石の女神は悲しみにくれ(1)


 那岐の目の前には人の姿を模したモンスターがいた。

 大理石のような磨き抜かれた純白の肌、名匠が掘った彫刻のような女神のような顔――つまり人を象った姿の精霊種。

 奥に次の階層への階段の見える、特殊建材クリステスの上に石畳や人工岩石の張られた大広間だ。


 ――『【スプンタ・マンユ】 第四階層【アールマティ】』


『秩序を讃えよ! 崇めたるは広大なる地平!! 屹立するは峻厳なる山脈!! 崇めよ! 讃えよ!! 世は全てことわりが管理するものぞ!!』

 赤と黒とが交わる杖、聖堕杖ドライアリュクを掴むように手に握った那岐は、階層の完全な地図を持っていないにも関わらず、魔力に対する嗅覚でボスを探し出し、広大な広間にたどり着いていた。

 番人たる精霊種が那岐に何かと話しかけてきていたが、那岐は言葉を交わすことなく百を超える魔法陣を瞬時に展開する。


 ――心が破裂しそうだった。


 だから、今の那岐には目の前の対象の姿しか見えていない。


 ――なんで、今度は人間の姿をしているのか。


 何も考えずに殺さなければならない。那岐の唇からは確実に敵を殲滅するための詠唱が零れる。

「天を犯す大罪。うそぶく塔にいざなわれて」

『無駄がわからぬか。我が身に汝が魔導は届かぬわッ!!』


 ――那岐は、目の前の精霊を知っていた。


 防御魔法の研究の際に、たまたま戦霊院の家で情報を見た覚えがあったのだ。

 岩の法衣を纏った、人を模した石像。名を『アールマティ』。ランクはS。

 かつて大霊峰『富士』の入り口を守護していた大精霊だ。

 四百年・・・も前に行われた、大規模作戦の折に討伐された・・・・・というモンスターである。

 それがどうしてこんなところにいるのかはわからない。

 当時、目の前のモンスターに多くの軍人が殺され、数十名のAランク、三名のSランク軍人によってようやく討伐されたと記録にはあったというのに。

 那岐はそんな自分の記憶と照らしあわせて、心の中だけで小さく首を横に振った。

 記録はもはや信用できない。事実、目の前にそれ・・がいるのだ。

 わかるのは、少なくともこの場所は封印されていたわけではないということ。

 ここを使っている人間が確実に、それも都市側にいる。

 アールマティを討伐したことにして、秘密裏に都市に運び込んだ人間がいる。それは確定した事実だった。

 軍部も関わる巨大な陰謀を想像せざるを得なかった。

 そして疑問が浮かぶ。火神浩一を連れ去ったのは誰なのか。なぜ火神浩一なのか。どうして火神浩一でなければならなかったのか。

 問いで脳が満たされる。那岐に思慮を。思考を求める。

 だが――。


「どうでもいいッ!!」


 詠唱の途中だというのに感情を込めて那岐は吠えていた。

 魔力が乱れ、魔法が乱れ、詠唱は無駄に、魔法は不発に終わる。だが、一時的に考えの全てを捨て去れた。

 この裏にいるのが自身よりも権力を持つものである可能性。

 火神浩一が既に死んでいて、自身がとてつもない無駄を繰り返している可能性。

 脱出できずに死ぬ、弟に座を奪われる、敗北し人体実験の材料。並ぶ絶望的な可能性の山。全ては己が不利な状態を指し示すもの。


 ――その全てがどうでもよかった。


 那岐の脳裏には、心には、惰弱な心根が生み出したただひとつの問題しか存在しない。

 先の水と樹、二体の精霊を倒した時に優先順位は切り替わった。

 浩一を助けることも、己が家のことも、今の問題に比べたら全ては蛇足だ。この感情を処理しない限り、那岐にはが存在しない。

 敵に恨まれることが怖い。敵を殺すことが怖い。己が、戦えなく・・・・なることが怖い。


 情けない! ――仕方ない。


 情けない! ――許せない。


 情けない! ――どうしようもない。


『愚かッ!! 愚かッ!! 愚かッ!! 汝は道を誤った! 汝が力は我に届かず、我が力は汝を軽々と蹂躙するえ!!』

「うるさい! うるさい! うるさいッッッ!! ぶっ殺してやる!! 『銀の弾丸』ッ!!」

 そして開戦する。

 アールマティがアクションを起こす前に那岐は牽制を放つ。百の魔法陣から放たれる百を超える魔力の弾丸だ。

 轟音。轟音。轟音。那岐から放たれる殺意の連弾。

 それは人の魔力で生み出された機関銃だった。

 そして当然ながら那岐が放つそれは、鋼鉄で皮膜された弾丸の一発とは違う。込められたエネルギーはそれ以上。

 小さな丘程度なら一秒足らずで消し飛ばすことのできる魔力の弾幕が、銀の光の尾を引いて、嵐のように敵へと叩きつけられる。

 手加減などできるわけがない。牽制にしても過剰攻撃オーヴァーキルすぎる。怪物的な那岐の力の発露。


 ――また、殺すのか。知性を持つ生き物を。


 後悔が過ぎるも、もはや殺したあとだ。

 だが、牽制が終わった瞬間、那岐は目を見開く。

「ばッ――ありえ」

 大広間には、銀の弾丸を撃ち終わってなお、傷一つない女のような石像アールマティが立っている。

 白磁の肌を持った、構造も、造詣も、人間と似通ったモンスター。

 完成した人間の女性の容姿を持ち、圧倒的な母性を漂わせる大精霊。

 そして精霊の持つ強大な格により、その母性は神性を漂わせるまで昇華されている。

 それは那岐やアリシアスも持っている神域の美貌カリスマ、と呼ばれる権能スキルだ。

 その威光はただの人間が浴びれば恐れ多いと、それがモンスターであるとわかりながらも平伏し、額を地にこすり付けてしまう程に強い。

 平常心を保った那岐ならばともかく、今の心の弱った那岐に、その効果は適用してしまった。

 敵を、傷つけたくないと思うのは、スキルの効果か、それとも那岐の性根のせいか。

(ああ……でも)

 だが那岐は安心していた。

 敵対することに罪悪感すら湧く存在を相手にすることで、まるで人間ではなく、それ以上を相手にしているような感覚を得られたから。

 敵は、敵だ。そこに存在の軽重などない。

 しかし安堵してしまう。

 相手が人ではないとはっきりわかったから。姿は人と似通っていても、人と同じような感覚にとらわれない敵だから。

(何を、私は安心してッ……)

 心を満たす安堵。それは心に芽吹いた惰弱の萌芽だ。認識したそれを那岐は即座に噛みちぎる。

 叫びたい衝動をこらえ、攻撃に転じようとする。

 しかし――。

『無駄ァッ!!』

 アールマティが地を蹴っている。

 瞬時に那岐も距離を取ろうと離れる。


 ――忘我たれど、那岐の高速化された思考時間は一秒にも満たなかったはずだった。


 だがSランク同士の戦闘ともなると一秒の間に攻守が変わることも珍しくなく、また、その間に敵が強大な一撃の準備を終えることすら稀ではない。

 そしてようやく那岐は気づく。アールマティが無事だった絡繰からくりに。

 たった今放ったばかりの魔力の弾幕は、アールマティが正面に展開した大量の浮遊する岩の板・・・によって、防がれていたことに。

(なに、あれは……!?)

 その障害いわは、ただただ機械的に、自動的に那岐の魔法を無効化していた。

(板ってことは色属性!? 黒属性ならばあるいは……――いえ、無効化された魔法が魔力になって散ってるってことは……違う)

 板という性質で色属性の一種に見えたが、性質は五色のどれにも当てはまらない。

 故に那岐は、魔法を無効化した岩の板を、アールマティ固有の能力だと判断する。

 そもそもモンスターは色属性を扱えない。魂に色がないからだ。

 だからこそ、人と違い固有の能力ユニークスキルを持った個体が稀に発生する。

 那岐がかつて読んだ資料にはアールマティのスキル情報は掲載されてはいなかった。

(詳細がわかれば……!)

 ただ何百年前に何人の被害を出して捕まえた、どんな属性の魔法を使ったか、そう記されていたのみだったから。

(くそッ、自分で調べるわよ!!)

 迫るアールマティに向かって牽制の魔法を放ちながら那岐は距離を取ろうとする。だが早い。身体能力が高いのか。

 それでも那岐の方が強かった。那岐は次々と魔法を放って、敵が操る岩の板の機能の調査を行う。


 ――驚くべきは、那岐に追随する魔法陣から放たれる様々な魔法が全てかき消されたことだ。


 強力な魔力耐性を持つ防御魔法かと思っていたがそんなものではない。

 これは――これは!!

「なんで、魔力で構成された精霊種が魔力殺し・・・・なんて持ってんのよ!!」

『はははははははははははッッ! そう怯えるでないわ!!』

 駆け回る那岐とアールマティ。

 なんたる理不尽か! しかし情報は得られた。

 アールマティが纏う板は、触れた魔法を無効化する。

 いや、正確には岩との接触面で魔法を分析し、アールマティが持つ魔力を引き出して相殺し、魔法の破壊を行う。

 超高性能な魔力減衰型の『魔力殺し』だ。魔法構成を分析する速度、那岐の魔法を相殺しているということはスキルランクはS。

 自動で動く性能は操作性が単純極まるため『自動防御B』程度だろうが、精霊に唯一ダメージを与えられる魔法を遮断するという点からあの岩の精霊との相性は凶悪的に良い。

(相殺型の弱点は所有者が魔力を供給しなければならない点だけれど、このフロアには魔力溜まりが存在する。それがあの石女に魔力を供給しつづけるかぎり、その欠点は欠点ではない。だから欠点を欠点にするためにも……私は……う、うぐぐ……)

 そう、敵は無敵ではない。瞬時に勝利方法を理解して、那岐は呻く。

 ああ、そうだ。あの獅子の精霊のように、接近して魔力を流し込めば殺せるだろう。

 だが、それは、それは……人の姿をした敵を、自ら首を締めて殺すという――。


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