剣鬼の語らいは愛憎に満ちて(1)


 テントの中で愛刀たる月下残滓の整備をしながら火神浩一は戦霊院那岐に宣言した。

「もう一度アレとやる。いいな?」


 ――『【スプンタ・マンユ】 第四階層【アールマティ】』


 一度負けた相手と戦う。殺されてもおかしくない戦力差があるはずなのに、再び挑む。

 それも、強制されてではなく、自分から。

 そんな己の理解から外れた浩一を那岐は観察し続けていた。

(こいつは、怖くないの……?)

 黄金竜ではない。戦うこと、殺されることにだ。

 那岐は殺されることの恐怖を知った。記憶は鮮明だった。

 それに、と自分の内側を知った那岐は、震える心を抑え込む。

 那岐が感じていた疑念の正体についてもようやく理解できた。昔は無意識に感じていたことを、だ。

 那岐が怖かったのは、知性ある相手を殺してしまうこと。その結果として恨みを買うこと。

 だから今まで殺してきた相手を思い出すと身体は震えずとも心は怯える。感情が溢れる。

 敵対してきた精霊たちによって全ての虚飾を剥ぎ取られた今となっては敵を殺すことも戦うこともできなくなっている。

 それは、報復されることが怖いわけではない。

 そもそも殺してきた相手の親類縁者や同族、同胞が何匹、何十匹、何百匹連なろうとも那岐が万全であれば、一人で全て殲滅できる。

 だから那岐が畏れるのはきっと、それらがもたらす、後の世の正しさなのかもしれない。

 学んできた正しさや今の世界の常識によって那岐は数多の恨みを受け止めてきた。


 ――だが、教えは間違っていた。


 モンスターに知性はあった。

 疑念は確信へと変わってしまった。戦うための心の柱がなくなってしまった。

 自らを四鳳八院に足らしめていた根拠がなくなった。心を守るための盾が、盾としての正当性を失ってしまった。

 那岐は受け止めるべき恨みを受け止められなくなったのだ。

 だからもう、那岐は生きた死体だった。父か弟か、身内による死を待つだけの身となった。

 抗おうという気も、あの竜を模した精霊によって破壊されている。

 那岐は確信していた。自分はもう、二度と戦うことはできないと。

 疑念を持ったまま戦っても、相手を殺すことはできない。

 だが那岐の強すぎる力は、手加減すら手加減にならない。

 那岐の相手をすることになったものは死ぬだろうし、敵が死んだならば、その死を那岐は受け止められない。


 ――だから那岐は、自らの死を受け入れることにしていた。


「火神、浩一……」

「ん、ああ。どうした」

「もう一度やるって言ったけど、これからどうするの? アレには勝てそうにないし、私も……私は、無理。もう、駄目なのよ。私の力を期待してるならごめんなさい。私は、もう、助力もできない。前に偉そうなこと言ってたけど、誓約は果たせない。ごめんなさい」

 驚いたような目で那岐を見る浩一。

 それに那岐はそれ見たことかという気分になる。

 ミキサージャブのときも、アリシアスの助力があってようやく討伐できたような男だ。

 興味のない振りをしていても、本当は那岐の力を当てにしていたに違いない。

 くつくつ、と笑い声が聞こえてくる。

 浩一だった。浩一は、月下残滓の部品に油を差しながら楽しげに笑っていた。

「なんだ、戦霊院。お前、相当イカれちまってるんじゃないか。というかだな、俺も、お前は無理・・だと思ってたよ。気にするな。どちらにせよ、お前抜きでやるにはちときつい相手だが、できないわけじゃないんだ。やれないはずがないんだ。あれは最初から俺だけで叩き落すつもりだった。なら俺がきちんと思い出すべきことを思い出せばできるはず。そうじゃなきゃ俺がここにいる意味はない」

「アンタ、何考えてるの? まさか、私抜きでアレとやろうとか考えてないわよね? 死ぬわよ。確実に。絶対に。そもそも――」

「空を飛ぶ敵に対して攻撃手段はあるのか、か? 未だB+の俺に何ができるのか、か? それとも――そんな言い方で自分がどれだけアレに対抗できるかを俺に売り込んで、使って欲しい・・・・・・とか思ってやしないだろうな?」

 見え透いてるんだよ、と浩一は言った。呆れた口調だった。


 ――那岐は、図星を突かれていた。


 浩一の口調には悪意は篭もっていなかった。ただ、感じた事実を並べ立てて那岐の中にあったやましさ・・・・を貫いただけだった。

「戦霊院。お前、自分の中に戦う理由が見いだせなきゃ、他人に寄越してもらおうって腹なんだろうが……――いや、言い過ぎか」

 浩一の顔に浮かぶのはそこまでいうつもりはなかったという気まずさと、どちらにせよ言わなければならなかったという諦観だ。

「あ……その、別に、私は、そのッ。違うッ。違うのよッ。私は、わた、私は」

 那岐は愕然とした。なんて恥ずかしい真似をしてしまった、と自覚・・してしまった。


 ――戦霊院那岐ともあろうものが、他人に生命を委ねようとしていたのだ。


 だが那岐の動揺は本人が思うより深いものだった。

 身体は震えない。身体は怯えない。だが、言葉に狼狽は混じる。脳が感情に左右されて冷静さを失う。

 浩一はなんでもない様子で問いかけてくる。

「私は? 私は、なんだ・・・?」

 それが、那岐にはまるで責めているように聞こえてしまう。

「違うッ! 違うッ!! 私は、その、助けてほしいなんて、思ってないッ! 死ぬ覚悟だってできてる。お父様に殺される覚悟できてる。こんな、こんなザマで四鳳八院にいられないことぐらいわかってるの。で、でもね。でも、あ、アンタ。どうするの? 私がアンタを見捨てて、B+のアンタをこんなところで見捨てたら」

「だから」

 那岐が語る甘えに満ちた懇願を、浩一は真っ向から叩ききった。

「俺は、俺でなんとかできる。確かにお前がいればそりゃ楽だろうがな。どっちにしろ、今のお前を入れても、負けの確率が増えるだけだ。確かにお前は死を恐れていない。戦霊院那岐は、敵に殺されることに対しては、覚悟はできている。それは、疑いようのない事実だろうな」

「そ、そうよッ。そうなの。私は、大丈夫なの。大丈夫。殺されるなんて、受け入れられる。大丈夫。大丈夫なのよ」

 そう、死はもう怖くない。覚悟は決めた。だから、怖くないはずだった。

 だから浩一の言葉に、那岐は自信をとりもどしたように勢いづく。

 そんな那岐は、浩一が己を見る目に含んでいるものに気づかない。気づけない。

 だから、直後に言われたそれに、勢いを止められる。

 浩一は呆れを込めて、那岐に言い放った。

「でもお前。敵を殺せないだろう」

「……あ、あ、ち、あ、そん」

 言葉に詰まるも、思い出したように那岐の口は動き続ける。

 まるでそれは、一度でも言葉を止めてしまえば、再び開くことができないと知っているのかのように。

「ち、あ、そ、そうよ! アンタが殺すんでしょう。あ、アンタが。だ、だから、わ、私が殺す必要なんて」

「だからお前、戦闘の補助も十分殺意の有無で左右されるだろうに。それにお前な……あー、いや、俺が言ってもな」

 何かを言おうとして口を噤む浩一。普段の那岐ならば気づけただろうそれ。普段ではない那岐には気づきようもないそれに。

「な、何よ。は、早く言いなさいよ。そんな、まるで私を責めるみたいな真似しなくても、私はッ! 私はッ!!」

「わかった。わかったからそう自分の首を絞めるような真似は……」

 那岐が、勢いよく立ち上がっていた。浩一を見下ろしていた。

 その目には煩わしさと、弱者の焦燥が混ざったものが浮かんでいる。

 浩一は諦めたように、答えを放った。

「あぁ、言うぞ……つまり、俺を促して、殺害の理由やら許可やら指示を俺に求めてるみたいだがな。そんなもん、そもそもの前提が間違ってるんだ」

「ぜ、前提? 前提って、その、何よ。第一、殺害って、そんな、私は、押し付けようなんて」

「ある意味、哀れに思う。でもな。言っておかなきゃならんことだから、ちゃんと言う。お前がな。ここで俺によっかかってお前の今の状態を脱しても無駄だ。この一戦は良くても後で必ず絶望する」

 一拍置かれる。那岐は、その一拍を気づかない。

 普段ならば、きっと覚悟を決められたであろう一拍は、ただ那岐の焦燥を加速させるだけの一拍になっていた。

 那岐は、浩一に縋りつくような目を向ける。

 言わないでと唇が勝手に動いたが、音は放たれず、それが言葉になるようなこともなかった。

 浩一は、それが良く聞こえるように、月下残滓の部品を床に敷いたシートの上に丁寧に置き、那岐の顔を見て、真正面から言い放つ。

「つまり戦霊院、お前はな。四鳳八院の次期当主は……俺らに殺せって命令する側なんだよ」

 だから火神浩一を理由にするのは無駄だと。

 戦霊院那岐が戦霊院ではなく、ただの一学生ならば浩一に委ねられた責任も、戦霊院那岐に限っては、押し付ける相手が間違っている。


 ――そもそもの話。


 頂点は、誰に押し付けられるものでもない。

「あ、ぁあ、あぁぁあああああ」

 それに気づかされた那岐の絶望は、どういったものだったのか。

 縋るもののない状況。目の前には戦意十分の、助力を行う理由のある者がいた。

 だから、それに殺害の理由を押し付けようと考えてしまった。

 那岐からすれば、奈落に落ちる途中、目の前に糸が垂れていたも同然だったのだ。

 浩一は戦いたがっていたから、だから浩一も喜ぶと思ってしまった。

 那岐は、掴んだ糸が途中で切れていることがわかってしまった。

 否、そもそも糸などなかったのだ。落ちる途中に見えた壁の模様がそう見えただけの、那岐の勘違いだったのだ。

 落ちている途中で壁に手をつけば、手は当然、擦り切れる。摩擦で擦り切れてしまう。


 ――心が、また・・擦り切れる。


 だから、直後にテントに響いた悲鳴は、ただの少女のものだった。歳相応の子供のものだった。

「あああぁあああぁあああ。ゃぁあああぁあああ、やぁあああああああああ」

 叫びながら、目の前の男が火神浩一でなければいいのにと那岐は思った。

 相手がただの学生であったならば、自分を強姦してでも己の女としただろう。

 那岐に考える余地も与えなかっただろう。ここまで弱った那岐の肉をむさぼり、骨までしゃぶろうとしただろう。

 目の前の男が憎かった。火神浩一がただの男であれば、ただの男であったならば、きっと自分は、ただの女になれた。

 だが浩一は那岐が女になることを許さなかった。


 ――なんて酷い奴なんだ。


 普段は四鳳八院としてみないくせに、その利益を啜ろうともしないくせに、肝心な時だけ那岐が四鳳八院の、戦霊院那岐であることを強制してきたのだ。

 泣き声がテントに響く。

 いつまでも、いつまでも。


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