肉は叩くと柔らかくなる(5)
今まで寝たことすらないふかふかのベッドで目を覚ました火神浩一は黙って周囲を一瞥した。
アリシアスのテントの中だ。
(朝か……)
自分が寝ているベッドの傍にはアリシアスの使用したベッドがある。アリシアスはすでに起きているのか姿はない。
(なんとも……
テントの中には小型冷蔵庫やテレビなどのPADがあれば必要のない家具や、個室のトイレやシャワーまでもが設置されている。
必要のない贅沢さも、貴種らしさを示すには必要とのことだった。
とはいえPADの転送システムがあるからこそできる贅沢ではあったが。
(テント……というよりは小屋なんだよな)
分類はテントだが、使われている布は下手な鎧よりも頑丈なものが使われている。
流石は八院と言うべきか。ともすれば地上にある浩一の自室より住みやすいかもしれない。
「堕落しそうだ……」
気合で思考を切り替え、浩一は持っている者がそれを扱うのはなんら不公平なことではないと結論付けて己の中の嫉妬を封じた。
そんな浩一の視界に、身売りする羽目になりかけた雲霞緑青よりも倍以上高価な魔力式の小型空気清浄機が映る。
あからさまな格差にぐだぁ、っと再編したテンションがみるみる下がっていく。
「なんだかなぁ……」
アリシアスの好意、これらは非常に助かっている。身体を苛め続けたところできちんと休息できなければ益はない。
快適な就業環境と治癒専門の神術師の二つがついてくるのだ。
この境遇が望んだところで容易く得られるものではないこともわかっている。
とはいえダンジョン内でこんな生活をしていいのだろうかとも思うのだ。
アリシアスと別れた時の落差に沈まないだろうか、と。
(なにをくだらないことを……受け入れると決めただろう)
未だまともに贅沢というものを体験したことのない浩一は周りを物珍しそうに眺めるも、頭を強く左右に振った。
起きたのならば、さっさと動けるように装備を整えなければならない。一秒足りとも無駄にできる時間はないのだ。
着替えるために枕元においてあったPADを掴む。
通信終了と表示が出ていたPADは浩一が掴むと瞬く間に通常モードへと移行した。
傍らに『おはようございます』とウィンドウが表示されるも、浩一は手を振ってそれをかき消す。
(通信……ああ、そうか)
アリシアスに薦められ、アリシアスのテントのシステムを介し
そして起動したPADの画面を見た瞬間、浩一は目を見開く。
「おいおい、マジかこれ……」
昨晩のうちに要洗濯のチェックを入れ、保管スペースに保管していた着流しに洗濯済みのマークが入っている。ついでに仕舞ったブーツやグローブなども洗濯、修繕が済んでいた。
更に現在探索中の迷宮『中央公園ダンジョン』の最新MAP、モンスター情報、学園都市五大新聞社の朝刊に加え、各種出版社から発刊されている情報誌の最新号、いくつかの研究機関が本日公開する予定の論文、シェルターの外で発見された新種のモンスター情報など、万金を積んでも手に入らない情報がざぁっと入って来ている。
更に浩一が使っている着流し、ブーツ、グローブなどの装備が、同種類でもランクの高いものがアイテム受け取り欄にいつでも引き出せるようになっているうえに、パーティー共有アイテム欄にはリフィヌスが経営する財閥である『SEIDOU』が販売する探索用アイテムが無料で補充されていた。
その総額は下手な軍人の生涯年収を超えていて、浩一は頭がふらつく思いがした。
こうしたアイテムが補充されたのは、PADの通信がアリシアスのテント経由だったからだろう。
アリシアス用のサービスがパーティーリーダーである浩一用に
「ぐッ……これもまた、
損ではないが、ひどく居心地が悪い思いがする。
至れり尽くせりだな、と気持ち悪そうに自身のアイテム欄を覗いていた浩一だったが、画面の片隅に表示されていた時間を見て、慌てて自分の装備を身に付けていく。
――こんなことに時間をとられているわけにはいかなかった。
余計なスキルを付けられていないだろうなと浩一が嫌そうな顔で身に付けた軍用のグローブをぴん、と引っ張っているとテントの入り口が開き、怪訝そうな顔のアリシアスが顔を出した。
「まだ寝てると思ったのですけれど、起きてますわね」
「ま、な。そっちこそ意外だ。あんまり寝てないだろう?」
「わたくしはあまり眠りを必要としませんもの。それより、浩一様は大丈夫ですの?」
「どういうことだ?」
身体に改造を施しているアリシアスと違って浩一は生身だ。
だから、テントから出てきた浩一に、寝てないと辛いのでは、とアリシアスは問いかける。
「いや、十分寝させて貰った。しかし、なんだ……」
肉体改造を行っている雪と共に普段迷宮に挑んでいる浩一は、小分けに睡眠をとることでそういった問題には対応していた。
具体的には戦闘後の僅かな休憩時間や明らかに襲われない状況下で脳を短時間のみ寝かせる
無論、身体をきちんと休めるに越したことはないが、そういったことは探索後の安全な地上で十分に休息をとれるように肉体を習慣づけている。
浩一が説明すればアリシアスは納得したのか、それ以上を問うことはしない。
くん、と浩一が鼻先を動かした。食べ物の匂いがしたからだ。
「朝食を作ってくれたのか」
「時間がありましたので」
テントを出るとテントの前に置かれたテーブルの上にサラダや目玉焼き、焼いたソーセージなどが高級ホテルの朝食のように並べられている。
アリシアス自身も探索用の修道服の上にエプロンを身に着け、お玉片手にスープを皿に注ぎ始めていた。
香ばしい匂いに食欲をそそられるが、浩一は先にPADを操作して、木桶とタオルを転送し、顔を洗う。
「洗面台がありますのに」
テントの中にはそういったものもある。
だが、浩一は呆れたようなアリシアスに手を振って拒否を示すと、転送した木製の桶に入った冷水でばしゃばしゃと洗顔をし、少しだけ生えていた髭も剃ってしまう。
浩一にとっては
眠ったことで減じた緊張感を元に戻すため、心の切り替えの為に習慣づけていることだった。
もちろんしなくても敵意や害意、戦闘の空気を感じればテンションは任意に換えられる。
だが、精神的なものでも、肉体的なものでも、こういったスイッチを要所に仕込んでおくのと仕込んでおかないのとでは、日常の境目があやふやになり地上で苦労することが多くなってしまう。
浩一の気配が変わったことを空気で察したアリシアスはそれ以上口をださない。
「日課みたいなもんだから気にするな」
洗顔を終えた浩一は手桶とタオルを転送で片付けると折角だからとPADに入っていた朝刊からいつも地上で読んでいるゼネラウス統一新聞社の記事をウィンドウに表示する。
記事を読みながら高級そうな椅子に座る浩一の前に、アリシアスが湯気を立てたコーヒーをことりと置いた。
「お、おぅ。悪いな」
アリシアスの奉仕に浩一は、昨夜のお玉の衝撃を思い出して気まずそうにした。
コーヒーカップを握った瞬間に苦い顔を見せた侍をアリシアスは楽しそうに見ている。
「くすくす。覚えてくださってるようですわね。もう気にしてませんのでどうぞ楽にしてくださいませ。それで、どうしましたか? なにか言いたいことでもありますの?」
「あー、テント内のサービスはどうにかならないもんか? 勝手にアイテムとか補充されてもな。なんだか気持ち悪くてしょうがない」
「そんなことですか、呆れましたわ」
ほどよく焼けている白パンにたっぷりとジャムを塗りつけたアリシアスは言いにくそうな浩一を眺めながら自身の指輪型PADに思考を走らせる。
いちいち画面を操作しないとアイテムのひとつも転送できない浩一のものとは違い、アリシアスのそれは所持者の思考を読んで自動で操作が行われるものだ。
――もっとも思考操作は最新型のPADに備わった基本機能ではあるが。
ただしアリシアスのPAD自体は特別製だ。
四鳳の研究機関がアーリデイズ学園に依頼されて開発した主席学生用支給PAD『孤高にあるもの Ver8.06』。
最新の軍用OS『ノルン玖型』を搭載しており、高度なAIが戦闘時のサポートから日常生活の細かい雑事まで対応してくれる。
アリシアスはサービスに慣れていない浩一を呆れたように見ながらも、リフィヌスが持ち株の大半を持っている企業から提出された書類を思考のみで処理していった。
「気後れすることなく扱って結構ですわ。わたくしと共に行動するのだからその程度、当然と受け取ってくださいな」
そもそもアイテム類の返品なんてことを考えたこともないアリシアスには、サービスの停止を考えることすら億劫だった。
そして低級のサービスを受けさせるためだけに浩一のテントを展開するのもただの無駄。
だいたい浩一のテントは気配遮断スキルを展開できない為に睡眠中に襲われる危険性が増える。
浩一もそれには気づいているのだろう。
それ以上は何も言わなかった。
そして、これだけは万金を積んでも味わえないアリシアス手製の朝食を片付けにかかるのだった。
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