石の女神は悲しみにくれ(2)


 ほんの一瞬だけ、戦闘の中に空白の時間が生まれる。

 戦霊院那岐と、石の女神たるアールマティはお互い距離をとって、間合いを図っていた。

「う、うぅ……うぅぅ」

 いや、那岐はそれどころではなかった。

 那岐は勝利の方法がわかったというのに狼狽えていた。

 法衣を纏った女性の姿をしたモンスター。その周囲を漂う石の板の形をした『魔力殺し』。

 あれさえなければ、何も考えずに魔法で遠距離から殺せたというのに。

 嗚呼、きっともっと良い方法はあるのだ。直接攻撃しなくとも、きっと。

 だが、今の那岐は細かい行動ができない。考えられない。

 敵は敵でしかない。それらを倒す策に、脳の容量を向けるよりも――心を締める疑念に意識は埋まっている。

 那岐が気づいた自身の戦えない理由。戦いたくない理由。

 四鳳八院からすれば惰弱に惰弱を重ねた理由。

(家のッ! 民衆のッ!! 先駆けとなるべき私がこの様でッ! 一体どうするっていうのッ!!)

 わかっていても心の動きは止められない。

 目の前の、人の形をしたモンスターに人間を重ねてしまう。そして殺した後の、心の痛みを想像してしまう。


 ――那岐は・・・強すぎた・・・・


 これが半端な戦闘力しか持たない人間ならばこんな無駄なことを考える時間などなかった。

 殺される恐怖で、相手を殺していただろう。

 だが、四鳳八院は強すぎた。

 半端な相手ではどうやっても最後には勝てて・・・しまうから。

 戦いに余計なこと・・・・・を持ち込んでしまう。

『さぁ! どうしたえ! 向かって来ないのかえ!! さぁさぁさぁッッ!!』

 那岐と眼の前のモンスターは同じSランクだ。しかし、Sランクの中にも差がある。

 ミキサージャブや、那岐はSランク上位だが、目の前のアールマティはSランクの中でも弱い方だろう。

(わ、私が本調子なら、あんな奴、一瞬で殺せるっていうのに……!!)

 悔し紛れの愚痴を吐いてしまう。そう、目の前のモンスターに、人々を重ねてしまうからこそ那岐は動けない。

 目の前のモンスターを見ていながら、那岐は目の前など見ていなかった。


 ――だから、どっちつかずのままに、惰性・・で敵を攻撃しようとしてしまう。


 ざらりと、心を縛る鎖を想い、那岐は呼気を吐き出した。

 ゆらりと、展開したままの魔法陣が那岐に追随して動いていく。

(乗り越える……乗り越える……乗り、越える……ッ!!!!!)

 吐き出すのは息だけではない。殺意を声に乗せ、溢れる感情のままに杖を強く握る。

「大陸を疾駆する覇の蛮族。手に持つ刃を片方に、怖気を催す首を片方に、六十六の万里を超えて」

『まだ無駄とわからぬかや。汝が行動は子供の駄々となんら変わらぬ。さぁ、我の前にひれ伏せよ。今なら両手足程度で許してやるえ?』

 石の女神の表情は優しげだ。

 そして、こうして那岐を挑発するだけして、攻撃を開始しないということはおそらく、アールマティの攻撃方法はそれほど強力なものではない。

 そもそも、魔力殺しはその性能からか能力のリソースとして重く、所有しているだけでそのモンスターの機能スキルの大半を食い潰す。

 そんなものを備えた状態であるならば、アールマティ自体はそれほど強くはない。強くはッ……。

(目の前の敵は、弱い・・……ッ!!)


 ――四鳳八院の持つ欠陥・・の一つだった。


 脳を殺意に染めようとも、生来の脳機能が敵の戦力を冷徹に見極めるふりをして、本来より敵を甘く・・計算してしまう。

 彼らは強すぎて、己より強い生き物との戦闘経験が少なすぎた。

 だから、甘く見通してしまう。

 勝てると妄想してしまう。

 敵を自分の想像の範疇に収めてしまう。

 敵の未知に対して、対処が甘くなる。

「民を蹂躙し、屍を並べ、刃は其処此処に」

『えぇッ? 無駄かえ? 汝が脳は言葉を放棄したのかえ? えぇッ!!』

「ッ……」

 敵の防御の上から殺すべく詠唱を進める那岐の目の前で、アールマティの腕に大量の岩が生まれていく。

 虚空から取り出すように、魔力によって無から有を発生させる。

 アールマティが腕の周囲に生み出す、浮遊する岩。その一つ一つの大きさは、那岐の頭よりほんの少しだけ大きい程度。

 一発一発なら例え直撃を受けたとて首がもげることはない。

(投げてくるの、かしら?)

 あれが投擲武器だとして、次々に那岐に着弾したとしても、頭を吹き飛ばされでもしない限りは那岐の命は失われないだろう。


 ――那岐の背筋に冷たい汗が流れる。


(なぜ、敵の攻撃が近接攻撃だけだと……考えていたのかしら?)

 魔力殺しで遠距離攻撃はできないと考えてしたからか。

 だが、毒を持つ生物が自分の毒で死なないように、なんらかの対処法があるのなら……。

 そして相手が今まで積極的に攻撃をしなかったからといって、相手が魔力殺しに胡坐をかいているわけはない。


 ――遠距離攻撃の手段がないとは誰も言っていない。


 那岐の背筋に走る恐怖。那岐の本能が撤退を促す・・・・・。しかしそれら全てを那岐は即座に叩き潰した。

 ここで、この敵から、この心の問題が解決する前に戦いから逃げ出したならば!

 戦霊院那岐は戦場に立つ気概を失うことになる。それを自力で取り戻すことは、神にも不可能だろう。

「千の戦場よッ! 万の屍よッ!! 刃を掲げよッ!! 古の兵はここにありッ!!」

 那岐の周囲の魔法陣が、那岐の詠唱に従って構成を変更する。そう、これは戦霊院那岐が詠唱まで用いて発動する大魔法!!

 百を数える魔法陣が色とりどりの光を放ち、金の刃、銀の刃、鋼の刃。無数の刃で那岐の周囲を満たす。

 そうして那岐の杖の動きに従い、刃先を揃え、アールマティへ向かって那岐の殺意を顕現させる。

 石の女神はそれを鼻で嘲笑った。

 魔力殺しを展開している相手に、愚直にも魔法で挑むなど、知能のない最下等のモンスターでさえ行わない。

なれの顔は良いゆえ、無聊を慰めるために飼ってやろうかとも思ったが、馬鹿はいらぬ。我が直々に手を下してやる故、ここでく、果てよ!!』

「アレを粉微塵に砕きなさい。『戦場の再来』ッ!!」

 那岐が生み出した二千を数える金属の刃が天を舞う。地より那岐を守るように無数の魔力の槍が生み出され、穂先を天に突き出す。

『無駄えッ! 汝は何も理解しておらんッ! 我の前に立ったのならば、顔を伏せて地を舐めるのが正しき作法だろうに。汝は正気か? 愚者とて腹を見せる程度の知能はあらんや!!』

べしゃくしゃ・・・・・・とうっさいわね! その傲慢、砂になるまで蹂躙してやるッ!」

 感情が生み出した不快感を威勢でもみ消し、那岐は杖を振り下ろした。

 魔法陣から生み出され、宙を舞うだけだった黄金の刃がアールマティへと高速で射出される。

 自身に向かう刃を見たアールマティは口角を愉快げに吊り上げた。

 感情のないはずの精霊モンスターにしては情緒のある行動に、那岐の頭脳に疑問が生じるも、それを強引に無視して戦う。

(そうよ、知性も感情もないのがモンスター。知性があると私が勝手に勘違いして、怖がっているだけ……)

 『人類に積極的な敵対意思を持つ生物群』。文明を見たら、自動的・・・に襲いかかる。それこそがモンスターなのだから。

 那岐は、普段ならば複数を同時に考え、戦うこともできる。だが今はできなかった。

 心が乱れているのもあるが、那岐が現在展開、維持している魔法は、金属属性の最上位魔法だ。

 一般的な魔法使いが二人以上で連唱して発動させるもので、まともな魔法使いならば単純に維持するだけでも身動きのとれなくなるものである。

 いつもの那岐ならば、これを維持しながら別の魔法を使う余裕すらあった。

 だが、那岐には連戦の疲れがあるうえに心がまともではない。

 今の那岐は思考にリソースを割くことはできない。ゆえに疑問は彼方に置かれる。


 ――そうだ、敵の防御が岩の板ならば飽和攻撃で殺すしかないのだ。


 首を締めて殺すなど、できるわけがないのだから。

 決死の表情を浮かべる那岐の前で、アールマティは嗤っていた。

『我が怒りは大地の怒り。地よ、吼えろ。猛りを見せよ』

 アールマティは高速で飛翔する千を超える刃に対して、腕に収束させた岩の塊を振り回すことで対処した・・・・

 やはりSランクは伊達ではない。身体能力が高い。

 アールマティのその姿からは想像ができないほどに、重く速い踏み込みによって床に敷き詰められた石畳が粉微塵に砕け散る。

 石の女神アールマティの細腕は足元の破片など気にもかけず、ォン、と唸りをあげ、一閃、二閃、と宙を薙いだ。


 ――那岐の刃は届かない。


 岩を凪ぐ音に、バリバリゴリゴリガギンガギン、と音が続く。

 アールマティの眼前に散乱する砕かれた金属の刃。それが現実の金属ならば、飛翔の勢いはそのままに、刃の群はアールマティに向けて殺意の雨となっただろうが、金属の刃も元は魔力だ。砕かれた端からそれらは空中で露と消え失せる。

 続く攻撃の為に、更に重い踏み込みを石床に打ち込むアールマティの顔に嘲笑が浮かぶ。

 敵の力を見定めることができなかった魔法使いを嘲るそれ。

 普段ならば那岐も怒りに感情を染め上げていただろう。

 しかし今はそれを見ようとも那岐の感情は変わらない。今の那岐の心は、自身にしか向いていない。

「まだ、まだまだ! まだまだまだッ!!」

 未だ残る千を超えるの殺意の刃が、時を削るがごとく、アールマティへと降り注ぐ。

『無駄え! 無駄無駄ァッ!!』

 アールマティの更なる踏み込みと共に、舞を舞うかのような動きで蹂躙される金と銀の刃。

 驟雨がごとく那岐の殺意が攻め寄せるも、傷一つ与えられずに全てが砕けていく。

 だが那岐も諦めない。「死になさい!!」石の女神の周囲三百六十度。その全てを刃で埋め尽くす。

 迫り来る刃がアールマティの防御の隙間を見つけ出す。

 岩の天女が、自身へと迫る刃を見つめ、艶然と微笑んだ。

『ふふッ。こそばゆい』

 瞬時に岩の板が追加で発生し、刃の構成を破砕。同時にアールマティの腕に形成されている巨岩が大きく振り回され、周囲の刃を一掃した。

「くッ……!!」

 凄絶と言ってよい凄みの中に、舞いを舞うかのような優雅さが混在する。

 アールマティは弱くない。自身に劣らぬ敵の戦闘能力に、那岐が戦慄のうめきを洩らす。

 石の女神が刃がない世界で、力強く足元に散らばった石畳の破片を踏み抜いた。

『それ、返すぞ』

「なッ……!?」

 アールマティの腕の周囲に形成された巨岩。それがアールマティの踏み込みの勢いのままに那岐へと投擲される。


 ――敵の、恐るべき反撃だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る