『索敵即殺』(2)
よろしいかと問われたので、ちょっと待て、と浩一は月下残滓を鞘に収めて戻ってきた。
浩一は息を吐きながら、全身の熱を冷ますために軽く身体を動かしつつ、アリシアスが展開させた青属性を受け入れ、身体の傷を癒やしていく。
修行という名のアックスとの連戦を開始して三日、今までアリシアスは見ているだけだった。
アリシアスのその間、ただ何をするでもなく、治療と結界での補助だけを行い。浩一を眺めていた。
実際、今日までまで何も言われなかった。浩一は自分の鍛錬の方法に納得してくれたと思っていたが、そうではないらしい。
アリシアスが纏う空気からパートナーである雪が頬を膨らませたときのような感覚を覚えつつも、浩一は汗を袖でぬぐい、自分を見つめるアリシアスに「それで、なんだ?」と問い返した。
そんな浩一に感情のわからない透徹とした蒼い瞳を向け、アリシアスは厳しい言葉を放った。
「まさか浩一様は、このままずうっとアックスを殺し続けるなんて、考えていませんわよね?」
「そうだが? 何か問題があるのか?」
悪ふざけの一切が感じられない真面目な浩一の表情。それを見たアリシアスはそっと口を押さえていた。
勢いのままに汚らしく、全く面白みのない言葉を吐き出しそうになったからだ。
もちろんそんなことは浩一にはわからない。
浩一はアリシアスの性格をそこまで熟知していない。
それでもアリシアスの様子と言葉から浩一に付き合う時間がないのだと察して、ならば帰ってもいいぞと言いかけ止めた。
それならばアリシアスからそれを言うだろうし、浩一側から言ってしまえば流石に失礼だろう、と思ったのだ。
浩一とて、流石に理解している。アリシアスに浩一に付き合う時間など本当は存在しないだろうということは。
学生とはいえアリシアス・リフィヌスは八院の次期当主だ。
火神浩一のように講義を受け、闘い続ければよいという生活をしてはいない。
彼女にはやらなければならないことが山積している。
(忙しいはずだ。俺に付き合っている暇などないはずだ……)
◇◆◇◆◇
そうだ、こうして赤煉瓦のダンジョンにて、火神浩一を問いただしているアリシアス・リフィヌスには、
アリシアス・リフィヌスには、すべきことが山ほどあって、やらなければならないことがある。
だが、その万金以上に価値のある時間を浪費している自覚があってなお、彼女は自分の意思でこの男についてきた。
――
如何な美食や好物であっても、変化がなければ飽きるというものだ。
アリシアスの胸を焦がすソレも、頭脳が冷静になればそこまで力を持たない。
(それでも、浩一様なら、と思っていたのですけれど……)
当然浩一に罪はない。全てはアリシアスの見込み違いから生まれた誤算だ。
だからアリシアスは抑えた。
身体の芯から溢れそうになる怒りにも似たわけのわからない衝動をだ。
浩一に怒りをぶつけてはいけない。肉体的に浩一を超越しているアリシアスだ、
深呼吸をする。冷静になるために五秒だけ時間を取る。
そして本人に自覚はないが、わけのわからないことを言い出した息子と話をする母親の気分でアリシアスは浩一に問いを発した。
「では、なんのためですの? なんのためにアックスを殺し続ける必要があるんですの?」
「そら身体を鍛えるためだ。言ってなかったか? 俺は、肉体改造がスロット含めて一切できないんだよ。だったら実戦を重ねるしかないだろう?」
学園都市に蔓延している効率重視。
肉体強化至上主義の利点を浩一は嫌というほどに思い知らされている。
無論、この侍はそれを否定する気など全くない。ずっと望んでいることだ。自分も肉体を改造し、手っ取り早く強くなりたい。
――
◇◆◇◆◇
浩一は心情を語らない。絶対に語らない。
それは恥だからだ。内心を語ることは、情けないと思っているからだ。
この学園を訪れた当時、浩一よりも明らかに戦闘の才のない人間ですら、身体改造とスロットの搭載によりランクを跳ね上げていったことを。
最下層でずっと歯を食いしばりながら同輩が強くなっていくのを見上げてきたことを。
飛燕一本を握り、死にそうな目に遭いながら、ダンジョンに潜り、自身の血に塗れ、モンスターの血を浴び、正気ではないと他人に言われるたびに自身の体質を恨み続けてきたことを。
どれだけ羨んでも体質から身体改造を施すことのできない浩一は、強くなる選択肢に身体改造を入れることができない。
強くなるためには誰よりも戦いの経験を積む必要があった。誰よりもモンスター情報の収集に励む必要があった。
だから血反吐を吐きながら欲していたのだ。
小手先の技術ではない、真に戦場で扱える、あらゆるものを真正面から叩き斬る術を。
――記憶の中で輝く、
しかし如何に望もうとも浩一にそれは手に入らない。
結局、何年もダンジョンに潜りながら、誰よりもダンジョンに潜りながら、遅々として進んでいない探索は、少人数パーティーであったことも原因だが、根本的に浩一の強さがそこまで至っていなかったことが原因だ。
この数日のような強行軍も、アリシアスが邪魔なモンスターを全て駆逐し、怪我をしたらすぐに治してくれていたからできたことで、浩一の強さなど数日前からほんの少し程度しか伸びていない。
浩一が得られたのは目的通りに単純な慣れだけだ。
戦闘効率が上がったのも高ランクモンスターと戦うことに対する慣れと、月下残滓の切れ味によるゴリ押し。
――火神浩一の強さは欠片しか伸びていない。
浩一にとって学園都市に来てからの十年は、性分のようなものに邪魔されたり、ろくな目にあわなかったことばっかりで、自分が一段飛びで強くなったと思えたことは一度もなかった。
一歩一歩、地力を固め、ただ歩いていくことしかできなかった。
周りがどんどん進んでいく中、ただ歩き続けたのが浩一の強さだった。
だが、そんな泣き言をいちいちアリシアスに聞かせるような弱さは浩一にはない。
理解してもらうとか、納得してもらうとか、そんなアリシアスの心情に拠った考え方は無意味だ。
浩一にはその程度の意見でなら引く理由がない。
浩一はアリシアスの持論に付き合う義理を持っていない。
◇◆◇◆◇
もちろん、アリシアスとて火神浩一が肉体を改造できないことは知っている。
それでもここまで付き合ってきたのは何か策でもあるのかという期待混じりの妄想だったのだと、ようやくアリシアスは気付いた。
だから怒った。自分自身に、浩一に妙な期待をしてしまった己に。
激昂混じりに杖を床に叩きつけ、アリシアスは浩一へ詰め寄る。
――怒りは自分に向けた。鬱憤で浩一を殺すことはこれでない。
だから、これは、今から浩一に向ける言葉は
「ふッ、ふふッ。浩一様。あまりに面白くない冗談ですわよ。たかが実戦が、たかが戦闘が自分を強くするなんて幻想を持って、一体何を殺しにいくつもりですの? ミキサージャブに対しては、神経の伝達速度を改造で劇的に跳ね上げねば奴の攻撃に反応できないでしょうし、肉体のそもそもの強度を上げないことには直撃を貰って即死ですわ。奴と同じ場に立つ為には根本的な解決を肉体に差し込む必要があるのに、どうして修行などで補えると思ってしまったのですか?」
アリシアスは浩一を知らない。書類上の記録しか知らない。その性格も肉体も、胸に宿る炎の熱さも知らないのだ。
――知っているのは、三度、ありえない勝利をしたことだけだ。
故に、彼女は口にする。未だ浩一の胸を苛む、その勝利にして敗北を。
「前回の戦闘は単純に運が良かっただけなのだと。
もちろん浩一は忘れていない。
ずっと胸に灯っているのだ。
――そしてアリシアスは知らないのだ。
古今東西の男が、あいつに勝ちたい、なんてくだらない理由で武器を握ってしまえる愚かな生き物だということを。
そんなことのために命を掛けてしまえる
だから浩一はアリシアスを真正面からまっすぐに見て言った。
「俺は、これしか知らないからな。だからできるまで、納得いくまでやるんだよ」
唖然とした顔のアリシアスは、身体を思わず硬直化させた。
今すぐにでも駆け出して浩一を蹴り飛ばしたい衝動を抑えたのだ。
「こ、これだけわたくしが言っているのに」
――
思わず心から零れ落ちそうになった
アリシアスは知らない。浩一は意固地になっているのではない。
浩一にとっては、
だからミキサージャブと戦闘方法が似ているアックスは、そのために超えるべき壁だった。
十年の歳月で蓄えた経験だけが、浩一の武器だった。だからそれを磨くために浩一は経験を積んでいるだけなのだ。
浩一は思う。本当は、自分だってアリシアスの言うやり方を試したいと。
そう、如何に精神性の怪物といえども、火神浩一も人間であることに変わりはない。
アリシアスの言葉を聞いた浩一は子供のように駄々を捏ねたい気分を必死で抑えたのだ。
自身を否定する人物を見るたびに! 言葉を聞かされるたびに!
改造をしてくれるのか。そんなに言うならば俺に力をくれるのか。そう言いたくなる激情が腹の底から湧くのだ。
しかし浩一の身体に改造を施すことは、四鳳八院の技術ですら不可能と言われた過去が浩一にはある。
冷たい研究室の廊下でそれを知らされ、拳を壁に叩きつけたことを浩一は今でも覚えている。
だから己を否定する全てが、己をけして救わないことを浩一はよく知っている。
浩一が鬱屈を相手にぶつけてもそれはただの八つ当たりでしかないことを浩一は知っている。
だから浩一は黙る。だから浩一は身体を動かす。
だから浩一は模索する。一番強くなれる方法を。浩一が一番になれる方法を。
この道は、この方法は、自分で探して自分で選んだのだ。
ただただ闘い続けることを。ただただモンスターを殺し続けて血を浴び続ける道を。
――そうすれば、ほんの少しだけ、浴びた血の量だけ、浩一は強くなれるから。
「ごめんな。俺が強くなるには闘い続けるしかないんだよ、アリシアス」
アリシアスを不退転の意思の込められた視線が貫いた。
「浩一、様……?」
縋るようなその視線に、アリシアスは自分の胸を強く抑えるしかできない。
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