若き天才たち(3)


 昼下がりのカフェ。屋外席にて、周囲に視線に晒されながら那岐たちはつかの間の休息を楽しんでいた(楽しめていない男もいた)。


「戦霊院」


 そんな那岐に声をかける男がいる。

 浩一ではない。彼はアリシアスに弄られるままだ。

「おい、戦霊院……おいっ。聞け、貴様!!」

「え、あ……?」

 何度か声をかけられても気づかず、肩に触れられそうになってからやっと気づく那岐。

 他者をここまで接近させるなど今までの那岐にはなかったことだった。暖かな光が心地よくて油断していた。


 ――それとも火神浩一が傍にいるからか……。


 想像を余所に、那岐は椅子に座ったまま、傍に立つ者を見上げる。

 浩一たちの座る四人がけのテーブルの傍に従者を連れた美形の男子学生が立っていた。

 自身の肩に触れそうだった男の手からほんの少し体を動かすことで逃れた那岐は心持ち嫌そうに男を見上げた。

「えっと……誰、だったかしら?」

 脳内の記憶を検索しつつ、既に答えの出ている質問をする。

 問われた男は、神が造形したかの如くに、整った顔を露骨に歪ませた。

「戦霊院、貴様な、冗談はよせよ。俺だ。天門院てんもんいん秋水しゅうすいだ。八院の議場で何度も話しているだろう。ミキサージャブとやらに脳でも破壊されたか?」

 ああ、と那岐は納得したように頷いたフリをした。

 天門院秋水――細身ながらも、天上の美姫すら惚れてしまいそうな完全なる男性的な肉体を保持した美丈夫だ。

 腰まで伸びた銀髪。右目が紅、左目が翠のオッドアイを持った絶世の美男子。

 彼は常在戦場の学生の身でありながら防具効果のないブランド物の白スーツに身を包んでいた。

 靴も特上のもので光沢が出るまで磨き上げられた黒革靴。ブランドものの赤いネクタイを締めており、色男の見本のような男だった。

 公式Sランク、戦技はA+ランク。二つ名も持っており『絶対防壁』の天門院秋水と呼ばれている。

 とはいえ浩一と違う意味で、この男に関してはランクも防具も意味がない。

 そもそもランクというものは対モンスターに関してのランク付けであって、(よく同一視されるが)対人戦の評価ではないのだ。

 モンスターと違い、如何に耐久をあげようとも首がもげれば人は死ぬ。

 そういう意味では対人戦での格上殺しジャイアントキリングは珍しいことではあるがありえないことではない。

 だがアーリデイズシェルター防衛軍、治安維持部門の総元締めである天門院の次期当主である秋水は、この世界において珍しくも対人特化された人間だ。

 だからか、那岐では本気の天門院秋水は殺すことができない。

 いや、それはこの都市の誰でも同じなのかもしれない。


 ――天門院秋水に勝つ・・ことは、誰であってもできない。


 ゆえにこの美しい男の本気を見ることだけは那岐も避けたかった。

(本気のこいつだけは敵に回したくないのよね。硬いし、強いし、硬いし)

 本気で戦ったら自分でも負けるかもしれない、それだけは心の中で形にせず那岐は秋水に向き直る。

「で、その天門院くんが何の用?」

 隣のアリシアスは秋水に気づきながらも浩一との会話を止めていない。

 浩一も那岐の知り合いだと思い気を遣っているのかちらりと那岐を見ただけでアリシアスとの会話に戻ってしまう。

(もう、察してよ)

 自身が天門院秋水に好意を抱いていないことを知りながらアリシアスはフォローしてくれない。

 浩一はおそらく単純に気づいていないのだろう。知り合い同士の会話に割り込むものではないと考えているのか。

 とはいえ、浩一が秋水を阻止するのはそれはそれで危険だ。

 如何に那岐やアリシアスと親しいと言っても浩一は一般人・・・である。身分格差が表向きに存在しないゼネラウスであるが、四鳳八院に楯突けば待っているのは惨めな人生だ。那岐たちは庇うつもりではあるが、決着の仕方によっては庇えなくなることもある。

 妙な事にならなくて那岐はほっとするが、それでもやはり寂しい気持ちである。

「は~……」

 2人が意外と優しくない事実を今更ながらに思い知りつつも、秋水にもわかるように那岐はため息をついた。

「なんだそのため息は、全く。何の用もなにも貴様がいつまで経っても色良い返事を寄越さないから俺が催促に来ただけだが」

「天門院くんのクランへの勧誘のこと? あれだったら断ったじゃない」

 あからさまに渋い顔をする那岐に気づきながらも秋水はそれを無視する。

 秋水にとってこういう態度の人間が色よい言葉を返さないのはよくあることだ。

 だがこれでも秋水は数十人規模のクランのリーダーで四鳳八院・・・・である。

 ふん、面白い女だ、と言わんばかりの態度で秋水は鼻を鳴らした。

 秋水は勧誘以外でも女を口説く・・・ことには慣れている。那岐のような態度をとっている人間をあの手この手で陥落させたことは幾度もある。もちろん四鳳八院である那岐だ。他の格下の人間にするような絡め手・・・は行えない。

 だが秋水はその女好きのする甘い表情を小気味良く歪ませると、自信が過剰にあふれた表情で告げる。

「貴様は貴様の本当の望みに気づいていないからそんなことが言えるのだ」

 ふふっと微笑みながら秋水は那岐の顎に手をやるが、すっと那岐が顎を引いたことによりその手は空を切る。

 しばし無言の時が流れる。

 これがただの色男ならば滑稽さに空気が染まるだろうが、秋水は悲しいことに四鳳八院だ。

「おい、貴様な。ここは素直に顎を差し出す場面だろうが」

「いやよ。鬱陶しい」

 弱者ならばその場で吐血して悶死するだろう緊張感がピリピリと漂い始める。

 このような空気でも変わらずいちゃつく・・・・・アリシアスと浩一の姿を見て、那岐が再びため息をつく。

 自身が那岐の眼中にすら入っていない様子を察して、やれやれと秋水が肩をすくめた。

 秋水が引くことで空気がただの日常へと戻っていく。だが秋水は諦めない。

「戦霊院。俺は貴様の才能が潰れるのが惜しい。クラン選択を誤り、碌な結果を出せぬ学生は多い。お前の前のクランがそうだった。勝てぬ的に挑み、無様に敗北した。だが、俺は違う。戦霊院、俺と一緒ならば貴様も高みへ昇れる。一緒に来い」

 声の抑揚は完璧で、そこには熱と感情がこもっている。

 両眼には力があり、あらゆる女性が誘いに乗ってしまいそうな魅力が溢れている。

 女が、いや男でさえも従いたくなるような強引なカリスマを発する秋水だが、那岐には無意味だ。

 頬杖を突いた魔法使いの少女は秋水を視界に入れることもせず呆れた顔で言葉を返す。

「あのね。ただの学生どもならいざしらず、戦霊院の私が学生時代のクラン選択程度で躓くわけがないでしょうが。それに私にはもう一緒にパーティーを組む奴がいるのよ。そこの、ちょっと、火神浩一ッ!!」

 がたがたがた、と驚いたように浩一は座っていた椅子を揺らして、耳を抑えた。

 その口元にパンを差し出しているアリシアスも驚いた表情で那岐を見る。

 周囲で悲鳴と皿の割れる音が響き、ガタガタと近くのテーブル客複数人が泡を噴いて倒れる。

「なによ。軟弱モノども」

「那岐、お前。な、なにをしたんだ?」

 慌てたような浩一の姿に那岐は心中に溜まっていたいらだちを収める。

 彼女は攻撃的なことは何もしていない。怒鳴った瞬間に身中のいらつきをそのまま魔力の波にして周囲に放っただけである。

 破壊効果もない。ただの魔力だ。だから澄ました顔で那岐は言った。

「無害よ。少しびっくりするだけだけどね」


                ◇◆◇◆◇


 天門院秋水。

 『四鳳八院』のひとつである天門院家の次期当主である彼は、浩一と同じアーリデイズ学園の学年十八の第参席だ。

 彼は那岐から視線を逸らし、浩一を見てから鼻で嗤うように言う。

「火神浩一、ね。貴様が望むなら俺のクランである『天の門兵』への加入を認めてやるが」

 浩一は自分を見る男の目に蔑みの色が薄く混じっていることに気づきながらも表情を変えなかった。

 この目は慣れている。そして自身を知っている浩一にとって、外的な評価など意味は無い。

 浩一にとって全ての基準は強いか弱いか。戦えるか戦えないか。通用するか通用しないか。それだけだ。

(……ただ、この男。強いな・・・。天門院ということは守備に寄っているのだろうが……)

 横目でテーブルに立てかけている月下残滓を見る。これを手にとって斬りかかったとしても倒せるイメージが湧かない。

 隙だらけに見えるが、どこに打ち込んでも防がれる・・・・。そういう奇妙な気配が秋水にはある。

 聞き耳は立てていなかったが那岐を誘うために自分を誘っている、ということが状況から推測できたので浩一は素直に首を横に振った。

「悪いが俺もノーだ。俺じゃ弱すぎてアンタのとこで役に立てると思えないしな。だから戦霊院を釣るための餌にってんなら諦めてくれ」

 浩一の言葉に鼻を鳴らす秋水。目には完全に侮蔑の表情が浮かんでいる。

「『刀だけイクイップワン』『ミキサージャブ』程度のモンスター討伐で成り上がったカスか。誘ったのはジョークだよ。お前ごときを伝統ある『天の門兵』になど誰が入れるものか。身の程弁えてくれていて結構」

「一つ言っておく。俺は成り上がれていない。未だに俺はB+だ。そして騒いでいるのは周囲であって俺じゃない。勘違いするなよ天門院。俺はまだ何者にもなれていない」

 いつものことだ。いや、こうやって正面から言ってくるだけ他よりマシだろうと浩一は思う。

 馬鹿にされていい気はしないが、相手は四鳳八院だ。

 敵対するつもりはなかった。だから困ったように肩を竦めるに止める。秋水の指摘は事実の羅列だ。当たり前すぎて怒りすら浮かばない。

「ちッ、戦霊院、悪いことは言わない。このカスに何を吹き込まれたかは知らないが後悔する前に俺のクランに加入しろ」

 浩一にはもう用はないと判断したのだろう。那岐へ視線を戻す秋水。

 那岐は少しだけ感嘆の吐息を漏らした。

 秋水の勧誘はただびとならば頬を熱くさせ、即座に頷きたくなるような力の籠もった視線と言葉で構成されている。

 それに加えて秋水の天上の美姫すら羨むような美貌だ。

 那岐の魔力波で周囲の人間が軒並みノックダウンしていなければ、美形の那岐に迫る美形の秋水の姿を見たギャラリーの羨望の声が場に満ちていただろう。

 なるほど。なるほどだ。そこまでして私を求めるのかと、那岐は秋水を睨みつけた・・・・・

「貴様になら副リーダーの――」

「黙りなさいっ!!」

「――の座を……なんだって?」

 那岐は浩一へ感謝と友情を捧げていた。

 如何にそれが政治的にマズかろうとここで怒らなければ那岐は那岐ではない。

「黙りなさい、と言ったの。私が私の仲間を馬鹿にされながらあなたの軍門に降るとでも思ったわけ?」

「軍門に降るって……那岐、お前、こいつと戦ってるわけじゃあるまいし」

 那岐の怒りようをほんの少し嬉しく思いながらも浩一は、秋水へつっかかりそうになった那岐を後ろから羽交い締めにした。

 那岐と秋水は同格とはいえ、天門院は都市警備や防衛部門のトップだ。

 戦霊院は軍部や魔法使い達に強い影響力を持っているが、秋水はアーリデイズの中で喧嘩を売って良い相手ではない。

「ちょっと浩一、あんた!!」

「すまんアリシアス。あとよろしく・・・・

 どこ触ってるのよー! もう! と、ぐずる那岐を引きずりながら食堂から出て行く浩一を、よろしくと頼まれて・・・・しまったアリシアスは渋い顔で見送るのだった。


                ◇◆◇◆◇


「で、だ。貴様もあのカスと同じパーティーに所属するつもりか?」

 那岐が座っていた椅子に座った秋水は、格下を見る視線でアリシアスの全身をじろじろと眺めた。

 澄ました顔の奥底から滲む下劣な欲望を感じ、アリシアスは辟易とした気分になる。

 浩一に頼まれてしまったからこうしているが、内心は今すぐにでも席を立ちたいぐらいだ。

 とはいえ、天門院秋水は対人戦のエキスパートだ。

 那岐は最初から取り合う気がなかったために舌戦にすらならなかったが、口論をするなら舐めてかかっていい相手ではない。

 手始めに秋水の周囲に漂う香りをアリシアスは冷静に分析する。

(リラックス効果のあるハーブや暗示効果を高める果物のエキスですわね。それも肉体の抵抗力に無効化されない、無害だと認識されるほどに微弱な類の。格下相手には有効な戦術なんでしょうけれど)

 かつて分家だったとはいえアリシアスも今では聖堂院の後継だ。

 聖堂院解体時に手に入れた聖堂院式の改造を肉体へ施している。

 故にそういった洗脳や暗示に関するものに対しては強い耐性を持つし、知っている以上は意識的に体内で無毒化できる。

「ええ、まぁ、探索に参加はしませんけれど、籍ぐらいは置くつもりですの」

 アリシアスの返答に物好きなことだと返す秋水。

 『天の門兵』は大規模クランだ。その中には優秀な神術師も存在する。

 アリシアスほどの実力者は貴重だが、それほどの使い手を必要とする事態に陥るような状況、それ自体がクランリーダーとしては失態だ。

(そもそも彼とわたくしでは反りが合いませんしね)

 そう考える秋水はアリシアスに対しては勧誘を行わない。そこには秋水がアリシアスを嫌っているという事情もある。

「俺は貴様に興味はない。というより分家風情が八院に上がったことが気に食わんのだが」

 言葉を切りながらアリシアスを下卑た視線で嬲る秋水。全身を視姦されるかのような感触がアリシアスの全身に走る。

 嫌悪感にアリシアスは秋水をはっきりと睨み付けた。

 秋水の女遊びは名家には有名な話だ。権力を用いて強姦紛いのこともしていると聞く。

「媚びるなら貰ってやってもいいぞ」

「下衆ですわね」

「裏切り者のリフィヌス。貴様らはその存在が恥さらしだな」

「下劣外道の蛆虫が、如何な尊き血筋でも、貴方の性根が発する腐臭は隠せませんわよ」

 くくく、秋水が嗤った。応じるように、くすくすとアリシアスが嘲る。

 両者共に相手を心底から馬鹿にした笑み。互いが心底から嫌悪を抱いていた。

 そして話は終わりだとばかりに秋水は立ち上がった。

 その背後には二人の女学生がいる。一人は秋水に外套を着せ、もう一人は秋水の愛刀たる鞘のない、刃がむき出しの剣を捧げ持っている。

 それは遠目に見ればそれはただの剣でしかない。しかし近くで見れば印象はがらりと変わる。

 ぎちぎちと、生きているかのように牙を噛み合わせる昆虫の牙で構成された剣身。

 脈動するように禍々しく紅く光るそれは、見るものにただ純粋な怖気を抱かせた。

(あれがかの有名な『文明殺しミソロジカ』……EXモンスターであるアポリオン由来の素材でできた最強の対人兵装。あれの前では人類由来の防具の全てが無力化されるといいますが。なんとも禍々しいですわね)

 『文明殺し』はその特性ゆえに、鞘に収めることのできない剣だ。ゆえに常に人間が持っている必要があった。

「では、な。今回は腹の内の怒りをモンスターにぶつけてやろう。貴様らなど歯牙にもかけるつもりはない、が――」

 秋水は剣を手に取りながら紅茶に口をつけるアリシアスに殺意の篭った視線をぶつける。

「戦霊院は俺が貰う。邪魔をするならその五体、微塵に斬り裂いてやるぞ」

 去っていく三人を見送りながら、アリシアスは満面の笑みを浮かべた。

(別に、先輩がどうなろうと私の知ったことではないですけれど。わたくしが保護している浩一様を害するなら)

 その魂を貫きますわよ、と無言の殺意をアリシアスは男に向けた。

 そうしてアリシアスは席を立ち。遠くの空へ顔を向けた。

 視線の先は東雲・ウィリア・雪がいるという『ウィングラン』だ。


 波乱が近づいていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る