その空間は、人の手による細工がなされ(1)


 人のいない受付、カウンターに設置された端末。壁の色はすべて乳白色・・・で、床には埃が積もっている。

 長い通路を通り、浩一がたどり着いた部屋はまるでダンジョン実習の受付を想起させる場所だった。

(これは……)

 天井からの明かりに照らされたそこは、誰か人が立ち入ったような痕跡や気配がない。

 墓所ですらもう少し人の気配は残っている。ここは存在も意味も葬り去られた場所に思えた。

(……罠に嵌められたか)

 ここには何もないように見える。だが、そんな先入観を己の内から切り離し、この奇妙な空間を浩一は調べ始めた。

(とりあえずは情報収集だが。ったく、なんだってこんな、職員まで使って)

 自身が、自身の想定していなかった罠に嵌められたことをじんわりと浩一は悟り始める。

 浩一は自分から罠に嵌まっておきながら、嵌るまで罠のことなど一切頭に浮かんでいなかった。

 もっと自然な形で陥穽に落としてくると思っていたのだ。

 職員まで使って、このような場所に無理やり誘導されるとは思っていなかったのだ。

(しかし、なんだここは。妙に懐かしい感じだが……)

 浩一は埃塗れのフロアに見覚えはない。こんな場所は知らないし、知らないという事実に違和感はない。

 しかしどこか懐かしい雰囲気が漂っている。

 そのことに困惑を覚えるものの、浩一がすべきことは他にあった。

(まずはこれからどうするべきか、方針を考えるべきだな)

 レベル3キーのようにPADのアイテム取得すら改竄するような相手だ。

 だから浩一はコソコソと陰で動くものだと思っていた。こんな無茶な手は使わないと思っていた。

 だがは違った、職員を使って浩一をこの奇妙な場所に放り込んだ。

 それとも実際は何者かが事前に妖しく蠢いていて、水面下で様々なことが行われていたのだろうか?

 ここに放り込まれたのは罠の最終段階で、レベル3キーを自身に投与してしまったことで警戒できた最後の機会を放り捨てた?

 もしそうだったなら、それはけして取り戻せない失態だ。

 だが、と浩一は嗤う。

 全てはどうでもいいことだった。

 あるかもわからない巨大な陰謀。何が起こっているかもわからない現状に、嵌ってしまった事実。

 それらは全て些末事・・・だ。

 浩一にとってはこの罠の先に敵が待ち構えてくれていればそれでいい。

 わざわざ危険かもしれないアンプルを打ち込んだのはその為で、罠に嵌まったのも結局はそれが目的。

(ない頭で見えてないものを考えたところで意味なんかねぇんだ)

 とはいえここから脱出する方法をまずは考えなければならないだろう。


 ――生きて帰ってこそ、勝利なのだから。


 なので、まず入ってきた入り口は出口の候補から即座に捨て去る。

 恐らく、浩一では破壊できない形でなんらかの封鎖を行っているに違いない。

 その程度できなくてはこんな真似をする意味がない。Sランク相当の耐久を誇る隔壁ぐらいは降ろしていてもおかしくない。

 浩一は周囲を確認する。


 ――空っぽだが広いフロアだ。


(情報の取得が期待できるのは受付ぐらいか?)

 浩一は受付カウンターにある端末に向かった。

 このフロアはダンジョン受付に似ているが、受付カウンター以外には設備が何もない。

 アーリデイズダンジョンや中央公園ダンジョンの受付のように、外部の商店などが出店できるようなテナントなどがあるが、それらの中身はすべて空だった。

(ああ、そうか。どこかで見たと思ったが、これは)

 かつて幼いころ、同じ風景を浩一は見たことがあった。

 もちろんこのように忘れ去られた印象を与えるようなものではなく、人や物に囲まれていたものだったが……。

 浩一は建設途中のヘリオルスシェルターを思い出す。

(なるほど……残骸ではなく、卵の中で死んだ雛のようなものか、これは)

 浩一は端末へ向かう足を止め、床の埃に触れた。

 うっすらとではなく、厚みを感じるほどに積もったそれ。

 人の出入りはない。だが埃も外部から完全に隔絶された空間では積もりにくい。

 ここは外部と完全に断絶しているわけではないようだ。

(ここに目的の情報もあるみたいだしな……せいぜい足掻かせてもらおう)

 本来の目的を思い出す。それは情報の収集だ。

 虚偽ブラフの可能性もあったが、浩一をわざわざおびき寄せたのだ。

 餌がついていなければ浩一の行動の予測すら立てられまい。次の罠に嵌められまい。

 しかし、と浩一は首を横に傾げた。

(なぜ俺なんだ?)

 どういった陰謀が起こっているのかはどうでもいいが、狙われる理由ぐらいは知りたかった。

 浩一から得られるものなど何もないはずなのだ。

 浩一から奪える価値のあるものといえば月下残滓ぐらいだが、こんな手段で奪えばリフィヌスに目を付けられる。

 少なくともアリシアスが黙っていない。あの少女は誇り高い。月下残滓が原因で浩一にトラブルが舞い込めば必ず動く。

 SSランクとはいえ、たかが刀一本で八院の一角に目を付けられるのは割りに合わないだろう。

 だいたいこれほど高度な手段を使ってまで為すべきことでもない。


 ――月下残滓は原因ではない。

 

 武具について思考したからか、浩一は今更ながらに自身の全身を見た。

 ミキサージャブ戦と同じく漆黒の着流しである『白夜』は着てきている。

 もちろんわざわざ着てきたのではなく、ミキサージャブの報酬で新しく予備を購入し、普段着として着まわしていたからだ。

(日頃の心がけだな。これは幸運だ)

 そしてもう一つ、これは幸運というより単なる事実だ。

 学園都市の学生は常在戦闘が常なため、武器の携帯は軍事施設でも相当の高レベル施設でもなければ咎められない。

 ゆえに月下残滓は白鞘に収まり、ひっそりと浩一の腰に佩かれていた。

 Sランクのモンスターさえも屠れる武装だ。

 それも己の使い方次第だが、武具の優劣で己が死ぬなんていう間抜けな事態だけは避けられたようだった。

「丸腰は避けられたな。俺は凄まじく運が良い」

 悪運が強いと言うべきだとは思わなかった。浩一はこの状況にわくわく・・・・している。

 これも含めて己の幸運だと浩一は思っている。

 続いてPADを浩一は思考で操作し、諸々の機能を確かめた。

 アイテムの転移は問題なく行えそうではあるが、あとで確認が必要だろう。

 そして地図は空白を主張し、この場が下層資料室から隔離された空間だと示している。

 浩一もここがどこなのかはわからない。

(隔壁を考えたが……もしかしたら俺がこのフロアに入った瞬間に部屋自体が移動して、別の場所に俺を運んだなんてこともあり得るが……考えすぎか? 資料室の記録に地図情報がないだけで、ここは資料室と距離的に隔離されておらず、施設自体に高度な探査妨害が走っている?)

 いくつもの区画や構造体をつなげてひとつの都市としている学園都市では、施設自体を切り離して別の区画に移動させることは珍しいものではない。

 今現在浩一が所属しているアーリデイズシェルターは同盟暦四百年ほどに現在の形になるよう整備を開始したが(小規模な拡張や増築などは現在でも行っている)、基礎構造はこの土地に作られた、大崩壊時代の技術で作られたシェルターのものをそのままに使用している。

 だからか、都市管理に使用している人工知能のいくつかは、人類が完全に掌握できているわけではなかった。

 再現不可能だから使っている状態で、ブラックボックスも多いのだ。

 だからこれを行った下手人がその未掌握部分を用い、浩一を罠に嵌めた可能性もあるのだろうが……。

(まぁ、そこまで考えてしまえばなんでもありだが……)

 妄想もすぎると動きにくくなる。適度に楽観的に考えた方が動きやすい。

 そういえばと浩一は思った。自分が狙われる理由に一つ心当たりがあった。

(……いや、まさかあれ・・が目的ってわけじゃないだろうな? 奪ってくれるならそれはそれでいいんだが。俺が死なない方法にしてほしいが……無理か)

 忌々しくも価値だけはあるそれを思い出し、しかし、と浩一は首を横に振った。

 現在、この都市であれについて知っているのは、浩一の身体を調べつくした峰富士智子だけだ。

 そして、あの女史がそれを他の研究者に漏らすはずもない。

 なにしろ浩一は、智子が確保している状態なのである。わざわざ他人に奪わせる意味がない。

(智子さんが俺を売る可能性はゼロだ。しかしこうなると本格的に誰が敵かわからないな)

 そこまで考えて浩一は一端疑念の全てを棚に上げた。

 首謀者について想像がつかない以上は原因をいくら考えても推測の域を出ることがないからだ。

(さて、妄想はこのぐらいにしてそろそろ真面目に行動するか)

 受付にあった端末にPADを近づける前に、PADの処理速度が落ちるのを承知でPAD内に攻性防壁を多重に展開させていく。

 また脳を過剰な情報で圧迫する情報攻撃や、禁忌や倫理にもとる映像や思想を囁いてくる倫理攻撃を受けないために、PADの思考操作の機能を停止させた。

 PADの思考操作は確かに便利だが、逆にその機能を使って攻撃を受ける危険性がある。

 浩一のPADの持ち主が、このPADに思考操作機能を付けなかった理由がそれだった。

(手動操作に戻すのはめんどくさいが、仕方ない)

 無論、思考操作用に取り付けた外付けの機械を外すことも含めて、浩一は手間を掛けて手動操作に変更していく。

 対人戦において、あらゆる行動の補助ツールとなりうるPADを優先的に狙うのは基本中の基本だ。

 無論、対人攻撃は法に触れるが、このような場所では法律も何もないだろう。用心できるところは用心するべきだった。

 とはいえ都市機能の一部を掌握しているだろう敵が、今更PAD攻撃などという低レベルな嫌がらせを仕掛けてくるような真似はしないと確信はできるものの、油断するわけにもいかない。可能性は潰しておくべきである。

 そして有線接続を用いて浩一は受付カウンターにあった、埃の積もった端末にPADでアクセスを始めた。

 無線ではなく有線なのは、倫理攻撃や情報攻撃を受けても最悪引きぬくことで物理的にPADの接続を遮断できるようにするための措置である。

 ただし、学生が用いるPADで軍施設からの攻撃を抑えられるわけもない。

 それが主席の使用するものであっても強い情報の権限を与えない為に、学生であるうちにはOSや利用アプリにも制限が掛けられている。

 しかし、と浩一の口角が緩む。

 自身のPADに限ってはそれらは問題にならない。

 火神浩一のPADは都市で販売しているものを購入したのではなく、軍人だった恩人の形見を受け取り、登録者の変更を軍施設で行ったものだからだ。

 元ナンバーズたちへの好意もあり、普通ならば親の形見であっても一度初期化しなければならないところを浩一は初期化せずに使用できていた。

 浩一のPADは開拓者協会製『道を拓く者 Vir1.03』。

 OSは旧式OS『ノルン弐拾参型』の個人カスタム品だ。

 OSである『ノルン』はPADや学園都市のコンピューター用のOSとして千年前に基礎が作られたOSを元にして造られたOSであり、改造しやすく拡張性が高いとして一部のマニアに好かれている。

 そして現在では弐拾捌型や弐拾玖型が最新型として使われているものの、弐拾参型は最高傑作として名高い名OSだ。

 とはいえ流石に百年近い骨董OSともなれば現行のシステムとの規格の違いも目立つようになってくる。

 そのため浩一は元の持ち主である歌月・・が組んだソフトを用いて、規格の違いを埋めて、使用していた。

 だが端子を差し、起動した施設の端末画面を見て、浩一は絶句する。

 埃の具合でこの施設が製造途中か公開直前で廃棄されたことは予想できていたが、端末のシステム表示は、ノルン壱型より以前のものだったからだ。

「古そうな画面だな。大丈夫か? これは」

 浩一の心配をよそに、PADは自動的に規格を合わせ・・・、端末の操作を可能にしていく。

 歌月によって魔改造チューンを施された特別製のPADであればこそだった。

 最新式のPADではまず接続することすらできなかっただろう。

(しかし十年前の情報がここにあるのか? このシステム、PADのライブラリから情報を照合したら千年前のものとデータが出てきたが……つまり千年前に廃棄された施設、なのか?)

 しかし埃の積もり具合はそこまで時が立ってるように見えない。人の出入りはあったのかもしれない。

 だが十年以上は経っている。フロア内に放棄された資材はかなり前の規格のものだ。

 浩一としては当初の目的である情報を得るために動こうと思っている。

 だが、ここまで古い施設に目的のものがあるとはどうしても思えない。

「俺がほしいのは十年前の情報だが……まぁ調べりゃわかるか……」

 接続を果たし、操作可能になったPADで、浩一は端末から様々な情報を得ていく。

 この施設の全体の階層数、フロアの構造、構成素材、警備システムなど。

「で……本当にこの施設に情報がある、と」

 それ自体はありがたいことだが、さすがに出来すぎではないかと浩一の警戒が高まっていく。

 ナンバーズやヘリオルスについて検索したが、レベル3の情報施設になかった資料の名前が次々と表示されるのだ。

「まずいな。レベル5情報まであるじゃないか……」

 もちろん端末から情報は吸い出せない。端末が表示したのは資料の名前と位置だからだ。

 だがその位置は、この施設内と表示されている。


 ――ありとあらゆる情報が、この施設には存在しているようだった。


 地図、事件、医療、教育から軍事、料理に文学、スポーツからゴシップ、言語に宗教、芸能に音楽……ありとあらゆる分野の、最古から最新の、ありとあらゆるデータがこの施設に収まっている。

 そして、つい先日発表された武術概論の論文が、この施設内に存在することを確認し、浩一は自分が幻覚を見ているのではないかと疑ってしまう。

「なんなんだ。本当にここは」

 調べれば調べるほどに浩一は、ここが自身が訪れるべき場所ではないような気がしてならなかった。

「というか、施設から出たら、始末されないといいが……」

 見てはいけない情報を見てしまう危険を犯したらまずいな、という気持ちになる。

「それで、全体の階層情報は入手できたが……」

 詳細な地図データは入手できなかった。並みの軍事施設よりも厳重な情報規制によってだ。

 ただしこの『書庫』内の、書架や部屋の配置からPADのシミュレーション機能を用い、マップを作成していく。

 普段のダンジョン探索では使わない機能だが、緊急時だ。浩一は躊躇せず使っていた。

(……多少の抜けはあるが、まぁいいだろう)

 現状手に入れられる情報全てを端末からPADに吸い出した浩一は、端末と接続していたケーブルを引き抜く。

 目的の情報である過去のナンバーズについての資料のある場所についても調べ終わった。

(資料を見つけたら、次は出口を探すか……)

 浩一は最後にPADの転送機能を実際に確かめる。

 ストレージの回復薬を手元に転送し、倉庫に転送しなおすことを十回ほど繰り返し、何も問題がないことを確かめたのだ。

 そうして、この『書庫』の奥へと、浩一は歩き出すのだった。


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