肉は叩くと柔らかくなる(4)
同盟暦2088年10月5日のアーリデイズ某所にあるテナントビルの一室でのことだった。
かつては多くの未来ある学生達が拠点にしていたであろうその場所は、物も人もなくなり、閑散としている。
広大なフロアには傷だらけの小さなテーブルと、一脚のパイプ椅子のみしかない。
そんな寂しい場所で五人の少年少女が立派な口ひげを生やした青年と
「そう、そこだ。その部分にクランの代表としてサインと電子証明を……よし、いいぞ」
学園都市には『狩猟者の宴』という賞金首モンスターの退治などの活動を目的とした大規模クランがある。
口ひげの男は、そのクランの副リーダーを務める男であった。
「よし、これで契約は成立だな」
このフロア唯一のパイプ椅子に座った口ひげの男はウィンドウに浮かんだ契約書、そのサイン部分を丹念に眺めてから満足そうに頷くと、さて、と目の前の少年をじっと見つめた。
「
口ひげの男の視界には発声ガイドが表示され、少年の声を補正して男に届けている。
――だが実際に耳に届いているのは
口ひげの男は少年とは顔見知りだった。
数週間前に少年が所属するクランのリーダーに将来有望だと紹介されたことがあったからだ。
(だが、すっかり変わり果てちまったな……)
まるで萎びた風船だ。
明るい未来で
身体も酷い。
片腕と片足は戦った相手が悪いのか根本から千切れてしまっている。
残った脚もまともな治療を受けていないのかぴくりとも動かない。
戦士としては廃業するしかないだろう。
同じクランの仲間なのだろうか、沈んだ表情の少女が少年の座る車椅子のハンドルを握っていた。
(ったく、依頼するぐらいならまともなもんぐらい買えよ)
ここは最先端技術の集まる学園都市だ。
電子制御や魔力制御で動く車椅子など探せばいくらでも売っているし、それでなくてもPADを組み込むことであらゆる生活支援に適応した機械鎧も存在する。
廃品を捨て値で買ったのか、人間が操らねばならないものを使うなど、男としては馬鹿を見たような気分にさせられる。
(だが、そんなくだらない自己犠牲がこいつらには必要なことなんだろうな)
改めて男は室内を見回した。
あらゆる負の感情がこの場には漂っている。
暗くて陰湿で、そして
――憎きモンスターに復讐を!
正面の少年少女以外にも、そんな表情の少年二人と少女が一人、部屋の片隅から男に暗い熱量に満ちた目を向けていた。
(あ~、ほんと恨むぜティンベラスよー)
死んだ友人、交渉相手のクランの副リーダーだった男の顔を思い浮かべながら青年は自身の髪をがしがしとかき乱した。
そうして契約文の表示されたウィンドウを突きながら、正気を疑う口調で少年に
「で、ホントにいいのかい? こんな好条件で」
こんな金があんなら手足の再生治療でも受けて来い、という台詞を飲み込んだ男は契約が終わったにも関わらず改めて確認を取ることにいした。
少年がやっぱり間違いだと言えばすぐにでも破棄するつもりでだ。
今回、口ひげの男は
もちろんこんな割の良い依頼を断ることは大勢のクランメンバーを預かる副リーダーとしては失格だ。
だが、どうにもこれでは後で気持ちが悪くなる。
――たった一匹のモンスターを殺すだけでこれだけの報酬が貰えるなど。
「
むしろ少年は破れ鐘のような声と恨みの籠もった視線で、念を押すように男に自身の殺意を伝えてきた。
「
ランクA+のクランである『狩猟者の宴』の活動は、基本的にダンジョン攻略ではない。
彼らの活動の主体は賞金首モンスターの討伐や、依頼を受けての傭兵紛いの仕事だ。
だからか、学生が攻略できるようなダンジョンは一般学生が攻略できる範囲は攻略しつくしているし、定期的に開催される報酬の良いダンジョンイベントなどへの参加率も高い。
クランメンバーのランクも総じて高いし、軍で使われるような最前線の装備も多数所持している。
Sランクモンスターの討伐経験も何度かあるぐらいだった。
(まいったな……こりゃ本気か)
痛み止めに使っている薬のせいか。それとも、目の周りに残って消えない涙の跡のせいか。
少年の形相はホラーじみていて、男としてももう止めろとは言いにくい。
(……まぁ、そこまで覚悟があるんならいいだろう……)
男は依頼内容に再び目を向ける。何度も読んだ内容だから頭には入っているが、少年から顔をそらす名目がほしかったのだ。
依頼内容はアーリデイズ学園のアリアスレウズダンジョンを徘徊するSランクモンスター『
モンスターランクに比べ依頼危険度が高いが、精霊だの竜種だのという強力で特殊なモンスターでもなんでもなくただの巨体のミノタウロスだ。
調べた情報によれば情報収集を怠った主席学生クラン『勝利の塔』がこれにSランクの前衛を二名殺されていた。
主席で四鳳八院の分家だが、どうせ舐めてかかって初見殺しを食らったのだろう。
たまにいるのだ、そういう慢心した馬鹿学生が。
(ま、このぐらいなら楽勝とはいえないが勝てるだろうな……)
口ひげの男はその点、敵を侮らない。それに優秀な情報屋から
それに合わせて車椅子の少年、『
――ミキサージャブは、魔力殺しを持ったミノタウロス。
モンスターが持つ力がわかっていれば対策をとるだけだ。
行って、探して、殺す、それだけで済む。
「はぁ、まぁわかったよ。確実に殺す。それだけは約束する」
口ひげの男は宣言しながら苦々しい顔で正炎の後ろの少女に目を向けた。
俯き加減でぼそぼそと独り言を呟いている少女だ。
精神的な病だろうか? 先週までは一流だったクランも主要メンバーが全て死ねばこんな有り様だ。
(負けるとこうなるのかよ。やっぱ負けたくねぇなぁ)
めそめそめそめそ鬱陶しい。
嫌な依頼だ、と男は正炎たちに聞こえるように言った。
「
藤堂正炎は憎悪に心を壊されている。
だから復讐を果たすためならと報酬額は破格だった。それこそ、クランの全財産を使ってまで。
自身の治療すらもそっちのけで。
(一流に居続けるには、金は必要だ)
男は依頼額を見て、胸糞は悪いが
優秀な学生で構成されているクラン『狩猟者の宴』は卒業単位の収集は既に済ませている。
それでもダンジョンに潜って依頼を受けるのは、金が目的だからだ。
自分を含めたクランメンバーの戦力強化には莫大な金がかかる。稀少資源を使った肉体改造、レアスロットの収集、強力な武具の入手。
この世界ではコネがないなら金を積むしかない。故に彼らはこんな傭兵まがいのことをしてまで金を集めている。
クラン全員でかかってSランクモンスターを倒せても、彼らのクランがSランクの認定を受けられるにはもっと
たまたま相性の良いSランクを武具の力で殺せただけだと判断されれば、Sランククランには上がれない。
もっと、もっと強くなる必要があるのだ。
――この世界で成り上がるには。
(とはいえ、好みで言えば、やはり
男は正炎達の耳に入らないように、復讐は嫌だな、と呟いた。
――しみったれている。
金は良い。アーリデイズ学園からも討伐報酬が入る。
Sランクが相手にしても十分以上の報酬だ。
加えて金以外にも『血道の探求者』が抱えていたレアな武具やスロットが報酬に入っていて、『狩猟者の宴』は口ひげの男を除いて皆、この依頼に乗り気になっている。
依頼に
この依頼を出している正炎たちが自分たちの将来設計を度外視してこの依頼を出しているのは明白だからだ。
だから罠ではない。
男の好みなど関係ない。この依頼はお互いにWin-Winなのだ。ミキサージャブを殺せば全員が幸福になる。
そして男も、学園での生活が自己責任である以上は再三確認までしてやった正炎にこれ以上気を掛けてやるつもりはなかった。
(
依頼内容に最後にある項目。
それは『ミキサージャブ』討伐に正炎と介護の少女を連れて行き、止めを刺させることだ。
それも難しいなら死体に対してでも構わないとまで言われているし、最悪、
確実に殺せればいいと納得もさせた。
余禄に復讐の時間をもらえるなら最上であるが、確実に殺せるならそれは
そこまで譲歩させたのだ。断れば他の傭兵クランに依頼が流れる。
『狩猟者の宴』と同じ規模のクランはそう多くないが、存在はしているのだから。
男とてこんな割の良い依頼、他に渡したくはない。
個人的にも『血道の探求者』には知り合いが多かったから討伐にやる気も出ている。
だが、と男は内心のみで呟く。
(復讐はなぁ。やりたくねぇなぁ)
好みとかそういう問題ではなく、モンスター相手に復讐を行なうことが戦士として
流石に復讐は何も産まない、なんて青臭い説教をするつもりはない。
復讐心で戦う人間は多いし、国家総軍人みたいなところのあるゼネラウスにはモンスターに家族を殺された住民が多くいる。
それでも男は復讐心で戦うことはよくないことだと思っていた。
復讐で始めた戦いは必ずどこかで失敗する。感情を起源に始めているから気分に波がある。
そして一度でも綻びが出てしまえば後は崩れるしかない。
(第一、モンスター相手に復讐をしたところで何にもなんねぇだろ。奴らは本能で人間を殺すんだ。機械みたいなもん、そんなもんにぶつけられる感情なんぞねぇんだよ坊主)
とはいえ藤堂正炎たちはお客さん扱いのため、指揮は自分たちでとれるし、持ち込む戦力も完全に自分たちのものだけだ。
余計な要素が入り込む隙は存在しないし、仕掛けるタイミングも自分たちで選べるので作戦が失敗する危険性は非常に低い。
(でも、やりたくねぇんだよなぁ)
相手はただの魔力殺しを持ったSランクモンスターだ。中枢破壊系の魔力殺しだろうがなんだろうが、硬い前衛で囲めば問題はない。
咆哮には凶悪な恐怖付与があるが、専門の薬で十分に中和できると予測もでている。
「
正炎が提示している報酬は破格で、ミキサージャブ自体に懸かっている賞金は膨大だ。
それにSランクの主席を殺しているのだ。金に加えて名声も手に入るだろう。
――断るには旨味がありすぎる。
だから口ひげの男は、あからさまなため息をついてから暗い目で自身を見る正炎に、わかってるよ、と手を振ってウィンドウを消し、立ち上がった。
「仕事だからな。きっちりやるさ」
仕事の結果に関わらず、正炎の寿命は長くないな、と確信できたからだ。
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