その空間は、人の手による細工がなされ(2)


 『下層資料室』にて、浩一が職員と連れ立って消えていった通路を見て那岐は首を横に傾げた。

 那岐の記憶にあんな通路の情報はなかった。もちろん施設地図にも載っていない。

 PADを操作し、探査の機能を起動させ、調査を行うが、八院の次期当主とはいえ現在持っているのは所詮学生用のPADだ。

 下層資料室はレベル3の機密施設である。

 当然ながら学生用PADの機能では調べられない。ウィンドウにエラーの文字が連なるのを見て那岐は舌打ちする。

(管理側から圧力を掛けるにも時間が足りないか……どうする? 何ができる?)

 存在しない道を浩一が通っていったなら、それは浩一が連れ去られた、ということになる。

 すぐに追いかけるべきだったが、那岐は一瞬躊躇する。

 目の前の地図上に存在しない通路は虎口だ。うかつに入ったら那岐でさえ死ぬかもしれない。

 ならばと唇に片手を当て魔法発動の『力ある言葉』を隠す那岐。

 周囲にバレないように無詠唱・・・で探索魔法を使ったのだ。

 しかし、専門の装備も使っていない以上、電子上の防壁と同じく軍事施設に備えられた対魔法用の強固な防壁に阻まれた。

 だが専用の装備を使ってしまえば周囲の人間に咎められ、貴重な時間を浪費してしまうだろう。


 ――八院といえど、軍事施設で武具を用いれば詰問は避けられない。


 都市内、それも軍事施設に対して探索魔法を使うなど人生で初めてだった。

 那岐は自分が馬鹿なことをしている自覚を覚える。

(だいたいこんなの、何の意味もないわよ)

 如何に那岐が凄腕の超級スーパー魔法使いウィザードとはいえ、ここは軍の機密を扱う施設である。

 対物、対魔、対電子と、如何なる凄腕でも事前準備もなしに攻略はできない。

(専用の装備にサポートが必要。もしくはじっくり時間を掛ければいけるけど、それじゃあ浩一に何かがあったときに対処できない、か)

 探索魔法を停止させ、那岐は先ほど見かけた職員の顔をPADに入力し、ライブラリから住民名簿と職員名簿に検索をかける。

 検索失敗エラーの表示。片端から現れるそれを見て那岐は唇を噛む。

 あんな顔の職員は、この施設には、いや、そもそもこの都市には存在しない。

「――ッ! 早速嵌ってんじゃないあの馬鹿ッ!!」

 小声で悪態を吐く。浩一と一緒にいてから、那岐らしくない激情に駆られてばかりだ。

(情報も準備も不足している。だけど、覚悟を決めるしかないか)

 ここで浩一を失えば那岐には無能の烙印が刻まれてしまう。

 すでにアリシアスが誓約を達成している以上、余計にだ。

 だから那岐は浩一の消えた通路へと足を踏み入れた。

 そして数歩歩みを進めれば予想通りにPADの通信機能だけを器用に阻害された。外部からの助けは期待しない方がいいだろう。

 入る前に助けを呼ぶ必要があったかもしれないが、それでは那岐は周囲に無能を晒すことになる。

 浩一は必ず、那岐の独力で救出しなければならない。

(でも転送機能は残してる辺りよくわからない罠ね。命は取らないってこと? 罠に嵌めておいてなんでそんなことを?)

 考えながら進む那岐。周囲に人の気配はない。浩一もいない。

(まずは浩一を探す。絶対に探す。連れ戻す)

 那岐は施設の構造体にレジストされないように本気・・で組んだ、魔力構造の探査針を床に打ち込んだ。

 そして探索専用の補助サポート装備、SENREI製Sランク宝珠『探索者ギリィの方位磁石』を転送で呼び出す。

 那岐の周囲を金属のを纏った完全な真球が浮遊する。『探査補助S』の機能スキルが那岐の打った探査針をサポートし始めた。

 那岐の感覚が拡張されていく。構造体の魔力抵抗を突き抜けて、那岐の打ち込んだ針が周囲へ波を送っていく。

(オーケイ、見つけたわよ)

 やがて那岐の魔法感覚に浩一の存在が引っかかっる。

 これが普通の魔法使いならば補助装備を用いたとはいえ、軍事系施設が持つ対魔防壁に妨害され、何ひとつできることはなかっただろう。

 だが魔法に練達した血族に生まれ、大崩壊後の世界でも上から数えられるほどの天賦の才を持つ魔法使いは、浩一の存在をすぐさま発見した。


 ――まさしく天才の所業である。


 またこれは、この魔導の天才である那岐が、戦霊院が積み上げてきた術式を踏み台にして、独自に開発したオリジナル探査魔法が、この施設の持つ妨害機能をすり抜けられたことも要因のひとつであった。

 那岐が研究内容を公開する研究者であれば日の目を浴びて対策を練られてしまっただろう魔法だったが、戦霊院の当主として生きることを強いられている那岐にはそれらを公開し、脚光を浴びる機会はなかった。

 ゆえにこの施設に、この名前すらない探索魔法に対する対策は行われていない。

「浩一、まだ移動するんじゃないわよッ!!」

 浩一の位置を把握した那岐はすかさず駆け出した。

 探査で見つけることのできた、巧妙に隠されているために絶対に気づけない場所にある階段を下っていく。

 もちろんそこには浩一が出られないようにか、防壁が降りていたものの。

 Sランクの威力を持つ魔法を無詠唱ノータイムで放ち、爆音と共に那岐は歩を進めていく。


 ――これこそがSランクであった。


 Sランクとは文字通りの怪物だ。

 全力で戦闘を行えば物理的障壁など意に介さず、罠だろうがなんだろうが踏み潰して進める怪物だ。

 那岐の視線が周囲を睨みつける。壁の色は乳白色・・・。それはダンジョン・・・・・の内壁素材の特徴だ。

(何よこれ……こんなものがなんで下層資料室に……!)

 だが優先すべきは浩一だ。ここは浩一を救助したあとに告発でもなんでもしてやる。

 階段を下った先にある通路、そこを進んだ先にあるフロアに浩一の反応が留まっている。

 那岐の身体は階段を落下するように駆け抜け、その先の通路を走っていく。

 当然無警戒ではない。那岐の周囲には疾走途中に発動させた障壁魔法がいくつも浮いていた。

 直線の通路、浩一へとつながる道。それを那岐は駆け抜けようと――

「んあ? っと、誰だてめぇ」

「あのときの偽職員ッ! アンタ、浩一に何をするつもりなの!!」

 通路の壁に背を預け、虚空をぼけっと眺めていた男と出会う。


                ◇◆◇◆◇


 資料室の制服を纏った禿頭の男は、機嫌が悪そうに、目つきの悪い顔を虚空へ向けた。

「おいこらァッ!! 偽装はどうしたァ偽装はよォ! なんでこんな嬢ちゃんが来てんだよ!!」

! 探査は終了。ギリィを倉庫に転送し、ドライアリュクを呼び出す!!)

 瞬時にPADの思考操作。

 那岐の周囲を浮遊していた宝珠が魔力の軌跡を残しながら消滅する。

 同時に、那岐の手の中に黒色と赤色が絡まりあった螺旋状の杖が出現した。

 最新式のPADによる戦闘補助。一秒にも満たない早業。

 だがもっとも驚異的なのは、初対面の相手を、即座に敵とみなし、戦闘態勢に移行した那岐の思考の速さである。

 那岐を見て困った顔をしていた男だが、那岐が転送した杖を認識した瞬間に、気配ががらりと変わった。

こんな・・・嬢ちゃんっつーのは訂正だ。なるほどそいつはEXランクの聖堕杖まじょう『ドライアリュク』か。お前、戦霊院だな?」

「アンタ……なんなのよ」

「ただの職員だよ、嬢ちゃん。んで、こっから先は関係者以外立ち入り禁止なんだ。悪いが帰ってくれや」

 へぇ、と那岐の口角が釣り上がる。

「火神浩一はどうなのよ? あいつがこの先にいるのはわかっているのだけれど、あいつは職員じゃないわよ」

「浩一は関係者・・・だよ。で、お前は関係者じゃない」

「だいたいただの職員? 嘘言わないで。アンタみたいな職員はデータには載ってなかったわよ。いいから火神浩一を引き渡しなさい。この先にいることはわかってんのよ」

「ああ? データにゃ載ってるはずだぜ。見間違いじゃないのか?」

 職員を騙る男が腕を振れば、那岐の正面に学園都市に在住する住民のデータと資料室の職員名簿が現れる。

「職員名簿は機密だが、お嬢ちゃんは有名な戦霊院の人らしいからな。特別に見せてやるよ」

(……確かに。でも)

 那岐は目の前の男が表示したウィンドウを一瞬で把握した。確かに存在している。

 だが相手側から提示した情報など信用できない。再度、那岐が自身のPADに念じれば、情報が現れる。

 先ほど調べた内容を突きつけてやるつもりだったのだ。

 だが、PADからは先ほどとは違う結果が出ていた。該当有り一件・・・・・・

(操作されている……戦霊院本家のデータベースと常時同期してるライブラリデータよ?)

 操作されたのだ。自分の家のサーバーに侵入されて。

 そして恐るべきは、いまだにこの施設内の通信システムは不通なのに、PAD内のライブラリ情報が同期されてしまっている点。

 つまり、都市のシステムを目の前の相手は完全に掌握していることになる。


 ――那岐の全身に戦意が溢れる。


 浩一の件はそれはそれで重要だが、那岐は四鳳八院の一員として目の前の男を始末しなければならなかった。

「ああ、待て待て。お嬢ちゃんも自分で検索したんだろうがな。それはなんかの間違いだったんだろう。検索間違いなんてよくあることだし職員データは機密だ。ほら、なんていったか、ウラノスシステムの不備やらなんやらでデータバンクが云々なんて事件があっただろう。それと一緒だ」

「残念ね。学園都市を束ねていた人工知能『ウラノス』は八年前に構造的欠陥が見つかって凍結されたわ。だから現在、使われてる人工知能『ゼウス』は電子精霊『ハデス』と人工知能『ポセイドン』の二つによる相互監視体制に移行している。ゆえに検索ミスも、データバンクのミスもありえない」

 男の顔があー、と自身の失敗を認めたように歪んだ。那岐は警戒した立ち姿で男を睨み、続ける・・・

「で、それを知らないってことはアンタ、他国の間諜かなんかね。それにしては間抜けっていうか……だいたい浩一アイツを誘拐したってゼネラウスの技術なんか一つも手に入らないわよ」

 警告もなしに那岐が杖で地面を叩いた。魔力整頓。だがその後に詠唱はない・・・・・

 しかし二十を越える大小の魔法陣が那岐の背後や正面に発生し、男を狙うように魔法陣の紋様が回転し、力を蓄え始める。

 無詠唱の魔法行使と多重高速展開。これこそがこの世界において、戦霊院の親娘のみが可能な魔導の絶技であった。



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