人間模様は歪に丁寧に(1)


 秋水が未だにはかりごとを巡らせる部屋から出たグラン・忠道・カエサルが大きく息を吐きだした。

 その背後には天門院春火が秋水に踏みつけられ、痛む額を押さえるように、頭に手をあてて黙って立っている。

 皮の抉れた額からは未だに血が滴っている。情報処理のために落ちた血は落ちた端から体内ナノマシンによって処理されるものの、それでも血は流れ続けていた。

「春火様、移動しましょう」

 グランは春火に声を賭けつつ、ハンカチを手渡した。受け取り、血の滲む額をハンカチで抑えた春火は頷き、グランのあとをついていく。

 お互い気持ちは同じだった。

 早く秋水のいる部屋から離れたい。天門院秋水の本性を知る二人に対して、秋水は仮面を被らない。

 秋水を深く知る二人の前において、秋水は気前のよいクランリーダーではなく、残酷な陰謀家として接するからだった。


                ◇◆◇◆◇


 グランの目の前には身体を清め、新しい服に身を包んだ天門院春火がいる。

「グラン、ごめんなさい。こんなことになっちゃって」

 銀髪も鮮やかな春火がぺこりとグランに向けて頭を下げた。

 ふわりと秋水の使っているものに似た柑橘系の臭いが鼻に届く。硬質な秋水のそれと違い、春火らしい柔らかさの混じったそれはグランといえど心を震わせるに十分な感動を与えてくれる。

 春火の傍にいるという興奮と動揺を必死に鎮めながらいえ、と首を振るグラン。

「大丈夫です。慣れていますから」

「慣れてるって、私のフォローが? それは失礼なんじゃない?」

 にこやかに、だがすねたような春火に怒りの気配はない。それでも違います、とグランは即座に否定した。

「秋水様の無茶振りです。私にとってはいつものこと、というわけでッ……!」

「わかってるって、そんなに必死にならなくても大丈夫だってば」

 にしし、と笑う春火がPADからミネラルウォーターを転送して口をつけた。艶めかしい色の唇。グランの心が揺れる。

 ここには誰もいない。春火の信頼の証だ。だが――いかんいかんと邪な思いをグランは強い忠誠心で鎮めた。

 天門院の分家である忠道の次期当主たるグランは、天門院家の次期当主である秋水を主としている。

 だが、グランの心は春火の臣だ。

 圧倒的なカリスマで他者を従わせる秋水と違い、春火には守ってやらねばと思わせる魅力と、姿を見ただけで、声を聞いただけで他者を魅了する権能スキルがある。

 その心の動きが春火の脳に仕込まれたスロット『技芸神ミューズ』によって増幅された『絶対魅了』による影響であることを、天門院においてそれなりの地位にいるグランは知っている。

 知っていてなお、操られているという感覚は薄い。守りたいものは守りたいのだ。

 この感情が春火に呼び起こされたものだったとしても――自分の感情であることは代わりがないのだから。

 それに生まれてより秋水の後塵を拝し続けてきた春火がこのまま秋水に人生を使い潰されるのは、どうにも悲しかった。

 天門院に関わる者として、自分の努力でそれをどうにかできるならどうにかしてやりたいとグランは思っている。


 ――たとえその結果、どこかで自分が死ぬのだとしても……。


                ◇◆◇◆◇


 少しの沈黙のあとに、二人は本題に入ることにした。春火だって別に自身の無様な姿をグランに晒し続けたいと思っていたわけではない。

 それなりに親しいとはいえ、春火とグランの関係は主従だ。秋水の下という共通点があっても、二人の身分は天地ほどに分かたれている。

 部屋の前で別れて終わりのはずの二人がこうして別室に籠もって話し合うにはそれなりに理由があった。


 ――そう、任された暗殺計画についてだ。


「グラン。それで、どうするの? 火神くん――火神浩一に勝てると思う?」

「はぁ、勝てるかと聞かれたら確実に勝てますが? もしかして殺せないという意味ですか?」

「いえ……そういう意味じゃないのよ。火神浩一、彼って……」

 浩一に明確に勝てると自身の存在で示すグランになんと伝えようかと悩む春火の脳裏には、手加減していたとはいえ自身に百勝した浩一の姿が映っている。

 手加減・・・――なんと便利な言葉だ。

 あれが本当の戦闘で、本気の浩一が本気の攻撃を打ち込んでいたなら、もしかして春火は死んでいたのだろうか?

(殺されていた……初撃で彼の所持する『月下残滓』で斬りかかられていたら、殺されていた)

 アリシアス・リフィヌスが火神浩一に与えた名刀の情報は入っている。春火の肉体が溶岩化していたとはいえ、Sランクを超える武装であるならば耐えて切り裂くぐらいは可能だろう。

 そもそも春火の溶岩化は主能力の副産物・・・でしかない。春火は近接戦闘を得意としない。前衛かべの背後に籠もって、音で焼く・・・・のが春火の仕事だ。

 加えていえば、春火はあの戦いで浩一の手の内を全てさらけ出させたわけではなかった。

 追い詰められて本気を出してしまった。故に、浩一に何もさせずに叩きのめしてしまった。

 春火は全てを見せた。だが、浩一には春火に見せていない隠し球があったのかもしれなかった。


 ――次は殺されるかもしれない……。


 明確に殺しにくる春火に対して、浩一もまた躊躇は捨てるだろう。闇討つというならば、一撃で殺されなければ逆襲されるのは春火たちだ。

 そんな恐怖が春火に浩一と戦うことを戸惑わせる。

 そんな春火に対し、グランははぁ、と溜息を吐いた。呆れたような音だった。

 春火は不思議そうにグランを見る。そんな春火にグランは言う。

「春火様にまでこんな命令がどうしてくだされたのかわかりませんが。火神浩一を殺すだけなら簡単です。私一人でも十分なほどに」

 そう、火神浩一に勝つだけなら簡単だ。


 ――真面目に戦えばいいだけです。


 グランの言葉に春火は驚いたように目を見開いた。

「簡単です。最初から全力で、手を抜かずに、身体能力差とスロットと武具と、出し惜しみせずに持っているもの全てで押しつぶすだけです。浩一あれは技術においては我々のうえを行くかもしれませんが、手札という意味では私たちの方が多いのですから」

 その言葉で春火は理解する。侍の道場に通っているが、グランの専攻科は騎士だ。

 騎士系統の武技は当然身につけていた。

 特に身軽さに重点を置き、軽武装を主とする侍が苦手とする全身鎧や、大型盾での戦闘。それはグランの得意とするところだった。

 加えて言えば、殺人への忌避性――


                ◇◆◇◆◇


 ――グラン・忠道・カエサルは暗殺者だ。


 春火の前で浩一相手ならば余裕だと語る彼は、こうして秋水から殺人の依頼をされたことは一度や二度ではない。

 秋水の走狗となり天門院が邪魔だと思う者を殺すことは、グランにとっては手慣れたものだった。

 それが後輩たる火神浩一というのは不運という他なかったが。

(いや、不運でもなんでもないな)

 複数の流派の奥秘を会得したグランが相原流を選んだのはかつてのナンバーズが使っていた流派以上の理由はない。

 その先で見目麗しい師範に心の少しを奪われ、それに寵愛される浩一を妬んだこともあったが、それも些細なことだ。

 別に火神浩一が相原桐葉と親しかろうがどうでもいい。重要なのはグランが相原流の奥秘に触れられていないことだ。

 型も武技も教わった。しかしその先は主将となっても教わっていない。

 自分は分家だ。宗家たちのように金のかかった改造を行うことはできない。

 だから武芸を学び、状況への対応力を上げ、静かに実力を積み上げてきた。

 だから奥秘に触れられない相原流でグランは無駄な時間を過ごしている、と思っている・・・・・

 奥秘の手ほどきを受けても良いレベルだという自負もある。

 ならば……。

(この機会を利用するか?)

 あの女師範の言葉を思い出す。自分が賢しいから相原桐葉はグランに奥秘を教えないのだと言う。

 あれは強者だ。グランごときでは、ねだっても脅しても相原桐葉のスタンスは変わらないだろう。

 ならば、浩一から吸い出してしまえばいい。半殺しにしてから脳より情報を吸い出す。その手段をグランは有している。伊達に天門院で荒事を任されてはいないのだ。禁制の品たる脳に侵入する器具をグランは秋水より預けられていた。

 秋水に指示されている始末はその後でも十分だろう。こんな汚れ仕事をやるのだ。

 春火の名誉を回復するための尽力は嬉しいが、それはそれとして自身に少しの特典でもなければグランも気が滅入るというものだった。

 そんな暗い想像をするグランだったが。

「……――ラン――グラン? 聞いてるの? おいこら、この馬火ヘッド!」

「は? はい。聞いてます。聞いてます」

「おい。今、は? とか言った?」

「いや、申し訳ない。少し火神浩一について考え事を」

 グランと話して余裕を取り戻してきた春火にげしげしと蹴られるグラン。それは幸せだが、考え事をして、春火の言葉を聞き流してしまっていたようだった。

 マルチタスク用に心臓横の副脳に確保してある別領域に、聞き流していた間の春火の言葉があったのでグランは言い訳をしながら確認し、適切に言葉を継いで春火の機嫌をとっていく。

 忠臣として主の機嫌の取り方は知っている。

 だがその行動の裏でグランは浩一を仕留める手段をじっくりと考えていくのだった。

 侮ってはいない。あれはモンスターだがSランクを殺している

 だが緊張もしない。なぜならこの世界においてランクは絶対的な差なのだから。

 強者二人で闇討ちするのである。グランが殺人を躊躇する理由はなかった。



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