若き天才たち(1)


 中天に陽が昇り、陽射しが都市へと降り注いでいる。穏やかな昼の景色。

 ただし同盟歴2088年に至ってなお、破壊しつくされた地球を覆うオゾン層の再生は完全ではない。

 この時代の人間は体内ナノマシンの機能で放射線や紫外線などに対する強い耐性を持っているが、それでも太陽の光を直接浴び続ければ細胞の破壊は免れなかった。

 ゆえに人類のセーフティーでもあるシェルター、それを覆う半透明の天蓋にはそれら有害物質を除去する役割も持たされている。

 薄膜状の天蓋は、地上に降り注ぐ太陽光から放射線や、大気中の有毒物質などを除去し、シェルター内へと暖かな光を落としていく。

 そんな研究学園都市アーリデイズシェルターの中にあるアーリデイズ学園の中庭に面する食堂。

 柔らかな光を浴びることのできる窓際の特等席に黒色の着流しを着た男がいた。

 精悍な表情に、学園都市では需要の少ない防具である着流し『白夜』を纏った青年、火神浩一だ。

 愛刀である大太刀『月下残滓』はいつでも手に取れるように、テーブルに立てかけられている。

 浩一は、小さく、ほんの小さくため息をついた。

 以前取材を受けた記者から自分の記事の載せられた雑誌データが送られてきたためだ。

 見やすいようにそれなりの大きさに開かれたウィンドウに表示された紙面には火神浩一のプロフィールが事細かく書かれており、なおかつ、最近あったミキサージャブ事件についての詳細が載っている。

 浩一とて男だ。功績を賞賛されればなんとなく面映い気分にはなる。

 だが同時に憂鬱にもなっていた。

 それはこの情報が危険だからではない。火神浩一のプロフィールは全て公開用に調整されたものだ。開拓シェルターの件や過去のナンバーズとの付き合いなども非公開となっている。

 ミキサージャブの件についても、アリシアスが事前に全て検閲し、許可を出した記事ものだ。

 浩一に不利益はない。

 しかし、記事のタイミングが悪かった。『ミキサージャブ』事件にあったその後の出来事。

 那岐と共に挑んだあのダンジョンであったこと。

 機密が用をなさない、あらゆる情報の集積地だった『大書庫』とそこで戦った精霊種たち。

 あれは今のところ誰にも話していない事件だが、詳しく調べられたらバレない保障のないものだ。

 当事者の二人しか知らなくとも、この都市には政府が放ったたくさんの目があり、たくさんの耳がある。

 それらは常にこの都市の住民の全てを監視しており、学生である以上は逃れる術など存在しない。

 そんな中で火神浩一が注目されるような記事が出ていれば、妙なところから情報を掴まれかねなかった。

(頭が痛くなるな。確かに何らかの罠は確信してたが、それにしたってやりようがあったろうよ。三十朗)

 あのアンプルの仕込みを見た時はスマートに嵌められると思ったのに、なんなんだあの杜撰なトラップは、と浩一はため息をついた。


 ――そもそもが現在の状況にため息を吐きたくなるが。


(なんで俺がこんなところ・・・・・・に……)

 ここはアーリデイズ学園にそれなりの資本が出店しているカフェだ。平和で、長閑な場所だったはずだ。

 だが今は周囲から向けられる、物理的な圧力さえ感じる視線が鬱陶しい。

 周りを見渡せば名を挙げた浩一に対して嫉妬や好奇の視線を向けられている。

 それは今までの浩一には無縁だったもので、そして浩一の性からすれば面倒としか感じられないものだった。

 功績を上げた以上避けようのないものだから我慢しているが、鬱陶しさに渋面を隠せない。

 腕を組んで目を瞑った浩一はぎしりと背もたれに背を預け、天を仰ぐ。

「こら、浩一」

 呼ばれ、あん? と顔を向ければ「むぐっ」口にフォークが差し込まれる。


「なにをさっきからつまらなそうに肩身狭くして、アンタも強い・・んだから、もう少し堂々としてなさいよ」


 突っ込まれたのはシロップに塗れた一口サイズのフルーツだ。

 もぐもぐと咀嚼しながら浩一はじろりと元凶を睨みつけた。

あによ・・・? 文句あるわけ?」

 不機嫌な浩一を正面から見返すのは絶世の美少女にして黒色の魔法使い。戦霊院せんれいいん那岐なぎだ。

 アーリデイズ学園学年十八主席、全属性特化型『百魔絢爛』の異名を持つ魔法使い。

 その風貌は生きた美術品がごとき輝きを放っている。

 腰まで伸びるしっとりと濡れたような艶のある黒髪。強い意思を感じさせる黒い瞳。

 顔の造作は完璧であり、神がデザインしたかのような美を体現している。

 そして出るとこは出、引っ込むところは引っ込んだ、十人中十人の同性異性を問わず魅了するような肉体。

 そんな彼女は、今日は聖盾『星厄』で創りだした黒のブラウスとスカートの上に探索用の外套、リーンナイツ製の真紅のSランク外套コート『悲嘆せし賢者マーリン』を羽織っている。

 今日は愛用の武器である『聖堕杖ドライアリュク』を携えていないが、彼女は無手でも魔法を使えるし、素手で戦ってもけして弱くない。美そのものといった姿の彼女ではあるが、その本質は人間兵器だった。

「まったく浩一はさ」

 指で摘んだフォークを挑発するような仕草でふりふりと振った那岐は「アンタ、私達と一緒に居て不満なの?」と呆れた目で主張すると、自分の前の皿から砂糖菓子を一口食べて自信満々に微笑む。それは自らの美を自覚しているからこその自信だ。

「それで浩一様、東雲先輩が明日帰ってきてくださるというのは本当ですの?」

 浩一に次に話しかけたのは、小さくちぎったパンを那岐に対抗するかのように浩一の口元に運ぶ、蒼空のような澄み切った青い髪を結い上げた、西洋人形めいた完璧な美しさを持つ少女だった。

 彼女は那岐と違って、装飾品のようなものは一つしか身に着けていない。飾り気の無いティアラだけである。

 そしてその恰好もくたびれた修道服にしか見えない(しかし強力な防具でもある)『布鎧リーネンシャ』。

 だが、彼女こそはアーリデイズ学年十七主席にして、死者をも生き返らせると噂されるほどの腕を持つSランク神術師ヒーラー、四鳳八院が一つ、聖堂院家を簒奪したリフィヌス家の次期当主、『青の癒し手』のアリシアス・リフィヌスである。

「ああ、本当だが……」

 口元に差し出された、美しい指につままれた一口サイズのパンを見た浩一は隣に座るアリシアスを恐る恐る見る。

 彼女は澄ました顔で「どうぞ。浩一様」と浩一を促す。「あの、な」「どうぞ」浩一は釈然としないながらもけして譲ろうとしない強い口調に観念し、パンを口にした。

(うまい、な。うまい、が。なんだこの居心地の悪さは)

 悪いことをしたわけではない。

 後輩であり、元パーティーメンバーであるアリシアスからパンをお裾分けしてもらっただけだ。

 何か言って欲しそうな顔で浩一を見上げるアリシアス。

「ありがとう。美味かった」

「そうですの。どういたしまして」

 にっこりと完璧な微笑まれた。

 浩一もそれにぎこちなく微笑みかえす。多少苦笑いが混じったそれにアリシアスはさらに微笑みを返す。

 それらを横目で見ながら那岐は周囲を見る。ただの学生と四鳳八院がともに過ごす昼食風景を伺う周囲の有象無象。

 じろじろと伺いみるような周囲の視線に、那岐は牽制するように冷ややかな笑みを返す。


                ◇◆◇◆◇


「なんでこんな……」

 ボヤキのような声が浩一から漏れるも那岐は無視をして、アリシアスが浩一の口にパンの欠片を詰め込む姿を確認して、内心でよし、と呟いた。

 これがこんなひと目につく場所で行う行為ではない、と那岐は知っている。

 四鳳八院の次期当主が二人そろって、一人の男に尽くす光景を見せるなど常識としてありえない。

 だがこうやってわざわざ人前で尽くすような真似をしていることには意味があった。

 B+ランクながらもSランクのモンスターを倒し、名を上げた男、火神浩一。

 学園都市にしても前例のない格上殺しジャイアントキリングを成功させた愛すべき馬鹿者だ。

 その火神浩一を那岐たちは無数の敵から守らなければならない。

 浩一は弱い・・。何しろSランクを倒したとはいえB+ランクでしかないのだから。

 嫉妬されるだけならまだいい。だが実力行使に出られれば花を手折るように殺されてしまうだろう。

 誰に、とは言わない。誰か・・に、だ。

 名を挙げれば良かれ悪しかれいらぬ嫉妬を買うのは世の常である。

 だからこうやって印象づけている。那岐とアリシアスのお気に入り・・・・・だと。

 それを周囲が知れば浅い考えで浩一を害する人間は減るはずだった。


 ――絶世の美女に囲まれた浩一を嫉妬で害する馬鹿が出る?


 ふと浮かんだそんな仮定を那岐は心の中で笑い飛ばす。

 クラスの美人と仲良くすれば嫉妬で害する人間が出るかもしれない。アイドルと付き合えば、ファンから刺されるかもしれない。

 そう、そんなこともあり得るだろう。

 だが四鳳八院は違う。那岐たちはこの国の支配者だ。日向だろうと影からだろうと対抗できるのは四鳳八院しか存在しない。

 そしてその辺の馬鹿が四鳳八院の愛人を(周囲から見れば浩一はそう見える。例え事実が違っていても)害すれば後悔などでは済まないことは歴史が証明している。

 だから、まるで恋人がそうするように浩一の指に己の指を絡ませながら那岐はぼぅっと考える。

 浩一が「おい、那岐。べたべた触るな」と焦ったような声を出すが、ほぼ無意識な為、離さない・・・・

 必要なことだけれど、浩一にこうすることは不快ではなかった(逆に浩一は那岐がちょっと力を込めれば指を全て折られるために非常に焦っていた。このような美しい人間だが、那岐は特別に力持ち・・・である)。

 那岐の胸の奥では未だにクシャスラと戦った時に浩一に分け与えられた熱がじりじりと心を焦がしている。

 それは不快な熱さではない。

 むしろ気分がよくなってくるものだ。

 こうやって無意識に浩一に触れてしまうのはそのためなのかもしれないと、浩一のタコだらけの無骨な指をいじりながら那岐はぼんやりと考えるのだった。


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