肉は叩くと柔らかくなる(3)



 ――火神浩一は何故戦うのか?


 人類のため、世界のため、金のため、将来のため、名声のため。

 学生にはそれぞれ命をかけるだけの理由があるし、アリシアス自身にもそれなり・・・・に重い理由があった。


 ――沈黙。


 テントの中では微かな光だけが光源で。

 耳に届くのは微かな空調の音。

 アリシアスの心には小さな緊張があった。緊張・・……それはアリシアスが久しく感じたことのない感情だ。

 浩一の返答を待ちながら、アリシアスはきっと答えは帰ってこないだろうなと思っていた。

 人が戦う理由は様々で、浩一とアリシアスの間にはそれを話すだけの信頼関係はない。

 アリシアス自身、浩一に同じことを問われて真実、内に秘めたる想いを話すことはないだろう。

 それを思考で理解してなお、アリシアスは心で問いを発してしまっていた。

(わたくしは家名のために戦いを選びましたが……)

 もちろん、もういくつか理由はある。とうてい人に話せるものではないが。

 それでもアリシアスには自身の意思でを選んだという自覚があった。

 それこそが貴種たる者の責務であると彼女は信じていたし、またアリシアス・リフィヌスに課せられた使命が暴力的な手段をもってしか解決のできないものだからでもあった。

 だから、か。


 ――火神浩一の戦う理由が気になるのは。


 なぜ肉体を改造できない者が修羅に身をひたすのか。

 弱者であるはずが、強者を殺しうるのか。

 彼女は自身が自覚していない、奇妙な疼きの篭った視線を浩一に向ける。

 話してくれるだろうかという、彼女らしくない他者への期待を込めて。


                ◇◆◇◆◇


「戦う理由か」

 問われた侍こういちの目にはなぜそれを問うのか、という素直な疑問がある。

 戦う理由。それは何度も問われたことだ。浩一はその特異性により、いろんな人間にその質問を投げかけられた。

 だから質問の答えにはきゅうしない。

 それでも浩一が疑問を持ったのは質問内容ではなく、何故アリシアスともあろう人物がそんな並の人間・・・・と同じ問いを発するのかだ。

 火神浩一の持つ異常性がそのアリシアスにすら並の問いを発させてしまったという点に気づかない辺りがこの男らしい鈍感さらしいとも言えた。

(考えてもわからんか……なら聞くか? あー、でも)

 浩一が幸運だったのは、今日の浩一の機嫌が良かったことだ。

 機嫌の良さは余裕となって浩一の視界を広くさせる。

 だから普段ならば素直に口にしたであろう疑問は、アリシアスへの侮辱となると思い至り、そのまま浩一の中で永遠に放たれることなく忘れ去られた。

 きっと、そのまま発していれば、アリシアスは浩一の首を絞めていたに違いない。殺すことはないだろうが、機嫌はきっと悪くなっていた。

「そうだな。簡潔に言えば、倒したいモンスターがいるから自分を高めるために戦っている」

「倒したいモンスター、ですの?」

 浩一が戦いはじめた年齢を考えれば、確実にミキサージャブではないことはわかる。

 重ねられた問いにも浩一は愉快そうに口角を釣り上げるだけだ。その釣り上がった口角に狂気のようなものの一端を見つけ、アリシアスは初めてこの手の人種を見たのだと気づく。

 蛮種ばんしゅ

 アリシアスの反対側にいる、大義の果てにいる存在。

 戦いたいから戦って、戦場で大笑しながら死んでいく者たち。いくさびと・・・・・だ。

 それらはこの世界では非常に珍しい人種だった。


 ――すぐに死んでしまって、あとに残らないから。


「浩一様、答えてくださいませんか?」

 今まで持ったことのなかった他人への興味に急かされるように、アリシアスは身を乗り出して浩一へ問いかける。

 浩一はおっ、と身体にのしかかってきた少女の体重が思ったよりも軽いことに驚いた。

(相当軽い金属骨格を使ってるのか……あれだけの筋力がありながら、人口筋肉の重量も抑えているとは)

 さすが四鳳八院、などと明後日の方向のことを考えてしまうのは、火神浩一が鈍感だからではない。


 ――さすがにここまで距離が近いと、どうにも抑えるのも難しいからだ。


 外界の情報の一切を絶っている天幕の中はアリシアスの息遣いや衣擦れのみしか音がない。

 光源となっているランタン型のライトは薄暗く、だが穏やかな光で天幕内部を照らしている。

 きらきらと光を反射して輝く青属性の板が幻想的ロマンティックに浩一の周りを舞っていた。

 自分の状況に気づいているのかいないのか、浩一の胸元から見上げるようにしてアリシアスは答えを待っている。

(ああ、どうしようか……なんとも魅力的すぎるが)

 アリシアスはまるで人形のような少女だが、それはけして彼女がそういった・・・・・意味の魅力が欠けていることを指すわけではない。

 誰もがこの少女を欲しがるぐらいにアリシアスは魅力的な少女だ。

 だが浩一は襲おうとは考えない。抱きしめてしまえる距離にありながら、抱きしめようとは思わない。

 

 ――四鳳八院・・・・に手を出すほど馬鹿ではない。


 だがこの後輩――そう、アリシアスは浩一の一学年下の後輩・・だ。

 先輩として注意ぐらいはしてやろうか、と考えて、馬鹿なことをしているな、と思った。

 口出しすればきっとアリシアスは今の姿勢に気づくだろう。

 アリシアスと浩一の身体能力の差は天地ほど離れている。照れ隠しで殺されてはたまらない。

(質問に答えた方がいいか……さて、俺が戦う理由……殺したい相手、か)

 記憶を漁れば漆黒の殺意がふつふつと蘇ってくる。いつだってのことを考えると楽しくなってくる。

(ミキサージャブ……今はアレがいるから、こんなものだが)

 とはいえ、殺意は年月が経とうとも穏やかにはならないらしい。


 ――戦う理由は、浩一の魂に染みのようにこびりついて、今でもを発している。


 消えぬ憎悪が戦意へと変わり、浩一は楽しそうに口の端を歪める。

 そんな浩一に気づいているのかいないのか、アリシアスが胸の中で頬を膨らませていた。

「浩一様ッ! 答えてくださいな!!」

「ん、ああ。そうだな」

 怒られ浩一はうぅむ、と唸り、そして何を思ったか隣に置いてあった月下残滓を手に取った。

 アリシアスは首を傾げたが、浩一が立ち上がればアリシアスはころりとテントの床に転がってしまう。

「ま、大して珍しいモンスターじゃないさ。遠出・・すれば確実に会えるような奴だよ」

 答えになってない答え。

 アリシアスが不満を口にする前に機械式の警報が警告音を鳴らし、浩一はアリシアスが展開した青属性の板を引き連れて外に出てしまう。


                ◇◆◇◆◇


 普段の自分ならば強引に聞きだしていただろう。

 自身の変調に不快感を覚えながらアリシアスは少しだけ目を閉じた。

(なぜ、こんなにもわたくしは心を騒がせたのでしょうか)

 ああ、でも浩一は傷を負って帰ってくるだろう。

 青属性を纏わせているとはいえ、それほどの力は込めてはいないため、効果の方もそう長くは続かない。

 だから戦闘中に負った傷を残して帰ってくるだろう。

 それは、きっと手持ちの薬で治るような、アリシアスが治療を行うまでもないものに違いない。

 それでもアリシアスは眠らずに浩一の帰りを待つことにした。


 ――自分は神術師ヒーラーだから。傷を癒やす義務がある。


 彼女は浩一のいないベッドを見ながら呟いた。

「浩一様はいじわるですわね」

 結局はぐらかされてしまった。

 浩一は何故戦うのだろうか。

 何故なんの改造も強化も行なっていない、スロットさえも挿入していない人間がダンジョンにいるのか。

 モンスターと戦うのか。武器を持つのか。戦いを喜ぶのか。

 理解のできない答えを転がしながら、アリシアスは浩一が戻ってくるのを待っている。

「浩一様と過ごすと、はじめてばかりですわね」

 傷を負った戦士を自ら望んで癒すのも、そんな戦士が戦っているのを眠らずに待つのも、アリシアスにとっては初めての行為だ。

(ほんの少し、ドキドキしますわ)

 ベッドの上で膝を抱え、彼女は待っている。

 自身の行動に快楽にも似た達成感が伴っていることや、素直で自然な笑みを浮かべていることに気付かずに。


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