救った代償はとても重く(1)



 学園都市アーリデイズ第七番区画、中央公園ダンジョン地下六階層。

 縦横が四角い、広々とした通路に赤煉瓦が敷き詰められた、迷宮型のダンジョンを一組の男女が歩いている。

 一人は黒の戦闘用インナースーツの上に、黒い着流しを着た青年だ。

 侍、火神浩一である。

 その腰には見慣れぬ穢れ一つない純白の鞘に入れられた大太刀が吊り下げられている。

 その浩一の顔にはこの男には珍しく困惑の表情が浮かんでいる。

「しかし、あんたまでついてこなくてもよかったんだぞ」

「あら。浩一様は面白いことをおっしゃいますのね。アーリデイズ学園の十七学年主席を、臨時とはいえパーティーメンバーに加えているからこそ、事前予約もなしにこのダンジョンを探索できるということをお忘れですか?」

 浩一の隣には空色のローブ姿のアリシアス・リフィヌスがてくてくと歩いている。

 そのローブは以前商店街で見た粗末な見た目のものとは違い、前日のミキサージャブ戦で使っていたものと同じものだ。

 縫製や生地の種類から推測してSランク以上の品に違いない。

 装備がきちんとしているということは、少なくともアリシアスの行動は冗談ではないということがわかる。

「それと、わたくしの名はあんた、ではなく、アリシアスですわ。どうぞ、先日と同じようにアリシアスとお呼びくださいませ」

 数秒ほど口元をへの字に歪めた浩一だったが、にこにこと笑うアリシアスに諦めたような顔をしてしまう。

「アリシアス」

「なんでしょうか? 浩一様」

「なんでもない。呼んだだけだ」

「そうですか。それはよかったです」

 今回、アリシアスはフードなどで顔を隠していなかった。

 蒼髪をバレッタで結い上げ、天使か何かと間違えそうな美しすぎる素顔を晒し、浩一の隣を気楽そうに歩いている。

(近い近い。距離が近い・・・・・

 他人よりも近く、雪よりも遠い。浩一が腕を伸ばせば届くような、そんな近すぎる距離をアリシアスは歩いている。

 浩一の心臓がどくんどくんと高鳴っている。


 ――それはけして甘やかな理由ではない。


 その本性を知っている浩一の身からすれば、危険極まりない猛獣が傍らにいるようなものだからだ。

(落ち着かんぞ。これは……)

 早朝の静謐な空気にも似た、清涼な香りが浩一の鼻腔を刺激する。

 それは以前の騒動の発端であるツーザイラル製の香水『スターライト』だろうか?

星光スターライトというよりは、朝日か曙光の方がイメージにあってるんではないだろうか?)

 深い、深い溜息が浩一の口から漏れた。

 アリシアスは変わらずにこにこと、機嫌が良さそうに微笑んでいる。

「ったく、しょうがない……だが、いいのか? いつまで修行・・するかはわからんぞ?」 

 覚悟を問うかのように立ち止まった浩一に対し、アリシアスも立ち止まる。

 数週間は地上に戻らないかもしれん、と続けた浩一にアリシアスは真摯に応える。

「たかが刀二本でわたくしの宣誓が果たされたと考えるなら、それはわたくしを侮辱したと同じことですわ。善いか悪いかではなく、報い・・は」

受けなけれ・・・・・ばならない・・・・・。俺の好悪に関わらず」

「ふふ、浩一様も上流階級の流儀がわかってきたようで何よりですわ」

 浩一をからかっているように見えるアリシアスだが、彼女も本人なりに大真面目・・・・だった。

「ほらほら、浩一様。そんなこんなでしてるうちにモンスターが来ましたわよ」

「ああ、わかってる。敵は基本的に全部俺が殺す。お前・・は手を出すなよ」

 頷くアリシアスだが、その雰囲気にどことなく怒ったようなものが感じられ、浩一は慌てて付け足した。

アリシアス・・・・・。わかったな」

「はい。わかりましたわ。浩一様」

 たおやかに笑うアリシアスを意識の片隅に置き、浩一は駆け出した。

(今はアリシアスを疑うよりも受け入れることが重要だ)

 生粋の戦闘者である浩一は、その直前がどうであろうと戦いに入ればすっかり意識を切り替える。

 ゆえに、戦闘に不必要な感情は自ら切り捨てていく。


 ――アリシアス・リフィヌス。


 この少女が命の恩人である浩一へ送る支援・・は今のところ全てが最上級だ。

 浩一の要求全てを叶え、むしろ与え過ぎるほどに与えてくる。だから疑いさえ捨ててしまえば環境は最上だ。

 信じるべきか、信じないべきか。


 ――そうではない・・・・・・


 こうして戦闘の場に立ってしまえば、疑いなど消え去っていく。

 ああ、楽しい・・・楽しい・・・楽しいのだ・・・・・

「おおおぉおおおおおおおおおおお!!」

 新しい刀・・・・を握ることが楽しい。敵の前に立つことが楽しい。殺意に身を晒すことが楽しい。

 だから、アリシアスに対する疑念を捨て去るようにして浩一は吼える。

「おおぉおおおおおおおおおおおおおぉぉおおおおおお!!」

 今日までの鬱憤を晴らすように浩一は吼える。

 今の浩一には悪魔の囁きや天使の祝福よりも求めるものがあった。

(死闘だ!)

 肌が粟立つほどの。

(死闘だ!!)

 心が擦り切れるほどの。

(死闘だあああああああああああ!!!!)

 ミキサージャブと戦うための経験を得るための。

「修行だぁああああああああああああああ!!」

 びりびりと迷宮の壁を浩一の覇気が揺らした。

 闘争心が発せさせた咆哮に、浩一へと襲いかかろうとしていたモンスターたちが動けなくなっている。

「元気、ですわね」

 アリシアスはそんな浩一を目をぱちくりとさせて眺めている。


 ――火神浩一は決めている。


 望んで、心から潤いの全てを捨てることを。

 修羅道を行く事を。

 だからアリシアスがその道へと繋がる存在ならば、例えどんなリスクがあろうとも受け入れるつもりだ。

 だがそう思う心の裏でどうしても離れない感情がある。

 アリシアスが浩一を探ったり、試すのならばそれはそれで良い。

 それなら浩一の傲慢でアリシアスを害することはないからだ。

 だが、アリシアスが恩以上に、彼女らしくない親切心を出しているのならば別だ。


 ――願わくば、己を早急に見限ってくれ。


 アリシアスから貰った新しい大太刀を振るい、小剣使いの美少年型亜人種モンスター『ショートソード』の首を真一文字に切り裂いた浩一は心から思う。

(恩だなんだと言いながら、俺みたいなのに付き合って戦うとろくなことにならねぇぞ)

 東雲・ウィリア・雪。

 あの幼馴染は浩一と共に地獄へ行こうとしている。

 そして雪もまた無関係ではないだけに浩一もそれを止めるつもりはない。

 だからさっさと恩とやらを返しきってくれ、と浩一は口角を歪に歪めた。

(そうだ。この道は俺の夢だ。俺の道だ。俺だけの……)

 浩一は気づかない。己のみが修羅に浸かっているわけではないことを。

 選んだ道を迷わずに突き進める人間には他人の感情など理解できないのだ。

 モンスターの血を浴び、己を高める喜悦に口角を歪ませる男を見る少女の内心が、どういったものかなど。

 四鳳八院でもないただの戦士には気づきようもなかった。


                ◇◆◇◆◇


 火神浩一がアリシアス・リフィヌスとダンジョンに潜る数時間前のことだ。

 武具専門店ラインツ・クーバー内に男が二人いた。

 店主であるドイル・ザ・スレッジハンマーと刀を折ったことを報告に来た浩一だ。

「まァさか、こいつが折られるとはなァ」

 浩一が持ってきた雲霞緑青の柄から得た戦闘ログで、浩一が刀の取り扱いを間違えなかったことだけをドイルは理解する。

(代刀については弁償しなくてもいいんだがァ……ふゥむ、それはいけねェか)

 浩一では払いきれるかもわからない雲霞緑青の料金だが、それの価格はドイルの店に並ぶ商品のうち一番安いものの足元にも及ばない。

 自分が金にがめつい男だと理解してもいるし、事実そのとおりに振る舞っているドイルだが、雲霞緑青は低ランク武具で、どうでもいいとまでは言わないが、金のない浩一から取り立てるほどの品ではないからだ。

(とはいえ、ここで甘くするのも良くねェかァ)

 それでも、払わせなければならないものは払わせなければならない。

 ここで甘い顔をすれば、自分はよくても浩一の人生に禍根を残す。浩一を無責任な男にしてはいけない。

 ドイルは気前良く許したい己を抑えて厳しい顔を作りつつ、浩一を睨むふり・・をした。

「ドイル、金はいずれとはいわないが払う。今日は俺が用意できるだけの金は持ってきたが……」

 端切れが悪いが意味はわかる。払えない、ということだろう。

 そんな浩一にドイルは石塊のような顎を撫でて厳しい顔を作ってみせる。

「うゥむ。バァイトでもするかァ?」

 自分で提案しながらもドイルは悩む。売り子か。浩一にさせたことはないが、それも面白いかもしれない。

 ドイルに半端はない。ならば、ここで働かせれば上位ランクの学生とのコネ作りになるだろうし、高ランク武器に関しての造詣ぞうけいを深められるだろう。

 浩一はドイルの言葉に悩んでいる。

 その姿を巨体に見合った大きな顔の中に埋もれている、小さな瞳で見ながら、浩一から返された刀身の砕けた毒刀の柄を大事そうにドイルは撫でた。

(おめェもよォくやったなァ)

 雲霞緑青は立派に役目・・を果たした。

 ドイルが浩一に毒刀を渡したのは故意・・だ。

 そろそろ飛燕の刀身が曲がる頃合いだろうと、ドイルはカタログを見ながら、浩一が油断と慢心に陥りそうな代物を代刀代わりに取り寄せた。


 ――それがB+ランクの毒刀、雲霞緑青だった。


 その毒刀が、通常あり得ないことだが、Sランクオーバーと交戦し、浩一を生きて帰らせた。

 武具は所有者の命を護ってナンボだと考えるドイルにとって、雲霞緑青が自身より遥かに上のランクの怪物から持ち主を無事に生還させた功績は大きい。

 それに、なによりの収穫は、浩一が毒刀を再び求める素振りを見せていないことだ。

 浩一は武器の力に頼ることなく、本当の上位へと上がろうとしていた。

 武器に依存するようでは、けして上位者へは上がれない。

「俺がバ、イト……ぐッ……いや、時給、どれくらいだ」

 元が鍛冶師兼戦士、今はひとつの店の店主兼鍛冶師である男には浩一の顔を見てすぐに今の浩一の心情が理解できた。

 旧知の仲であるドイルの前だからだろう。浩一の心のガードも緩い。

 こうして店のカウンター越しであっても、浩一が持つ、腹の奥からふつふつと煮えたぎる熱のようなものが感じられて、ドイルの頬が喜悦で緩みかける。

(コイツはァ、今すぐにでも修行に行きてェ癖にィ。刀を折ったことを本気ィで悔いてやがるなァ。いィやァ、壁ェにぶつかってそれを乗り越えたいのかァ? ガガガガガ。努力する奴ァはイイ! 大ィ好きだァ!)

 許してやりたくなる。時間を与えたくなる。

 だが、ここでルールを忘れては浩一の人生に甘えを与えてしまう。

 ドイルは緩みかける頬を気力でなだめ。厳しい顔で決断した。

 バイトは出来高にすればいい。浩一の器量に任せるのだ。

 面ォ白ィことをしてくれよォ、と内心の感情は露にせず、ドイルは告げる。

「そォだなァ。時給1200ゴールドってェところかァ? あとはボーナスでよォ、浩一が客に薦めた品が売れたらァだァ、そいつの値段からちょびィっとだけ金をくれてやるよォ」

 この店の客の数が少ないとはいえ、ドイルの店の商品は高価だ。

 うまくやって・・・・・・一日ひとつでも売りつければ三日もせずに完済できるだろう。

「……ああ、わかった」

 浩一は頭を下げた。

「ドイル、感謝する。すぐに返済する」

 客のいない店の中、黒い侍は興味深そうに己を見る店主に頭を下げていた。

 だから、店のドアが開き、入店した少女にドイルが奇妙な目を向けたことに気づかない。

 二本の細長い包みを手に持ち、美しい少女が店の入り口に佇んでいた。


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