過去と幼さは心に巻きつき(6)


 そして二人は再び『下層資料室』へ訪れた。

 浩一は那岐と別れ、資料探しに向かい、那岐は浩一の用事が終わるまで、見るもののない施設で時間を潰す。

「手詰まりだな……」

 書架の前で浩一はさほど残念でもなさそうに呟いた。

 どの資料にも、同じことしか書かれていない。

 浩一が生まれる前から建造が始まっていたシェルター『ヘリオルス』は、その完成予定の年にモンスターの襲撃を受け、移住予定者の半数とその日その場にいた工員や研究者、軍人ごと壊滅した。

 その『ヘリオルス』は現在、廃棄シェルターの認定を受け、放置されている。

(そして、そこまでだ。EXモンスターについては何も書かれていない)

 ヘリオルスは火神浩一がかつて大事な二年を過ごした場所である。

(雪とも、あそこで出会った)

 当時の浩一は言葉すら忘れ、感情も上手く制御できず、食事もまともに取れなかった。

 研究や建造、訓練や警備で大人たちは忙しく、浩一に付きっ切りで世話や教育を行えるものなどいなかった。

 もちろん、浩一自身は放って置かれても構わないと思っていた。

 最低限以上の衣食住を与えられたのだ。今はもうあまり覚えていないが、当時の浩一は随分と周囲に甘やかされていた。

 放って置かれるぐらいでもよかっただろうに。彼らはなにくれと浩一に構ってくれた。与えてくれた。

 そして、そんな浩一の世話を歌月かづきの妹である雪が行った。

 言葉を教え、食器の扱い方を教え、感情のままに振舞う浩一を付きっ切りで世話をし、教育した。

 本当に、感謝してもしたりないぐらいの恩を浩一は雪に受けていた。

(あいつを軍人から足抜け、させられるわけがないか……)

 浩一を追いかけてきてしまった幼馴染ゆき

 恩があるからこそ自由にしてもらいたい。

 いや、恩じゃない。浩一は、雪には雪の人生を生きて欲しかった。

 説得したこともある。話し合ったこともある。邪険にしたこともある。それでも雪は喰らいついてきた。

(雪はしつこいが、だからこそ俺の相手が務まった、なんてことを思わないでもないが……)

 優しい少女で、良い女だ。本気でそう思う。

 浩一は大人になった雪の姿を脳裏に浮かべてみた。

 美しい金髪の少女が大人になった姿を……。


 ――ああ、雪を嫁に貰う男は凄まじく幸運だろう。


 自分が伴侶に迎えようとは考えない。好意や愛情の有無ではない。

 浩一には、単純に自分がその歳まで生きていられるか確証が持てないからだ。


 ――悪癖が、胸に燃える熱が、いつか火神浩一を殺すだろう。


 それに浩一は知っている。自分は誰かを幸せにできるような心根の人間ではない。

 本当に雪のことを思うならば、自分が学園都市と関わらなければよかったのだ。

 雪の母親は浩一に戦わずに済むいくつかの選択肢を与えてくれた。それを無下にしたのは浩一だ。

 浩一はそのうえで、雪がついてくるかもしれないという確信を持ちながらもこの道を選んだ。

 戦って戦って戦い続ける道を。果てのない修羅道を。

(考えても仕方のないことかもな。雪のことは……)

 いずれ誰か良い人間と出会えればいい。

 浩一は考えながら、同じような記事が並ぶウィンドウに目を落とした。

 過去に世話になった人々のことを鮮明に思い出したせいか、いろいろな感情が浮かんでくる。

 自身に好意的に接してくれた大人たち。彼らには様々な恩を受けた。

(恩ってのも、なんというか上から目線というか、侮辱してるというか……でもな、あれだけ世話になってたんだ。貸し借りってわけじゃないが)

 優しさを貰った多くの人が死んだ。だから浩一には返せるものがない、それが寂しいのだ。

 記憶はある、体も覚えている。しかしそれは時間の経過で薄れていく。

 記事の表示されたウィンドウを浩一は見つめた。

(好き勝手書きやがって……)

 ヘリオルス壊滅はどうしようもない襲撃だった。歌月が負けたのだ。

 だから、誰がいてもそうなっただろう。

 しかし、それが外部では嫌なふうに取られている。

 浩一の望みは、恩人たちの汚名を雪ぐことではないが、このような悪評を潰す方法を考えないわけでもなかった。


 ――だが浩一の頭に浮かぶそのどれもが実現不可能な夢想だ。


(こんな妄想をしたなんてあの人たちが知ったら、みっともないと笑うか……)

 妄想ではなく堂々と実力でなんとかしろと怒られるのだろう。

 それでも、恩人が不当な評価を受けていることを思うなら考えずにはいられないのだ。

 自分がもし権力を得たならば、そこまで考えて浩一は自嘲の笑みを浮かべた。

 戦霊院那岐けんりょくを、浩一は遠ざけている。



                ◇◆◇◆◇


 戦霊院那岐は手に持っていた資料を棚に戻した。

 浩一の調査は、家のものに任せてあるため、自分の問題についての調べ物をしていたのだ。


 ――魔力殺しに対抗する方法だった。


(まー、レベル3の資料をいくら漁っても出てくるわけないんだけどね……)

 とはいえここにしかない資料がないわけでもないが、どこか足りない・・・・資料ばかりだ。

 魔導の大家たる戦霊院にいくらでもある情報しか存在しない。

(まぁ、わかってることだけどさ。さて、やるか・・・

 今現在、那岐が考えている魔力殺し対策は魔力の収束率の上昇や魔法の構成の改良などではない。

 効果範囲内で発動している魔法のを破壊することで、その魔法の効力を失わせる中枢破壊型の魔力殺しに対抗するための、根本的な改良である。

(中枢破壊型ってもピンきりだけど、魔力殺しの効果範囲に入った魔法の効果を即破壊するっていうのが、もう破格というかね……なんでイベントモンスターごときが持ってたんだか)

 数日前、浩一から受け取ったミキサージャブの魔力殺しのデータの解析を用いて試算を何万回と行ったものの、構成の変更だけではどれだけやってもコンマ05秒程の時間で扱う魔法の構造を解析され、無力化されてしまう。

 唯一効果のあるものが最上級魔法のひとつ、浩一を抱えて逃げたときに発動させた『天翼』のような最上級魔法だ。

 最上級、つまり複雑な魔法構成を持ち、ひとつやふたつ核を潰されても発動を持続できる魔法。

 もっとも魔法の種類によっては一つ核を潰されただけで式が破綻する繊細なものもあるので一概に最上級が良いとも言えないが……。

 とはいえ、それがヒントだった。

 魔法の核を破壊する魔力殺し相手ならば、擬似的な核を複数用意することで魔力殺しが本命の核を破壊することを避け、高確率で魔法を維持し続けられる。

 放ってからコンマ05秒以内に対象に着弾する魔法でそれを行えば、それで使えるようになるだろう。

 しかしそれは魔力殺し相手の戦闘で魔法使いの、それも上級クラスの魔法を扱える魔法使いの手数が致命的なほどに減少することを指している。

(まぁ、何もできないよりはマシではあるのだけれど)

 置物になるよりかは、と魔法発動の短縮方法をいくつかシミュレーションしながら那岐は嘆息した。

 試算するも効率が悪い。現状、ダミーよりも単発の低級魔法を連発した方がまだマシだった。

(低級魔法を連射することで魔力殺しの機能を飽和させれば、それで攻撃は通るようになるけど……)

 自分で考えて那岐はそれを即座に否定した。効率が悪いし魔力を使いすぎる。

 なにより成功しても威力に不足が出る。

 ミキサージャブクラスが相手の場合、与えたダメージが自己治癒能力を上回らないと有効打にはならない。


 ――低級魔法は使えない。


 唇に指先を当て、PADのシミュレーション機能が出した試算結果を注視し続ける那岐。

(暗号化は……魔法式が複雑化しすぎるわね。魔法言語を新しく作る、とか? ゼロから作るとなるとスロットの兼ね合いもあるからな。言語次第だと私のスロットが対応できないか。特定魔法の高速発動に特化した装備品は……どうにも手札が限定されるわね。全属性の魔法が使える私の強みが消える)

 那岐は適当に組んでいたクズ魔法の式を破棄すると、時間稼ぎとして創った壁魔法のシミュレーションを行い始めた。

(やっぱダミーかな……ダミー一つ作るのにどれだけ術者の脳に負担をかけるか……ダミーを混ぜることでどれだけ魔法が複雑化するか)

 とはいえ、欺瞞デコイとしてダミーの構造核を百から二百ほどランダムで埋め込んだ壁の結果はまずまずだ。

 属性は無色、耐久はSランク、使用魔力も元とした同規模の魔法と比べて二割増し程度。

 これならば魔力殺しを所持した強力な敵との戦闘でも三秒は保たせることができるだろう。

(三秒あれば、いろいろできるわね)

 まだ仮想式なのでSランク相手に実戦投入するにはいくつか問題はあるものの、Aランクの戦闘程度でなら現在の状態でも使用することができるだろう。

(あーあ、こういうのは簡単なんだけどねぇ)

 指で魔法式を突けば、ゆらゆらとウィンドウ内の魔法の三次元図が揺れた。

 那岐は魔法を創造するのが好きだった。

 理論を提唱し、実験を繰り返し、知識の海を泳ぐこと。


 ――それは戦霊院那岐が持つ唯一の趣味といっても良い。


 しかし那岐が研究者として過ごすことは許されていなかった。

 戦霊院那岐は戦霊院の次代当主を望まれているために。

 軍人にならなければならないことに疑問に思い、夜も眠れず、幼少の那岐は父に問いかけたことがある。

 なぜ那岐が軍人にならなければならないのか。研究者になることはできないのか、と。

 那岐の父、戦霊院静峡しずくは厳然とした態度で、娘の望みを下らぬことだと一蹴した。


『戦霊院は軍人の家系。四鳳の八翼たる我らが戦わず、後ろに篭もり、誰が戦場に向かおうと思うのか』

『お父様。私が新しい力を創りだせば、それが彼らの、百年、千年先の力になるのでは?』

『戯け。民が求めるは実利ではない。幻想よ』


 だから、軍人の片手間・・・に研究を行うならば、那岐の好きに振舞えば良いと、静峡は幼い娘の頭を撫でた。

 その言葉の意味が理解できずとも、それより歳月が過ぎれば那岐も頭ではなく心で悟るしかない。

 何より、父の招きで訪れる父の部下たちの顔を見ればわかる。

 彼らは戦霊院に仕えているのではない。

 戦霊院静峡の持つ、圧倒的な力に畏怖し、敬っているからこそ仕えているのだと。

 そして、父が前線へと立つからこそ彼の命令に従うのだとも。


 ――人は理屈ではないのだ。


 だから、那岐には生まれたときから選択肢はなかった。

 今、父が那岐に好きなように振舞わせているのは、それもあるのかもしれないと那岐は思う。

 既に決まっている道筋だから、父が干渉しなくても良いと考えているのだ。

(歪んでるわね。でも……)

 幼い自身に向けた眼差しと掌を思い出せば理屈以上の何かが那岐の心を縛り付ける。暖かな呪縛。

 他の八院も同じなのかと、那岐は年下の修道女アリシアスの顔を思い浮かべ、苦笑した。

 あれは、きっとそんなことは考えまい。

(私も、そろそろ決着をつけないとまずい、か)

 戦場に立つ父がいつ死ぬかもわからないのだ。

 だけれど、かつての乱で父が殺した男の言葉。那岐の心を乱し続ける疑念ノイズは残っている。

 ああ、でもそれは今じゃないか。今はまず浩一のこと……だけど何をどうすれば、と考えることが多い、と那岐は自身の思考に混乱しながら、術式に更なる工夫を加えようと再計算の準備に入り、目の端に映った青年の姿に思わず椅子から立ち上がった。

(浩一? アイツどこに?)

 職員に連れられ、火神浩一が資料室の奥へと向かっていた。


                ◇◆◇◆◇


「で、こっちにあるわけですか?」

 使い慣れない敬語を用い、浩一は前方を歩く職員に問いかけた。

 浩一が探しているのは十年前のナンバーズについて書かれた本だ。

 十四年前に収集された当時のナンバーズの身体データや活躍についてまとめられた資料本だとデータベースに載っていた。

「一年前まではレベル4機密だったんだがな。ふ、あのナンバーズどもは醜聞だ。だから機密ランクが下がったんだよ。それにあの、なんといったか、市民の間で流行ってたカードを使ったゲームがあっただろう?」

 醜聞、という言葉に浩一の眉が顰められる。

 だが怒りを外に出さないように注意しながら浩一は言葉を返した。

「学園ダンジョン、とかいう奴ですか?」

 カードとゲームで思い当たるのは、学園都市の有名人のトレーディングカードで遊ぶ機械のことだった。

 職員は過去形で語ったが、今でも学園都市内部で流行っているゲームで、浩一もミキサージャブ事件の後、カード用に写真を撮られた覚えがある。

 禿頭の男性職員はそうだそれだと頷いて通路を進んでいく。

 通常の資料フロアから外れているらしく、書架やそれらは見えない。

 人通りのない通路だ。職員が躊躇なく進んでいくので浩一はついていく。

 だが、不自然な位置の通路を通り、人間の視界では自然と死角に入る位置にある階段を下りたところで浩一は内心で首を横に傾げた。

(……なんだここは? 奇妙に覚えにくい通路だな。重要文書を置いてるんだろうから、こういった備えをしているのだろうと思うが)

 浩一はレベル3の施設は初めてだ。これが普通なのか、特殊なのかの判断がつかない。

 この階段はどこに続くのだろうかと浩一が悩んだところに、職員が軽い口調で声を掛けた。

「さっき醜聞って単語に反応したな、お前。なんだ? 当時のナンバーズのファンか?」

「……反応、しましたかね?」

 挑発されているのだろうか? 人間相手にいちいち喧嘩を売ったり買ったりする趣味のない浩一は話を受け流そうとするが、職員は、はッ、と鼻で笑う。

「とぼけるなよ。当時のナンバーズについては皆知ってるさ。都市そのものが滅んじまえばなおさらな。だいたい軍内でうやむやにしたって結局はなんらかの形で外に情報は出て行く。あれのカードもな。あそこにいた連中のは、ほとんど値段は下降した。性能は変わっていないのにな。縁起が悪いってよ。馬鹿みたいだが、支持を失ったってわけだ」

 はぁ、と答えるしかない。内心には怒りがあるが、どうにもこの職員は言葉が軽い・・。本気で言っているわけではないように浩一は思えて、この喧嘩を買うのか戸惑ってしまう。

(この職員、何が目的だ?)

「生返事だな。ま、わざわざ調べるんだ。知ってんだろ? つか、なんだよ。わざわざ俺が案内してやってるんじゃねぇか。なんでそんな顔しやがるんだ? ええ?」

 言われても愛想笑いしかでない。ここまで挑発されたのだ。殴りかかってもいいのだが、気分が乗らない。

 そんな気持ちを誤魔化すように浩一は男に頭を小さく下げる。勘弁してくれ、という気持ちでだ。

 そういった浩一の気分を雰囲気で悟ったのか、男は舌打すると通路の先を示した。

「こっからまっすぐ行きゃ書庫がある。そこの端末使えば資料が探せるから好きに使え。ああ、職員がいないからって資料盗むなよ。一応セキュリティは動いてるからな」

「職員がいないって、あんたは」

「戻るわ。めんどく・・・・さくなった・・・・・

(いや……仕事しろよ。人にあれだけ言っておいて)

 後方へと歩いていく男の背を見て浩一は、失敗したな、と呟いた。

(機嫌をとりゃよかったってか? 馬鹿らしい)

 浩一も子供ではない。このさきに端末があるならば、自分一人でもできるだろう。

(しかし、なんだかな……ううん? 気の所為か?)

 浩一のいる通路は、誰もいない一本道の通路だ。

 電灯は暗く、職員が指した先に本当に書庫があるのかはわからない。

(まぁ、何もなかったら戻ればいいんだが……)

 歩き出した浩一は、見落としている要素があることに未だ気づいていない。


 ――薄暗い通路の壁は、乳白色・・・をしていた。


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