その空間は、人の手による細工がなされ(3)


 那岐と禿頭の職員が対峙していた。

 那岐の周囲のは大量の魔法陣が発生しており、いつでも魔法を放つことのできる状態だった。

「ちッ――統御AIウラノスくん凍っちまってんのかよ」

 職員は面倒くさそうに腰に手を伸ばし、腕を停止させた。

「武器もねぇし、ダメだな。こりゃ」

 しかし那岐はその姿勢だけでの使用武術を察する。

(へぇ、その構え、刀術使いね。でも腰に刀も差さないで私の前に立つとか馬鹿にしてるにも程が……)

 しかし職員の顔には焦り一つない。

 既に戦闘態勢に入っている戦霊院那岐を前にして、だ。

 この至近距離だ。那岐が攻撃を仕掛ければ塵も残らないだろう。

「はッ、まったくよぉ。新聞ぐらいは読んでおくべきだったかァ?」

「残念。自分の死亡記事は見れないわ。死になさい」

 那岐が『火砲かほう極彩ごくさい』と唱えた。

 那岐の持つ機能スキルかスロットの効果か……詠唱を必要とせず、『力ある言葉ワード』だけで魔法が発動する。

 大量の魔法陣から放たれる、必滅の焔の連弾。それは通路に立っている男へ殺到する。

 一つでも触れれば人間など消し炭になる炎の嵐だ。通路を埋め尽くすかのごとく魔法が唸り、男を飲み込む。

 勝利の予感に那岐の口角が釣り上がるも、刹那の違和感で杖を強く握った。

 飲み込まれる直前、どうしてか職員は防御も何もせず、回避の予備動作すら行っていなかった。

(ばッ。死ぬのよ? 何の緊張感もなしにッ……!?)

 那岐は八院の次期当主として他国の間諜に対する攻撃を止める気も、出した殺意を収める気もなかった。

 それでも無抵抗の相手をゴミのように蹂躙するのは気分が悪い。心が・・軋む・・

(まさか私が本気じゃないとでも思われたの?)

 すでに発動してしまった焔は、那岐の感情に構わず敵を蹂躙している。確定された敵の死に、那岐の口中に苦い味が満ちた。

 人や、人に近い知能を有する生き物を殺したときに溢れるその味は嫌いだ。

(ちッ……これじゃあ骨も残らないわね)

 那岐は、いかに殺人に忌避や躊躇を持っていようとも、戦霊院家の人間として、学園都市の敵に容赦をする必要を己に認めない。

 それに、如何いかに迷いがあろうとも、那岐の性能は迷いすらも飲み込み戦霊院の力を発揮する。

 無防備に喰らえば跡形も残らない。

 見届けずとも殺した確信がある。

 だから那岐は先にいるであろう浩一を保護するために結果も見ずに走り出そうとし、ぴたり・・・、と動きを止めた。

「おいおい、行っちまうのか? 寂しいじゃねぇか」

「ば――」

「馬鹿な、か? それともバラバラにしてやる、か? まぁ俺ァどっちでもいいが」

 禿頭の職員は、先ほどの通路に無傷で立っていた。

 周囲の壁や床の表面はグズグズに溶け、那岐の魔法が一切の手加減などせずに放たれたことを示している。

 だが男は那岐の攻撃を真正面からうけてなお、なんら痛痒を感じていない。

 那岐の表情を見た男が、嘲るようにして嗤った。気づけよ・・・・、そう唇が音を出さずに動いている。

(トリックッ!? 魔力殺しッ!? 単にあいつが私の認識以上の速度を持ってるだけッ!? でも私は威力も範囲も抑えてない。この狭い通路なら必ず接触部位はあったはず)

 攻撃が当たっていない可能性などないのだ。

 そもそも魔力殺しならば魔法は発動しない。魔法は発動した。だから魔力殺しではない。

 那岐の認識以上で動くには相当の速度を必要とするし、それならば少なくともSSランク以上の戦闘能力を持つ必要がある。

 そんな実力を持っているならば那岐の言葉に応じる必要などない。那岐を殺して黙らせればいいだけだ。

(何? 何を見落としてるの?)

 男が虚空に顔を向けた。唇が動く。誰かと会話をしているのか? 男の顔が綻んだ。

動いた・・・? 何が? 誰が?)

 同時に、補助を失っても未だ起動していた探査針が、那岐に浩一が移動したことを告げる。

「ちぃッ、止まってなさいよッ! ならッッ――もう一発ッ!!」

 焦りか迷いか後ろめたさ・・・・・か。

 これで見極める、とばかりに那岐が攻撃魔法に探査術式を混ぜ、職員へと杖を向けた瞬間。

かつッ!」

 男が発した『声』に那岐の身体がすくむ。

(わ、私の精神防壁を突破するほどの『雄叫び』技能スキル!? さっきの回避もだけど、そんな使い手がどうしてここに!?)

 一瞬の硬直だ。しかし那岐を睨む男が状況を動かすには十分な時間だった。

「侵入口の再封鎖完了、と。これで俺の役目は終わりだ。んじゃ、お前も行っとけや。少なくとも浩一よりかは生存の目はありそうだがな」

 男が腕を振ると男の真下も含めた、那岐たちのいる通路の床が全て消失する。

「こ、こんな、アンタも落ちるに――」

 重力に捉えられ、落下していこうとする那岐が嘲笑を浮かべようとして表情を固めた。

 男は、なんら魔導や気の力を感じないというのに、まるで透明な床の上に立っているかのように宙に浮いている。

 技能? スロット? そうではない。

 嗚呼、と――那岐が真実にたどり着く。

(どうして私は気付かなかったの? あいつからは力を感じなさすぎる。つまり、あれは――)

 那岐が落下する直前に、男に向け射出していた魔力の塊が男をすり抜け・・・・、その背後の壁へと着弾するのが見えた。

「やられた。立体映像・・・・ぁ」

 正解、と男の唇が動くも、もはや那岐は男を見ていなかった。

 既に那岐の身体は底の見えない空間を落ちていっていたからだ。

(まず生存を、優先ッ……!!)

 下がどれだけ深いのかがわからない以上、構成の難しい『天翼』は発動させられない。

 故に落下速度を軽減する重力魔法と周囲の暗闇を照らす照明魔法の構成を組む。

 那岐が『力ある言葉』を発しながら、うめく。那岐の脳裏には男を貫いた際の口中の味が甦っていた。

 敵が立体映像であることを最初に見破れなかったのは、相手が人の形をしていたからだ。

 即死したと確信してしまったのも同じ理由だろう。

 相手が人の姿をしていたがために、人の言葉と人の知能を有するが故に、那岐は戦果に自身の妄想を混ぜてしまっていた。

 それは、二度も人間を攻撃したくないという、ただの甘えだ。

 だから死んだと勝手に思い込んだ・・・・・

(クソッ、これじゃあ私、本格的にダメじゃないの)

 落ちる先はどこかはわからない。

 だが那岐は。このまとわりつく不快感をどうにかしないと、自分はどこにも辿りつけないような気がしてならなかった。


                ◇◆◇◆◇


『【スプンタ・マンユ】 第一階層【アシャ・ワヒシュタ】』


 PADに表示された階層名を見て浩一の眉が顰められた。

 『書庫』に妙な名前がついていた。

(第一層? それは、なんというか……)

 通常の施設ならば、地下一階や地上一階などの呼称が用いられる。だが、だと? これではまるで――。

(この施設、警備のシステムも止まってる。そしてマップは一応だが書架の配置から予測して作製できた。問題はない、と思う……出口がわからないこと以外は)

 いくら歩き回っても『下層資料室』で見た警備ロボットは一体も見なかった。

 浩一はあれらと戦うことも考えていたが――どうにも奇妙な違和感が付き纏っている。

(月下残滓に白夜、武装は万全だ。何が起こっても戦えるようにしている)

 浩一はいつ戦闘が起こっても問題はない心構えでいるが、何かがどうにも噛み合わない。

 罠に嵌ったことが原因ではない。既にそれは理解の中にある。

 だからそこで思考は止まっていない。問題は一切ない。ないはずなのに……。

 浩一は自身の中の考えと周囲の空間に齟齬があるように思えてならなかった。

 何を自分は間違えているのか。違和の萌芽が心中にある。掘り進めて根を確認することもできずに先へ先へと進んでいく。

 懐から探査用の小型機械を周囲にばら撒くことでこの違和感を消してみようと努力もしてみるが、解決には導かれない。

(何が問題だ? ここは隔離された情報施設だろう? 俺は誘導された。それで、相手の次のはなんだ?)

 刺客の一人や二人がいるのかとも思ったが、誰も現れない。

 周囲には何もない。本当に何もない。真珠色・・・の通路が続き、プレートのついた扉が時々見える。

 これらの中身は情報からすれば資料室だ。中に詰まっている情報の貴重さを思えばまったく無警戒なものだと浩一は考えつつ、目的の情報ではないため通り過ぎて行く。

 しかし分類ごと、機密レベルごとに部屋をわけているのだろうが、浩一には不便な構造のような気がしてならなかった。

 図書館のような開けた構造のほうが、探す分には楽だろう。

 とはいえ浩一が都市区画についてもう少し勤勉であれば気づいただろう。

 足元に微細に走る、構造体を示すつなぎ目・・・・や小部屋ごとに収められた資料の意味に。

 この施設――この『書庫』はいつでも分離移動できるように造られている。

 機密性ではなく、情報の保持に主眼が向けられているのだ。

 何かがあれば、この施設は都市内のいくつもの場所に分散されるように造られている。

 レベル3施設『下層資料室』の地下にあったのは、たまたま・・・・なのだ。

 浩一は情報の使い方は理解していてもそれが秘されることや、残し続けることの価値を十二分に理解しているわけではない。

 だから細かい部屋に分けずに一括で管理してしまえばいいだろうと思いながら、周囲の索敵や罠の捜索をしつつ進んでいく。

(本当に敵がいないな)

 浩一は一歩一歩に慎重になるのではなく要所要所、例えば十字路や、角などで普段よりも警戒を密にした。

 しかし、あまり警戒に時間をかけていても得るものは少ない。

(自分の命を守るのは最低限の義務だがな……)

 今回に限り、行動は迅速にすべきだと考えていた。

 浩一を隔離することが目的の罠かもしれないのだ。

 その場合、浩一の勝利条件は迅速に脱出することになる。

(敵はまだ見ない、か。警備システムが掌握されてたとしても機械相手なら問題はないが、人間を呼ばれたらどうするかな)

 警備ロボだが、それ自体はBからAランクのモンスター程度の戦闘力しか所有いないはずだ。

 だからB+ランクとはいえ技能を駆使すれば生身で弾幕すら避けられる浩一にとってはそれほどの脅威ではない。

 懸念すべきは装甲の硬さだが、月下残滓がある以上、何の問題もないだろう。

 だから浩一がここで恐れているのは、トラップや襲ってくるだろう人間のたぐいだ。

 もっとも浩一は雪と二人で組んでいた時期が長い為に、機械系、魔導系問わずトラップの探索、解除方法は学んでいる。

 罠が相当な難易度ではない限り一応は大丈夫だろう。

 そして、たとえ発動してしまっても、多少の傷、毒、呪い関係であれば前回アリシアスから譲り受けた上級回復薬を用いることで治療もできる。

 だが一人で行動している以上、それを連続でやられてしまえば終わりだ。

 麻痺毒からの石化ガスや、致死毒からのモンスター襲来など致死トラップのコンボを浩一が乗り切れるわけはない。

(脱出方法もわからない以上、過度の肉体の損傷はまずいが……)

 地上に戻れば病院に高額な治療費を払うことで回復できるような傷もここでは致命傷になる。

 もし足をやられ、迅速に移動できなくなったところに落とし穴、ガスなどを使われればそこで終わる。

 無論、今歩いている通路でさえ、浩一を殺すのに最適の罠を仕掛ける方法は幾通りも存在するのだ。

 こんなひと目につかない施設だ。殺すだけなら方法はいくらでもある。


 ――だからこそ、罠での殺害は薄いと考える。


 火神浩一はそれほどの手間を掛けずとも殺せる存在だ。そんな大仰なことをする意味がない。

(だが……油断だけはしないようにしよう)

 浩一はそこまで考えて、タイムリミットと自身の命を天秤にかけながら要所のみの警戒を行い、進んでいく。

(探索機械が情報を送ってこないか)

 昆虫型の小型の探索機械だ。音と映像を送ってくるだけのものだが、それらはまだ何も見つけていないらしい。

 しばらく歩いて、息を吐いた。緊張感が神経をすり減らしている感覚があるが、まだ探索も序盤だ。

 いくか、と浩一は気を取り直して歩き始めた。

(だが犯人は誰なんだか……生憎と殺されるほどの恨みを買った覚えはないはずだが)

 怨恨は薄い。浩一自身の人付き合いが少ないからだ。

 誰かを騙した覚えも罠に嵌めた覚えもない。

 無論、ひがみやそねみ、ねたみまではわからないが、それでもここまでされる覚えはない。

 ではアリシアス関連か? それとも月下残滓か? 浩一は考えて、諦めた・・・

(やはり罠に自分から深く嵌まり、内側から喰い破るしかないか……)

 初撃を相手任せにすることに不安を覚えないわけではないが、やはり敵の目星など一切つかないのだ。

 ここは相手に攻めさせて、それを見極めて、尻尾を掴む。

 相手の出方次第ではカウンターで仕留めることも不可能ではないかもしれない。

 不安要素に周囲の人間に危害が加えられていないか、というものがあるが、浩一の身元保証人は傑物だ。このような手段をとる人間にどうにかできる凡人ではない。

 相方の雪は遠い場所にいる、というより雪の母親もまた化け物だ。

 親しくなったアリシアスや那岐は最上級の身分を持つ四鳳八院のひとりだ。

 ドイルも峰富士智子も下手に手を出せば火傷をする人間。

 周囲を心配することなど無意味。不安要素などひとつもなかった。

(くく、やはり身軽なのはいいな……)

 浩一は嗤う。自分の命以外心配するものはないということは己を自由にできるひとつの方法だ。

 そして当然、自分の命を賭け金にする覚悟はこの都市に来たときに済ませている。

 なんら問題はない。

 相手が不鮮明であることも考えてみれば胸が踊る。

 浩一は相手の用意した罠にわくわくしながら進み、解析したマップで判明している、下階へと続く階段のある通路へと移動し、身体を硬直させた。



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