救った代償はとても重く(2)


 鳥を鳥篭に押し込める。猛犬に首輪をつける。竜を鎖で締めあげる。

 遥かな未来において、様々な価値を持てるであろう人間を閉じ込めることなど、許容できるはずもない、などというぬるい思考をアリシアスは持っていない。

 捕らえられた鳥など食い殺されればいいし。犬ならば飼い殺されろ。たとえそれが竜であろうが獅子であろうが、捕まった以上は責め苦を味わおうが、煮られようが焼かれようが興味はない。


 ――アリシアス・リフィヌスの判断に例外はなかった。


 アリシアス・リフィヌスは、四鳳八院は生まれながらの怪物である。

 他者に何らかの価値を見出すことはあっても、そこに期待を抱くはずもない。

 怪物の目は、目に映るそれらが行なうであろう行動の全てを予測できるだけの眼力を持っている。

 だから、その会話を聞いたときに、期待ではなく落胆を抱いた己にアリシアスは疑問を抱いた。

 戸惑いながらもアリシアスは常の表情を崩さずに、店内のカウンターの向こう側から自身を眺める巌のような男に冷ややかな視線を浴びせた。

(この男は……不快ですわ……)

 この店主ドイルは火神浩一に余計なことをしようとしている。

 いらつきと共にアリシアスは店内に足を踏み入れた。

 アリシアスが押さえていた鈍重な木製ドアは重量を感じさせず緩やかに閉まり、店主の印象からは想像もできないほどに快適な温度に保たれた店内の空気がアリシアスを出迎える。

「ほゥ。珍しィいなァ。リフィィヌスゥ嬢ォ」

 歩き始めたアリシアスに、生来から変わらぬ陽気さが混じった濁声が掛けられた。

 そこで初めて店主の傍らにいた侍が顔を上げる。アリシアスは自然と微笑みかけた自身を自省し、冷たい表情で浩一を一瞥した。

「相変わらず馴れ馴れしいですわね、ドイル・ザ・スレッジハンマー。ゴブリンでも貴方よりまともな接客ができますわよ…ッ、そこの意気を消沈させた黒い物体。貴方の萎びた犬にすら劣る思考を今すぐお止めなさいッ!!」

 浩一が驚いた顔をアリシアスに向ける。


 ――思わず・・・口を出していた・・・・・・・


 わたくしの心が荒む、と言いかけるもアリシアスは自制して口は閉じた。

 そしてアリシアスは、驚いた様子で自身を眺める店主に対し、手に持っていた包みのうちの一つをカウンターに置いた。

 上等な布に包まれた細長い棒のように見えるそれを、ぞんざいに見えて丁寧な手つきで取り出したドイルの顔つきが厳しいものになる。

「おォい、浩一ィ。こいつァ一体、どォんな手品だァ?」

 ドイルが問いかけるも、浩一は憮然とした顔で口をへの字に曲げている。

 アリシアスに一喝され驚いてはいたが、そもそもが二人になど興味がないのだろう。

 まるで自分は関係ないとばかりの態度だ。それともアリシアスとの出来事を幻か何かのように思っているのか。

 怒鳴られたことにいらついた様子で、椅子に座ってPADで計算を始めてしまっている。

 火神浩一は、先程のドイルから提示された時給でどれだけの時間を拘束されるのか計算しているのだ。

「こ、この方はッ」

 火神浩一、あのアリシアスが思わず悪態を吐くほどの鈍感さだ。


 ――リフィヌスは伊達で聖堂院の遺産を管理しているわけではない。


 高性能の武具を自身で調達できる能力を持つアリシアス・リフィヌスにこの店を訪れる理由などない。

 店主と面識はあれどここで貨幣を使用したことなど一度もない。

 そんなアリシアスがこの店を訪れるならば相応の理由がある。

 昨日の今日だ。火神浩一はそれに気づくべきだ・・・・・・

 思わず懇願・・してしまいそうになったアリシアスの顔が不機嫌そうに歪みかけるも、自制心がそれを押し留める。

 心情を素直に表現するなど、アリシアス・リフィヌスは己に許していない。

 かつて主君を殺したときにそういった心が持つ自由の全てを捨てることを決断していたからだ。

 貴種としての矜持にアリシアスは従うと、浩一を無視してドイルへと向き直る。

「ドイル、確かめなさい。貴方もそれでよろしいでしょう?」

 渡したものと浩一を見比べてから巌の鍛冶師は鷹揚に頷き、改めて渡されたを確かめる。

 そうしてドイルは歓喜を顔面いっぱいに浮かべ、愉快そうにカウンターを叩く。

 普通の木材であれば歪み、破砕されてもおかしくない衝撃がカウンターに与えられたが、わざわざ国外から輸入された天堅樹製のそれは小揺るぎもしない。

 ドイルの単純な反応にアリシアスが呆れた表情を作りかけ、気づいたように頬を抑えた。

 浩一が傍にいるせいか、アリシアスは自身が奇妙な熱に浮かされたかのように感情が活発になっていることには気づいている。

「浩一ィ、金ェ返すわ。帰れ帰れェッッ! ガガッ! ガガガガッ!!」

 大笑いしながらドイルが浩一の口座に金を叩き返している。

「おいッ、なんだ? どういうことだ!?」

「そこのお嬢さんに聞けェ! うめェことやったなァ、おいッ!!」

 慌てて自分を見る浩一を眺めながら、アリシアスは心のどこかが発する奇妙な熱の疼きに耐えた。


 ――アリシアスは浩一に期待している。


 心情に反して浩一を助けているのはそのせいだ。

 浩一は三度も都市を支配するランク制度に打ち勝っている。

(一度目はあの無様なAランクに、二度目はわたくし、三度目はミキサージャブ)

 一度や二度ならば偶然でも、三度も重なればそれは必然だ。


 ――この男は当たり前のように自分より上のランクの者に勝てるのだ。


 興味を持ったのは主にそれ・・だ。だがそれ以外にも理由がないとは言い切れなかった。

 この胸の疼きこそがその原因なのだろうかと本人は切なげにしていることに気づかずに胸に手を当てる。

(どうして、どうしてわたくしは浩一様を好意的に見てしまうのかしら?)

 浩一の周囲への鈍感さは本人が現状に必死だから。

 浩一の貧相な姿は真面目に清貧に生きている証だ。

 全ては浩一の能力の足りないせいだとはわかる。だが、だがアリシアスは好意的・・・に考えてしまう。

 それでもアリシアスは、自身が恋心などという愉快で面白く、唾棄すべき想いを抱いたとは思っていない。

(……わたくしは……わたくしは……)

 それとも、やはりこの男が……?


                ◇◆◇◆◇


 アリシアスがドイルに渡した包みに入っていたのは毒刀『雲霞緑青』だった。

 飛燕を始めとして、A+ランク以下の武具の多くは量産品だ。だからアリシアスが持っていることには疑問を抱かない。

 そう、持っていること自体には疑いを抱かない。

 しかし、ここに持ってきたことが浩一には問題だった。

(俺の察しが悪くても行為の意味はわかる。だが、何故今なんだ?)

 アリシアス・リフィヌスにそんな時間はないはずだった。

 所属クランの人間が二人も死んでいるのだ。その死亡の報告や、二人が所属していた八院の本家への対応へと忙しいはず。

 アリシアス・リフィヌスは四鳳八院なのだ。浩一のような一般学生と違ってやらなければならないことは多い。


 ――浩一へわざわざ関わるだけの余裕はないはずだった。


 そんなアリシアスが、ここに偶然で来るわけがないのだ。

 浩一が訪れる店へ、浩一が使っていた刀を用意して同じ時間にやってくるなど、浩一に用があるという明確な証拠だ。

 同時に、幻覚でも見ていたのかと思っていた四鳳八院への借りが、事実だったのだと浩一の脳に浸透してくる。

(だからといって何をしたいわけでもないが……)

 浩一が求めるのはミキサージャブとの戦いだ。

 それに、アリシアスに対する嫉妬がないわけでもない。

 浩一が身売りさえ考えた刀の代価を、アリシアスはいとも容易く用意したのだ。

(ん? あ、いや、そういうことか?)

 浩一の脳裏である考えが浮かんだ。

 今、浩一はアリシアスの弱みを握った状態だ。

 それを解消するためにアリシアスが浩一の弱みを探ったとすれば疑問は解消できる。

(ああ、そういうことか)

 そう。そうだ。そういうことにしてしまえ。

 そもそもが元々望んでなかったことだ。

 アリシアスへの貸しをここで返してもらえばいい。

 自身の金のなさを痛感するだけだが、問題は一切ない。

 誰も損はしない。浩一には時間が、ドイルには代刀が、アリシアスには無用の借りの清算が、全員の問題全てが解決できるチャンスではないか。

 浩一は、自身の悩みが俗物的になったことを理解しながらも決断した。

 四鳳八院の誓いはそんな安いもの・・・・ではないことも知っている。

 かつて安易に借りを作ったが故に凋落した四鳳八院もいたぐらいだ。

 だからこそ四鳳八院は決して隙を見せない。強くあろうとする。そんな人間に貸しを作る機会など二度と訪れないだろう。

 だけどこれ以上惨めになりたくはなかったのだ。

 浩一は人への貸しでそんな重いものはいらない。

 アリシアスがどんな覚悟で誓ったものだとしてもそんなものに価値を見出したくはない。必要・・だと思いたくない。

 いまだ己の命にしか責任をもてない男の器は小さい。だけれど浩一にはそれでよかった。それがよかった。


 ――浩一には自分の命だけでいいのだ。


 だから死闘に向かえるのだ。

「そ、か。ああ、うん、ありがとう。それだけか」

 だから、浩一の返答は簡素なものだった。常ならぬ浩一の態度にドイルが眉を顰めた。アリシアスも怪訝に思い眉を顰める。

「浩一様?」

 ズシン、とカウンターから乗り出すようにしてドイルが続ける。

「代刀はァこいつで構わんン。雲霞緑青のオリジナル・・・・・なんてェ余計ェな余禄がついちまってるがァ、品としてはァ問題ない質だァ」

 オリジナル。最初に作られ、四鳳八院に原型として収められる品だ。

「……話が違う・・・・

 ああァ? と奇妙な顔をするドイルに「駄目だ。これは対等じゃない」と浩一は続ける。

「アリシアス、あんたへの貸しはこの代刀の代金だけでいい。わざわざそんな高価なものを持ってこなくていい。過分すぎる。オリジナルなんて大層なものを持ってこなくていい。だから、俺をこれ以上――」

 ぱちん、と音がした。

 浩一の頬が鳴ったのだ。アリシアスが平手を振り抜いたのだ。

 後衛職であるアリシアスの一撃で前衛職の浩一の身体が揺らぎ、膝をついていた。

 アリシアスは無機質な表情で、膝をついた浩一を見下ろしている。

「とてもとても面白いことを仰いますわね。謙遜や卑屈も過ぎればただのゴミ。そして浩一様はわたくしを知らず貶めるのがお好きな様子ですこと。オリジナル? ふふッ、リフィヌスにとってそんなものは木っ端同然ですわ。そもそもわたくしが直々に届けるのにどうして量産品など持たなければならないんですの?」

 聞く者がいればなんという傲慢だろうかと思うような言葉だ。

 だが、その言葉を放つことのできる資格をアリシアスは有している。

 四鳳八院、この都市の権力者であり、自身も類まれなる力を持つ彼女ならば。

「わたくし、浩一様の都合など一切合財どうでも良いんですの。わたくしはわたくしだけの意思で貴方様に恩を返しているのですから。ゆえに、それを阻むというならば、浩一様の道理を破壊してでもわたくしはわたくしの義理を果たしますわ」

 浩一は言葉を失っている。頬を抑え、アリシアスを見上げている。

 その有り様を見て、アリシアスは己が封じていた激情を解き放つかのように言葉を放っていた。

「いい加減目を覚まされたら如何ですの? そのまるで負け犬のような萎びた目! 落ちぶれた思考、さっさと頭を切り替えなさいッ! このアリシアス・リフィヌスを救った貴方はもっと覇気がありましたわッ!」

「……ッッッ!?」

 くらり、と気づかされる。

 頬を叩かれた以上の衝撃が全身を貫いていた。

 誇り、自信、そんなものどうでもよかった。

 金、バイト、いつそんなものを心配できる身分になった……ッ!?

 ミキサージャブ。黒いミノタウロス。胸の奥で滾る戦意は熱を持ったまま。

 荒れ狂う戦斧。戦いに向かう思考。あの時は何もかもが自分だけのものだった。

 それが、いまはどうだ。金の問題。代刀の問題。そんなものに自分は囚われている。

(俺はなんだ。なんだったんだ。何を目的としていたッ!)

 胸の奥で■■■■が蠢き、ミキサージャブに対する熱が心を焼く。

(だから、貰える物はなんでも貰って。やってくれるならなんでもやらせなきゃならねんだろうが! 変な意地張るんじゃねぇよ俺!)

 浩一は叩かれた頬を撫でながら頷いた。

「ドイル。飛燕は?」

「おらよォ」

 躊躇無く差し出されたそれを受け取る。数え切れないほど握り、振るってきた刀。ともに死線を潜り抜けてきた浩一の愛刀だ。

 鞘から引き抜き、刃を確かめ、頷く。

 一流の鍛冶師であるドイルによる完璧な仕上がりだった。

「ありがとうアリシアス。気づかされた。俺には余計なことやってる時間はなかった」

 おォいうちのバイトが余計かァ、とドイルが苦笑混じりに突っ込みを入れるが浩一は前を向いたままだ。

 そのまま浩一は過ちに気づかせてくれた少女に頭を下げ、やるべきことのために外へと向かおうとした瞬間、あらあらと、機嫌の良い声で動きを止められた。

「お待ちくださいな。Eランクの刀で向かうつもりですの?」

 浩一は躊躇なく頷く。

 ミキサージャブが討伐される前に意地でAランクまで自身を上げればいい。

 そうすれば学園から許可が出、オーラを扱うスキルの習得許可が降りる。

 そうすれば飛燕でも高ランクモンスターの殺傷が可能になる。

 硬い皮膚だろうが再生力の強い身体だろうが対抗できる技術もきっとあるだろう。

 スタミナや回避能力を高めればいつまでも、どこまでも戦えるようになる。

(勝つぞ。俺は勝ってみせる)

 そんな浩一の思考を知ってか知らずか、アリシアスはドイルに渡していなかった包みを浩一に向けて差し出した。

「浩一様、ついでです。それではいくら腕が良くてもSランクとの戦闘には不利ですわ」

 だからこれをどうぞ、と真っ白な布に包まれた細長い何かを浩一は渡される。

 それは、感触から武器、それも刀だということがわかった。

 だがもう借りは返してもらったぞ、と口に出そうとして、先ほど決めたことを思い出す。

 貰えるものは全てもらう。それはこれも例外ではない。

「何をォ貰ったんだァ?」

 包みの中身が気になるのか急かすようにドイルが問う。

「武器マニアめ。今見るから待ってろ」

「おうおう。さッさと開けろォ」

 ドイルという男は武器を手に入れて楽しむ、というよりは強大な武具をそれを扱える武人に売りつけることを楽しむ男だ。

 だから武器より、アリシアスという八院の中でも特殊な立ち位置の少女が浩一に何を渡したのかが気になっていた。

 好奇心に満ちた巌の視線を感じつつ浩一は、リフィヌスの家紋が刺繍されている、上等な肌触りの布を解いていく。

 果たして包みの中には。


 ――


 純白としか形容のできない一振りの大太刀があった。


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