、迷ってる内に地面に激突した。全身は変わらずめちゃくちゃ痛い。が、痛いだけだ。
動かせねえ所は……ねえな。
「ぐ、ぉおお……」
声も出る。とりあえずは無事か。痛えけど。
倒れたまま、刀を鞘に収め、支えにして立ち上がる。
最後に残った気力を振り絞り、叫ぶ。
「転生者はどこだ、チート野郎はどこだ! 一匹残らずぶっ殺してやる!」
直後に。冒涜的な笑い声が頭に響き渡り、倒れて気を失った。
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