プロローグ(2)


 シェルター国家ゼネラウスにアーリデイズシェルターと呼ばれるシェルターがある。

 学園都市と分類される教育機関と研究機関を合一させた巨大すぎる都市シェルターだ。

 九つの衛生シェルターに囲まれたその都市は百万の人口を抱え、そこで生み出される最新技術は外界の怪物たちから人類を守る剣となり、盾となっていた。

 その学園都市の一画に、都市と同じ名前を関するアーリデイズ学園が存在した。

「入りなさい」

「失礼します」

 そこは期待されている用途からすると、予想外なほどに小さな部屋だった。

 学内の施設であるためダンジョンとほぼ同じ乳白色の複合材で作られた壁に床が目に優しい光を放っている。

 よほど主がきれい好きなのか、それとも配下が率先しているのか、床も壁も、丹念に磨き上げられている。

 とはいえ所詮は校舎付属の小さな部屋、十人も人が押しかければ狭いと感じるサイズである。

(人によっては見窄みすぼらしいとでも思うかもしれないな)

 しかし、と浩一は入室しながら思考を巡らせた。

 ダンジョン受付と同じ素材で作られた部屋だとしても、使用している人間が異なるだけでここまで違うものかと。

 品が良いのではない。趣味が良いのでもない。

 アーリデイズ学園校舎、地上八階にある『アーリデイズ学園学生会』の学生会室は、素材を同じくする他の教室や教授の研究室とは違う正しき・・・重圧に満ちた空間だった。

(これが部屋の主の格……流石は王護院おうごいんか)

 とはいえこの圧力はかつて浩一が別の八院から感じたような、強いストレスを感じるようなものではない。

 ただ荘厳で、尊大で、至高なだけだ。人によってはかしずいてもおかしくはないぐらいに。


 ――それこそは部屋の主が持つ、生来のカリスマである。


 部屋の中は電灯の光がなくとも十分に明るい。

 採光用の窓からシェルターの上空に張られた膜越しに日光が届いているからだった。

 アーリデイズ学園のほぼ中央に位置するこの部屋は、その太陽光を受け、燦々と照らされている。

 強化魔導ガラス越しに降り注ぐ白い光は温度を伴って室内を輝かしく染めていた。

 床に敷かれているのは、精緻な意匠を施された紅毛羊あかげひつじと呼ばれる希少なモンスターのドロップを素材に一流の職人が手づから織った赤絨毯。

 書類棚はこのシェルターのある地域では手に入らない、中国大陸原産の素材である天堅樹製。

 部屋の主が使っている椅子に、執務机も同じく天堅樹製だ。

 いや、それを言うならこの部屋の木製ツールの多くが天堅樹製だ。来客用のソファやテーブル、小さな小物までも。

 四鳳八院お抱えの家具職人の腕が存分に振舞われているのだろう。

 形式は普遍性のある形だが、所々に並の職人では発揮できないような技巧が凝らされている。

 浩一は自然と納得した。

 これが四鳳八院の世界なのだと。

「さて、火神浩一君だったかな」

「はい。王護院会長」

 うん、と。アリシアスと共に休日訪れた、『和』の本店で特注した。アーリデイズ学園の制服に身を包んだ浩一の前に、二人の女生徒が立っていた。

 一人は薄い赤色の髪を肩口で切りそろえた碧眼の美女。

 学年二十一の主席にしてアーリデイズ学園の学生会長、王護院おうごいん天上てんじょう

 学園指定の紺色の制服を着こなした輝かしき美女は、その腰に精緻な宝石細工の為された宝剣を佩いている。

 実質この学園を取り仕切る才女てんじょうは浩一が緊張しないようにか、薄っすらと微笑みかけてくる。

 それは自然と浮き出たように見える、他者に好意を抱かせる種類の微笑みだ。

 だが浩一には理解できる。天上の笑みには好意は篭もっていない。悪意がないだけだ。

 単に習性なのだろう。他者を不快にせずに、むしろ好感を持たれるように微笑めるというのは、それだけで才能のひとつだろうと浩一は思う。


 ――自分にはそんな器用な真似はできない。


「『掻き混ぜ喰らう者ミキサージャブ』を倒したと聞いたからもう少し大柄な男だと思ったが、意外に小さいのだな。セレヴィア」

 天上は浩一を見て意外そうに言う。

 火神浩一の身長は180センチメートルほどだ。肉体改造を施している一流の前衛戦士たちと比べれば確かに小柄と言えなくもない。

「そうですわね。ほら、なんといったかしら、豪人院ごうじんいんの。アレぐらいを想像してましたわ」

「ああ、当主候補の。重梧じゅうごだったな。あいつはでかいからな」

 天上が話しかけたのは、彼女の隣に立つ女生徒だ。

 銀灰色の髪を足の踵・・・まで伸ばした女生徒。彼女もまた、アーリデイズ学園の制服に身を包んでいる。

 心護院しんごいんセレヴィア。四鳳八院に連なるものとして当然所持している絶世の美貌の保持者だが、その瞳はどういうわけか深く閉ざされていた。

 しかしそんなことは些細なことだと他者に抱かせるような凄みが彼女からは漂っている。

 それは那岐やアリシアス、天上と同じく生まれながらの強者、四鳳八院にしか持てない魅力カリスマだ。

 セレヴィアは天上と同質の、他者から好意を持たれる笑みを浮かべ、浩一をている。

 髪が地面と触れはしないのだろうかと浩一が一瞬だけそのその足元を注視すれば、彼女は僅か、髪先が触れないような高さの宙に浮いていた・・・・・

(あー、んー、不覚をとってるな。ここが暗殺の場だったら死んでるぞ俺は)

 B+ランクがSランクミキサージャブを殺害せしめたということは、それだけ注目されるということだ。

 浩一は髪をかきむしりたくなる衝動を抑えつけ、真面目な表情を作ってみる。


 ――とはいえ慣れないものは慣れないのだが。


 セレヴィアが浮いていることに気づかなかったのはきっと、浩一がこの場の空気に慣れていなかったからだ。

 身分が遥かに高い人間に囲まれ、功を賞される。それは浩一の人生では一度もなかったこと。

 火神浩一にとって名誉や権勢は欲するものではない。

 強くなると決めてから、地位も名誉も、それこそ命すら欲したことはない。

 それなのに自分はこんな場所に立っていた。

 本当にほしいものは手に入らず、手に入らないと捨て去ったものばかりが集まってくるのはどういうものかと浩一は自嘲しそうになり、それを抑える。

 悪癖が顔を出していた。人生に染み付いた自嘲癖だ。

 こんな状況でもそれは当たり前のように出てくる。

 これは直すべき癖だな、と内心のみで苦笑した。きっと損をすることも多いだろう。いや、多かったかもしれない。

 そんなことを考えていると、セレヴィアが微笑みとは別の質の笑みを浮かべていることに、浩一は気づく。

(あー、嘲笑に近いか? まぁじろじろ足元を見ればそうなるか)

 セレヴィアが浮いていることに気づいていなかったことを笑われたのだろうと浩一は判断し、改めて王護院天上へと向き直った。

 浩一が落ち着いたのを確認したのだろう、天上はさて、と本題に入る。

「それで火神君。今日呼んだのは君が達成したイベントについてだね」

わたくし・・・・は無視ですの?」

 隣から聞こえてきた地の底から響くような威圧の混じった声に浩一がびくりと震えた。

 戦場のような気構えをしていないときにアリシアス・・・・・が威圧を周囲にばら撒くと、浩一の身体はいちいち過剰な反応をしてしまう。

(怖いんだよな……アリシアスは……)

 手元がすかすかと何も佩いていない腰を探っていたり、意味もなく身構えかけ、それを意思の力で押し留めたりと、ひとりで忙しい。

 ふと嘲笑われたような気がしてセレヴィアを見れば、浩一の様子を見てやはり口元だけで嘲笑っていた。

(ああ、恥ずかしい。無様を晒した)

 浩一は気まずそうに顔をそらす。

 当然、浩一を含むアリシアスの威圧に当てられた三人のうち、天上、セレヴィア、この部屋の持ち主である二人は動じていない。


 ――これがだ。


 アリシアスの不機嫌を聞き、天上は、うむと浩一の隣にいるアリシアスに、好意も悪意も篭っていない笑みを向けた。

 他の三人と同じく紺色を基調としたアーリデイズ学園の制服に身を包み、普段は隠している美貌を日の元にさらしている少女、アリシアス・リフィヌス。

「珍しいな。お前がこういった場に出てくるとは」

「サボったら貴女が出てくるでしょう?」

 澄ました顔で言うアリシアスに天上は微笑む。

「要らぬ権勢争いの元は作りたくないが、それが私の役目だからな」

「わたくしも要らない敵は作りたくないんですの。それに」

 それに? と首を傾げた天上はああ、と得心がいったように頷く。

「お前は昔からそうだな。功罪は恥じることなく受けるべき、そう考えている」

「上に立つ者として、当然の心構えですわ」

「世界最高の神術適正を持ちながら『唯我独尊』を盾に随分と遊んでいたようですけれど。貴女がサボらなければ助かった命がどれだけあるかご存知ですか?」

 しれっとセレヴィアの吐いた毒にアリシアスはにこりと微笑んで返した。悪意の籠もった笑みだった。

「わたくし、人間・・にしか治療は施す必要を認めてませんの」

「うん? 畜生が都市に紛れ込んでいたのか」

「モンスターの類ではなくて? 天上」

 ふふふ、あはは、くすくす、と三者三様の嗤い声が学生会室に響く。

 口角だけがつり上がっていた。全員の目は一切笑っていない。お互いの隙を探し合っている。

 この三人、いや、名家に限っては笑いは好意を表すものではなかった。

 浩一は高まっていく威圧に辟易とした。肩身が狭い。そして単純に恐ろしい。

 無論、侍の心得を発動させるような失礼ができるわけもない。自前の胆力でなんとかするしかない。

 いや胆力の利用法にスキル名をつけたのが侍の心得なのだから結局は心得を使っているということになるのだろうが、気合を入れれば自然と戦意を抱くことになる。やはり不敬だ。それでは軽々しく命を散らす羽目になりかねない。

(そもそも俺は演習で礼儀作法の一通りは習ったが、こういった場、というよりはこういった状況についてはなんにも言われなかったからなぁ……)

 四鳳八院の勢力争いの鎮め方など習ったことはない。

 浩一が誰にも気づかぬ程度に女性陣に怯えを抱いたところでセレヴィアがあらあら、とその閉じた目で浩一をた。

 他の感覚域を広げるために、自らその両眼を潰したと巷で言われているセレヴィア。

 学生会副会長にして、学園二十一の次席は浩一の様子を可笑しそうにながら天上の肩をちょんちょんとつついた。

「ああ、あまりに久しぶりだから主役を忘れていた。火神君、すまないね」

「あ、い、いえ」

 そうか、よかった、とやはり微笑みのみで対応する天上。

 薄い赤髪の碧眼の美女は、微笑めば何もかもが解決するかのように振舞っている。

 いや、と思いなおす。

 王護院天上、心護院セレヴィア、アリシアス・リフィヌス。

 この極上の美姫たちならば、きっとたいていの問題は微笑むだけで解決できるのだろう。

 それだけの美しさが、魅了されるものがこの三人にはある。

 そういえば戦霊院那岐も整った美貌を持っていた。

 浩一は呆れさせるばかりで、微笑まれたようなことはなかったが、あれも周りの人間に対して多少なりとも愛想良くしてしまえばきっと勘違いした男どもが放っておかないに違いない。

 美貌というパラメーターだけは、この時代でも本質的にいじることはできない。

 美醜のバランスというものは人の手が介在すると非常に歪なものになるし、安い整形などは回復魔法の際などに、顔の形が整形前に戻されて――いや、いびつになって目も当てられないことになるときもある。

 無論、魂と骨格を矯正し、魔法にも影響を受けない美貌というものもつくることができる。

 しかし、そこまでして見栄えを整えるのは卑しい行いだと四鳳八院はその改造を行うことを禁止していた。

 些細なことで弱みが生まれる四鳳八院で、アリシアスを含め、他の人間がそれを行っているとは思えないが、こうまで顔の形が常人と違っていると、こいつらだけは人類とはまた別の生物なのではないかと浩一は疑ってしまう。

 浩一は、内心のため息を表に出すことなく。

 さて、と話し始めた天上の言葉に耳を傾けた。

 視界の隅に怪訝な、というより珍しいものでも見るようなセレヴィアの姿が見えたような気もしたが、浩一は気にせずに話を聞くことにした。


 ――さっさと帰って刀を振るいたかった。


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