闇の中で輝く飴の光沢はまるで毒にも見えて(1)


 道場の床に座り込んだアリシアスを、浩一は膝の上から見上げていた。

「負けましたわね」

「盛大に負けたな。いやぁ、負けた負けた」

 ははは、と傷の痛みが強く、未だ立ち上がれない浩一がアリシアスの膝の上に頭を載せたまま楽しそうに笑った。

「楽しそうですわね。全く」

 浩一の目には呆れた顔のアリシアスの顔が見える。人形にも似た透徹とした表情は崩れ、年頃の少女らしさが見えている。

「殺されずに格上の本気を体験できたんだ。俺にはしかなかった」

 アリシアスの指が浩一の頬を軽くつまむ。ぐにぃ、と引っ張られ、浩一はぐぬ、と口から呻き声を漏らした。

「何が『報いるよ。必ず』ですの」

 浩一にとって、久しぶりのアリシアスの膝枕だ。

 『至高なる看護』。一応はそんな名前のついた仰々しい行為。

 アリシアスはまだチャイナドレスを着ていた。

 浩一はチャイナドレスの薄い布越しに膝に頭を預ける行為にどこか気恥ずかしさが湧き出てくるものの、アリシアス自身の強引さや、身体が動かないこともあって浩一はされるがままだった。

 身体を覆い、じわじわと傷を癒やす『青』の板が心地よい。

 夢見心地のような感覚の中で浩一は決意を言う。

「すまん。次は必ず勝つ……とは言えないが――」

 目を瞑った。足りないものはわかっている。オーラだ。オーラさえあれば強引に傷を癒して防具であるブレイズガードナーを展開できた。ブレイズガードナーを展開できれば炎に飲まれながらも動ける身体で対策・・が使えた。

 ぎり、と歯が軋む。どうすれば勝てるかわかっていても、どうやればその対策が使えるのか。未だ浩一には思いつかない。

「なぁ、アリシアス」

 はい? と楽しげに浩一の髪を弄っていたアリシアスに浩一は問う。

「オーラ不足ってのはどうすればいいんだろうなァ……」

「そうですわね。改造すれば、とは当然言えませんわね。浩一様でしたら薬で一時的にブーストするか、それとも――」

 じぃっと浩一を見下ろすアリシアス。どうした? と浩一が問えば。ぷいっと彼女は顔をそむけた。

「……なんでもありませんわ。まだ浩一様と決まったわけではありませんもの」

「意味深なことを言うだけ言ってそのままというのは気になるんだが」

「言って理解できるとは思えませんもの」

 そうか……と浩一は目を瞑り、アリシアスはそんな浩一を見ながら宙に暫く視線を這わせ、ポンと小瓶を転移させる。

「とりあえず、こんなところですわね」

 浩一の顔の横にことんと置かれる錠剤の入った瓶。薬品名の書かれたラベルも張ってない品だ。学園都市の正規品ではないのか。

「適当に今、浩一様用に処方・・しましたわ。飲めば一時的にオーラの最大値を上昇させます。連続して使用すると死ぬほど苦しいので気をつけて使ってくださいな」

「それは死ぬほど苦しいで済むのか?」

「訂正します。三錠使えば死に至りますのでご注意くださいませ」

「そうか。ありがとう。それで、な」

 はい? と浩一の硬い声に首を傾げるアリシアス。

「頭を撫でるのはやめるんだ。気恥ずかしい」

「そうですの、ふふ」

 微笑んだアリシアスが、膝の上で動けない浩一の頭を楽しげにゆっくりと撫でる。

 アリシアスの治療はゆっくり且つ丁寧で浩一の身体は未だ動かない。

 年下の少女にされるがままという状況は、浩一にとってむず痒いものだった。


                ◇◆◇◆◇


(しかし、天門院春火の扱う炎は攻略難度が高いな……次に習うオーラの攻撃方法であれの突破方法がわかれば楽なんだが……)

 アリシアスと別れた浩一は自宅方面の歩行者用道路を歩きながら、溶岩化した人間を斬る方法を考えていた。

 これは別に天門院春火相手に火神浩一の戦術を特化させるということではない。

 発揮できなかったが、春火の攻撃に対処するだけならば、浩一は既にその技術を持っている。

 今後は、ああいった攻撃を使う敵に対しての識別ができるようになれれば、技術を発揮せずに殺されるという無様を晒さずに済むだろう。

 問題は別だった。

 春火のような敵を浩一が攻撃する技術を、浩一が持っていないということだ。

(溶岩人間か……どう斬ればいい?)

 溶岩人間と言うが、あれは周囲の温度を上げているわけではない。

 接触面は多少の温度の高さはあったが、アシャのように全身が焦がされるような苦しさは感じなかった。

 ブレイズガードナーが熱を多少軽減していただろうが、それでも飛燕が溶けた・・・のは熱ではなく、春火が身体に展開していた『溶』の属性だろう。

(いや『火』か? それとも『炎』か? まぁどれでもいい)

 浩一は考える。天門院春火を殺すだけなら手段はある。月下残滓にオーラを纏わせて爆圧で吹き飛ばすだけで十分だ。

 クシャスラを絶命せしめた必殺をぶつければいい。

 モンスターと人間は違う。耐久力には限りがあるし、再生力も圧倒的に劣る。あのオーラの爆圧の威力ならば、人間一人をオーバーキルするには余りあった。

 だが、それでは自分でどうにかしたとは言えない。

 あらゆる敵を一つの攻撃で一辺倒に処理してしまえばそれは後の禍根だ。

 弱い・・浩一はきちんと理を持って敵と当たらなければ、どこかで武の道は途切れ、その生は終わってしまう

 醜くも武にしがみつくなら、武の理を学び、それぞれの敵と対面し、しっかりと対処していかなければならない。


 ――でなければ、きっとあの黒竜を殺すことなど夢のまた夢だ。


 それに、武器の性能に頼り切るのは月下残滓に失礼だった。

 それでは如何に月下残滓が良い刀であろうともいずれ浩一が月下残滓を裏切ることになるだろう。

 さてはて、どうするべきか。恐らく要諦は掴んでいるのだ。

 攻撃も、治癒や強化とやり方は同じで、オーラ操作の秘奥の延長であるはずなのだから。

「ただいま」

「おかえり。遅かったね」

 浩一がそんなことを考えながら家に帰れば居間の座布団に座っていた浩一の幼馴染である雪が身体をそのままに顔だけ向けて、迎えてくれた。

 雪はPADでバラエティー番組を表示しつつ、スナック菓子を摘んでぼうっとしていたようだった。

 浩一が戻ってくる間に風呂にも入ったのか、水気を残した髪を頭上で纏め、つるりとした首筋が見えている。

「ご飯できてるけど食べる? それとも先にお風呂入る?」

 治療中に軽くアリシアス手製の軽食を食べたが、大量に戦闘をして、大量に燃やされ、大量の怪我を治したので腹は減っている。

 意識をすればぐぅ、と浩一の腹から音が鳴った。雪が微笑んで立ち上がるも、浩一は身体の臭いが気になった。身体に戦いの臭いが、未だ残っていたからだ。洗い流したかった。

「先に風呂だな」

 そして浴室へと向かおうとして、立ち止まる。思い出したことがあった。

「ああ、雪。那岐はどうだった?」

 浩一の質問に雪は目をパチクリとさせ、えーと、と考えながら口を開いた。

「どうって、なんというか厄介な人だね。めんどくさいというか、鬱陶しいというか」

 くく、と笑う。基本的に、誰とでも仲良くなる雪が面倒臭がる相手はいない。

 しかし誰とでも仲が良いということは誰とも仲良くならないということ。

 雪にとって・・・・・浩一と家族以外の他人はそういうものだ。

 そんな雪が鬱陶しい・・・・と那岐を評した。

 少しの期待が浩一の中で膨らむ。那岐は意外にもやる・・のかもしれない。

「どう思う? 那岐は使えそうか?」

 対する雪の目は冷たい。使えないよ、と呟いた。

「あのひとは浩一のためにならないと思う。でもしつこいから試験します。ダンジョンと道具借りてきたから、やるよ・・・

「そうか。誰もやらなかったからお前の妄言で終わると思ってたけどやる・・のか。本気で」

 試験――かつて浩一は雪にそんな許可を求められたことがあった。浩一のパーティーメンバーにするための試験だ。

 だが、そのときの相手は内容を聞いただけで狂ってると雪を罵って去っていったために、結局試験は行われることはなかった。

 だが浩一はそんな行われなかった試験の内容を覚えていた。

 雪の言い出した試験とは、戦闘力を浩一と同じにまで下げ、高難易度ダンジョンを雪と共に踏破すること。

「しかし、また人形用意したのか」

「うん。前回の奴使わないで残ってたし、データとパーツちょこっと入れ替えるだけでよかったしね」

 ダンジョン探索は遊びではない。一歩間違えれば本当に死ぬのだ。

 この世界では死は絶対だ。死ねば復活することはできずただ朽ちるだけ。

 そんな世界でそんな狂気染みた行動を浩一たにんのために率先してできる人間は存在しない。

 浩一の目の前にいる少女以外には。

「それで那岐は了解したのか?」

「うん、したよ。浩一の与えた熱がそれほど大事なのかな?」

 雪が浩一に向かって腕を伸ばした。浩一の腕に指を這わせ、胸元にまで指を動かした。その奥には皮膚と骨と肉を越えて、鼓動を刻む心臓がある。

 雪は呟く。

「殺害志向の与える熱なんて、妄想でしかないんだよ。本物じゃない」

「だが熱い。身体はいつだってな。そして心もだ」

 殺害志向――想う先に奴がいる。そのためならば浩一はなんだってできる。

 那岐がこうして雪の出す条件を受けたのもきっと同じ気持ちだからだ。


 ――だから浩一は、那岐の行動を制止しようと思わない。


 そうだ。なんだってしてしまうほどに、この熱を生み出す感動は尊い。

 なんだってできてしまうほどに、この熱が生み出す情動は貴い。

「雪、死ぬなよ・・・・。最悪、試験なんてどうでもいいんだ」

どうでもよくない・・・・・・・・。私が浩一をどれだけ大事に思っているか、浩一にわからないはずがないでしょう?」

 浩一を見上げる瞳に交じるのは必死の色だ。それに、と雪は付け足す。

「私は何があっても死なないよ。私が死ぬのは浩一の後って決まってるんだから」

 だって、と雪は笑う。

「私が死んだら誰が浩一を助けるの?」

 そうだな、と浩一はにやりと笑う。

「お前が死んだら誰が俺のサポートするんだ?」

 アリシアスも那岐も浩一を助けてくれる。

 だが、全てを投げ出してまで助けてくれるのは雪だけだ。

 ここまでついてきてくれたのは雪だけだ。雪に全面的な信頼を預けるには、その事実だけで浩一にとっては十分すぎた。


 ――だが……しかし。


 それを喜べるかと言えば――。


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