剣鬼の語らいは愛憎に満ちて(2)


 小さなテントの中に、少女の泣き声が響いている。

 感情を揺さぶる慟哭を聞きながらも、浩一は毅然とした態度を保っていた。


 ――那岐が憎かったわけではない。


 言わなければならなかったことだ。

 目の前で泣き喚き続ける女がどれだけの力を持っていようとも、どれだけの権力を持っていようとも。

 例えただの腕の一振りで浩一を肉塊にできる存在だとしても、言わなければならないことは、言わなくてはならない。

(後味は悪いがこれも俺の性質か……ああ、もう少し優しく言ってやってもよかったかもしれんが)

 いや、決定的な言葉が変わらない以上、言葉をどう取り繕うがそれは浩一の自己満足に過ぎない。

「ああ……うぅぅ……どうして……」

 今も那岐は、泣いている。ぐずぐずと、子供のように泣いている。

(だが、戦霊院。なぜ泣く?)

 泣く少女を前にして、浩一は不思議だった。

 どうして泣いているのかはわかっていても、何の為に泣くのかは理解できなかった。

 悲鳴は誰かに聞かせるためのものだ。助けて欲しいと懇願するためのものだ。だがここには那岐を助けるものは誰もいないのだ。

 ままならない自分の運命に那岐は泣いている。

 責任を押し付けようとした無様さに那岐は泣いている。

 理解してくれない浩一に那岐は泣いている。


 ――この二人は、最初から噛み合っていなかった。


 否、そもそもの話、浩一はわかりたく・・・・・ないのだ・・・・

 浩一にとって、『殺意』とは、徹頭徹尾自分自身のものだった。

 戦いも自分自身のものだ。そこに誰かが介在していいわけがない。誰かが在っていいわけもない。

 誰かのために行う闘争を浩一は醜悪だと思っているし、結局のところ、他者の為に、という自分勝手極まりないもので何かを殺したところで、殺した者が得られるものなど自己満足以外の何物でもない(と浩一は思っている)。

 それだって他人が勝手にやるならいい。だが俺を巻き込むな、と浩一は思っていた。

 そうだ。浩一の為に戦いを決意した雪でさえ、それだけは弁えている。あれ・・が浩一のために戦うのは自分のためだ。

 無論、今の那岐に最も必要なものが自分を騙すためだけの優しい嘘であることも浩一は知っている。

 しかし、結局破綻すると知っているなら、その自己満足を那岐に許すほど浩一は優しくもなかった。

 己に強くあれと徹底して強いる人種は、時として、弱者の存在を絶対に許さない。

 浩一は手元に視線を戻す。そこには解体された月下残滓がある。

 部品が整頓され、手入れされたものと、いまだ手入れを待っているものとがある。

 浩一は部品のひとつを手にとった。

(戦霊院の身体は、理想的な身体だ……)

 究極的に優れた物は部品一つとっても美しい。

 月下残滓の内部部品のひとつだろうパーツは、テントの中のライトの光を吸収して奇妙な美しさを浩一に見せていた。

 浩一には、その部品が治療中に見た那岐の内臓に重なった。

 那岐の体もまた、長い年月をかけて研鑽された技術を惜しみなく注がれた身体だった。戦うための肉体だった。

(もったいない……俺にお前のような肉体があればな。考えても仕方ないことだが……)

 浩一が月下残滓の部品に手入れ用の布を当てたところで那岐の泣き声が止む。

 結局のところ、泣いたところで意味はないと気づいたのだろうか?

 助けを求めるように那岐が見つめてくる。仕方なし、と浩一は顔を歪めて視線を合わせた。

 那岐の自己欺瞞に付き合えない以上は、せめて愚痴ぐらい付き合ってやろうと思ったのだ。

(馬鹿な女だ。お前がせめてもう少し愚かで、もう少し鈍かったらよかったんだがな)

 それか、アリシアスや学生会長である王護院天上などのように、他者と隔絶した場所に心を置くかだ。

 そうしたなら、きっと自分の弱さになど気がつかなくてすんだだろう。

 浩一は那岐から視線を外し、部品の手入れを始めていく。汚れをふき取り、ドイルから無料で貰った最高級の機械油を差していく。

 ひとつひとつ丁寧に行う。これが次の戦闘の、その次の戦闘の、更に次の戦闘のために必要なことなのだから。

「こ、浩一」

「なんだ」

 声が掛けられた。那岐の泣き声が途切れてから、それほど時間は経っていない。

「……あんたが、その、見たことのある連中は……結局、どうしたの?」

「見たことのあるって、つまりお前と同じ状態にあった連中のことか?」

 頷きだけが帰ってくる。

 浩一は直感で、この質問は那岐が本当に聞きたいことではないことに気がつく。

 しかし、今の那岐は、それほど強くはない。

 だからきっとこれは前振りに過ぎないのだろう。それに誰かの末路を知ることは那岐に必要なことかもしれない。

 だが、浩一の知る者たちでは今の那岐と過程は同じになっても、末路が同じになることはない。


 ――四鳳八院は特別だ。凡夫の末路とは重ならない。


 那岐は聡い。答えを知ることで自身と周囲との溝の広がりに気づくことになるだろう。

 だが聞きたいというのなら、浩一は語ることにする。

「そう、だな。殆どは学園を辞めて、出身シェルターに戻って民間の警備会社に入るか、あとは、研究職に就くか、だな」

「民間の警備会社って、なんで? 殺すことが嫌になって辞めたんじゃないの? どうして警備会社なんて、同じことじゃない」

 警備会社といっても人間相手のもの以外にもある。

 民間の研究者などが出す、軍が赴かない地域の調査依頼などだ。そこでは当然、モンスターを殺すこともある。

「別に、殺すだけが警備ってわけでもないんだが……そうだな。そいつらは殺し続けることが嫌だっただけで、別に殺すことを否定しているわけじゃないからだろう」

「なによそれ」

 怒り。強い怒り。那岐の言葉には怒りが篭もっていた。

 嫉妬では、ない。憤怒とも言い換えることのできる怒りが那岐の言葉には入っていた。

「八つ当たりか?」

「違うッ!」

「わかってるよ。お前のは、アレだろう。自分は諦めようとしてるのに。他の人間がのうのうと殺しを受け入れて殺していくことが許せないんだろう。潔くない。殺したくないから止めたのに、止めた先でまた殺している。だから怒ってるんだろう」

「……なんで、わかるのよ」

 だから、同じ人間を見たことがある、と浩一は続けた。

 那岐が少しだけ、気持ちを落ち着けて浩一を見た。浩一も、話を促されているとわかっている。わかっているが。

 少しだけ自分のことを語ることにする。見知らぬ誰かの言葉では届かないかもしれないからだ。

「俺が、この学園都市じゃあ出来損ないってのは知ってるだろう?」

「……ええ、まぁ、知らないわけじゃないわ。浩一が、その、『刀だけイクイップスワン』って名前で呼ばれてることも、改造ができないことも、スロットさえないことも、何もないただの人間未満って言われてることも」

 那岐はそこで言葉を切る。『刀だけ』。刀だけしか使えないという意味ではない。真の意味は、浩一などより持っている刀の方がまだマシという揶揄だ。

 力もないのに名門に所属している場違いな学生への、周囲からの嫉妬で生まれた蔑称だった。

「基礎の改造すらできない以上は、な。人間扱いされるようになったのは随分と最近の話だ。だがこの都市じゃあ、当たり前ができない人間はそんなもんだよ。人類全体に使われるべき貴重な資源を使って生かしてもらっている穀潰し・・・

「な、何よ。私がそうなるってこと? そんなことは、十分すぎるほどわかってるわよ。それで、アンタが、その、出会った連中についての話ってのは、しないの?」

「するよ。してやる。だからまぁ、俺にとっても愉快じゃない時期の話だってわかってもらえればいい。誰だって愉快じゃないときはあるけどな。俺がお前に話すのもさっきのを多少はすまないって思ってるからだが」

「……いいから。お願い」

 浩一が馬鹿にするように鼻を鳴らした。じと目の那岐が睨むが浩一はどうでもよさそうに話を始めてしまう。

 憮然としたような表情を那岐は浮かべたが、浩一が相手にもしていないことがわかり、悔しそうな表情を浮かべた。

「これは結構、前だな。六、七年ぐらい前の時期だったか。とにかく、俺は酷い時期だった……当時、Eランクだった俺は、Dランクのモンスター相手に毎日毎日死ぬような目にあっててな。身体もできてない、何もかもが足りない中、必死に戦っていた。そんな時期だと思ってくれればいい。Dランク相手に苦戦とか、生まれた瞬間にBランク相当の力を持ってたお前みたいな連中にはわからんだろうが。学園都市の底辺ってのはそんなもんだ。もちろん、最底辺の、言葉通りのFランクふりょうひんとは状況は異なるけどな。どちらにせよ、俺がいたのはそういう環境だ。名門アーリデイズの失敗作が集まる特殊な実験場。そこに俺たち・・・はいた」

 浩一の話す内容に、咄嗟に那岐は言葉を出せなかった。

 学園都市を管理する側にいる那岐とて更生施設たる実験場の存在程度は知っていたが、その中身まで理解していたわけではなかったからだ。

 それでも、疑問は漏れる。

「でも、アンタは、その、改造できないんじゃないの? ならそこに入る理由なんて」

 浩一には何もできない。

 だから、肉体に手を入れることが前提の実験場には入る必要がないのだ。

 そもそも有力者の推薦枠コネで入った浩一だから退学する必要もなかった(卒業できるかは別として)。

「俺は自分から入ったからな。他の強制的に放り込まれた連中とはそもそもの事情が違う」

 だから、今から語る言葉には客観視できないものが混じるだろうと浩一は付け加えた。

 自分から入った? あまりに理解から離れた理由に、那岐が浩一を驚いて見るが、そこには那岐に真実を突きつけたときと同じ、弱い者を容赦なく切り伏せる修羅の目をした侍がいるだけだ。


                ◇◆◇◆◇


 その場所は、人間を効率的に分析し、効率的に修正し、効率的に戦闘させ、効率的に危機的な状況に追い込む・・・・場所だった。

 放り込まれた人間を致命的な状況へと追い込み続け、肉体の理解を肉体に叩き込み、火事場の馬鹿力を無理やり引き出させ、無理やりに次の段階へとステップアップさせるための場所だった。

 しかしアーリデイズ第四更正施設、通称『処分場』は他の第一から第三までの更生施設の間で、これは無理だと判断された学生が送られる場所だ。

 如何に苛烈な更生施設と言えど、他で無理だと判断された学生が対象である以上、殆どの学生がステップアップなど望めるわけもない。

 優秀な素体であると判断されたアーリデイズ学園の学生たち。

 その中にも存在するのだ、改造が失敗した学生や才能が枯渇し、成長が頭打ちになった学生が。

 当然その中にはアーリデイズより下級の学園ならばトップとして受け入れられるだろう、十年に一人の逸材、百年に一人の天才なども混じっていた。

 もちろん、彼らの中には彼ら自身の責任で成長が頭打ちになったわけではない学生もいる。

 才能がありながらそれほど優れているわけではない研究者の下に配された者。

 肉体改造が運悪く失敗に終わった者。肉体改造の方向性が間違っていたもの。

 自分で自分の身体の自由を決められない師弟制の制度を選んだ者の中には、そういった理由でドロップアウトしていくものも、多くはないが存在した。

 彼ら自身に責任があろうとなかろうと、彼らは消えていくしかなかった。

 だから彼らは抗う。どうしてもアーリデイズ学園に残りたいと希望する。

 そういった落ちこぼれが最後にたどり着く場所がこの更生施設だった。

 その第四不良学生更生施設に火神浩一は半年間いた。

 半年ほど毎日のように、常人ならば発狂してもおかしくない行程で身体を苛め続け、ランクをひとつ上げて出て行った。

 今まで誰にも相手にされなかった浩一が一部の学生や教師に認められたのはその後だ。

 そして施設にいた半年の間、そんな諦めない浩一に興味を持って話しかけるものが数人いた。

 浩一が那岐に語ったのはそういった連中のことだ。

 彼らは問う。どうして君はモンスターと殺しあえるのか、と。

 心に悩みを抱えた学生たちは、ほとんど生身でありながらも、平気でモンスターと死闘を行える浩一へ自身の悩みを聞いて欲しくて話しかけるのだ。

 無論、そんな人間を浩一がまともに相手にすることはなかった。

 浩一自身が若すぎたせいもある。現在ほど心に余裕のある状況でもなかった。

 それでも相手は勝手に話し続けたために浩一の記憶に彼らは残った。

 Bランクの戦士、Aランクの魔術師、Cランクの神術師、B-ランクの重戦士……彼らは心の問題さえ片付ければもっと先へと進める才能を持っていた。

 心の問題さえ解決できれば、Sランクへと到達する者すらいただろう。

 けれども彼らの心は、肉体を超越できなかった。

 無意味に戦うこと、無意味に殺すこと、強くなるため、研究のため、そのために殺すのは許されることなのかと苦悩した。

 浩一にとってそれは理解の外だった。全ては己の自己満足だ。

 切望を果たすため、そのためだけに命を使っている浩一にとって、他者の戦う理由などどうでもよかったからだ。

 浩一は身体を鍛え続け、学生たちは悩み続けた。


 ――そんな日々にも最後の日は訪れる。


 浩一が処分場を出る一週間前の出来事。『悪魔の七日デモンズセブン』と称される期間だ。

 狂的な科学者によって凄惨な実験が行われた。

 神は七日で世界を作ったが、この科学者は七日で学生を殺し尽くした。


 ――生き残ったのは、浩一だけだった。


 もちろん、全員が全員死んだわけではない。

 身体だけは生き残ったものがいる。そもそものもの・・が違う学生だ。身体が丈夫だから生き残れた。

 しかし心は死んでいた。

 彼らは例外だ。

 皆、例外なく死んだ。皆、弱くて・・・殺された。


 ――だから、まともに更生できたのは浩一だけだった。


 実験は終わり、心が強靭すぎたために生き残れた浩一がアーリデイズ学園に戻る中、身体が残っても心が残らなかった学生はアーリデイズシェルターを出て行った。

 もちろんそんなことまで浩一は語らなかった。浩一が那岐に語ったのは、その中の一部だ。

 心の問題に悩んだ挙句、結局打ち勝つこともできず、去っていったものたちがいたこと。

 彼らの誰もが悩みながらも妥協できる地点を探していたこと。

 浩一はそれらに一切手を貸さなかったこと。


 ――それだけを話したのだ。


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