石の女神は悲しみにくれ(3)


 球形の巨石が那岐へ迫る。その重量は、控えめに見てもトンの単位に届いていた。

 それが那岐のような、か弱い形をした少女に着弾すれば、その身を砕くには余りあっただろう。

 しかし、ここにいるのはただの少女ではない。

 地上世界をモンスターから解放することを謳うシェルター国家ゼネラウスを裏で支配する四鳳八院が一つ、戦霊院が次期当主。


 ――戦霊院那岐である。


 巨石の重量と速度。Aランクの戦士でも直撃すれば即死は免れまい。

 ただ無防備に受ければ『三柱稼動トリニティ』の機能スキルを持つEX防具、聖盾『星厄』を身に纏う那岐とて致命傷は免れないだろう。

 しかし那岐はその場を動くことなく、目の前に迫る脅威に対して内心の感情をねじ伏せ、獰猛な笑みで応えた。

「『蛮人膂力』ッ! 『剛力』ッ! 『猛犬の腕クー・フーリン』ッ!!」

 轟速で迫るのは、精霊の魔力で構成された巨大な地属性の岩塊だ。

 物質化しているとはいえ、それでもその大元はアールマティの持つ濃密な魔力である。

 そして、その塊には当然魔力殺しの権能はない。

 そう、これはアールマティを守る岩の板と違い、魔力によって無から生み出された有。

(これ自体には魔法が通じる!!)

 形成に魔力を使用した以上、魔力殺しの権能があれば瞬間に構成が破綻し、塊を維持することなどできなくなる。

 だからこそ、両の腕に膂力を強化する魔法を三種類即座に使用した。

 那岐が迷い、戸惑い、躊躇しようとも――いや、だからこそ、その心には殺意と攻撃的な衝動は十分に備えられていた。


 ――本当に優しい人間は、そもそも攻撃を厭うのだ。


 ゆえに、聖堕杖ドライアリュクの持つスキル『暴力強化』は十全の出力を持って発動する。

『見破れぬか! たわけがッ!!』

 迫る岩塊に真正面から立ち向かう那岐に対し、敵対する大地の女神アールマティは罵倒の声を上げていた。

(愚か者はお前よッ!!)

 両腕を上げ、那岐は岩を待ち構える。詠唱を破棄してなお通常の強化魔法に倍する効果を発揮している筋力増強魔法だ。

 那岐は岩を受け止めるつもりだった。

 衝突は目前。両者のやり取りは秒もなかっただろう。

 そんな中、一瞬で強化魔法を展開した那岐は天賦の才を持っていた。魔法の天才は戦闘においても天才だった。


 ――不幸なのは、やはり人の心を持っていたからか。


 那岐が平常心であったならば、そもそも岩を投げさせる隙など与えなかったはずだった。

 巨岩が迫ってくる。弾速は豪速。秒も掛からず着弾する。

 だが、那岐は迎え撃つ準備は万端だった。腰を落とし、大きく腕を広げ――その那岐の眼前で、岩が形を変化させた。

 巨大な球体だった岩が、アールマティの操作によるものか内側から膨れ上がる。

 数瞬にも満たぬ、刹那の間だった。

 この岩の女神と相対したのがただの人間ならば、それはきっと死ぬ前に見る一瞬の変貌だったに違いない。


 ――だが、那岐はただの人間ではなかった。


「な、にぃ……ッ!?」

 那岐の正面で、巨石が爆散、巨体を無数のつぶてへ変化させた。それは那岐の迎撃を無意味とするもの。

 少なくとも、ただ一つの巨岩を相手にするつもりだった那岐には、この一瞬で無数の岩の弾丸から身を防ぐ魔法を、一から構築する間などありはしなかった。

 しかもただの礫ではない、岩のつぶては円錐状の弾丸へと変わっていた。

 受け止めようにも那岐の腕は二本しかない。防御魔法を貫通されると思って肉体強化を選択した那岐をあざ笑うかのような戦術。

 那岐の形の良い歯がぎりりと音を立てる。

 その怜悧な表情に浮かんでいるものは、諦めや、してやられたという敗北ではない。

 あるのは明らかな攻勢の意思。そして大いなる侮蔑だった。

「馬鹿がッ! 『戦場の再来』ッ!!」

 那岐の表情が語っている。なぜいつまでも無駄に魔法陣をも浮かべていたと思っている。

 射出したものがあの刃で終わりだとでも思ったのか。そして、那岐の周囲に、今も・・槍が生えていると思っているのか。

 突然の脅威にも那岐は動揺することなく対処していく。

 那岐の周囲には、既に魔法を放っているために沈黙を貫いていた魔法陣がある。

 それが那岐の意思により、攻勢の威力を増した『暴力強化』により、威力を上げ、再発動・・・する。

 そしてごう、と那岐の周囲に盾がごとく、整然と穂先を並べていた黄金の槍が床から射出された。

 まるで箒星がごとく空中の礫の散弾へと、鮮烈な魔力の尾を引きながら槍が衝突していく。


 ――岩と刃、弾ける火花は星の煌めきが如くだ……!!


 それでも、己が攻撃に対処されようともアールマティの表情は変わらない。

 那岐は思う。それが当然だと。如何に人に近い表情をし、感情のようなものを表す敵であろうとも、精霊種モンスターが感情など持つことはない。

 精霊は機械のように設定された行動に沿って動いていく。

 その中には感情などという曖昧なものなど存在しない。

(ええ、那岐わたし、いい加減に切り替えなさい。敵は強い……舐めてかかっていい相手じゃないのよ!)

 精霊に対する数多の戦術が那岐の脳にはインプットされている。

 強力な精霊を打倒するならば、彼らの演算能力を上回る性能を発揮するか、その思考の裏を掻かなければならない。

「『戦場の再来』ッ! 『戦場の再来』ッ!! 『戦場の再来』ッ!!!!!!」

 そして那岐が選んだのは前者だ。

 体内の魔力を振り絞り、制御可能な魔法陣を限界まで使いきる。


 ――アールマティの対処能力を飽和させる!!


 アールマティは散弾へと変化する岩の弾丸を投擲する。

 那岐は自身の魔力を次々と黄金の槍、刀、剣へと変化させ、魔法陣から射出していく。

 それは、お互いの相手が、Aランクのモンスターであるならば千を越えようとも惨殺できるほどの殺意の具現だった。

 ずらり・・・と並ぶ刃の群れ。それが刃を揃えて石の女神の元へと飛翔していく。女神が投げた岩の塊を切り刻み、撃ち落とす。

 高速の刃。怒涛の攻勢は知覚するだけでもAランク以上の戦士が集中に集中を重ねばならず、更にそれを打ち落とすとなればその戦士を百は用意しなければならないだろう。

 それに、自らの攻撃を撃ち落とされてなお、アールマティは涼やかに対処をする。

『なんとも、つまらぬ・・・・

 ォン、と。何もかもをなぎ払うかのように再生成した岩塊を大振りに振るう。

 それは大雑把に見えようともある種の美しさの具現だった。

 岩の女神は迫る大多数の刃を踊るように粉砕し、馬鹿正直に地面すれすれより高速で射出され、迫る黄金の槍を、踏み込みと共に腕を一閃。

 巨岩の一撃で折り曲げ、弾き飛ばす。

 当然その間にも刃は迫り続ける。最初の『戦場の再来』が銀の刃の雨ならば、連続発動した今回のものはまるで嵐。

 蟻の這い出る隙間もないぐらいに展開された刃の暴風だ。

 ただの精霊ならば切り刻まれ、原型も残ることはなかっただろう。

 しかし、ここにいるのは地を象徴し、女神の威厳を体現する大精霊アールマティ。

 先ほどの槍を砕いた勢いを落とすことなく女神は全身を武器とした。

 武術の達人がごとき踏み込み。人外の膂力によって、顕現するのは強大な連撃だ。

 それは硝子のように正面の刃を粉砕する。くるりとアールマティが回転する。

 軽やかに女神が舞う。風に舞う花びらのように。捕らえきれぬ動きで舞っていく。


 ――だが、いかに身体の動きが軽やかであろうとも――!!

 

 刃の一角を破砕したとはいえその周囲には刃の群れが、壁がごとき刃の弾丸が迫っている。

 如何な優美であろうと、蟻の這い出る隙間すらないそこから、どうやって脱出するのか。

 那岐の疑問にも、ふふふ、とアールマティが微笑む・・・

 この程度、何を恐れる必要があるのかと。この程度、何の意味があるのかとその様が語っている。

(ま、ず――なん、か……?)

 那岐の表情に緊張が走った。那岐の知覚はこの空間の全てを支配している。


 ――その彼女が確信した。この攻勢は失敗だと。


 アールマティの身体が向いた先は、先ほど破砕された刃の一角だ。

 アールマティがちょうど踏み込める程度のスペースの作られたそこに、周囲の刃を砕きながら、くるり・・・とアールマティが踏み込んだ。

 そして、アールマティがさらにくるりと回った・・・


 ――ばりごきがしゃん、と刃が散る。

 

 Aランクの耐久を持つモンスターでさえ、抵抗できずに切り刻まれるはずの魔力の刃が、硝子のような脆さをもって粉砕されていく。

 少なくとも、アールマティ本体に当たればその身体をたやすく切り裂くであろう刃たちが、次々と破砕されていく。

 くるりとアールマティが踊る。周囲の刃が音を立てて砕かれる。

 くるりとアールマティが踊る。那岐の攻撃など無意味だと言わんばかりに。

 くるりとアールマティが踊る。アールマティの通った道に刃の破片が散らばっていく。

 くるりとアールマティが踊る。踊る。踊って進む。練磨された武術によって……!!

(あ、ありえない……肉体戦闘の戦術データを入力されてるとでも……!?)

 ぱらぱらと魔力の残滓と共に那岐の殺意が零れ落ちていく。

 あまりにも濃密な魔力が充満しているためだろう。

 常ならば即座に魔力の塵へと還る金属片たちは、ガラガラと音を立てて地面へと落ちていった。

 くるりとアールマティが踊りきる。刃の包囲網はもう存在していなかった。

『ふん、つまらんの』

 アールマティはひとつため息をつくと埃を払うかのように砕かれた刃が降りかかっていた法衣を片手で叩いた。

 高濃度の魔力でできた精霊の衣服は、那岐の放った殺意の残滓を浴びても傷ひとつ付くことはない。

 大精霊は魔力殺しなど必要とないばかりに、今度は体術のみでアールマティは窮地を切り抜けていた。

 その目が那岐に向けて語る。この程度かと・・・・・・。この程度で踏み潰せると思っていたのかと。

 ギリリと、那岐の唇が屈辱に歪んだ。

「まだまだッ。まだ、よ…ッ。くぅぁッ」

 那岐が脳に力を入れた瞬間、ぐらりと、視界が歪んだ。

 慣れ親しんだはずの魔力行使が、那岐の思考に空白を生じさせていた。

 原因は魔法の過剰使用だ。

 戦霊院の秘宝たるスロットがあろうとも、膨大な魔力量を誇ろうとも、全身に纏う『星厄』の持つ『魔力収集』のスキルがあろうとも、心身に負担をかける連続戦闘が二度も行われ、その度に、無茶な魔力使用や大魔法を連発し脳回路に圧迫をかけていれば当然の事。

 むしろ、今まで平気で戦闘を行えていたことこそが、那岐が人外であったことの証だった。


 ――当然、これを見逃す敵ではない。


『隙あり、じゃな』

 那岐の隙を突き、アールマティが迫ってきていた。

「くッ……!!」

 射出したあとに再生成し、那岐が周囲に盾のように置いていた槍を砕いてアールマティが接近する。

 なんとか逃げようとするも、弱った那岐では体術に優れたアールマティからは逃げられない。

 那岐の美しい顔が、白磁がごとき腕で鷲掴みにされる。

「む、むぐぅうううぅうううう」

『死ねぃ』

 那岐の全身を覆う聖盾『星厄』は魂、魔力、物理の三つの力を同時に与えなければ破壊できない。

 だが如何に強大な力を持つ防具であろうとも、その力を発揮するためには対象がその庇護の元・・・・になければ・・・・・ならない・・・・

 アールマティが『星厄』の性質を見破っていなかったとしても、その行動になにも考えがなかったのだとしても、こうして那岐の露出した顔面を掴んだことが決定的だった。

 にぃぃ、とアールマティの顔に愉悦の感情・・が溢れる。

『そうら、たっぷり味わえぃ』

 那岐の『星厄』に覆われていない、何の防護も施していない頭部が、ダンジョンの床へと強烈に叩きつけられた。


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