No.08 ある噂

 茅根ハルは、クラスは違うが俺と同じ高校、同じ学年の生徒だった。結構可愛い顔をしているが、気の強い女だ。

 高校だけでなく、茅根と俺は同じ幼稚園と同じ小学校、それから同じ中学校を出ている。かつては仲の良かった時期もあったのだが、高校生になってからは、すっかり疎遠になってしまった。まあ、異性の幼馴染ではありがちな話だと思う。

 その茅根の家の爺さんが、先日死んだ。心臓を悪くしていたらしい。俺も小さかった頃に、茅根の爺さんに何度か会っているが、背筋がしゃんと伸びた元気そうな爺さんだった。

 そして、茅根の爺さんが死んだ後、妙な噂が流れた。

 茅根家の飼い犬であるマルタが、心臓病で倒れた爺さんの肉を食ったらしい。そんな噂だった。あるいは、マルタが爺さんを積極的に殺して食ったという噂もあった。

 マルタはドーベルマンの遺伝子を持った雑種で、馬鹿みたいにデカイ犬だ。俺は茅根の父親が散歩しているところを何度か見ているが、たしかに見る角度によってはかなり凶暴そうな容姿をしていた。多分、マルタのことを怖がった近所の子供が、根拠のない噂を流したのだろうと、俺は推測した。

 何にしても、茅根のことが気の毒だった。疎遠になったとはいえ、かつての友人が不穏な噂の対象になっているという状況は、決して愉快ではなかった。もっとも、俺に何ができるわけでもなく、茅根家に関する噂は流れ続け、時間だけが過ぎていった。

 爺さんが死んでからしばらくして、茅根ハルとその家族は、どこかへ引っ越していった。かなり急な引っ越しだったらしく、学校の教師も茅根のクラスメイトたちも一様に驚いていた。引っ越す直前の茅根ハルは、何かひどく憔悴している様子だったと、茅根と仲の良かった女子が話しているのを、俺は偶然耳にした。

 俺は何となく気になって、ある日の放課後、空き家になった茅根の家を訪ねてみることにした。茅根家(だった家)の近所はごく普通の住宅地なのだが、俺が訪ねた時はやたら静かで人気がなかった。まるで人々が家に閉じこもり、息を潜めているかのようだった。

 当然の話だが、人のいなくなった茅根家の門は閉じていて、内に入ることはできなかった。俺は辺りに人がいないことをいいことに、塀をよじ登って、中を覗き込んだ。草が生え放題になった庭の中に、いくつか穴を掘ったような痕跡があり、そして、ひとつだけこんもりと土山ができていた。

 その土山がマルタの墓だと、俺は直感的にわかった。爺さんを食ったマルタが殺されて、埋められたに違いない。俺はそのマルタの墓から目を離すことができなかった。

「おい、何してる」

 不意に、誰かが俺に声をかけた。近所の住民だろうか、七十歳くらいの老人が俺を睨みつけていた。俺は慌てて塀から飛び降り、逃げるようにその場を離れ去った。

 それからしばらくして、別の噂が流れた。かつて茅根の家族が住んでいた家の近くに、非常に巨大な野犬が出るという噂だ。実際に何人か近所の住民が噛まれ、大小の怪我を負ったらしい。しかし、保健所の職員や警察官が辺りを調べても、その巨大な犬を見つけることはできなかったという。

 俺はあれ以来、一度もあの家に近寄っていない。

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