第二章『【百魔絢爛】と無名の侍』
プロローグ(1)
同盟暦2076年に起きた大規模なクーデター。
それはシェルター国家ゼネラウスを支配する巨大な怪物、
たった一眷属でゼネラウスの全てに挑んだ戦い。それは当初、ただの愚行とも称すべきものだった。
最前線でモンスターたちと対峙する兵を引き抜いてくるまでもない。
ゼネラウスシェルターを守る常備兵だけで聖堂院は駆逐され、地上より消滅するはずだった。
――だが、そうはならなかった。
決戦の時、聖堂院家はゼネラウス近郊に存在する衛星シェルター『クィークベルク』内の聖堂院本家の敷地にて、『制限法』と呼ばれる特殊かつ高度な
――神器と呼ばれる強力な兵器『黒と白の世界』を用いて。
それは戦場を8×8マスに分け、兵士を分断し、また戦力すらも制限する
聖堂院を圧倒的に優越する四鳳の四家、八院の七家、更に人類の最精鋭たるローマ数字を与えられた戦士『ナンバーズ』たちに対し、たった一家の聖堂院家が用意した必勝の策であった。
そして当時、世界最強の軍人たる『ナンバーズ』と互角以上だと謳われた『盤面の黒』と呼ばれる戦士たちが聖堂院側につき、その七日間の闘争は始まった。
――聖堂院の指し手は公式戦技共にSSランク『
――四鳳八院の指し手は公式ランクSS戦技ランク非公開、同盟軍大将『炎龍鬼』鳳麟三界。
聖堂院家が繰り出したたった十六人の精兵に対し、ゼネラウス十万の将兵は命を掛けなければならなかった。
六十四マスに区切られた
『制限法』、魂を縛る絶対の呪法。
チェスのように兵は双方の指し手より与えられた指示によって動き、敵と遭遇した際はまさしくチェスのように将と将の一対一の決闘が行われた。
唯一違うのは、駒の生死は、勝敗は、駒の力量に委ねられていた点。
決闘に負けた駒、その駒が率いていた兵には、制限法により死が与えられた。
将の敗北が、率いる全ての兵を死なせるのだ。
戦力では勝っていたはずの四鳳八院が、勝てるはずの勝負が、敗北の可能性を孕み始める。
しかし、その勝敗定かならぬ闘争も、聖堂院側の王、聖堂院
戦争は七日間で終わりを告げ『チェス盤の戦争』と名づけられたそれは終局した――
◇◆◇◆◇
乱は終わっても、その爪痕は残り続ける。
十二年の月日が経とうとも彼女は覚えていた。その声を。その無念を。
『モンスターと人間は共存できる』
『人はモンスターと殺しあう必要はない』
『世界はもっと優しくあれる』
死に際の敵の顔を思い出す。
SSランクの英雄『
彼女の父親が殺した男、その最期の言葉を。
そして、そんな敵に与えた父の言葉を。
『
殺した男を見下す父は非情だった。
「嫌な夢、ね」
少女は目覚め、小さく言葉を零した。
そこは落ち着いた雰囲気の寝室だった。
本当に価値のわかるものには価値のわかる、品の良い調度品が並ぶ部屋だった。
自室のベッドで目を覚ました
汗に濡れた肌に長い黒髪が張り付いていた。
――心の底に、疑念がこびり付いている。
それは呪いだ。
モンスターと人間は
だが、彼女は事あるごとにそれを思い出していた。
戦霊院那岐という少女は、モンスターを殺すために、人類を守るために造られた人間だ。
だが、その戦う相手に知性があるのなら、隣に立てるかもしれないのなら……モンスターを殺すことは悪ではないのか?
それを考えると身体のどこかから言いようのない嫌悪感が溢れてくる。
理性的でありたい。穏やかでありたい。戦う理由がないのなら、戦わなくてもいいのでは?
当然、モンスターは敵で、あの言葉は戯言だと脳ではわかっている。
――
自身の感情が優しさではなく、自身が嫌う野蛮な人種と同じになりたくないという思いから来ていることもわかっている。
この都市を護るためには、人類が繁栄するためには敵は殺さなければならないということも。
――戦霊院那岐は戦霊院を継ぐ者である。
いずれは戦場に出、養殖されたものではない
――だが、心にこびりついた
モンスターと共存する方法とは? モンスターに感情は、知性はあるのか?
共存と言いながら、それは利用することを人類に都合良く言い換えているだけではないのか?
しかし軍機に触れる以上、那岐に、過去の言葉以上に調べられることもない。
八院である那岐は戦場の情報を情報として得ることはできても、生の兵士の声を聞くことはできない。
那岐の元に訪れる父の友や部下の軍人たちも外の世界については気をつけているためか、それを聞くことはできない。
理由はわからない。戦場に何かがあるのだ。
八院の跡取りたる那岐ですら知ってはならない何か。兵士も口を噤む何かが。
いくらかの想像はついた。しかし、それは口にしてはならないし、誰かと話しあってもいけない。
他の七院も分家も、信用はならない。彼らは那岐の力にはなるが、友として立つことはできない。
家の優位を得るためならば、那岐を利用するためならば、分家の彼ら彼女らはどんなことでもする可能性がある。
そして七院は単純に油断がならない。奴らは味方だが、同時に敵でもある。
クランメンバーであるアリシアス・リフィヌスもその点においては例外ではない。
――那岐にとって真に友といえる人間はいなかった。
そして極めつけ、主君たる四鳳を思い出し、那岐は憂鬱そうに顔を暗くした。
あれらこそが、恐ろしい存在は味方にいるという典型だ。
あれらと敵対だけはしたくない。
優れた血統、優れた身体、優れた頭脳、優れた魔導を持ち、常人から化け物と呼ばれる那岐にも、勝てないと思い知らされる者はいる。
一度だけ会ったことのある
この世には恐ろしい怪物が多い。
最後のそれは心の問題か、と心の呟きを音にすることなく、那岐は憂い顔でどことも知れぬ宙空を見つめた。
「那岐様? 如何なされましたか?」
ほら、心休まる暇もないわね、と内心を言葉にすることなく戦霊院那岐は気だるげにベッドの脇を見た。
イーシャ・
彼女は軍人ではないし、学生でもない。Sランク程度の力量を持つ戦霊院の分家にして、戦霊院本家で仕事を任されているメイド。
そしてランク登録をしていないため都市の戦力には数えられてはいないが、戦霊院の家を守るためならば何でも行う人間の一人である。
彼女が戦霊院に敵対する人間を殺したことも一度や二度ではない。
「イーシャ、なんでもないわ。着替えを出してくれる」
はい、と恭しい態度で那岐の寝巻きを脱がし、寝汗をタオルで吹きながら、用意していた下着や衣服を那岐に着せていくイーシャ。
那岐はその態度が那岐を認めて行っているものだとは思っていない。幼い頃から世話をされているが、この女も那岐の友ではない。
戦霊院、その家名と血統にこそ彼女は従っている。
(ねぇ、人を、知性を持つ者を殺すのってどんな気分なの?)
軽々しく聞けるわけもなかった。
自身の行いは、父の耳に入るだろう。アレが那岐の心情を一々気にするわけもないだろうが、楽しくもない指示を受けるに違いない。
結果として自身の感情は何一つ整理されることもないだろう。
いつものように、この懊悩を押しつぶし、いずれ訪れる精神の破滅を待つのだ。
矛盾や疑問を解消できずとも動けるのが那岐という人間だった。
合理の元に全てを処理できる。身体を動かすこともできる。モンスターを殺すこともできる。
――しかし、心だけはどうにもならないのだ。
魂が悲鳴を上げていた。きっといずれ自分は潰れる。呪いの言葉、それが原因で。
那岐はそれを知っているが、どうしても、心だけはどうにもならなかった。
苦悶も煩悶も全て飲み込んで機械のように生きていくことを許容するしかなかった。
那岐は、自分の身体に衣服を纏わせるメイドを見ながら、表情は冷静に、疑念を胸中で弄んだ。
(……私が考えても、仕方ないのかしらね、これは……)
十二年が経っても、那岐は今日も、内心の感情を処理することができていなかった。
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