肉は叩くと柔らかくなる(2)



 ナイトキャップを被り、星の模様の柔らかな寝間着パジャマに着替えたアリシアスが浩一の傍に片膝をついていた。

 ここはテントに搭載された人工異能スキルによって周囲から隠されたアリシアスのテントの中だ。

 高ランクの『防音』『気配遮断』などの隠蔽スキルが組み込まれているこのテントはモンスターに近づかれにくくなっている。

 ただ如何いかに高度な隠蔽スキルがあるとはいえ、テントの隣にまでモンスターに近寄られれば気づかれる危険性はある。

 だから浩一は休息をとるにしても、周囲に警戒装置を置き、その度に近づいてきたモンスターを始末していた。

鳳閑ほうかん様? 随分昔の人物が出てきたな」

 長剣種ロングソードと呼ばれるこの階層に出現するモンスターを始末した浩一はアリシアスのテントの中に戻ってきていた。

 同じテントなのは、浩一のテントが防音装置すらついていない安物だったからだ。

 もっとも通常ならば、恩があったとしてもアリシアスは男と同じテントに泊まることなど絶対に許さない。

 その事実に気づいているのかいないのか、アリシアスはほうっと、浩一の前で熱の籠もった吐息を漏らしていた。

「それでその、鳳閑様と俺が似ているって?」

「はい。似ているとわたくしは思いましたわ」

「それは、どうなんだろうな。俺はそう思わないが……」

 二人分のシングルベッドが並ぶテントの中、アリシアスは床に胡座をかく浩一に治療を施している。

 先の戦闘で負った傷に対してだ。

 熱の籠もった視線を浩一に向けていたアリシアスが浩一の前に手をかざした。

 アリシアスの手の平から青色の細かい板が発生し、浩一の傷へとゆっくりと向かっていく。


 ――色属性『青』。


 色属性、魂を扱う異能スキル。学園都市でも極めて珍しい特殊な異能だ。

 破壊の赤、再生の青、成長の緑、増幅の白、消滅の黒。

 人の魂は大別して赤青緑白黒の五色に分けられ、全ての人間の魂には五色のうちのなんらかの色があるとされている。

 ただしほとんどの人間には外界へ発するほどの力は宿っておらず、異能として使うことはできない。

 だが、そんな中でも異能として力を発揮できる人間がいた。

 それがアリシアスのような色属性能力者だ。

 彼らは自身の魂から『色』だけを抽出したエネルギー体を『板』にして外界へと発現させることができる。

 何故なのかも、何故そんなことができるのかもいまだに判明してはいない。

 ただその板はその者の魂の複製コピーであることだけが今の人間が理解できていることだった。


 ――あるのだからどのような力でも有効利用すべきである。


 魔法があるのだから、神術があるのだから、とそういった理由で色属性も利用されるようになっていた。

 そしてこんな闘争だらけの世界だからこそ、再生の力を持つ『青』属性の者の需要は高く、中でもトップクラスの青属性保持者であるアリシアスは、彼女の持つ強力な回復系神術の適正と相まって『青の癒し手』の二つ名を与えられていた。

「もちろん浩一様とまったく同じくというわけではありませんが、わたくしは似ている・・・・と思っていますわ」

「似ている……?」

「鳳閑様はシェルター黎明期れいめいきに、僅かな肉体改造と技量のみでミノタウロスを人類初倒した歴史的英雄、我ら四鳳八院の祖ですわ」

 アリシアスのたおやかな指は上部が胡座をかいている浩一の傷を撫でていく。

 右の手のひらから肘、上腕から肩、はだけた背中を経由して左肩へと……順に確かめるように。

 浩一の全てを知ろうとするかのように。

 浩一の全身は無数の青属性の板によって覆われている。

 それらは穏やかに、ふわふわと、ゆったりと浮き、浩一の肉体を再生させていく。

 それは浩一にとってもなかなか覚えることのない感覚だ。

 色属性能力者は希少だ。特に治療系の青属性は各クランが大事に囲い込むために表に出てくることはまずない。

(青属性での治療ってのはくすぐったいな。だが、なんだか落ち着くぞこれ)

 テントの中は外界の光が入らないように設計――もちろん任意で光を取り込むことも可能だ――されており、内部も学生が眠りやすいように薄暗く保たれている。


 ――アリシアスの微かな呼吸音が浩一の耳に届いてくる。


 テントの傍に設置した監視カメラの映像が薄暗く光り、温度を保つためのエアコンが微かに音を立てた。

 そんな中、神秘的な青属性の板に照らされたアリシアスは、浩一の目にはきっと息を呑むほどに美しく見えたことだろう。

 浩一がただの学生であったならたまらずアリシアスを抱きしめていたかもしれない。

 だが浩一はアリシアスから視線を逸らすと、自身の傷を見た。


 ――その傷は、さきほどの戦闘で浩一の肉体に刻まれた傷だ。


 青属性によって抉られていた肉が徐々に盛り上がり、薄皮が張っていく様をじぃっと浩一は見ていた。

 魔導理論の発展によって別次元に存在することが観測された廃女神シズラスガトムの概念を利用し、時間を掛けずに肉体の再生を終わらせられる『神術』を使えるアリシアスがわざわざ青属性を選択したのは、神術よりも青属性の方が肉体の成長に良いためだ。

 青属性による治療は、対象の肉体を微かにだが強くする力がある。

 そのため即効性には欠けるが、概念再生の効果を持つ青属性による治療をアリシアスはわざわざ行っていた。

 そんなアリシアスの気づかいに気づいているのかいないのか。

 自身の傷を見て戦いの喜びを反芻した浩一は、浩一の古傷を興味深そうに撫でるアリシアスの指の感触を楽しみながら会話に応じることにした。

「……さすがに鳳閑様ぐらいは知っている。だが、鳳閑様と俺では事情が違うだろう。あの方は肉体改造をしていた」

 四鳳院しほういん鳳閑は人類とモンスターの間にあったランク差を、武技と肉体改造で初めて覆したシェルター国家ゼネラウスの英雄だ。

 そしてその業績を持って、後の人類の肉体改造の基礎を築いた人物でもある。

「ええ、もちろん。歴史の通りですわ。当時の政府は鳳閑様が培った武技を個人技と見做みなして、肉体改造の技術を優先的に研究しましたわ。その結果として当時の主流であった肉体改造、獣や亜人の肉体を取り込み、四肢を増やし、翼や眼球を与え、足していくような『超人研究』から、余計なものは付け足さず、人間の肉体を最適化することで適応力や身体能力を上昇させる『鳳閑式』に肉体改造の主流はシフトしました」

 アリシアスが説明するそれは、学園でも真っ先に習う人体改造概論の内容通りだ。

 浩一は頷くも心中では、俺はそれを行っていない、と呟く。


 ――それはアリシアスも知っている。


「この千年で鳳閑式は進歩しました。鳳閑様の時代はほんの少し人体を改造するだけのものだったそれは、今では肉体のほとんどを最新の金属骨格や人工筋肉、魔導神経や強化血管と取り替えられるようになりましたし、血液の成分をナノマシンで調整したり、人間であることを損なわない程度に脳を強化するような改造を行うようにもなりましたわ。最近では人工的にスキルを付与して、発現させる『スロット』の開発も進んでいますしね」

「かくして人類はモンスターを駆逐してこの地上の覇者になるのも近い、か」

「そうなればよいのですが、そこまではあと千年は必要でしょう」

 ゼネラウスで鳳閑式がここまで取り上げられた理由。

 それは鳳閑が英雄と呼ばれるほどに強かったこともあるが、超人研究に問題が多かったからでもあった。

 最初期に行われていた超人研究では改造を行った後の肉体の変化にその人間の精神がついていけなかったのだ。

 肉体に獣や鳥の要素を混ぜてしまった結果、狂った人間が多く出すぎてしまった。

 そして『超人研究』の研究データの多くはシェルターの闇に葬られることになる。

「それに問題・・もありましたわ。鳳閑式の肉体改造が有能すぎたせいで、武術は重視されなくなりました」

「最初はそうだったらしいな。だが結局、その問題も解決した。脳に技術データを流せば武術を習得できるようになっただろう?」

 こつん、と浩一は自分の頭を指でこつこつと叩いてみせる。

お前たち・・・・はそれであらゆる武術の電子データを脳に直接書き込めるようになったじゃないか」

「それは、そうですが……でも、浩一様は……」

 アリシアスが切なげに浩一の傷を指でなぞる。

「体質によって肉体の改造ができない浩一様は、鍛錬だけでしか武術を習得できない」

「ああ、そうだな。そのとおりだ」

 浩一の言葉はそれを当然として受け入れていて、だからアリシアスは迷いながらも問いかけてしまう。

「何故、浩一様は……いえ、あの……」

 アリシアスの縋るような視線。らしくない・・・・・アリシアスの態度。

「どうして、浩一様は戦っているんですの?」


 その質問もまた、彼女らしくない……――熱に浮かされたかのような問いかけ。


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