No.03 茶色い封筒

 東京から実家のある広島に帰るため、新幹線に乗った時の話だ。

 指定席に座った私は、鞄から文庫本を取り出して膝の上で広げた。しかし、日頃の疲れのせいだろうか、ろくに文字を読むことができず、すぐにうたた寝を始めてしまった。

 新大阪のあたりで目を覚ますと、隣の席に見知らぬ男が座っていた。人の良さそうな顔をした細身の男で、白黒の縦縞のシャツの上から、灰色のジャケットを羽織っていた。男は前方の座席についた小さなテーブルの上に白い便箋を広げ、ボールペンを使って何か書いていた。このご時世に手紙を書くなんて珍しいな、と私は思った。

 私は文庫本を改めて開き、読書を再開した。だが、男がボールペンを紙の上で走らせる音が耳に入り、どうにも集中できなかった。

 悪趣味だと思いながら、私は男の書いている手紙をちらりと覗き見た。文字は小さかったのだが、丁寧な字で書かれていたので、何が書いてあるか読み取ることはできた。

 最初に、「殺す」という文字が私の視界に飛び込んできた。

 続いて、「死ね」という文字が見えた。

 私は咄嗟に手紙から視線を逸らし、文庫本を読んでいるふりをした。そして、しばらくしてから、男の横顔をそっと盗み見た。男は相変わらず人の良さそうな顔をして、手紙を書いていた。

 男は岡山で新幹線を降りた、と思う。新幹線が岡山駅を離れた時に、さっきまでいたはずの男は姿を消していた。不思議なことに、男が席を立った瞬間を、私は認識することができなかった。彼はいつの間にかいなくなっていた。

 そして、私は男が忘れ物をしていると気がついた。

 茶色の封筒が一通、座席の上に残されていた。封がしてあり、中に文書のようなものが入っていた。おそらく、さっき書いていた手紙だろう。封筒には「広島県広島市西区◯◯ ××-3」という住所が記されていて、郵送のために十分な金額の切手も貼ってあった。

 やがて、広島駅に新幹線は停まった。私は自分の荷物と封筒を持って電車を降りた。そして、駅の構内で目についた駅員に「忘れ物があった」と言って封筒を渡した。

 それから三日間、私は広島市の実家で過ごした。家の手伝いをしたり、友人に会ったりして時間を潰したが、その間も新幹線で見た光景が忘れられなかった。広島から東京へ帰る予定の日、私は駅へ行く前に例の「広島県広島市西区◯◯ ××-3」という住所を訪ねてみることにした。私は記憶力が悪いのだが、ほんの短い時間だけ目にしたその住所を、なぜかしっかりと記憶していた。

 スマホを頼りにして、例の住所の場所まで行った。近所に行くと、その住所が指し示す家がどれなのかは、すぐにわかった。

 なんの変哲も無い古めの一軒家だが、道路際に設置された郵便受けに、何十通もの茶色の封筒がぎゅうぎゅうに詰め込まれ、そのうち何通かは路上に溢れ落ちていたからだ。

 その様子を見た私は、踵を返し、足早に家から離れ去った。

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