プロローグ(2)
『ウィングラン』――シェルター国家『ゼネラウス』に所属する学園都市シェルター『アーリデイズ』を囲むように建造された八衛星都市のひとつだ。
平時はアーリデイズに物資を供給するための生産都市として、戦時はアーリデイズからの軍事支援を受け、ゼネラウスにおける最重要拠点の一つであるアーリデイズの壁となるべく建造されている。
そんなウィングランに、ゼネラウスとその衛星シェルターを繋ぐ武装列車専用の駅のホームがあった。
『研究学園都市【アーリデイズ】行き、到着しました。直通になります。途中下車などはありませんので、お乗りの方は是非お忘れ物、お間違いなきよう――』
強い風と共にその巨体からは信じられないほどに静かな音を立てて、レールの上を滑るようにして武装列車がホームに入ってくる。
速度を意識しているのか、外観はスマートな流線型のフォルムをしているそれだが、その装甲の端々には切れ込みのようなものが見え隠れしている。シェルター外である外界に存在し、列車を襲うモンスター対策に積まれた自動迎撃装置だった。今は装甲内に収められているそれらは緊急時に開き、備え付けの機銃や砲などが出てくるのである。
出入り口が開く。どやどやとアーリデイズから乗ってきた人々が降りていく。
入れ替わるようにして、人々が乗り込んでいく。その中に少女が一人いた。
「あー、やっと戻れるよ」
長い金髪をポニーテールにした、肢体を活動的なファッションに身を包んだ見目麗しき少女だ。
彼女はチケットから読み取った購入座席への移動経路を網膜に表示させ、自らのみが見える
その目は周囲など見ていない。彼女は憂いを込めた瞳で自身の正面に表示されているウィンドウを眺めている。
それは彼女の持つ指輪型PADから表示されたウィンドウだ。
――PAD。
Portable-Almighty-Diary、という名前の通信装置だ。
もともとは軍事用に開発された、開拓兵用の
今では総合通信機器として国民全体が所持し、生活に欠かせないものとなっているが、その由来から軍事向けの機能の方が豊富な通信機でもある。
少女の所有する指輪型のPADもまた、そういうものだった。
魔法使い・魔術師・魔導師の集団である『魔導の園』で開発されたOS『88式魔導の練達者』を搭載した、三次元投影を可能とし、タッチペンや指先での操作のほかにオプションで追加せずとも思考操作を可能にする『共有者デメテラシリーズ』の最新型PAD。
普段は想い人である浩一のPADを共用にして使っている少女、
『アーリデイズに突如現れた期待の新星か!? それともただの無謀な愚者か!? Sランクを打倒した黒衣の侍、火神浩一を追求する!!』
「なんでこうなっちゃうんだろう……」
はぁ、ともう一度、雪はため息を吐いた。
雪がアーリデイズを離れてから二ヶ月も経っていない。せいぜいが四週間と少しだ。母の見舞いをし、容態を聞き、自分の肉体改造を行った。
ほぼ
「どうして、私がそこに――」
何度も見た、何度も読み直した記事にある想い人の写真に触れる。
(――いないんだろう)
雪ですらなかなか見ない公式行事用の制服に身を包んだ浩一と、隣に映っている、修道服を着た人形のような美少女、アリシアス・リフィヌス。
(くやしいなぁ)
ウィンドウの
PADのウィンドウは空間の魔力に干渉して表示されている。それをほんの少し削っただけ。それだけのこと。
そうして画面に映る画像には、火神浩一の姿しか映されなくなる。
「こういち」
ぎりり、とつぶやきは誰に届くこともない。
記事の内容はうれしくはあった。
今まで決して認められることのなかった幼馴染が評価され始めているのだ。
雪にとっても望外の幸運。火神浩一は生きているだけ無駄と貶され続けるよりもずっとずっと良いことだった。
AランクにすらなっていないものがSランクを打倒した。
ランク差が生む果てしない距離を努力で埋め、覆し、破壊する。
それは、浩一が望み、雪が切望するもので間違いないものだった。
それでも、その傍らに自分がいないのならば、自分の隣に浩一がいないのならば。
雪の視線は画面の中の浩一を貫き続ける。
◇◆◇◆◇
車窓から見える景色が猛スピードで流れていく。
列車の向かう先は、雪が八年前に火神浩一を追いかけ入学した研究学園都市、アーリデイズシェルターだ。
雪の兄も学んだ場所。そして卒業し、軍に入り、派閥を作り、都市建設警護の任を受け、死んだ理由を作った街だ。
多くの学生たちが今も学び、卒業する場所。
学生の就職先の多くは軍部であるが。雪は軍に良い思い出はなかった。
雪の知り合いの軍人の多くは、すでに死んでいる。
(でも、まだ浩一は生きてる)
母も兄も軍と関わり不幸になっていた。だが、浩一を保護したのは軍人だった兄だ。
憎む要素と憎めない要素がある。母を薬が効かない体にした軍。母の後ろ盾となっている軍。兄を竜と戦わせた軍。兄の死後も懇意にし、雪へ名門学校への手配をしてくれた軍。浩一を保護し、学園都市に縛り付けている軍。その浩一を死地へと送ろうと鍛え上げる軍。
学園都市は、政府と軍の共同で管理された都市だ。人類の明日を担うすばらしい場所。
戦えない人々を守る砦だ。モンスターの脅威を排除してきた存在だ。
もう千年もあれば、この星の各地にいる竜や神獣たちをも駆逐できるかもしれない。
旧ユーラシア大陸を中心に活動するモンスター。"旅する悪意"『アポリオン』。
旧中国大陸を荒らしまわり、山すら削り、あらゆるものを貪り歩く"鳴動する泰山"『ベヒーモス』。
深海に潜み、人類に航海を諦めさせた"大禍渦"『リヴァイアサン』。
そして大霊峰富士に巣食う大精霊、"ゼネラウス二千年の脅威"『八雷神』。
あまたの大災害がこの星の上には存在している。
人類最強を誇った兄を喰らった竜でさえ、この星の上ではただの一生物にすぎない。
しかし、人類は進歩している。
千年前はミノタウロスにさえ人類は勝てなかった。だが、今はあれを弱者と見ることのできる人間がいる。それらを生み出したのは軍だ。
人類の最精鋭、人類の守り手にして刃である軍人。すばらしいことだと思う。すばらしいことだろう。
だけれど、と雪は想い人の姿を思い返す。自分を見る顔。冗談を言い合い、ともに戦う男の顔を。
(浩一……私は――)
今の浩一や雪なら学校を辞めても民間の警備会社に就職し、どこかの開拓都市で生きていくことができるだろう。
多くの学生たちが死んでいく中、怖じ気づきそういった選択をする学生もいる。
学生の死者は珍しくない。
年間三万以上の学生が学園都市内の各学園に入学し、その多くがダンジョンや訓練、都市外実習で死んでいくからだ。
そうして学園を無事卒業し、軍に就職できるものとて多くはない。だが、それらも最前線で無残に死んでいく。
だがそれでも軍に志願するものは減らない。
軍に入って人々を守ろうとする者。軍に入ることで生活の糧を得ようとする者。名声や富を求める者。この時代、軍は人々の拠り所だ。
そう、雪は知っている。
この世界に軍は必須だ。文明崩壊以前のように戦う力を持たなくても生きていけるなんて幻想はなくなった。
この時代では人間以外の生物が、人間以上の脅威を持っている。だから軍は必要だ。
(だけど……でも……浩一が兄さんみたいに死ぬのは嫌。でも浩一は、どうして学園都市なんかに……)
別に学園都市でなくとも強くなることはできるのに。
ダンジョンだって、東雲が研究用に所有するものがある。
勉学だってわざわざ学園都市の学校に所属しなくとも、東雲の優秀な研究員たちが存在している。
わざわざ危険な学園都市に所属する必要などない。
浩一と再会した八年前に聞いた問いを雪は思い出す。
(どうして学園都市じゃなきゃいけないの? って聞いたんだよね)
答えはなかった。学園都市を選んだのは浩一の直感なのかもしれなかった。もしくは――雪はウィンドウに目を向け、思考操作する。
――子供の頃の写真が映し出される。小さな浩一と小さな雪が並んでいる写真だ。
(過去が関係しているのかな?)
雪は知らない。
十二年前より昔の浩一を。雪は知らない。開拓都市を囲む山々。ただの人間なら一日と生きていけないそこから兄が連れてきた少年の過去を。
『さてね。死んでると思ったけど生きてたようだから保護したよ。この子は、いい目をしてる』
兄の言葉を思い出す。火神浩一が何者なのか、誰も知らない。
だが、記憶を失い、人ではなく獣のようだった少年を人にしたのは雪だった。
だから雪は浩一を放っておけない。浩一が、初めて自分に笑いかけてくれた記憶があるからこそ。黙っていられない。
(黒竜ズィーズクラフト。あれさえいなければ……)
浩一の心を奪っている竜を雪は憎む。兄を殺されたことに恨みはない。だが浩一の心を奪っていることが雪には許せなかった。
雪は
軍とはそういう場所だ。都市が破壊されたのも災害に襲われた物だと我慢できた。
だけれどこれから奪われるのは堪えられない。我慢できない。
だから、浩一を人に戻した時と同じように、温もりで死地より取り戻したい。
(好きな人に死んでほしくない。だけど、それだけじゃ足りないのかなぁ)
浩一を想い、想いが行き着く先。その時を想像し、少しだけ赤くなる。
(だけど。きっと、守るから。兄さんみたいにしないから)
過去の記憶。唇の記憶。十年前の記憶。竜が生まれる前日の記憶。
雪は遠くに見える、ドーム状の巨大なシェルターを見ながら自分の唇にそっと指を這わせた。
浩一はきっと覚えていないだろう記憶。雪が大事にしている記憶。雪が浩一と共に戦おうと決意できた記憶。
それが、少女の胸の内で燃えていた。未だ炎は消える様子を見せず。故にこそ少女は自身を死地へと送れるのだ。
「でも、まずは、私の浩一を
もう一度、画面をつっと撫でる。火神浩一だけを残して切り裂かれたニュースウィンドウが、東雲・ウィリア・雪の紅眼の前でばらばらになっていく。
残るのは浩一の写真だけだ。
口角が緩む。よし、とうなずいた雪は、体内ナノマシンにお気に入りのミュージックを掛けさせると、配信サイトよりファッション雑誌のデータを引き出した。
――十二年も前から、雪の微熱は止まらない。
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