『■■■■』(1)


 火神浩一は懐かしい夢を見ていた。

 滅び・・の前の夢だ。

 それは大切で、価値のあった場所での出来事だ。


 ――これはなくなってしまった場所の記憶・・だ。


 全てが白黒モノクロに彩られた、曖昧な世界に響くのは憧れた男の声。

「いいかい、君たち。Sランク以上のモンスターを相手取る場合、低ランクに絶大な効果を持つ武具は扱ってはいけない」

 ここは開拓のため、アーリデイズよりいくらか離れた土地に作られた新造のシェルターだった。

 その中にあった軍学校建設予定地に建てられたプレハブ小屋の一室。

 そこで幼い浩一は軍人達に混じっての講義を聴いていた。

「低ランクでは毒刀や毒の塗られた武具の類は有用だが、これらの武具は高ランクモンスターを倒す役には立たない。毒系武具の多くは脆く、また毒の多くは無効化されるか、無視して行動する。だから、真に実用に耐える武具は群雲商会や村雨工房の中でも、闘争に不要なものを混ぜない、純粋な闘争用の武具だ。たとえば、このカタログに載っている群雲武霊怒ムラクモブレードや五月雨虚鉄、ピュア・妖村正トクガワスレイヤなどの、数打ちされることのない、職人たちの魂が込められた一刀。これらSを越え、SSランクに到達するほどの業物を携えなければSランク以上のモンスターを相手にすることできない。わかるかい?」

 講義内容を更に詳しく知りたいがために次々と立ち聴講者が立ち上がり質問していく、それらの全てに彼は淀みなく明快に答えていく。

 記憶の中では意味もわからないそれを、キラキラと目を輝かせながら幼い浩一は聞いていた。

「そうだ。武具に余計な機能や不純な殺意を混ぜること自体が既に敗北を認めることと同じなのだ。たかが毒ごとき奴らは無効化する。たとえ一度は効果を上げたとしても即座に抗体や代わりの臓器を創り出す」

 の浩一の脳の深い部分が、そうだ、と同意した。

 幼い浩一は変わらず彼の講義を聴いている。夢を俯瞰し、見ている浩一の意識が身体を動かそうとするが幼い身体はぴくりとも動かない。

(む……)

 講義室が白んでくる。現実の浩一が目覚めようとしているのだろう。

「また毒化させたことで耐久が半端になった武具を砕くモンスターや、毒に頼る不純な心がオーラを武具に満足に乗せきれず、傷を負わすこともできなくなるモンスターもいる」

 そうだ、と浩一は頷いた。雲霞緑青、あの刀に頼ったとき、浩一はあの刀の毒で敵を殺そうと考えてしまった。

(だから俺は負けた)

 自らを責める意識は鋭い。恥で死にたくなる。

 講義の先を聞きたかった。ミキサージャブに勝つための、その全てがこの講義には詰まっている。浩一はそれを確信・・している。

 だが現実は無情だった。

 夢にしがみつこうとする浩一の願いとは裏腹に、意識は現実へと浮上していく。

(待て、待ってくれ。ああ、頼む。この先だ。この先に俺の求める答えがッ)

 浩一は夢のなかで、過去の己へと手を伸ばすも指先は空を切って、届かない。

 それは無情にも、過去にはけして戻れないことを浩一に教えてくれるかのようでもあった。

 講義は続いている。諦めた浩一は、素直に最後まで聞こうと耳を澄ませることしかできない。

「つまりだ。そのような敵を滅ぼすに必要なことは並々ならぬ技量と、純粋戦闘を目的としたSランク相当の武器を持つことのほかに――」


 ――ふと、夢の中のが講義室から離れていく浩一へと視線を合わせた。


「――そう、■■■■が必要なのだ。火神浩一」

 『■■■■』……概念には靄がかかり、夢は終わる。

 浩一の意識は現実へと帰っていく。


                ◇◆◇◆◇


 那岐たちに追い出されただろう、常駐しているはずの筋骨隆々の校医が戻ってくる前に浩一は学園の医務室を出た。

 この学園の男性校医にはどういう理由か気に入られてしまっているが、やたらと膝枕を進めてくるところが苦手だったからだ。

 浩一は廊下を歩きながらPADを取り出し現在時刻を確認する。

あの・・アリシアスに治療を受けたのは複雑な気分だが……見事な治療だな)

 全身の骨を砕かれ、内臓を破壊され、死の寸前にまで追い詰められたというのに、違和感が全く感じない。

 時間を巻き戻したのかというぐらいの手際だった。

 だからか、浩一は時間が余っていたためにその足で講義室へと向かい、講義を聴くことにするのだった。


 ――火神浩一に単位の余裕はない。


 周囲に多くの学生がいる講義室の中、机に頬杖を突いている浩一。

 退屈な講義だ。とはいえ、大事な講義のひとつなので聞き流さない程度に真面目に聞いてはいる。

 浩一は他の学生と違ってに直接学習内容を書き込むことはできないからだ。

(録画はしてる……が、一度で覚えればそれに越したことはないんだが……)

 視界の端に浮かべたウィンドウの隅に録画の表示が出ている。

 浩一の視覚情報を体内ナノマシンを通してPADに送ったそれはいつでも見ることのできる映像だ。

 だが映像を見る時間があるとは限らない。こういった録っただけのデータが浩一のPADには大量に溜まっていた。

 とはいえ録画していることに安心した浩一は先程見た夢の内容に心を向けた。

(あの人の講義か……最後のあれ・・がどうしても思い出せない)

 『■■■■』……思い出せない。まるで暗幕がかかったかのようにだ。

 雪に聞いてもいいが、教えてはくれないだろう。

 あの幼馴染は、あの人のことをさほど好んでいなかった。

(しかし、単位が足りん。実力も足りん。金も足りん。加えて、だ。代刀の弁償をどうする?)

 悩む浩一の視界の端には、気絶していたために取れなかったダンジョン実習の予約ウィンドウが浮いている。

 ダンジョン実習も講義の一種であるために専用の受付を通さなくても申請程度はできる(時間もかかるし、受付を通すより受諾される確率が低いが)。

 大きなクランを運営しているクランリーダーなどはそうやっていることも多い。

 浩一が受付を通すのは受付を通して、ダンジョンの最新情報などを聞くためでもあったからこういったことは常に一長一短だ。

(ま、情報を聞いても聞いた側がきちんとしてなきゃ意味はないわけだが)

 受付のイレンに忠告されたにも関わらず、無謀にもミキサージャブに突っ込んでいった浩一は『現在閉鎖中』と表示されているアーリデイズダンジョンの画面を指先でつつき、口角を微かに釣り上げた。

 主席パーティーが死んだ上に何故か自由に階層を移動している怪物がいるのだ。

 アーリデイズ所有のダンジョン『アリアスレウズ』は当然のように探索できなくなっている。

 当分の間は潜ることはできそうになかった。

 目当てにしていた中央公園ダンジョンや、第四十八号植物園ダンジョン、六十八地区昆虫博ダンジョンも予約で一杯だ。

 今から予約したところでとれるのは一ヶ月は先だろう。

(糞ッ。だめだな。単位と金、全てを解決するついでに、ミキサージャブに対抗するための鍛錬ができるダンジョン探索の予定が立たん。鍛錬に使えるのは戦斧の武器を持った亜人種モンスターだが、候補の昆虫博の『蟻人クラエリィ』、植物園の『植物亜人ツリー・ザ・OH!・ノー』、中央公園の『アックス』どもと戦えんぞこれでは。理想は中央公園だが、難しい。アックスだけが大量に湧くトラップもあるあそこは鍛錬にはちょうどいいんだが……アリアスレウズから閉め出された連中が他に流れて更に取りにくくなってやがるし、どうにもままならんな)

 指先でトントンとPADの画面を叩きながら浩一は嘆息した。

 自身が師弟制の学生ならば担任を使って無理にでも予約をねじ込めただろうと、場違いで意味の無い解決法まで出る始末だ。

 阿呆か、馬鹿馬鹿しい、と呟きながら浩一は空きの出ないダンジョン実習画面を閉じる。


 ――講習制と師弟制。


 学園都市アーリデイズには二種類の教育方法が存在する。

 一つは浩一や雪が選択している講習制だ。

 これは特定の教師のもとに付かず、講義と実習だけで単位を取得し卒業していく制度だ。

 これは教師のサポートが全面的に得られず、書類などの提出も一から十まで全部自分でやらなければならない。

 それでも、好きな時間に好きなことができるためにこれを選ぶ学生はそれなりに多い。

 しかし、教師がカリキュラムなどを効率良く組んでくれる師弟制の学生達と比べ、各々が自由意志によって好きなことを学んでいる講習制の学生の実力は全体的に低く、突出した人間が一部にいるだけだ。

 次に師弟制。これの利点は多い。ダンジョン実習の日程も教師が全て決め、手続きも全て済ませてもらえる。

 また突然に実習を入れたいときなどでも、担任の教師に希望を述べて認められれば、その教師の裁量内で確実にどうにかしてもらえる。

 師弟制は、学園という学生のための施設の利点を最大に活かした教育を受けることができる制度だからだ。

 もちろん利点ばかりでもない。

 師弟制の場合は、学生に政治的なバック(有力者とのつながり)がいない場合、担当している教師達によって様々な教育を試される・・・・

 学園の教師たちにも目的があるからだ。

 彼らは教師である前に、国に所属している研究者・・・であるため、彼らは彼らで結果を出さなければならない。

 そのため、彼らは彼らの信じる育成法によって生徒たちを鍛え上げる。

 師弟制の学生は、食生活も、運動量も、生活リズムすら、全てにおいて指示を守らなければならなくなる。

 そこに個人としての嗜好を挟む余地はなく、好みの問題すら改造によって強引に捻じ曲げられる。

 それが人体実験染みたことであっても生徒たちがサインをした時点で、この世界では、この都市では、それらの全ては許されることになっていた。

 ただし、基本的には強くなれる師弟制だが、師弟制の人間が例外なく優秀になれるというわけでもない。

 現実として教師にも当たり外れがあり、彼らの教育方法が例外なく生徒の身体に眠る潜在力の全てを発揮できるようにするわけでもないからだ。

 とはいえ、浩一も最初は師弟制を選ぼうとした。

 何をしてでも強くなる必要があったからだ。

 だが浩一は師弟制を選べなかった。

 火神浩一には問題があった、身体改造を行なえない・・・・・というこの都市では致命的な問題が。

 だから、浩一は己の意思で成長する方向を選び取るしかなかった。愚直に刀を振り続ける道を選ぶしかなかった。

 そして未だ結果は出ていない。

 成長は伸び悩んでもいる。


 ――後悔はしていない。


 内心で愚痴をこぼすことはあれど、自分でこの道に進んだのだ。

(それに、案外悪くない)

 そしてそもそもの話、基本的に浩一は、他人に強制されるということを好まない。

 だから講習制で良かったと思っている。

 それでもやはり、こういった部分では講習制の不便さを感じ、浩一はもどかしい気分になった。

 このもどかしさは、主席や次席などの制度からも感じられることだ。


 ――学園都市は完全実力主義がまかり通っている。


 このシェルター都市では軍人や学生を戦闘力でランク付けしているが、学園には他にも生徒たちに選別する制度を持っていた。

 それが、各学園の各学年ごとに存在する主席や次席、三席などの席次制度だ。

 それは講習制と師弟制の学生たちが揃って受ける試験で上位の成績をとった者に与えられる称号のようなものだ。

 ただし、獲得するためには学園で教育を受けられる全ての学習の分野の知識を満遍なく持ったうえで、実技においても優秀を越える成績を出さなければならない。

 当然、与えられる特典は凄まじい。

 席次制度で認められた学生には、学生が通常利用できない学園施設を利用するための『セキュリティーキー』や、殆どの学内施設を無料、予約無しの使用が認められる。

 公式ランクも自動的にS以上になり、学園卒業後は望まなくとも多くの研究機関や軍からスカウトも来る。


 ――薔薇色の人生が約束されるのだ。


 よって席次制度の認定試験では非常に厳しい競争が行われる。

(俺に席次があれば、きっと楽だったろうに……)

 そういえば、とミキサージャブに殺された者を浩一は思い出す。

 アリシアスも所属していたクラン『勝利の塔』。彼らは主席クランで、四鳳八院で、師弟制の学生でもあったはずだ。

(そうだな。どのみち、講習制では主席にはなれない)

 講習制の学生が自分で試験の内容を調べないといけないのと違い、師弟制は試験のノウハウを知っている教師によって、試験についてみっちりと教わる。

 最大効率で教育を施される師弟制の学生たちは学科の試験では平均以上の点数を必ず叩き出す。

(それでも師弟制の多くは席次を得られることはないが……)

 師弟制と言っても、多くの師弟制の学生はただの平民だ。

 彼らさえも、主席になることはできない。

 なぜならこの都市には四鳳八院が君臨している。

 アーリデイズ学園の席次の多くは四方八院とその分家の学生がほぼ独占していた。

 浩一はため息をついた。

 あの医務室の出来事が幻のように思えてきたのだ。

(そうだ。きっと、あれは夢だな……)

 浩一がミキサージャブと戦ったことは、この胸の奥の熱さついが保証してくれるが、そのあとのやり取りはきっと幻だろうと思ってしまう。

 四鳳八院に、なんでもない学生の自分が恩を売ったなどと、今考えればとても信じられないことだった。


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