剣戟は遠く、剣閃は高く(4)


 ――毒刀の効果が出ていなかった。


(ちぃッ……!!)

 勝機は・・・潰れた・・・

 何故強力な神経毒が効いていないのかはわからない。浩一の疑念は解消されていない。

 しかし、思考を続ける時間はない。手首の傷への興味を失ったミキサージャブが攻撃に移っていたからだ。

 疑念は棚上げし、浩一はミキサージャブの動きを凝視・・する。

 ミキサージャブは野生の獣だ。

 はあれどそれはぼうであり、繊細さとはかけ離れたものだ。

 脅威だ。脅威にしか見えないほどの暴力の化身。


 ――だが、それは浩一にとっては隙でしかない。


 浩一へ向かって振り下ろされた戦斧の一撃に対し、浩一は大袈裟に背後に向かって跳躍することで攻撃を回避した。

 戦斧が叩きつけられた衝撃に地面が揺れる。びりびりと肌を風が抉っていき、ぎしぎしと衝撃が骨を揺らした。

 浩一は斧に触れていない。だが攻撃の余波だけでくらくらとしてくる。攻撃を直接受けていないのにこれ・・だ。

 これではあと数発も避けることは敵わない。

 相手に武術の心得はない。ただ斧を振るうだけの獣。だが、と浩一は内心のみで唇を噛んだ。

 そもそもの身体性能が違いすぎる。


 ――このままでは勝てない・・・・。否、殺される。殺されてしまう。


 しかしそれでも、と浩一はミキサージャブを凝視したまま獣のように唸る。

 不用意に攻撃することはできない。毒刀はなぜか効いていなかった。疑念を解消しなければ攻撃に意味・・を持たせることができない。

(何故? 何故だ? いや、そういうこと、なのか?)

 再び振るわれた戦斧を大げさに回避する。

 小癪だと思われているのか、散発的に放たれる咆哮は『侍の心得』が持つ恐怖耐性で克服している。

 ミキサージャブも疑念を持っている。目の前の侍は、今までの人間のように停止・・しない。

 それが攻撃にほんの少しの緩み・・を与え、浩一に致死の嵐のことごとくを回避させる。

 Sランクが瞬殺させられた怪物相手にB+ごときが奇跡の大健闘をしている。

 それ自体は誇るべきことだ。だがそれだけだ。


 ――火神浩一に勝機はない。


 回避は回避でしかない。浩一の回避はそれだけで精一杯で攻勢には繋がっていない。

 切りつけたのに即座に治癒された傷。効かない神経毒。それらの謎が解明されなければ浩一に生存の目はない。

 十秒か、二十秒か。戦闘によって加速した浩一に知覚では万の時にも匹敵する時が過ぎ、やがて浩一は気づき始める。

(信じたくない。信じたくないがッ……――)

 現実から目を背ければ死ぬだけだった。

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオ!!』

 ミキサージャブが吠える。それは浩一を怯えさせるためのものではない。浩一の限界を見切ったがゆえの勝利の咆哮だった。

 この侍は弱者だ。ちょこまかと逃げるだけの、針を持たぬ羽虫だ。

 ミキサージャブの肉体から、最初に斬りつけた傷は消滅していた。

 モンスター特有の強力な再生能力を、ミキサージャブもまた当然ながら備えている。

「は、はははははは! はははははははははッッッ!!」

 何故だ、だと。馬鹿か。阿呆か。己を嘲笑いながら浩一は戦斧の一撃をステップで避ける。

 ミキサージャブが迷いを捨てれば、もはや火神浩一は、戦斧の速度に浩一は対応しきれない。

 ミキサージャブの暴撃は単調故に予測しやすい。だが浩一とミキサージャブには身体性能で大きく差があった。

 ゆえに一撃を回避するだけでも、浩一が全力で攻撃する斬撃三回分に相当する気力を持っていかれる。

 それぐらいの集中を行わなければ既に浩一はミンチ肉になっていただろうぐらいにミキサージャブの攻撃は疾く、重く、致命的だった。

(だが、そんなこと・・・・・はどうでもいい! そもそもが最初に気づかなかった俺が愚かだった!!)

 そうだ。Sランクを瞬殺するようなけだものに、たかがB+の毒刀が、如何に良質な刀を量産する村正工房製だろうとかなうわけがないのだと。

 そもそもなんのために武具に位階が定められたのか。

 斬るだけでは不十分だと。ただ斬るだけではモンスターには敵わないのだと。

 学園に入学する以前、自身が生涯を賭してでも行なうと決めた行為の以前から教えられていた事実・・を、何故忘れていたのか。

 驕っていた。油断していた。殺戮に酔った。自分の強さを勘違いした。愚かだった・・・・・

(この場に持っていく得物に、毒刀を選んでいた時点で俺は!)

 身体を限界まで屈めた浩一の上を、戦斧が剛風と共に空間を薙ぐ。振り返しが来る前に、全身の筋力を使い、浩一は跳躍。

 その真下を柱のような太さのミキサージャブの蹴りが通過する。脚まで使い出した獣。致死の気配に浩一の額を冷や汗が流れる。


 ――ごう、と視界の端に浩一は巨大な拳を捕らえる。


「おッ、おぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 刀を縦に構え、自身へと直撃する拳を浩一は受け流した・・・・・

 神技にも匹敵する回避の直後に迫る戦斧・・・・を浩一は、拳を受け流す際に与えられた力を利用し、空中に跳ね上がることで回避した。

 ほぼ肉体が自動的に行っていたことだった。浩一の思考は、後悔で埋め尽くされている。

(上に辿り着けないことを自らの手で!!)

 如何な神技とも言える技量があろうとも、それでも、たかがB+の侍にSランクのモンスターの攻撃を回避し続けることなどできるわけがなかった。

「お、おぉおおおおおおおおおおおお!!」

 浩一の身体を覆うように暗闇が迫り来る。ミキサージャブが宙空にとどまる浩一に平手を振り下ろしてきたのだ。

 ミキサージャブの、羽虫を叩き落すようなフォーム。

 回避不可能・・・・・な空中に追いやられた失態の代償。

 当然避ける事もできず浩一は強烈な衝撃と共に地面に叩きつけられていた。

(証明、しちまったってことかよ!)


 ―――後悔と激痛に浩一の魂は叩きのめされる。


 地面に叩きつけられたことで、浩一の全身に満遍なく致命的なダメージが与えられた。

 全身の骨が砕ける。筋肉が引きちぎれる。内臓が壊れたのか喉奥から血が溢れ出す。

『ヴォォオオオオオオオオオオオオオ!!』

 これでお終いだとばかりにミキサージャブが吼え、とどめの戦斧が振り下ろされる。

 動けずともなんとか身体への直撃だけでも防ごうと浩一は刀を持ち上げる。

 骨が折れようと、筋肉が壊れようと、内臓が砕けようと火神浩一は諦めなかった。


 ―――だがこれにより、己が本当に愚かだと知らされるのだ。


「俺は、死ぬ、わけにはッ――」

 血を吐きながら浩一は全身で刀を掲げた。勝機などどこにもない。生き残る気力も自らに対する怒りで失いそうだ。

 思い上がったことで、勝てない敵に挑んでしまった。

 無様に無様を重ねた。浩一は自らが如何に愚かだったかを思い知った。

 しかし、そもそも前条件からして間違っていたことを浩一は知らなかった。

 この時代の武装は折れず曲がらず砕けない、そのように作られている、はずだった。

 だから、盾として使うべくミキサージャブの戦斧を浩一は刀を掲げて食い止めようとした。

 雲霞緑青の錆色の刀身に黒い戦斧がぶち当たった。

「あ――」

 一瞬で両腕がはじけ飛んだ・・・・・・。まだ避けた方が生き残れた確率は高かったかもしれなかった。

 衝撃に耐え切れず文字通り根本から両腕が破裂していた。だがそれも当然の結果だった。

 耐久力特化の重騎士ですら耐えきれず死んだのだ。侍の浩一では一秒すら保たないのは当たり前だった。

 だが浩一の思考はそこにはなかった。迫りくる戦斧の刃。それよりも浩一の目は、自身の敗因・・をとらえていた。

 戦斧と接触した毒刀に罅が入っていた。

(両腕が弾けたのは、これが原因)

 刀が丈夫であれば、浩一はどうやってでも戦斧の力を自らの技量でもって、大地に逃し、一撃は耐えただろう。

 だが、刀が戦斧と接触した時点で罅が入ったなら別だ。

 散漫に伝えられる強力すぎる力を抑えることなどできない。

 そうか・・・、と浩一は最後の最後に、自嘲のために口角を釣り上げた。

(俺は雲霞緑青を手にした時点で愚かにも――)

 思考が、知覚のみが加速している。死を目前にして、浩一の体感時間は遅く、どこまでも遅く引き伸ばされていく。

 両腕を失った痛みは激痛を越えて喪失感のみを浩一に与えてきたが、意識を強く持つことで気絶を回避する。

 浩一の目には自らの両肘と共に木っ端微塵に粉砕された雲霞緑青が映った。


 ――遠かった。


 相手が悪いなどという言い訳は通じない。

 身体能力だけでなく、武具にすらこんなにも差があった。戦う以前の問題で負けていた。

 だけれど、と浩一は意識だけで歯を食いしばった。こんなところで死んでいられない。死ぬわけには・・・・・・いかない・・・・

 だが現実は残酷だ。夢想に酔い、場違いなほどにレベルの高い闘争に割り込んだ阿呆の生存をどうやっても許すつもりはないらしい。

 意識に遅れて――浩一の脳は到頭、敗北を認めた。

(――自分で、負けを宣言してたってことか)

 停滞した知覚の中で、浩一の顔面を断ち割るべく戦斧が迫ってくる。

 黒鉄の刃に血肉で張り付いた鎧の欠片や戦士の骨や歯が如実に浩一の未来を教えてくれていた。

(だが、勉強になったぞ。ミキサージャブ)

 致死の局面で加速されている思考の中でも浩一は嗤っていた。

 この期に及んでも、敗北を認めても、火神浩一の脳は生き残る手段を模索し続けていた。

 傷を負い動かない身体で次の動き・・・・を考え続けていた。

 浩一の砕かれた筋肉がぴくりと動く。指先がもがく。

 愚直なまでの闘争本能は死が確定してなお、浩一を動かそうとしていた。

 だから、浩一には死の瞬間の直前でも、加速した知覚の中でも走馬灯など見えなかった。


 ――過去に救いはない。この場で、生きなければならない。


 死の間際にほど人間は本性をさらけ出す。

 火神浩一は助けて・・・、とは願わなかった。

 あくまで自力だった。故に、敗北の、自らの命を終わらせるそれですらつぶさに観察していた。

 負けも死も自らのものとしないと気の済まない性根がただただ生き汚く、現実を見続けることを浩一に強制した。

 だから、ミキサージャブの持つ戦斧『漆黒の咎』が浩一の額に触れようとする直前。

「――ッ――」

 先程、少しだけ聞き取れた誰かの声が自分を瞬時に掻っ攫ったと気づいた瞬間、それに全身を委ねていた。

 少しでも浩一が抵抗したならば、ミキサージャブの戦斧が浩一の額を脳ごと抉っていただろう。

「全く、スペック聞いて呆れたわよ。B+」

 轟、と先程まで自分のいた地面を破砕する音が聞こえ、直後にたった一度の探索で無残にも破壊された刀の破片が散らばる音が耳に届いた。

 浩一の、皮膚が破れ、筋肉の破壊された、折れた利き腕は刀の柄だけを握りしめていた。雲霞緑青はミキサージャブには通用しなかったが、優れた武具だった。使いこなせなかったのは浩一の責任だ。

(すまない……俺が、愚かだった……)

「ミキサージャブ。化け物め」

 自身を掴んでいる少女の声に、浩一はそこで自身が宙に浮いていることに気づく。

「飛んで……ぐッ……」

 口の端から血が零れる。自己治癒能力の低い火神浩一にとって、死ぬ傷は、死ぬ傷だ。このままでは自分は死ぬ。

「逃げるわよ! もっとしっかり私の体を掴んで!!」

 浩一の救い主は、撤退したはずの戦霊院せんれいいん那岐なぎだった。

 彼女は、長い黒髪を風に揺らし、大量の魔法陣を背後に浮かべ、浩一を片手で抱えながら、宙に浮いていた。

『ヴォォオオオオオオオ! ヴォォオオオオオオオオオオオオオ!!』

 獲物を捕らえられず、床にめり込んだ戦斧。その事実にミキサージャブは怒り、那岐と浩一を睨みつける。

 だが那岐も浩一もその眼力には負けず、逆に睨み返す。

「今回は私たちの負けよ。でももう油断しない。お前の戦法は理解した」

 『百魔ひゃくま絢爛けんらん』戦霊院那岐は、四鳳八院が一院、戦霊院家の次期当主である。

 一度に百の魔法を同時に操るとまで言われる少女は魔杖を片手に持ち、片手に浩一を抱え、風を操り宙に浮いていた。

 その背中には大小無数の魔法陣が発生し、魔法陣からは魔力で作られた翼が生えている。

 元々六枚あったのだろうそれは先程の接触の際に三枚ほどを戦斧によって削られ、バランスを少しだけ崩しているが、その動きに淀みは見られず、空中機動に淀みは見られない。

「さぁ、火神浩一。しっかり掴まってなさいよ」

 宙に浮く那岐の体が、一瞬で加速した。

 空を泳ぐ魚のように、高速で飛行した那岐は一瞬で背後のミキサージャブを置き去りにしていた。

 那岐は腕に力を込め、しっかりと浩一を抱きしめている。落とさないようにだ。

 戦霊院の名は飾りではない。後衛職と言えど人間一人を片手で支えるくらいわけはない。

 だが早く治療魔法の使えるアリシアスと合流しなければならなかった。

 自身を無傷で生き残らせた人間に、借りを作ったまま逝かれては家名に傷がつく。

 誇りを胸に抱き、生きる那岐に浩一を死なせるという選択肢はなかった。

 魔法の翼を用いて、高速でミキサージャブから離れていく那岐は安堵の息を吐く。

 運がよかった。この階層に障害物の類はない。

 他の階層であれば高速で飛行すればぶつかって墜落してしまったり、速度を落として飛行してミキサージャブに追いつかれていただろう。

「でも、ま、流石に生きてるとは思ってなかったけれどね。戻ってきてびっくりしたわよ。死んでたら流石に助けられないもの。あのアリシアスだって死体は生き返らせられないし」

 死にかけの浩一の意識が飛ばないようにか、浩一を抱えながらも那岐はせわしなく話しかける。

 それに混濁しかけている意識のままに浩一はああ、だのうぅ、だのと返事を返す。


 ――運がよかったのは、浩一も同じだ。


 綱渡りだった。

 一合の後は回避だけに全精神力を傾けた判断。刀と両腕を先に砕いたことで稼げた刹那。助けに逆らわなかった生き汚さ。

 一つでも間違えれば死んでいた。そんな幸運の上に浩一の命はあった。

「なんで、飛んで――」

 血と共に浩一は疑問を吐いた。学園都市は長いが、そんな浩一でも空を飛ぶ魔法など聞いたことはなかった。

 このままでは死んでしまうと焦ったからか、那岐は慌てて返答をする。

「ええと、この魔法は『天翼』って言ってね」

 戦霊院那岐は学生ながらも、この世界で五指に入るトップクラスのマジックユーザーである。

 だから東雲・ウィリア・雪の扱う教科書通りの魔法ではなく、最新の魔導理論と魔導力学を用いて、独自の魔法を生み出す・・・・ことができる。

 この『天翼』も戦霊院家が生み出した最高難易度の風魔法の術式だ。

 ただしこの魔法は、理論上は可能である、とされる術式である。

 最大で二十四枚の大小様々な翼を展開させる高速機動戦闘用に開発された魔法だが、その難易度から扱えるものは稀であり、成功させたとしても、せいぜい二枚か三枚の展開がいいところの欠陥魔法だったそれ。

 だが那岐は浩一に説明しながらも、呪文を唱えず『天翼』と呟いた。ここまで離れたならば大丈夫だと思ったのだろう。『力ある言葉ワード』のみで削れた魔法陣が回復し、翼が再生す――

『グォォオオォオォッッッ! グアオォオォオォォオッッッッッッ!!』

 遠くから聞こえてくるミキサージャブの咆哮。

「きゃッ――」

 空中にあった那岐の体が揺れた。高速飛行は壁にぶつかり、停止した。

 血を吐く浩一は那岐が自分を落とさないように、その華奢な体を砕けた五指で強く握りしめた。

「せんれい、しっか――ぐッ――しろッッ!!」

 ミキサージャブは知っていた。自身の咆哮は、火神浩一には効かずとも、戦霊院那岐には効くということを。

 獣の気配が迫ってくる。ミキサージャブが走る音が聞こえてくる。浩一の血の臭いを、特上の獲物である那岐の臭いを辿って走ってきている。

『グォオオオァァァァアァオアァァッァァオアァァア!!』

 本能を刺激し、恐怖で肉体を留める叫びが迷宮に満ちる。

「ひ――」

「しっかりしろッ!!」

 浩一の血が那岐の顔に飛び散る。だが浩一は構わず那岐を頬を叩いた。

 本来、手をあげることさえ許されぬほどの身分差がある男による打擲に、那岐は「何をするのよ!!」と叫び、自身が自分を見失っていたことに気づく。

「ご、ごめんなさい――『グォオオオオオオァアアアアアアアアアアッッ!!』――じゃ、逃げるわよッ!!」

 ミキサージャブの咆哮が迫っている。那岐は浩一に言いたいことはあったが、この場に留まっているわけにはいかなかった。

 那岐は再び浩一の体を掴み、『天翼』によって浮かび上がる。

 浩一も何かを言いたかったが、無理をしたせいか口の中が血でドロドロになっていて話すことができなかった。

 何もしなければあと三分も生きていられるか怪しかった。だから心中のみで那岐に自身の命を託す。

(ああ、頼んだ)

 那岐は正気に戻った。このままきっと逃げられるだろう。

 ああ、安心した。安心した。もう無理はせず己の身の丈にあった相手とだけ戦って――ふざけるな。

(ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな)

 浩一の心中に安堵はなかった。


 ――戦意しかなかった。


 己に対する憤怒と敵に対する強烈な殺意を浩一は胸に抱いていた。

 ずしりと心の奥底に転がっている信条・・はそれを喜びながら受け入れている。

(ミキサージャブ、ミキサージャブ、ミキサージャブ……ッッ。この屈辱、必ず倍にして返してやるぞ)

 浩一は敗北を認めた。だがそれはけしてミキサージャブに勝てないことを認めたわけではない。


 ――必ずあの黒いミノタウロスミキサージャブを殺してみせる。


 逆だった。浩一の心中で戦意は燃え上がり、爛々と復讐の刃を研ぎ始めていた。

 そしてミキサージャブに怒りを向けているが、当然、浩一は自分にも怒りを向けていた。

 慢心し、堕落した己に浩一は敵意をぶつけていた。殺したいほどだった。だからこれはもう厳しく罰トレーニングしなければならない。

 今回生き残れたのは、運がよかっただけなのだから。鍛え直さなければならない。

(戦霊院那岐か……)

 そして浩一はようやく自身を抱える少女に意識を向けた。

 ミキサージャブの全速ですら追いつけないほどの高速で迷宮を飛行する魔法使い、戦霊院那岐。

 彼女は己にはない才能を持っている。巨大な家名が持つ権力と財力を一身に受けている。

 それが浩一にとっては嫉妬するほど羨ましい。

 ああ、武器があれば、ああ、肉体を改造できれば、ああ、優れた道具があれば――今すぐにでも・・・・・・


 ――意味のない羨望だ。


 浩一にできることはそう多くない。

 自分ができる全力を尽くさなければならない。

 そうすることでしか、己の矜持を護ることはできないのだから。

 自身の目的を達するためにはやれることをやるしかないのだ。

 才能も、財力も、戦うための力すらない己の全力を賭けて。

 刀は折られ、有功な武器も技もない。

(だけど俺にだって、たった一つぐらいはある)

 そうだ。浩一は知っている。自分が持っている唯一のものを。

 アリシアス・リフィヌスにだって、戦霊院那岐にだって、それだけは負けるつもりはない。

 浩一は知っている。

 己の心中にあるそれを。

 この戦いで火のついた感情を。

 誰にも負けない燃え盛る――殺意・・を。


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