雪の帰還(2)


「はぁ、残念でした」

 葉織はおり矢箆やなは至極残念そうに自室へと帰る浩一を見送った。

 もっとも態度は残念そうだが名残惜しいというわけでもなく、断られるなら仕方ないと言った風情である。

「で、どうしますか? お嬢様・・・

 矢箆が冷たい目で開いた扉から室内を見た。

 その目はあれ・・の処理はどうするのかという目だ。

 壁に遮られて2人からは見えないが、その視線の先には浩一と食べるために用意した高級食材のみで作られた、一般的に見て豪華な夕食がある。

「適当に処分してくださいな。はぁ、兄さんったらほんとにつれない」

 彼女たちは浩一と食べたかっただけで、肉じゃがだのなんだのが食べたいわけではない。

 葉織の命令にそうですか、と矢箆が額に指を振る。

 PADを使った転送の準備だ。

 誰も食べないならPAD付属のゴミ箱機能にでも送り込もうと矢箆が選択しようとしたところで。

「お? 今日は豪華っぽいのなぁ、お二人さん」

 安っぽいトレンチコートに身を包んだ壮年の男に声を掛けられた。

 葉織や矢箆の知り合いの男だ。このアパートの住民でもあった。

 名はオル・索道さくどう・アモート。

 四鳳八院が一つ、獄門院家の諜報担当の分家出身だが、三男坊の上に特に優秀でもないせいか軍でも出世できなかった男で、実家からもとっくに諦めら・・・れている・・・・男だった。

 アモート自身も自分のことは諦めているようで、致命的な怪我をする前に適当に理由をつけて軍から退役し、今は学園シェルターで探偵まがいのことをして暮らしている。

 戦技ランクの測定は行っていないが、軍にいた頃はC+ランクで止まっており、葉織や矢箆の見立てではもっと弱くなっている可能性が非常に高い。

 そしてこの男、同じアパートの住人ということもあり、自身の仕事で荒事が必要になった際は浩一に安いバイト代を出して用心棒まがいのこともさせていた。

 アモートは鼻をひくひくとさせて、中年顔をゆるませて、だらしのない表情を浮かべている。

廊下ここまで匂いが漂ってるぜぇ。くんかくんか、非合成食品とか学生の時以来喰ってねぇんだよなぁ、俺って貧乏だし」

 なんだ、この匂い、初めて嗅ぐけど超うっまそーなんて気楽な表情で言う中年男に二人の少女は冷たい視線を向けるも、基本的に図々しいのかアモートは気にもせずにふんふーんと物欲しそうな顔を二人に向けた。

 この男は安く用心棒を用意できるという理由からであるが、貧乏な浩一に仕事・・を割り振る物好きの一人だ。

 それにこの男に葉織が施しを与えるのは悪いことではない。名分もある。

 はぁ、とあからさまなため息をついた葉織が犬に餌を与えるような感覚で「矢箆。くれてやりなさい」と命じれば今にも自身が作った料理を処分をしようとしていたメイドが「わかりました。お嬢様」と特に抵抗もなくアモートに向き直り「ちょっと待ってなさいな」と部屋に入っていった。

 適当な器に入れて料理を持ってくるのだろう。

「お、催促しちまったみたいか? でへへ、悪いねぇ」

 髭面の男アモートは機嫌良さそうに懐からタバコを取り出して口に加えた。

 流石に隣に葉織がいるせいか火を付けないものの、ぷらぷらと揺らす様は非常に機嫌が良さそうだった。


                ◇◆◇◆◇



「浩一。いいかな?」

 アパートの玄関で待っていた雪と一緒に自室に入った浩一は、室内で向き合った雪にいいかなと言われて、ああ、いいよと答えた。

 パシンと頬を叩かれる。

 後衛職による一撃だ。肉体的には全く効かない。だけれど心にずしりと響く。

 以前アリシアスに食らったものとは違う。少しの後悔を伴った重みだ。

 更にぐーにした拳で、ぽかりと雪に胸元を叩かれた。

 浩一の胸元にすがりつく、金色の髪の少女は泣いている。いや、泣かせたのだ。浩一が。

「どうして……浩一は……危険なことをするの? Sランクモンスターと闘うなんて、浩一じゃ死んでもおかしくなかったんだよ?」

 それ以上は言葉にならない。雪の口からは嗚咽が漏れている。

 どうして、どうしてなんだろうか。かつてはわからなかったこと。心中の熱。その理由は今ならわかる。

 出会った懐かしい男の顔を思い出す。黄金の竜の精霊、クシャスラと戦ったことで思い出したことがある。

「雪、俺は思い出したよ。『殺害志向さつがいしこう』を」

 胸元にいる金色の髪の少女が息を呑んだ気配がした。互いの息がかかるような近い距離で、雪の紅玉色の瞳が浩一を見上げていた。

「三十朗にも会った。電子兵装ステファノを使ってるようだったが、元気そうだった」

 あの虹の少女は恐ろしいが、おかげで武装のことも思い出せた。

 思えば、浩一は自分のことばかり考えていて、いろいろなことを取りこぼし続けて来ていた。

 思い出せない記憶にはどれだけ重要なことが秘められているのだろうか。

 過去に想いを馳せ――心の内で頭を振る。今優先するべきは目の前のことだ。

 ゆき。東雲・ウィリア・雪。幼なじみの少女。恩人。母親のような、妹のような、恋人のような、どうしてか身を粉にして、浩一のために尽くしてくれる家族のような少女。

 雪は黙っている。その瞳に揺れる色は戸惑いと申し訳無さだ。胸元の少女は動かない。

 雪の身体を浩一は小さな身体だと思う。

 けれど、その心の中にいろいろなものを抱えている。そしてそれはきっと小さなものではない。

 いや、雪の家のことを考えれば、浩一が抱えるものよりも大きなものかもしれなかった。

「雪、お前、『殺害志向』について知ってたんだな。それに――」


 ――三十朗とラインバックのことも。


 浩一の腕の中にいる雪の身体が固まる。浩一が三十朗のことを言ったときに雪は驚いていなかった。知っていたのだ。彼らの現在を。

 東雲・ウィリア・雪は、歌月が死ぬまでは四鳳八院とも政治力で対等に渡り合った人体工学の名門である東雲の後継だ。

 雪は好んでその影響力を行使しようとしていないが、浩一が知らない多くのことを知り、浩一のできない多くのことができる。

「それは……『殺害志向』も、あの二人のことも私が言っても意味がなかったから」

「そうだな」

 知識があれば思い出すのは早かったかもしれない。

 しかし理論で理解しても身体が思い出さなければ意味がない。『殺害志向』とはそういうものだ。

 ミキサージャブとの戦いによる歓喜。クシャスラとの戦いでの思い違い。それらが浩一に『殺害志向』を完全に思い出させた。

 それに、と雪は言う。

「『殺害志向』は使い手の戦闘能力を増大させるけど、同時に使い手の生存率を著しく下げる性質スキルだから……だから、私は浩一に思い出してほしくなかった。もう、ゼネラウスで『殺害志向』を完全な形で持っているのは浩一だけだよ。兄さんが集めて、育てて、集団化した狂戦主義者たちはみんな死んだ」

 その理由は浩一にもわかる。身体の中の熱の囁きが真実だ。

 この熱が身体の中にあるというだけでどんな強敵にも臆さず立ち向かえるようになる。立ち向かえてしまえる。

 例え、相手より自分が圧倒的に弱かった・・・・としても。

 『殺害志向』、このスキルの所持者は長生きできないのだ。

 だから雪は浩一に思い出してほしくなかった、と言った。

「みんな、みんな、自分以上の敵と戦って死んだ。喜んで戦って、笑いながら死んでいった。『殺害志向』ってそういうものなんだよ。私がヘリオルスのことを浩一に話さなかったのは、思い出して・・・・・ほしくなかったからなんだよ」

 いや、そうじゃないと雪は言う。

「ごめん。今、嘘ついたね。本当は……」

 忘れさせた・・・・・のは、と雪は続ける。

「私が……私は浩一から『殺害志向』とそれにまつわる兄さんや三十朗たちの記憶を失わせたんだ。私がお母さんに頼んで……」

 驚かない。そうだ。拾われる前の記憶が失われていることに疑問はない。失われるに相当する何か・・があったからだろう。

 しかしヘリオルス以後のことを忘れているのはおかしかった。そんな衝撃はなかったはずだからだ。


 ――第一、浩一はあの黒竜を覚えている。


 胸を焼く憎悪を覚えているのだ。

「ズィーズクラフトのことはどうやっても忘れさせられなかった……。だから私は代わりに弱くて、脆くて、どうしようもなくひ弱な浩一が死なないように『殺害志向』を忘れさせる必要があった。そうじゃないと……浩一はゴブリンだとかオーク相手に死ぬまで突っ込んで、殺されるまで戦っただろうから」

 気まずそうな雪と、苦笑するしかない浩一。

 『殺害志向』はそういうスキルだからしょうがないけど、と雪は続ける。浩一の身体が育つまで待つしかなかったとも。

「でも浩一はもう思い出しちゃったからね。ちゃんと教えておくよ。立っててもしょうがないし座ろっか」

 そう言って幼馴染の少女は、浩一に胸板に一度額を押し付けてから、居間に向かうのだった。


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