闇の中で輝く飴の光沢はまるで毒にも見えて(3)
「那岐。お前、雪の試験に落ちたらクラン『天の門兵』に入れ」
――沈黙。
目を丸くした那岐が、冗談でも言っているのかというような顔をした。
「は?」
「言い方が悪いか? 那岐、雪の試験に落ちるようなら、俺もお前とパーティーを組もうとは思わない。那岐、落ちたら『天の門兵』へ入れ」
「に、二度も言わなくても……あの……浩一、正気なの?」
ああ、と那岐の問いに浩一は彼女をまっすぐに見つめながら頷いた。
――冗談ではない、という気分だった。
当然、那岐としては寝耳に水というわけでもない。
戦霊院那岐が天門院秋水の勧誘を断った以上、何か他にアプローチがあるとは予測はしていた。
ただ、それが浩一からだったのがとてつもなく意外だったのだ。
しかし那岐としてはあの
なにか理由があるのだろうか。握っている浩一の手を握りつぶさないように脳を冷静に保ちながら、心の中の善性を総動員して、浩一を信じる努力をする。
――那岐が怒れば、浩一を
それを知ってか知らずか、浩一は真顔で話を続ける。
「既に相手にも話をつけてある。というより、そういう条件で昨日、天門院春火と戦ってきた」
脈絡がない。すでに終わった話の了承を今、那岐にとっているように思えた。
「春火……天門院春火か。なるほど。あの子か」
春火と聞いて、なんとなく那岐も話が見えてくる。
天門院春火は『天の門兵』の副リーダーだ。そして天門院家の人間でもある。
戦霊院の次期当主たる那岐と、天門院の次期当主である秋水の仲を、浩一を使って春火が修正しようとしたのだろう。
そして、それを利用して、浩一が
はぁ、と那岐の口からため息を溢れた。落胆のため息ではない。納得を含んだ諦めのため息だ。
火神浩一については、クシャスラとの戦闘でそれはわかっていたことだ。この男は、自分の目的のためならば自分さえも犠牲にする。他人を犠牲にしても驚きはない。
(いえ、そうでもないか……)
火神浩一はあの戦いのときに那岐の助力を断った。そんな男が、那岐をこうも巻き込むとは思わなかった。意外ではある。那岐に対する遠慮がなかったことは。
――だが、どうしてか那岐にとってそれは……。
「……事後承諾ってのが気に入らないけど、まぁいいわ。
火神浩一が、遠慮せず那岐を
(私を賭け金として積み上げるなんてやるじゃない。それでこそ、パーティーリーダーってやつね)
那岐はどうしてかそれを嬉しく思うのだ。
そう、火神浩一は天門院秋水を気に入っているわけではない。自身よりも圧倒的に強い敵を殺せるこの男が秋水に屈するはずがない。
そんな浩一が那岐を交渉材料として差し出した。つまりは、浩一は那岐が雪の試験に落ちるとは露ほどにも思っていないのだ。
だから悪びれることもなく那岐をこの場で、こうして直視していられるのだろう。
「それだけか?」
「もう少し騒ぐと思った?」
浩一にとって、那岐のこの反応は意外だったのか、おうと彼は頷いた。
「私も不思議だけどね……まぁ、たぶんこの感情は浩一にはわからないと思うから」
そう、これは那岐も同じだ。自分はもう少し浩一に食い下がるかと思ったが、そんなことはなかった。
聞いた瞬間は殺してやろうかという気持ちもあったが、こうして冷静になれば、裏切られたとは全く思わない。
あるのは浩一から信頼されているというほんの少しの嬉しさと、雪の試練への闘志だ。
自分が試練を乗り越えることで、天門院秋水と東雲・ウィリア・雪の二人の鼻をあかせるのだ。
「次からは事前に言ってね。で、それよりも春火と戦ったってことはブレイズガードナー使ったんでしょ?」
「ん、ああ、あれな。使ってみたが壊れた際の再展開が――」
試験の内容はわからない。
しかし、浩一と話しながら那岐は決意する。
あらゆる努力を惜しまない。必ず試験を突破し、浩一の期待に応えてみせるのだと……――。
那岐の微笑みに、浩一は困惑しながらも那岐がたいした説得をせずとも納得したことにほっとした顔を見せた。
◇◆◇◆◇
全ては上手く行っているように見えていた。
火神浩一の視点ではそうだった。
新しい技術を手に入れ、強者と戦い、新たな友と交流する。
確かな地歩を築き、着実に目標に向かって歩いて行く。
その果てに、叶うはずのない竜殺の夢を叶うと信じて。
――しかし、その道中には暗い影が落ちていた。
栄光には陰がある。光が強いほどに陰は暗く淀む。
とある場所に男がいた。美しい青年だった。
青年は椅子に座りながら嗤っていた。PADの通信画面をいくつも開き、それらに対して楽しげに指示を出している。
「まさか戦霊院那岐があそこまで愚かとは……くく、まぁいい。俺にとっては好都合」
戦霊院那岐が愚かな試験を受ける。それに落ちれば自身の物になる。それを聞いたための愉悦。
あまりにも自分に都合の良い出来事だったために、男は情報の確認のために人を何人も使ったぐらいだった。
とはいえ、情報の裏をとるのにそう苦労はしない。
那岐が雪と話していた場所は他に人もいる喫茶店であったためだ。
誰かが録画していたのか、そのときの映像も出回っており、試験については男が何をせずとも、那岐の愚行として学園都市中に、枯野に火がつくように噂が広がっていた。
――加えて、愚かな妹の成果が目の前にある。
男の前には火神浩一と戦霊院那岐の連名で出された電子契約がPADを介して表示されていた。
内容は『天門院春火との契約戦闘に関する条項』。『戦霊院那岐が東雲・ウィリア・雪の課す試験に失敗した場合、天の門兵に加入する』旨の証明書類だ。
「あ、あの――」
男に声をかける少女がいた。男の前の床に頭を擦りつけていた銀髪の美少女は土下座の体勢から恐る恐る顔を上げ、その口に男の革靴の先端が即座に叩き込まれた。
「おい、愚妹。俺はお前に喋る許可を与えていないぞ?」
うごぉ、と歯が砕ける音と共に少女がえずく。そこに振り下ろされるように男の踵が後頭部に叩き込まれる。
金属骨格を貫通し、少女の脳に衝撃が走る。そのまま額が床に叩きつけられ、額の皮膚が弾ける音がした。
少女の呻き声。だが男はなんの感慨もなく、表示したウィンドウに視線を向けていた。
「さて、楽しい楽しい謀略の時間だ。ダンジョン管理課に連絡をしないとな。俺からの命令だと。いくつか操作をしてやろう。管理官どもには何も聞かずにその通りにやれとも。くく、くくく、俺は東雲の娘のことを知らないがな。火神浩一。いまさら全てをなかったことになどさせはしないぞ」
男がPADを介して実際に指示を出していく。通話の先では困惑した声でいくつかの反論がされたが、男が強く言うたびに渋々了解という言葉が帰ってくる。
その様を、後頭部を男の足で踏みつけられながらも、少女が額から血を流しながら目だけをぎょろぎょろと動かして眺めていた。
各所に指示を出し終えた男は、そんな少女を冷たく見下ろし、思いついたように嗤って言った。
「そうだな。
部屋の隅に控えていたグランと呼ばれた男が、男――天門院秋水の言葉に動き出した。
グラン・
重鎧を着込んだ
「おいグラン、なんだそれは。我が愚妹たる春火には罰を与えているだけだ。まったく下衆共の慰み者にしなかっただけ喜んで欲しいものだが――本題だ。グラン、お前にも指示を出しておくぞ」
秋水のどうでもよさそうな声に、グランは歯を食いしばるようにして言葉を絞り出した。
「……それで春火様の罪は帳消しになるのでしょうか? 秋水
「帳消し? ああ、それでいいよ。我が妹が愚かなのは生まれた瞬間から決まっていることだしな。とはいえ、格下に百敗したなど俺だったら憤死しかねないが。くくく、おい春火、生きてて恥ずかしくないのかお前は」
秋水は妹の頭を足の置き場にしながら、椅子の上で愉しげに口角を歪めた。
春火がアリシアスに漏らした情報は天門院にとっては流出されては困るものだったが、もうすぐ那岐が配下となるのだ。その喜びがあればこそ秋水も春火を殺さずに済ませることができた。
とはいえアリシアスの詐術に引っかかった妹をただで許すつもりはなく、こうして嬲って遊んでいる。
――それをグランは悔しげに眺めるしかできなかった。
火神浩一と同門、相原流にて主将を務めるグラン・忠道・カエサル。
彼自身Sランクに近く、オーラの出力はともかく同年代の学生の中では武技においては敵はないと自負していたが、彼をして天門院秋水には勝てるイメージが全く湧かなかった。
あれだけ隙だらけに春火を嬲っているというのに、ここでグランが秋水を倒すべく剣を振ろうとも、自身の攻撃が命中するイメージが全く湧いてこない。
(秋水様……底がまったく見えない。恐ろしい方だ)
それに、とグランは秋水の背後にひっそりと控えている二人の少女を恐怖の目で見た。
グランが秋水に襲いかかれば、この二人が即座にグランを始末するだろう。
(春火様……)
グランは、天門院春火に憧れている。
天門院家の分家たる忠道、その次期当主であるグランが持つ強い感情がある。
(相原館で火神と戦っていたと知っていれば俺が止められたものを……申し訳有りません)
誰も知らないが、彼の天門院家への忠誠は春火に向けて捧げていると言っても過言ではない。
だからグランとしてはこの場ですぐに春火を助けたいが、助ければ恐らく春火の立場はもっと悪くなる。
(貴女が戦う必要などなかったというのに……貴女が俺を呼んでくだされば、火神は俺が潰していたものを)
この原因である火神浩一をグランは心の底から憎んだ。あの男さえ余計な事をしなければ春火はずっとアイドルとして輝いていたのだ。
「グラン、そうだなお前に命じるのは――」
グランの内心などどうでもいいというように秋水は嗤いながらそれを言った。
春火の悲鳴に心動かされる様子もなく、浩一を害し、那岐を陥れる策略を秋水は組んでいく。
その手際は流石天門院の次期当主だ。学園都市の政治の裏から、堂々と縦横無尽に豪腕を振るっている。治安維持の元締めたる天門院家の次期当主が行使できる権力は一般市民が思うよりもずっと巨大だ。
「ではグラン。それと愚妹たる春火。火神浩一の
そう、人間の
しかし浩一を殺す指示を出した秋水の言葉に、那岐への策略ほどの熱はなかった。
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