雪の帰還(1)



 天門院秋水から那岐を浩一が離したあとのことだ。那岐は浩一に引きずられるようにして区画移動用のモノレールに載せられていた。

 平日昼間のモノレールだ。混んでいるわけもなく、周囲に人は少ない。

「なんで怒ってるんだ……大したことは言われてないだろう?」

「悪口なんて0か1かよ。言った時点でダメなのよ」

 今からでも戻って、秋水に突っ込んでいきそうな那岐を留めるために、その肩にずっと手を置き、自分の傍に抱き寄せながら浩一は疲れたような顔で天井を見た。

 鉄色の天井だ。何もない。思考をして、ほんの少しだけ浩一より身長の低い那岐を見下ろす。

「もう忘れろ。で、今からドイルの店に行くから付き合え」

「ドイル――あの酒樽体型の武具店の店主ね。何?」

「こいつの整備だよ」

 車両内のために、縦に握った月下残滓を那岐に浩一は示す。

「ああ、あれ? まだなの?」

「身体を休めてたからな。今日、お前たちのついでに整備に出す予定だったんだよ。だから付き合え」

 それなら、と那岐は自分の肩に手を置いた浩一に頷いた。気にはなるが、不快ではない、といった風情だった。


                ◇◆◇◆◇


 ドイルの店に寄り、愛刀たる『月下残滓』を預け、クシャスラとの戦いで蒸発した飛燕を再購入した浩一は、帰りに那岐と食事をしてから整備の終わった月下残滓を受け取り、自宅に帰ってきていた。

 浩一は「気疲れしたな」と呟く。肩をぐるぐると回し、伸びをした。空を見ればシェルターの保護膜が赤く染まっている。

 那岐に連れ回されたせいか、夕方になっていた。

「今日のあいつらの距離感はなんだったんだ?」

 絶世の美少女であるアリシアスと那岐に迫られた。

 不快ではないが、気分の良いものでもない。理由のわからない好意は困惑を生み出す。

 外からは嫉妬を向けられるし、妙な噂が立つことは避けられないからだ。

 それに、那岐に指をいじられていた時のことを思い出す。

 あの瞬間、確かに浩一はゾッとした。

 いつでも技術・・で那岐がいつ力を込めても、力をずらせる・・・・ように身体を緊張させていたが――戦霊院那岐ほどの強者に指を常に取られていたのだ。いつ戯れに折られてもおかしくはなかった。

(那岐を信じてはいるが……)

 那岐のことだ。流石に折ろうとは思わないだろう。だが、Sランクオーバーというのは悪意がなくても人を傷つけられる。

 浩一の身体が脆すぎて、うっかり折れてしまう危険性はあったのだ。

(どうも最近は調子が狂うことばかりだ……)

 最後に天門院から引き離すために那岐を羽交い締めにしたが、あれも軽率だった。

 那岐が本気で暴れなかったからよかったものの、本気だったら腕を引きちぎられ、殺されていたかも知れなかったのだ。

 アリシアスや那岐と距離が近づきすぎて、頭がおかしくなっているのかもしれない。

 そんなことを考えながら浩一はアパートの通路を歩く。

(とはいえ、距離感の狂ってる那岐はともかく、アリシアスまでもがああも俺とベタベタしていたってことは、何かあるんだろう……俺にはわからんが)

 浩一には話せないが、彼女たちにはなんらかの思惑があるのだろうと、浩一は内心で首を横に傾げつつも疑問を心の隅に放り投げた。

 そして自室へ向かう途中の廊下で、同じアパートの住人に遭遇する。

 二人いる。知り合いだった。

 あら、と相手方も浩一に気がついてか動きを止めた。

(……なんだか久しぶりに会ったような……)

 廊下にいたのは車椅子に座った黒髪金眼の少女と、その傍に控える、黒髪黒瞳のメイド服の少女だ。

 車椅子の少女は育ちの良さを感じさせる仕立ての良いのドレスに、メイドの少女は素朴な印象を受ける仕事着に身を包んでいる。

 浩一はこの二人の詳細に詳しくないが、どちらも学生ではないのか学園の制服を着ている姿は見たことなかった。

(こいつらはどこかの学生……なのか? まぁ制服着用の義務なんぞ誰も彼もが記憶の彼方だから本当に学生でないのかはわからないが)


 ――アーリデイズシェルターの学生たちは制服を着ることは滅多にない。


 ダンジョン実習に参加できる年齢の学生は、突発的なイベントや招集にいつでも対応できるように防具を着用したままでいることが多い。

 それに伴い、学生が着る普段着はファッション性を維持しつつ多少の防御性能を持っているものが多くなっていったのだ。

 イベントなどで目立つことで、スポンサー契約が取りたいという学生側の願望や、せめておしゃれをしたいという年頃の少年少女の願いが混ざり合った結果とも言える。

 とはいえ制服も馬鹿にしたものではない。

 浩一の所属しているアーリデイズ学園の制式採用制服などは名門ゆえかCランク相当の金属鎧程度には防御能力を持っている。

 浩一は刀術を使うスタイルから重さをあまり感じない着流しを好んで着ているが、まともな学生ならば下手な防具を選ぶより制服を着たほうが幾分はマシなぐらいだった。

(ただ制服着てると未熟者扱いされる風潮があるんだよなぁこの都市って)

 舐められるというか、おのぼりさん扱いされるというか。

 そういう意味でも浩一の目の前にいる、二人の少女が制服を着ていないのは特に不自然でもなんでもなかった。

 むしろ不自然なのはなぜお嬢様然としたメイド付きの少女がこんなボロアパートに住んでいるのかということだが……。

「こんばんは。浩一兄さん・・・

「こんばんは。浩一くん」

 少女とメイドは廊下で出会った浩一に対し、礼儀正しくぺこりと頭を下げる。

「おう、こんばんは。葉織ハオリ矢箆ヤナ

 兄さん、と呼ばれた浩一は少しくすぐったそうにして、浩一に葉織と呼ばれた車椅子の少女に視線を合わせるために腰を屈めた。

 車椅子の少女はその金の瞳を喜びで輝かせて「兄さん」と浩一に言う。

「兄さん、雑誌の記事を見ました。Sランクモンスター、ミキサージャブ討伐おめでとうございます、よくがんばりましたね」

 葉織と呼ばれた車椅子の少女がにっこりと微笑んでぽんぽんと自身の膝を叩いた。

 意図を察した浩一が「おう、ありがとう。だが……」と躊躇すれば少女は「兄さん」と再度強く自身の膝を叩く。

「はいはい。浩一くん、お嬢様の言うとおりにしてねー」

 特に危険があるわけでもないし、抵抗するほどの嫌悪感もない。

 矢箆と呼ばれたメイドの少女に背をぐいぐいと押されて車椅子の少女の膝に頬を乗せさせられる。アパートの廊下でだ。

「よくがんばりました。よしよし」

 そうして葉織に頭を撫でられた・・・・・

 車椅子の割に肉のついた太腿に頬を乗せた浩一が複雑な表情で葉織を見上げれば、葉織は穏やかな顔で浩一の頭を撫で続けている。

 夜気の混じり始めたアパートの廊下。見上げれば、暗くなってきたためか蜘蛛の巣の張った安っぽい電灯がつきはじめている。

 そして、葉織の膝に頭を乗せている浩一の頭に、矢箆の手が乗せられた。

「浩一くんはよく生き残ったねぇ。討伐報告を聞いてびっくりしたよ」

 でも危ないことをしてはダメだよと言うメイドの矢箆も、葉織と一緒によしよしと頭を撫でてくる。

 まるで子供のような扱いだ。恥ずかしい。だが、どうにもならない気分の浩一は少女たちが満足するまで身を任せるしかない。


 ――どうにも、この二人に浩一は逆らえなかった。


 なぜかはわからない。

 そして浩一は兄さん兄さんと自分を呼んでくる少女のことを知らない・・・・

 血縁関係もないし、このアパートに越す前の知り合いというわけでもなかった。

 何も知らないのだ。この葉織という少女が自分のことを何故兄と呼ぶのかも、どういった出自でどういった境遇なのかも。

 隣人としてはそれ以上知る必要はないと思っていた。例え、こうやって隣人以上に向けるような親しさを向けられていても。


 ――火神浩一には、そういったことに心を向ける余裕がなかった。


 多少の疑問を持っても自身の戦闘力向上以外のことには興味を持てない。それが火神浩一という人間だ。

 戦士として優れていてもどこか人間として欠陥品なのが浩一だった。

「ふぅ、私は満足しました」

 ぺたぺたと髪以外に頬や首、鼻や唇までも手で撫で尽くした葉織は、ほっこりとした笑顔で開放された浩一を見上げた。

「さて、兄さんはご飯は食べましたか? ちょうど作りすぎた肉じゃがを持って行くところだったのですが」

 葉織が矢箆に命じれば、はいはいとメイドが指を振る。

 矢箆の手元に肉じゃがの入った小さな鍋が転送された。

 ほっこりとした匂いが浩一の鼻をくすぐった。

 肉じゃが、日本という国で作られた料理だ。豚肉とじゃがいもを煮たもの。

 醤油などで味付けされたそれは男子学生の間でも人気の高い料理である。

 矢箆は浩一へ鍋を差し出し、どうですか? と丁寧な仕草で問うてくる。

(……美味そうだな……)

 浩一は先ほど那岐の奢りで高級食材であるフレアリザードの毒抜きステーキをたらふく食べたばかりであったが、前衛戦士である浩一の体内ではすでに大半がきっちりと消化されている。

 だからか、ほかほかと湯気を立てる古代料理、肉じゃがを前にごくりと浩一の喉が鳴った。

 基本的に浩一は学食で食べる昼食を除き、朝夕はカロリーと栄養をサプリメントで補う粗食生活である(たまに気が向いたときに安い定食を食べにいったり、自炊をするぐらいである)。

 実のところ、学園都市でまともな食事というのはかなり高価だ。

 研究資料にもならないモンスターの肉などは優先的に市場に出ていたりもするが、基本的に住民の食事はシェルターにもともと備わっていた食料供給機能に頼っている。

 『青板五号』――繁殖能力と栄養価が異常なほどに高いバクテリアと藻の合成品である完全栄養食サプリだ。

 青板五号には微弱だが肉体を健康に保つ効果もあり、浩一も自炊をしない日はこれを食べて暮らしていた。

 だからこういった肉じゃがなんてものよりも栄養はきちんと摂取しているのだが、やはり成長途中の若い身体である。

 肉とじゃがいもの放つ香ばしい匂いを嗅げば心に欲求が溢れてくる。

 そんな浩一の様子を見て、葉織はにこにこと笑って、はい、と車椅子に座りながら手を合わせた。

「ああ、そうです。お米も炊いてあったんですよ。肉じゃがだけでは寂しいでしょうし、私たちと夕飯を一緒にどうですか? ささ、矢箆。浩一兄さんを部屋に案内してくださいな」

 お米――葉織の言うとはアーリデイズの衛星シェルターで上流階級向けに生産されている嗜好品の一つだ。

 学食で安い定食についてくる合成品とはもの・・が違う。

 どうしてこんな安アパートに暮らす女子がそんなものを隣人に振る舞えるのか、浩一にはわからない。

 わからないが、葉織の目に見つめられるとどうでも・・・・よくなってくる。

 ごくりと浩一の喉が鳴った。ぐるると腹が鳴る。

 メイドの少女が、はいはいお嬢様、とそっと浩一の背に手を添えると、機嫌が良さそうに浩一の身体を押していく。

 お、おお、おお、と強く反対する理由のない浩一は誘われるままに少女の部屋に入りかけて、ああ、とその身体が止まり、ぺたんとメイドの矢箆が浩一の背中にぶつかった。

 葉織が立ち止まった浩一に問いかける。

「兄さん?」

「いや、悪い。今日は駄目だ」

 通路の先を見る浩一。その視線の先を見た少女たちがああ、と残念そうにため息を吐いた。

 この少女たちは自分にどうして好意的なのだろうかという疑問は残るも、浩一は深く考えなかった。

 好意は好意だ。浩一は悪いな、と言いながら葉織の頭を撫でた。

「そういうわけだから、また今度誘ってくれ」

 そうして浩一は視線の先で自分をじっと見ている少女に片手を上げて応えた。

「よお、帰ってたのか。雪」

「ただいま。浩一」

 高級とはいえないが、貴重な自然食材の入った袋を片手に、浩一の部屋の前で幼なじみの少女が微笑んでいた。


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