闇の中で輝く飴の光沢はまるで毒にも見えて(2)


 シャワーを浴び、風呂場から出てきた浩一は小さなテーブルが置かれたリビングへと着流しを一枚着て、入ってくる。

「ご飯できてるよ」

「ああ、ありがとう」

 浩一に顔も向けずにテーブルに雪は料理の盛り付けられた皿を並べていく。

 全て予め雪が作っていた料理だ。

 PAD内の食事用のインベントリに作った直後の温度を維持しつつ収めていたので温かいままだ。

「いただきます」

「うん、召し上がれ」

 両手を合わせてそう言った浩一は、ナイフとフォークを手にとった。

 そんな浩一を見て、雪は楽しげに微笑むと彼女も夕食を食べ始めるのだった。


                ◇◆◇◆◇


 ガツガツムシャムシャと音を立てて雪が作った料理が数を減らしていく。

 遅くに帰宅したことに加え、時間はそこそこに遅い。

 肉体改造を行っているため少ない睡眠時間でも十分に活動できる雪と違い、生身の浩一は(いくらか睡魔を誤魔化す技術があるとはいえ)それなりの睡眠時間を確保しなければ明日が辛い。

 そのためか黙々と浩一は雪手製の夕食を片付けていく。

 分厚い猪突豚のステーキを付け合せの野菜と一緒に大口で頬張り、大量に茹でられたスパゲッティーをずるずると飲み込むように食べていく。ガブガブとコーンスープを飲み干し、それに雪がおかわりを注ぐ。

 ふふ、と雪は微笑む。幼馴染である浩一の食べっぷりは見てて気持ちがいいものだ。

 ああ、そうそう、と雪は自分の食事をしながら浩一に言った。

「単位のことだけど、いくつか確実に落ちてるみたいだし、アリシアスさんと相談したよ」

 ずるずるとスパゲッティーを啜っていた浩一だが、その言葉を聞いた途端に、気まずそうに食事のペースが落ちた。

 どうしてそんなことを、とは言わない。

 浩一の失敗を雪がどうにかしたという報告を今受けているからだ。

 フォローして貰ったのに文句を言うようでは男として、というより人間としてダメだという自覚はあった。

「アリシアスさんのコネで何人かの教授にレポート提出で出席の免除をしてもらったよ。資料も集めといたから、読んでちゃんとレポート書くこと」

 おう、ありがとうと食事を止め、雪に頭を下げる浩一。

 こういった手配をしていたのに先ほど何も言わなかった辺り、アリシアスはやはりアリシアスだ。

 あの少女は浩一が気づかないようにいくつものフォローをしている。そしてそれは別に浩一が頼んだり、願ったものではない。


 ――やりたいことを勝手にやる。


 それがアリシアスという少女だった。

 浩一に対して多少の打算的な面が見える雪と違い、アリシアスの場合は打算が見えない。

 そこには浩一が気づかないならそれでいいという微かな満足感が見えた。やるべきことをした、彼女にとっては浩一に対するフォローはそれだけのものなのだ。

 雪とアリシアス、この二人に優劣はない。

 雪はあれをしたこれをしたと、浩一に足りないものを気づかせ、微かなものでも成長を促そうとする。

 アリシアスはただただ浩一の足りない部分を静かにフォローし、フォローしたという事実にすら気づかせない。

 二人の目的と行動は浩一を支えることで一致していた。

(……努力しなければな……)

 雪が差し出してくるスープ皿を掴み、一切のマナーを捨てて、野蛮人のように直接飲みながら浩一は己の幸運を噛みしめる。

 己は幸運であると。

 どこの誰がここまで素晴らしい人間に支えてもらえるのだろうかと。

 だからこそ、成し遂げなければならない。願いを果たさなければならない。

「浩一。食べたらメンテもしちゃお。なんか昨日調整したばっかりなのにちょっとずれ・・てるみたいだし」

 雪の言うそのずれ・・はきっと自身のオーラで治療した分だろうなと分厚いステーキ肉を頬張りながら浩一は思った。

 サポートは一流だ。雪に不足はない。アリシアスに不足はない。

 だが今日浩一は負けた。Sランクに敗北した。

 不足は己の内にしかない。

 誰に責任を押し付けられるわけでもない。

 いつかきっと。いずれどこかで。そんな言い訳はいらない。


 今日、ここで。

 今、この場で。


 この決意だけは絶対に忘れてはならない。

 生死のかかった戦場で次の機会など存在しない。今しかないのだ。

 心だけはそのことを忘れないでいようと浩一は誓うのだった。


                ◇◆◇◆◇


 翌日のことだ。朝食を食べ、自宅の入り口で雪と別れた浩一は五十七区、第七商店街にある喫茶店に向かっていた。

 それは浩一がとある人物に呼び出されたからというのもあったが、天門院春火との試合で溶解した飛燕の代わりの調達の為に、ドイルの店に行く必要があったからだった。

 だから浩一は待ち合わせをドイルの店と同じ五十七区にしてもらっていた。

 とはいえ今から行く場所は第七商店街のの目立つ位置にあるドイルの店と違い区画の隅にある目立たない喫茶店だ。

 体内ナノマシンから、視界に表示させたガイドによるナビゲートにしたがって、浩一は街中を歩いていく。

「ここか……」

 ナビゲートで店の場所は確認しているため、店名などは見ずに浩一は中に入っていく。

 中は明るい基調の普通の店だった。浩一が入店するとすかさずウェイターが応対のために向かってくる。

 下手な自動機械は人間を雇うより高い。それとも雰囲気を重視したくて人間を雇っているタイプの店だろうか。

 そんなことを考えながら、浩一は「いらっしゃいませ」と丁寧に言ったウェイターに対して口を開く。

「火神という者だが……連れが先にいるはずだが」

 浩一は待ち合わせの人物の名を口にはしなかった。ただ相手はそれで理解したのか顔を強張らせた。

「こ……こちらです」

 男の店員は浩一を奥へと案内する。

 バイトだろうにそれなりの職業意識はあるのか、平気そうに振る舞っているが、腕が緊張で微かに震えている。

 それは浩一ではなく、浩一を待っている人間に緊張しているからだ。

 それを責める人間はいない。店員の年齢から推測するに、男は学生バイトだ。

 そんな人間が浩一を待っている人間を前に平静でいられるわけがない。

 店員に案内されながら浩一は店内に目を配った。席と席の間には小さな衝立があるが、それで全てが隠れるわけでもない。ちらほらと他の客の頭が見える。

 ここは武具店の多い地区だ。

 武器を注文している間の時間つぶしか、それとも誰かと待ち合わせでもしているのか、学生が話している声が聞こえてくる。

「正宗重工の新作がさ――」「やっぱアインヘリヤルは高いよ。工匠ハルイドの安いやつで――」「SENREIの古いやつがオークションでさ――」

 聞いたことのあるメーカー名に浩一の心が傾く。武具の話は好きだ。混じって討論を交わしたいと思うものの、装備の使用感についてまでは話せない。

 金がないから飛燕と峰富士智子の所の実験器具ぐらいしか振ったことがないからだ。浩一の修練先である相原館で振るえるのは木刀ばかり。

にわか・・・になっちまうからなぁ)

 これでメンバーの多いクランに入っていればいろいろな武器に触らせてもらえたのだろうかと意味のない仮定を想像し、浩一はほんの少しだけ立ち止まる。

「お客様?」

 立ち止まった浩一を不審に思ったのか、不思議そうな顔をした店員に浩一はなんでもないと告げ、再び歩き出した店員の後ろについて、席へ向かう。

(俺がまとも・・・であれば、もう少し選択肢もあったんだろうか……)

 そこまで広くない店だ。すぐにその席にたどり着いた。

 入り口からは見えない位置にあるテーブルに彼女がいた。

 戦霊院那岐。未だ正式にパーティーを組めていない少女。彼女が浩一をこの場に呼んだのだった。

 彼女は浩一の顔を見て、嬉しそうに手を振ると自身の正面の席へ座るように促してくる。

「浩一! 悪いわね。わざわざ呼んじゃって」

「いや、俺も那岐に用事があった」

 店専用の機器を使って、水とグラスを浩一の前に転移よびだしたウェイターは頭を軽く下げ、去っていく。

「私に用事ね。先に浩一そっちの要件から済ます?」

「いや、那岐から言ってくれ。お前の話を先に聞きたい」

「そう。そうね……あのね」

 那岐の前にあるのは紅茶にケーキ。しかし手をつけてはいない。

 浩一が来るまでに時間はあっただろうに手をつけていなかったのは浩一を待っていたからではないのだろう。

 那岐の喉に小さく震えが見える。少しの緊張感。

 浩一が話を聞く姿勢になったと見るや、那岐は身を乗り出すように浩一に問いかけた。

「ねぇ! 私って、東雲さんに嫌われてるの!? なんかすっごく反応悪かったみたいなんだけど」

 ああ、どうしよう、あの条件での試験ってどれだけ嫌われてるのかな、ねぇ、大丈夫なの私? と彼女は一息に言い切ると、ああ、ほんとどうしよう、とテーブルの上にあった浩一の手を那岐は強引に両手で握った。

 めきり・・・と握られた手から骨の折れる音がして、浩一は無言でオーラによる骨の強化と治療を行った。咄嗟過ぎてうまく力を逃せなかった。とはいえ、この程度の治療ならばそこまで体内オーラを消費しない。

 苦痛を顔に出さずに浩一は口を開く。

「雪とお前は別に相性は悪く無いと思うけどな。嫌悪にしろなんにしろ雪が感想を持った人間ってのは少ないから、那岐はかなり貴重な部類だと思うぞ」

「嫌悪!?」

 がーん、と表情を凍らせる那岐。くく、とそんな那岐を浩一は笑った。

 適当にメニューから注文を決め、呼んだウェイターに浩一は注文を告げると、それに、と続ける。

「雪相手なら嫌われた方がまだましかもな。あいつの愛は、重いぞ・・・

「好かれたほうが嫌われるよりマシじゃないの?」

「どうだかな。あいつは極端だからな」

 極端? と首を横に傾げた那岐は浩一の手を指でなぞりながら問いかける。

「で、東雲さんが私に出した試験なんだけど。何かヒントとかない? っていうか、能力を制限して何か意味あるの?」

 雪の試験。ダンジョン探索。それも能力を制限して、格上のダンジョンに挑むという狂気の所業。

 浩一としてはあまりやってほしくない。雪も那岐も大事な友人で幼馴染だ。死んで欲しいとは思わない。

 とはいえ、彼女たちがやると決めたのだ。

「能力制限に意味はあるといえばあるし、ないといえばないが、俺から言えることは……」

 浩一は、口を噤んだ。さて、なんと言うべきか。

「言えることは? 何?」

 那岐には発破を掛けなくてはならないだろう。

 この後にする話を円滑にするためにも、天門院春火との試合の代償。那岐の『天の門兵』への加入の説得。

 那岐に無断で決めたことだ。怒らせないために事前に、多少機嫌を良くしてもらう必要がある。


 ――それに、それ以外にも……。


 雪の顔が浩一の脳裏に浮かんだ。朝に別れたときではなく、浩一を追いかけてこの都市に来てしまった雪と再開したときの顔だ。

 素直な気持ちで浩一は口を開いた。

「那岐、雪と向き合ってくれ。あいつに必要なのは、那岐の性質なのかもしれない」

「はぁ? あの、試験については?」

「俺が教えたら意味がない。というか、教えたら雪が問答無用で不合格にする」

 ああ、やっぱりと那岐が肩を落とした、そもそも浩一に期待はしてなかったようで浩一も安心する。そういった甘えを雪は許さないだろうからだ。

「あー、で、浩一の用ってなんなの?」

 ん、ああ、そうだなと浩一はできるだけなんでもないように振る舞いながら言う。

「那岐。お前、雪の試験に落ちたらクラン『天の門兵』に入れ」


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