雪の帰還(3)
部屋の隅に置かれた小さなテーブルを浩一が組み立てると、キッチンでお湯を沸かし、お茶を淹れた雪が浩一の隣に座った。
「浩一、腕出して」
「ああ」
雪は思念操作型のPADに命じて、いくつかの論文を空中に投影した。
軍事機密となっている『殺害志向』の論文。全て歌月が執筆したものだ。
雪に与えられている東雲家のアカウントでアクセスしているのだろう。浩一の機密レベルでは読めないものも多い。
表示した論文を脇に置き、雪は浩一の腕に頬を寄せると、説明を始めた。『殺害志向』について。その危険性などをだ。
「『殺害志向』は
「……の加護に、番か……見たことがあるようなないような……」
浩一はそう言えば、とアリシアスのデータを思い出す。パーティー登録した際に彼女のステータスは送られてきていた。
ウィンドウから今もパーティーを組んでいる状態のアリシアスのデータを呼び出し、浩一は確認した。
ステータスは個人情報なために、本来は他者に見せてはいけない
名前:アリシアス・リフィヌス
公式ランク:S 戦技ランク:S
属性:色『蒼』/祝福『生命』『神』/生体『癒』『輝』
装備:
聖杖ゼクトバルスレイヤ『EX』『装甲破壊S』『魔導集中S』『魔力自動回復A』
布鎧リーネンシャ『EX』『自動防御A』『全能力上昇S』『隠蔽S』
身体改造:八院系『聖堂院』三十三段階中二十六段階(神術最高強化・魔導適正上昇・基礎七項目上昇)
スロット:非公開
戦闘スキル(公開):
『神術の心得』
『魔導の心得』
『五番』(八院系スキル。聖堂院分家に与える付与効果上昇。士気上昇)
『裏切り』(無意識系スキル、人々に根付く不信感。
パーティー内信頼値低下。士気低下。
信頼が一定以上、関心が一定以下の場合、効果は発揮されない)
アリシアスのデータを見た雪が解説をする。
「うん、こんな感じだね。『~番』系統スキルは王護院なら王護院分家の統率や指示能力を上げる『一番』、聖堂院なら聖堂院分家に付与を与え、指揮する際に士気を向上させる『五番』などのスキルが有名だね。今のアリシアスさんは『~道』っていうのがないけど、彼女が前に組んでいた炎道家の人は『炎道』、滅道家の人は『滅道』なんて家名のついたスキルを持っていたはずだよ。加護は……この人はないみたいだね。属性に愛された証みたいなもので、生まれた瞬間に持ってるか持ってないか決まるやつなんだけど、持っていない人間が後天的に持つなら属性に特化した改造が必要になるね」
それで、と雪は話を戻していく。
「『殺害志向』の効果に戻るね。あれのデータ的な効果は、発動を意識することで使用者に『暴走』『激昂』などの状態異常の付与を行うのが『殺害志向』。などっていうのは、個人差があるってこと。浩一のはたぶん暴走に近いと思う。兄さんや三十朗と同じタイプかな。結構危ないから気をつけてね。見境なしに敵に突っ込んで死んだ人の多くがそういうタイプの『殺害志向』だったから。それで『殺害志向』による『暴走』付与の効果だけど、攻撃能力の上昇と周囲への認識力を低下させる感じ、だと思う。というかミキサージャブやクシャスラが一体一の戦闘でほんっとうによかったと思うよ! 相手が増えてたら、たぶん簡単に目標以外からの横槍食らって死んでたんだからね!」
浩一はぐりぐりと雪に頬を指で押され、文句を言われる。
確かにそうだ。鍛錬時、アックスの群れ相手に殺害志向が発動してなくて本当によかったと浩一は冷や汗を掻きながら思った。
そうだ。思い出せば殺害志向の視野の狭さは問題が多い。
撤退を考えていたのにクシャスラと最後まで殺しあってしまう。どうしても戦いたくなってしまう。
対策が必要だが、思い出してしまった以上この
なにしろスキルと呼ばれているが、『学園ダンジョン』などに書いてあるスキルのように一定の効果を生み出すものではない。
スキルとは身につけた技術の名称であり、身体に染み付いた自身の性質だからだ。
だからムラがある。結局のところ、スキルなどとは呼ばれてはいるが学生や軍人の持つ性能を把握するために、機能や技能や性質に名前を割り振っただけのものにすぎないのだから。
ゆえにこれが己の性質である以上、停止するよりどうやって活かすのかを考えた方がいいだろう。
それにデメリットばかりではない。
格上殺しが成功したのは殺害志向があってこそでもある。
浩一の考えていることがわかるのだろう。雪は浩一に向かって大きくため息を吐くと、しょうがないなぁとばかりに唇を耳元に寄せた。
「わかってると思うけど、浩一が死んだら
その言葉にぞくりと浩一の背筋が震える。
それは、別に何かの機能で浩一の死と雪の死がつながっているわけではない。
浩一が死ねば雪も
ずっとずっと前、それこそ浩一と雪がこの学園都市で再会した時に言われた言葉でもある。
いや、それよりも前、ズィーズクラフトから生き残った時にも、浩一がヘリオルスで雪に教育を受けていた時にも――。
「そういう、ことか」
雪の言葉を切っ掛けにかつての記憶が思い出される。
幼い雪が浩一に言う。『こういち。こういちがしんだら、わたしもしぬからあぶないことはしないでね』
少し成長した雪がヘリオルスより救出された浩一に言う。『浩一。ズィーズクラフトにはまだ挑んじゃ駄目。浩一が死んだら私も死ぬから』
学園で再開した雪が浩一に言う。『浩一。無茶したら駄目だよ。浩一が死んだら私も後を追って自殺するからね』
そして、今再び、雪がここで言う。浩一がきちんと理解できるように。
それは全て、東雲・ウィリア・雪が殺害志向を知っているからこそ浩一に刻み込める楔だった。
――死の間際に、どうしてか雪の顔を思い出すその理由がわかる。
死線に際し、浩一に背後を振り向かせる呪いが心に刻み込まれていた。
んー、と喋り疲れたというように雪が浩一から身を離して背伸びをした。
「ご飯、食べよっか? お母さんから食材もらってきてるから、ちょっと豪華に作るね」
その姿はいつだって当たり前のように強い。
東雲・ウィリア・雪はいつだって死を覚悟している。
殺害志向を持っていない雪が死線に挑む浩一に付き合えるのもその強さゆえだ。
(
だから火神浩一は彼女に頭が上がらないのだった。
◇◆◇◆◇
流石に時間も遅くなってきたということもあり、その日、雪は浩一のアパートに泊まっていくことになった。
食事を終え、風呂にはいったあとの夜のことである。寝間着代わりの作務衣に着替え、床に敷いた布団の上に横になっている浩一の上を雪の身体が上下に動いていた。
「んッ、固くなってる」
浩一の全身を白魚のようなつるりとした雪の手が、撫でるように這いまわる。
ぺたりぺたりと、愛おしむように。ぺたりぺたりと、探るように。
「ああ、お前がいない間、随分と酷使したからな。いろいろと溜まってるんだろう」
「ん、任せて」
にこりと慈母のような笑みで雪が
「浩一の
雪が手にとったそれは電極だった。全身の筋肉や骨の具合を見終わったのだろう。取り出したそれを浩一の全身に張り付けていく。
「アリシアスさんは『青の癒し手』と言っても浩一の専属ってわけじゃないし、技師でもないからね。身体は治したみたいだけど、治しただけみたいだったね」
メンテにまで手を出されたらそれはそれで悔しかったけどね、と心なしかほっとした顔で付け加えながら雪が浩一の身体に、吸盤のついた電極をつないでいく。
その視線の先にはPADから呼び出した浩一の
浩一が自分で呼び出したものよりも詳しく情報が映しだされたソレは、人体工学の研究者が使う専用のステータス表示だ。
電極が読み取った浩一の情報がリアルタイムでステータスウィンドウを更新していく。
そして映しだされた情報を元に雪が空中のキーボードを片手で叩く。数値が入力され、計算が始まる。
「ちょっと痺れるかもしれないけど、必要なことだから我慢してね」
「わかってる。それに俺はお前を信頼してるからな。なんでも受け入れるさ」
素直でよろしい、とにこにことした笑顔の雪が浩一の身体の
電極を通して浩一の筋肉や神経を刺激していく雪。彼女はミキサージャブ戦、クシャスラ戦を経て成長した浩一のデータを取得していく。
電極以外にも道具が出される。
時には鉄球のついた棒を使って肉体を刺激し、メスで浩一の身体を小さく切り開き、剥き出しの神経や骨に薬品を塗りつける。
「ん、やっぱり、大分身体の構造が変わってるね。これが『
「らしいな。これでようやく俺も人並みってとこか?」
どうかな、と首を傾げる雪。
索敵即殺なんてもの、それなりに人体工学を囓っている雪ですら聞いたことのない
基礎ナノマシンが発現させた機能である以上、人体に極端に有害なものではないことは確かだろうけれど、と端子を取り出し、浩一の身体にある入出力端子用の穴に突き刺すとナノマシンから直接データを吸い出していく雪。
体内のナノマシンから直接情報の取得。
それは人体工学については素人のアリシアスではできない方法だ。
これは
浩一の体内情報からナノマシンに接続し、
へぇ、と雪の唇から小さな賞賛が漏れた。
それは浩一の語ったアリシアスによる解析情報の通りだったからだ。
いくつかの数値が誤差のような形で違ってはいるものの、概ね正解を導き出している。
専門は違うとはいえ、流石は四鳳八院といったところだろう。圧倒的な知識に支えられた正確な情報推測が行われていた。
「アリシアスさんの解析結果とだいたい同じみたいだね。うん、
そうか、と浩一の身体から少しだけ緊張が抜ける。ほっとしたようにお前がそう言うなら大丈夫なんだろう、と浩一は雪に言う。
こうして浩一が完全に力を抜くのは雪の前だけだった。
それを知っているから雪も自分の身体の下にある浩一の身体を機嫌が良さそうに、えへへと撫でる。
「なんだよ。気の抜けた顔して」
なんでもないよと雪が笑う。そうして彼女は思い出したように付け加えた。
「索敵即殺の肉体への経験値フィードバックだけど、あまり多用しすぎるとその時その時の状況に対して特化しちゃって滅茶苦茶になるっぽいね。前より身体能力の伸びはよくなってるから、一概に悪いとは言えないけど……これはこれでちょっと問題があるから、今後は定期的にメンテを受けてくれるかな? たぶん前より頻繁になると思うんだけど」
もちろん索敵即殺には経験を効率よく取得する機能や、即座に肉体に経験をフィードバックする機能があり、それはそれで優れていると言える。
だがこれらはそもそも索敵即殺の本来の使用用途ではないのだ。
索敵即殺とは、増殖しすぎた一種の生物に対する特攻機能である。対処した獲物に特化してしまうのは避けられない事態だった。
浩一は雪の提案に特に否もなく横たわったまま頷いた。
「ああ、大丈夫だ。全部任せる」
「うん、じゃあとりあえず週1で様子を見てみようか。それと、何かあったら身体に何もなくても私のとこに来てね」
かちゃかちゃと電極を外し、切り開いた部分を薬で治療しながら雪は説明を続けていく。
「ああ、それと殺害志向で忘れてたんだけど、あれって発動してる間は一種の発狂状態だから、恐怖とか魅了みたいな精神系の状態異常にはかからなくなるんだよね。ほら、既にどうしようもなく狂ってたらそれ以上は狂いようがないでしょ? それと一緒だね。浩一がミキサージャブとの戦いで『侍の心得』があるといっても四鳳八院すら動けなかった恐怖に耐性が持てたのはそのせいだと思う。うん、昔から浩一の侍の心得だけ変に強力だったのも、殺害志向がずっと補助的な効果を入れてたからだと思うよ」
「そうか――」
火神浩一は黒い竜のことをずっとずっと思い募っている。
それこそ、十年の昔からずっとずっと恋焦がれている。
雪は殺害志向の発動を発狂と言った。
ならば火神浩一は十年の昔からずっとずっと狂っているのだ。
そんな、あなたはずっと狂っているという意味の言葉をなんでもない様子で彼女は言い。
そうか、それはとても便利だったんだなと狂った男はなんでもないように受け入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます