過去は足跡を隠し忍び寄る(5)



 資料室にて、若き侍とその恩人たる侍が対峙する。

 変わらず攻め気に満ちた火神ひかみ浩一こういちの動きを見て、相原あいはら三十朗さんじゅうろうの目が険を帯びる。


「おい、浩一。てめぇ考えろよ。でねぇと……」


 敵手の気迫に浩一の身体が動く。月下残滓を手に踏み込む。

 考えての行動ではない。生存を求めるだけの無意識の動作。一秒一秒が生死の際に繋がるモンスターとの高速戦闘によって、身体に刻み込まれたまさしく本能の所業だった。

 だが、三十朗が再び、かつと叫べば、知らず浩一の身体があらぬ方向へと跳ねる・・・

 それを追いかけることなく、冷静に三十朗は浩一を見つめる。


「死ぬぜ」


 浩一は何かをされた覚えはなかった。だが、強烈な敵意によって、あらぬ方向に跳ねた身体が宙空で硬直し、動けなくなる。

 呼吸も心臓も止まり、喘ぐようにして口を大きく開ける。

(ば、馬鹿な――ち、地上で、おぼ、れるッ!?)

 だが窒息する前に大きな音を立てて浩一は自ら無様に地に転がった。自ら跳ねて、重力に引かれ、落下したのだ。

 その手は頑なに月下残滓を離さぬものの、受身も取れずに背中から地面に叩きつけられている。

 白夜越しだろうとも背に受けた衝撃に、今度は自然な反応で呼吸が止まる。

 そうして、苦しみ、息を戻し、追撃が全くないことで、初めて正気に戻ったように思考を再開させた。

 何をされたのかもわからなかった。


 ――まるで子供と大人だ。実力差が離れすぎている。


 そのうえで、殺せるタイミングで、殺されない・・・・・嗚呼ああ、と浩一は呻いた。結論を出すしかない。

 浩一の持つ『索敵即殺』が、過去の経験を引き出し、合致させた。

「……ここまでして殺さないってことは、本当にそうなのか?」

「ああ、本物だよ。本物の俺だ。浩一ぃ。俺ぁな、てめぇに伝えることがあってこの素敵で最悪なカビくせぇ書庫にてめぇを引き込んだんだよ」

 手間ぁかけさせやがってと三十朗は埃の溜まった、適当なテーブルの縁に腰を傾ける

 よろめくようにして立ち上がった浩一もそんな三十朗の姿勢にようやく月下残滓を鞘に納め、適当な書架に背を預けた。

 全身に悔しさが滲んでいる。しかし渋々といった面を見せない。

 この男の前で感情に引きずられることなどあってはならない。みっともないし、今は何が起こっているのかを探る方が先決だった。

 そして、警戒は続ける。確かに相原三十朗は火神浩一に優しかった。

 だがそれは十年も前の話だ。今のこの男がどんな存在なのか浩一は知らない。

 そもそも生存しているなら犯罪者でもない三十朗が十年も姿を現さずにいること自体がおかしいのだ。

 三十朗が何を考えているのかわからない以上、油断はできなかった。

(ここは敵地だ。穏便でない手段で引き込まれた以上。この男が本当に三十朗であっても警戒は解けない)

 だから刃を鞘に収めても柄から手は離せない。

 そんな警戒心を露わにしている浩一だが、それでも死んでいたと思っていた旧知と再会し、ほんのすこしだけ気配が穏やかになっていることに気づいていないのは、若さ故だろう。


                ◇◆◇◆◇


(若い。若いが、好ましい若さだ)

 変わらない弟分の姿に三十朗は心の内で苦笑を零した。

 しかし表情に出すことはない。どちらにせよ、三十朗相手に浩一程度が警戒しても意味のないことだ。

 象は、蟻がどんな行動を取ろうとも気にはしない。

 とはいえ、かつて世話をした弟分が目の前にいる事実に、こそばゆさを覚え、三十朗は口中に感じないはず・・・・・・の苦さを感じる。

「なんなんだアンタ? なんで三十朗、アンタ生きてんだ? つか生きてたら師範のところに顔だしてやれよ。妹なんだろう?」

「身内にこんな無様ァ晒せねぇよ。それにな、俺にはやらなきゃならんことがある」

 やらなきゃならないことと言ったが、浩一はその内容を問わなかった。


 ――興味がないのか。


 三十朗自身、話すつもりはなかったが、浩一が全くそれに頓着しないことに眉を顰める。

 浩一は三十朗の目的が、浩一を傷つける可能性を考えないのか。

(クソ、この馬鹿は、きっと何があっても修行だと思って楽しむんだろう)

 三十朗がやっている何か・・が浩一を巻き込んでも、この弱者はそれを食い破れると思っているのか。

 なんたる傲慢だろうか。

 三十朗はぶん殴りたい衝動を抑えながら問いかける。

「てめぇに疑問はねぇのか? 事も次第も関係ねぇ。何か話してぇことはねぇのか?」

 浩一の反応は沈黙だ。いや、三十朗の耳に音が届く。

 浩一は声量を抑え、小さく自身に問いかけていた。(これは、現実か?)――と。

 三十朗は口角を歪める。弟分の察しの悪さは筋金入りだ。

(現実だよ、浩一。だからさっさとこの状況に適応しろやテメェは)

 肉体は脆くとも、精神は怪物の水準である火神浩一をしても死者と再び話す事態には動揺を隠せていないらしい。

 とはいえ、死んだはずの人間と出会っても弱者のように、わんわんと泣き崩れることは浩一のさがではない。

 それでも、感情を抑えきることはできないのか。浩一は迷いながらも問いを放ってくる。

「……生きてるのか? アンタは? 生きて、俺の目の前にいるのか?」

どちらでもねぇ・・・・・・・、っつぅのが正解だ。お前に事実を全て晒してぇとは思わねぇが……下手な望みは絶っとけ。俺に肉体はねぇよ。つまるところ死んじゃいねぇが、生きてもいねぇ。この身体は立体映像・・・・で、さっきお前を翻弄した手管も格下相手だけに効く技だよ」

 相手が力んだ拍子に気合をぶつけて驚かせただけだ。

 那岐や浩一は別に何かをされたのではない。自らの反射で自らを縛り付けただけなのだ。

 三十朗の言葉にようやく浩一はまじまじと相手を見る。立体映像ということに、今さら気づいたようだった。

 そして、三十朗から力が失われてしまったことにも。

 だが、それでも、浩一では未だ三十朗に勝てない。相原三十朗は、肉体がなくとも強者だった。

 しばし沈黙が両者に訪れ、次はなんだ? と三十朗は浩一を促した。

「あー、他の連中は、どうなったんだ? 死体が収容されてる他のナンバーズも、アンタみたいな状態になってるのか?」

 浩一は正体を教えてやっても三十朗の現状がどういう性質かは見抜いていないらしい。

 知識も技術もない浩一では当然だが、三十朗は成長していない弟分の姿にため息を零しそうになりながらも、それを堪らえて答えだけを簡潔に返す。

「俺とラインバックだけだ」

 そうか、と浩一は頷いた。

 そうして小さく視線を外した。言葉は発さない。ただかみ締めるような表情を浮かべただけだ。

(この、甘ったれが……)

 三十朗にはわからないが、浩一の胸には、いつもの熱と違う暖かな感情が溢れていた。

 三十朗が何をしたくて隠れているのかはわからないが、過去の残滓ではなく今ある現実としてこの男がいる。浩一にはそれだけでよかったのだ。

 たとえ敵対することになっても――と浩一は喜んでいた。

 しかし三十朗はこの無様な姿を浩一に見せたことが、そもそも苦渋の決断なのだ。

 自分は歩く死体だ。なんとも――なんとも見苦しき様よ。

「他には、ねぇのか?」

「あ、ああ……そう、だな。そうだ、なんで俺をここに引き込んだ?」

 この書庫であり、ダンジョンである施設。

 こんな重要な情報が規制もなしに読めるのだ。浩一ですらここがまともな施設だとはもう思っていないだろう。

 やっと本題に入ったかと三十朗は内心で呟いた。

 浩一はただ三十朗の言葉を待っている。

 その手は相変わらず月下残滓に添えられていた。旧知の人間だと確信した。敵わないこともわかっている。

 だが、やはり行動の理由を聞かないからには浩一は警戒を解けないのだろう。三十朗は口角を釣り上げた。

「無駄だから気張るのは止めとけ。お前は俺に勝てないし、周辺にモンスターもいねぇから無意味だ。それに不愉快だ」

「俺は、今まで隠れていた三十朗の言葉を信じることはできない。地上で話せなかったのか?」

「無理だ。は、四鳳八院の目で溢れてる。そうなるとてめぇに接触するだけでも奴らの網にかかるだろう。俺もラインバックもな、この国に害為す気がなくても捕獲される。そうすれば何を持ってしてもまず己の自由はなくなっちまう。最悪、そのまま殺されるだろうしな」

 ほぼ死人のようなものでも、再殺されるのは三十朗は御免だった。やらなければならないことがある。そのために生き恥を晒しているのだ。

 三十朗は浩一を見ながら指を二本立てた。


                ◇◆◇◆◇


「浩一、俺がてめぇにわざわざ面見せた理由は二つ。どっちも忠告だ」

 三十朗の言葉に浩一は、ただ頷きをもって促した。

 浩一はそれほど頭がいいわけではない。三十朗に忠告されるような内容に覚えがなくもなかったが、聞かなくては判断ができなかった。

 無謀な修行か、未熟な腕前か、それとも身の丈に収まらない望みについてか。

 ただ三十朗の口から知らされた最初のそれは、そのどれとも関係のないものだった。

「一つはてめぇの記憶について。十二年前より以前のこと、何か思い出せたか?」

「いや、アンタらに拾われた以前の記憶については何も」

「そうか。なら四鳳八院が一院たる獄門院ごくもんいんに気ぃつけろ。じきに狙われることになるだろうがな。理由はなんだってぇ顔してんな?」

 頷く浩一に向かって三十朗は不機嫌な顔で、てめぇで思い出せ、と鋭く返答する。

「思い出せ、か。話せっても、話さないんだろう?」

「まぁな。どっちにしろ獄門院の暗殺者どもは手錬れだぞ? 理由を知ろうが知るまいが、今のお前じゃ死ぬしかないだろうな」

 ガシガシと浩一は頭を掻いた。目の前の男がどうして浩一をこのダンジョンに落としたのか、その理由がわかってきたからだ。

「鍛えろってか? ここの敵は三十朗、アンタが用意したのか?」

「もともとあったもんをとりあえず配置しただけだ。それに、鍛えろってわけじゃねぇ。お前は思い出さなきゃならねぇ。俺にはお前が記憶を失ってる理由に見当がつかねぇが、てめぇに必要なことはわかる。てめぇは過去を思いださなければならない。そして」

 そうして三十朗は二本の指を一本折り、残った一本の指。それを浩一に突きつけた。

竜殺りゅうさつは諦めろ」


 ――竜殺……黒い竜ズィーズクラフト、それを殺さんと欲する浩一の胸の熱。


「三十朗ッ! ア、アンタも俺には無理だってのか!?」

「ああ、無理だ。諦めろ」

 睨みつけられ、三十朗は肩を竦めた。

「てめぇがアイツを狙うのは単純に復讐ってわけじゃねぇのは知ってるぜ」

 ならッ、と浩一は珍しく語気を荒げた。

 まるで道ならぬ相手に恋する乙女のような反応だ。

 三十朗の口角が面白げに、楽しげに歪む。そうして己の胸を叩く。

「てめぇの中に心底熱い塊が熱を放っている。竜を殺したいのは、そいつが原因だろう?」

「ああ? なんで知ってる?」

 誰にも話したことのないそれ。

 憎悪とも、嫌悪とも違うもの。

 ただただ狙うべくを狙い、果たすべくを果たすことを欲する熱量。

 浩一が、十年前より秘めていた熱情を三十朗は何故か知っていた。

「知ってるも何も、てめぇはその概念スキルを知ってるはずだろう? なぁ? いつまでも手間ァ掛けさせんな。思い出さなきゃ死ぬ。てめぇ以外の人間もな」

「俺、以外……?」

 浩一がどういうことだと問う前に三十朗は愉快そうに答えを告げる。

「良い女じゃねぇか。若くて、有望で、感情豊か。八院の中でも傑物になるだろう人間だよ。てめぇより強い。確実に強い、が。一番下の精霊は特殊だ。今の奴じゃ殺されるだろうぜ」

「女? 傑物? せ、戦霊院かッ!? 奴まで呼び寄せて、いや、そうか。アイツ――」

 那岐がやってきた理由に思い至ったのか浩一が呟く。

「――あの馬鹿、誓約を果たそうとやっきになってやがるのかッ!!」

 無関係の人間を巻き込んだ三十朗を、浩一は睨みつけた。それに三十朗はハハ、と嗤う。

「そう。けなげにテメェを護ろうと足掻いたはいいが、途中で心をズタボロにされて、諦めりゃぁよかったものを優秀なばっかりにそのまま進んで、まーた、ぼろぼろのぐちゃぐちゃにされてよォ。で、只今自棄になってる真っ最中なわけだ。あのいけすかねぇ戦霊院がよ」

 くくく、と嗤うもその表情には笑みなどひとつも張り付いていない。

 ただ浩一を見て、問うだけだ。どうするのか・・・・・・、と。

「……だから言ったんだ。俺には誓約は迷惑だって」

 浩一は天を――いや、白く、淡い色の天井を見上げ、小さく呟いた。

 一人だから気楽でいられた。だが、一人でないのなら背負わなくてはならない。

 浩一は、善良な人間ではなかった。だが、それ以上に悪人でもなかった。

 闘争を深く愛していても、日常を切り捨てているわけではない。


 ――そもそも火神浩一は卑怯者ではない。


 自身を助けようとした少女が危険にさらされている情報を旧知の人間に教えられたなら、それを疑わずに動けるだけの男気があるのだ。

「最短の距離をくれてやる。それと、忠告はしっかりと胸に刻んどけ」

 竜殺は諦めろ、その言葉を受けながらも、浩一は心の熱を吐き出すように宣言する。

「竜殺は、俺の夢だ」

 資料室の扉が開く。

 その先には入る以前より変化している通路が広がっていた。

 三十朗、と浩一は続けた。

「会えたことは、嬉しかった」

 一直線に火神浩一は通路を走り出した。


                ◇◆◇◆◇


 三十朗はその言葉を聞き、にやりと笑う。

「上の都市も昔の知り合いも随分と変わっちまったが……変わらねぇもんもあるか」

 あの弟分はいつだって決めれば一直線だった。

 そして、■■■■を失っていない唯一の人間。

「まったく、戦士のツラァしやがる」

 三十朗の肉体を失ってより鬱々としていた心は、久々に晴れやかだった。


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