『索敵即殺』(1)


 手に武具が馴染んでいく。月下残滓の重さと間合いを深く理解していく。

 怪物の血を浴びながら、怪物の首を斬り飛ばしながら――それは戦士としてまさに快楽であった。

 『戦斧種アックス』巨大な斧を持った、厳つい中年男のようなモンスターだ。

「はッはぁああああああ!!」

 モンスターの首を月下残滓で斬り飛ばしながら浩一は獰猛な笑みを浮かべた。

 いまだ月下残滓は数年来の愛刀である飛燕ほど浩一の身体に馴染んでいるわけではない。

 だがそれでもこうして刀の性能を識ることで浩一は喜びの中にある。

 未知だったものを知ること。無垢だったものを染めること。

 武器を己の一部へと変化させていく感覚は、生粋の戦士である浩一にとっては心地が良い。

「次ぃッ!」

 浩一の指示に対し、浩一の背後に控えているアリシアスが結界を解除した。

 それは監視無効の密室を作った結界スキルではなく、モンスター用の強固なものだ。

 結界が解除されたことによって、魔物転送室モンスターハウスより押し出されたアックスが一匹、通路にいる浩一へ向かって飛びかかってくる。

 同時にアリシアスが結界を再発生させ、さらなる後続を遮断する。

「……浩一様は、なんとも不思議な方ですわね……」

 中央公園ダンジョン二十階層にて、モンスターが無尽蔵に転送され続ける部屋の前に浩一とアリシアスが陣取ってから早一週間。

 当初はアックスを一体倒す度に数分の休息と深い傷の治療を必要としていた侍は、いまや連続で美中年型モンスター『アックス』を相手取れる程度に成長していた。

 堕落した学生が遊ぶ電子遊戯ネットゲームのようにレベルなんて概念はこの世界にはない。

 モンスターを一体倒そうが、百体倒そうが強さは一定のままだ。

 だが、火神浩一は強くなっていた。劇的にではなく、アリシアスに比べればほんの少し、蟻の歩みだったけれど。

 それがアリシアスには不思議だった。


                ◇◆◇◆◇


 一週間前、この修業を始めたばかりのことだ。

 アリシアスは戦斧種アックスとの戦いに耽溺し始めた火神浩一の様子を離れた位置から椅子に座って眺めていた。

 ただし、ずっとそちらを注視していたわけではない。

 アリシアスの正面にはリフィヌス傘下の企業や研究機関から送られてくる報告書がウィンドウで表示されている。

 それに対して返信や許可などを出しながらアリシアスは浩一の修行を手伝っていた。

 アリシアスは学生であるが、リフィヌスの次期当主でもあるため傘下企業を運営で忙しい。

 ただし何もしていないわけでもなく、浩一が「次!」と叫べば傷の具合を見て治療神術を使いつつ、無言で杖で床を叩く。


 ――魔杖『リベァーロンの腕』。


 それは、この修行のためにアリシアスがリフィヌス本家より転送させた結界発動に特化した魔匠ハルイド製Aランク魔杖だ。

 込められた魔力に応じて一定の耐久度を持つ結界を発生させるこの魔杖は、モンスターハウスへと繋がる通路より押し出されるようにしてアックスが一体出てくると、瞬時に背後の群れとを隔てるように薄いガラスのような魔力結界を発生させる。

 それはまったくの無色であるがために、分断させたことをモンスターたちに気付かせない(アックスの魔力感知器官が鈍いことも理由である)。

 もっともある程度距離があるとはいえ、浩一たちを認識してしまっているアックスたちはナノマシンによって喚起させられた闘争本能に脳を支配されている。

 だから彼らの頭の中は、ただただ浩一たちに殺すことでいっぱいだ。

『グァアアアアアア! ゴォァアアアアアアアアアア!!』

 結界は透明で、一切の弾性を持っていない壁のようなものだった。

 故に美中年男性型のモンスターであるアックスたちは透明な結界に勢い良くぶつかって顔をぐしゃりと歪ませる。

 生体武具を保有する亜人種特有の、銀色が混じった紅い血が結界に次々とびちゃりびちゃりと張り付いていく。

 結界はただ形と特性を与えられただけの、杖を通して遠隔設置した圧縮すらしていない魔力の塊だ。

 当然ながら耐久に限界はある。ミキサージャブであれば一秒もかからずに薄紙のように破壊できる程度のものだ。

 しかしSランクアリシアスよりも生物としての格の低いB+アックスたちには傷をつけることさえもできない。

 そして学生に対して敵対行動をとるように設定・・された彼らモンスターは、諦めるという思考すら放棄させられているために、未だ発生していることすら認識できない結界に向かって我武者羅に突進することしかできなかった。

「これは、なんというか退屈ですわねぇ」

 ふぁ、と欠伸をするような気怠さに包まれながら、リフィヌスから送られてくる書類を処理しているアリシアスは、再び浩一の声が上がっても一切顔を向けることすらなく、傷を治し、杖でこつんと床を叩くだけだ。

 結界が解除される。アックスが一匹飛び出す。結界を再展開し、アックスは群れと隔離される。

 そうして数分の後、アックスの命は絶たれ、血に塗れた侍は神術師に向かって声を上げた。


                ◇◆◇◆◇


「非効率すぎますわ」

 浩一がアックスとの戦闘を始めてから三日、アリシアスはようやく呟いた。

 ある種の期待はあったが、それを裏切られた気分だった。

 確かにこの非効率な戦闘を始めてから浩一は強くなっている。

 アックスとの戦闘で傷を負うことも少なくなってきたし、月下残滓にも慣れたのか、戦闘効率もよくなった。

 だが強くなったとはいえ、これはアリシアスの知っている強さではない。

 確実な強さではない。絶対的な、生物としての格を匂わせるような強さではない。

 今、アリシアスの目の前でB+のモンスターであるアックスの戦斧を必死に避け、逆撃しようと勝機を探している泥臭さは、アリシアスが知っている戦士のものではない。


 ――本当は最初から気づいてはいた。


 だが何か考えがあるのだと思っていた。秘密の特訓だとか。そういうものをだ。

 だがこうも目の当たりにしていると、自分がなにかに酔っていたのではないかという、醒めたものが脳に忍び寄ることに気づく。

 そもそもの興味がそれ・・を発端としていたために惑わされていたが、浩一の強さとアリシアスの強さはイコールではないということぐらい聡明な彼女にわからないはずがなかったのだ。

 それでも、いや、だからこそ・・・・・か。


 ――期待をしていたのだ。


(何をしたいのかがわかりませんわ)

 浩一の鍛錬が非効率で、今現在の学生たちがまともにこなすようなものではないということは一目見ればアリシアスには理解できた。

 むしろこれでどこまで強くなれるのかが疑問に思う程度に。

 走る。跳ねる。刀を振る。そうして殺す。浩一の行動はこれぐらいだ。そこに何か確実な物を得るための行動はない。

 この学園都市の学生はこんな無駄なことは一切しない。

 強くなりたければ金を貯め、研究室で肉体を強化し、強力な武具を手に入れ、スロットを更新する。

 技能が欲しければ脳に電極を刺して取得をし、専用の薬を大量に摂取して体質を変える。

 経験を得るためにトランスしながら擬似的な体感データの取得を行い、睡眠学習によって睡眠中も様々な知識を得る。

 必要とあれば短期で効能のあるものを全て行ったりもする。

 その中にはアリシアスの嫌う『超人思想』を研究の核とし、教義と専用スロットを脳と心に埋め込み、モンスターの肉を喰らうことで身体能力を上げるような方法すらある。

 もちろん浩一のような方法で強さを得る方法も中には存在する。

 だが、それも目的あってのものだ。何々を取得したので試しに扱ってみよう。

 AのモンスターはBのモンスターと生態が似ているので倒して行動パターンだけでも予習しておこう。

 そんな程度のもの。

 限度があるのだ。

 だから、このような浩一の行動は、誰の目から見ても無駄の塊であり、貴重な資源の浪費にしか見えない。

 ただモンスターを殺すためだけにダンジョンにもぐり。ただモンスターを殺すために刀を振るう。

 モンスターと真正面から相対し、搦め手を用意するわけでもなく殺そうと考える。

 この修業の初日のことだ。アックスを一匹、殺害し、これでミキサージャブに挑むのかと問うたときのことをアリシアスは思い出す。

 浩一は消えていくアックスの死体を一瞥し、モンスターハウスの前の通路に陣取りながら、ここにキャンプを設置すると言い出した。


 ――最初からおかしかったのだ。


 ダンジョンに何週間も潜ると言い出したことから。

 浩一は肉体強化やスロットを入手しようともいわなかった。

 月下残滓を渡してからもそれの習熟に時間をかけるばかり。秘めたる力を探るわけでもなく、ただモンスターを殺すだけ。

(浩一様は何を考えているのでしょうか?)

 金を貯めてアイテムを買う? 何か特殊な希少体質レアスキルを取得している? そんなわけがない。浩一は最初から、戦斧種アックスを殺すとしか言っていない。アックスだけが目的としか言っていない。そしてアックスだけを三日間、休息を取っているにしてもハイペースで倒し続けている。

 何が目的なのか。まさか、本当にアックスを殺すだけが、アックスを殺すことだけが目的なのか。いやいやそんなはずはない。アリシアスの脳裏に否定の言葉とともにまさか、という考えが浮かんだ。

 まさか・・・、だ。

 そんな馬鹿馬鹿しい行動をまともな人間がとるわけがない。

 アリシアスらしくない不安と緊張を表情に浮かべ、アリシアスは侍へと声をかけた。

「浩一様、少しよろしいですか?」


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