剣戟は遠く、剣閃は高く(1)


 アリアスレウズダンジョン二十階層の特徴は、標準的なタイプの迷宮フロアだということだ。

 この階層を探索する学生の視界いっぱいに広がるのはダンジョン特有の乳白色の壁だけ。

 壁と床によって視界は四角く切り取られたような感覚に陥ることになる。

 また、この階層には木々や池などの自然物は設置されておらず、通路と部屋だけがあり、階層の地形を覚えにくくさせる構造になっている。

 PADでマップを作成するこの世界の学生にはまずありえないことだが、何も持たずに探索をする場合、非常に迷いやすい構造の階層だった。

 そんな白の世界で、火神浩一は接触したミノタウロスや大蛇を血祭りにあげながら進んでいた。

「これで二十一匹目か……」

 PADに入った報酬金を確認し、浩一は脳内で簡単に計算を終えた。

 ここまで来る間に稼げた分をあわせて、水道代やら電気代やらの諸経費はひとまずこれで足りるだろう。

 なんとか節約すればあとは臨時のバイトなりで、今月はもう探索をしなくても保つかもしれない。

 モンスターを倒すついでの探索で二十一階層への道も見つけたが、パートナーである雪を連れてきていないことからそちらに足は向けなかった。

(一応、PADの情報を整理しておくか……)

 普段は戦闘への意欲から放っておくことも率先してやっていく。

 ソロでの探索であるためか、浩一も探索時の様々な作業をマメに行っていた。

「むぅ……」 

 大蛇からのドロップ品のひとつである蛇の蒲焼を食べながら浩一は唸り声を上げた。

 連戦しているが疲労はそれほどない。浩一を悩ませているのは精神的な問題だ。

 戦闘効率が良すぎることで生まれてしまったそれは、喜びと悲しみが入り混じった複雑な感情だ。

 雲霞緑青くもがすみろくしょう。たった一振りの刀の威力は絶大だった。戦闘が楽になりすぎた。一振りで相手は怯み、二振りで勝機が浩一の手にころりと落ちてくる。

 強力な神経毒はモンスターを侵食し、数秒で動けなくさせた。

 浩一の剣腕が力を発揮したのは実質、倒れたモンスターの首を一撃で叩き落とすときだけだったのだ。

 この階層のモンスターたちは、本来なら浩一と雪の二人で挑むべきだった強敵たちだ。

 浩一が十分に時間稼ぎをし、雪が準備した魔法の射線に誘い込み、大火力で一撃するという、これまでの年月で練りに練ってきた戦法が、たった一本の強い・・刀を持ったことで否定されてしまっていた。


 ――心が揺れる。


 武具の優劣程度で自身の心情は変わらないはずだと浩一は唸る。

 先ほど結論したことだ。自らの肉体に改造を施すことができない以上、自身の力を地道に上げていくことが肝要だと。

 武器一本に頼れば、いずれ自分は立ちいかなくなる。武器に頼って己が腐る。武器がなければ何もできなくなる。

 たかが刀一本で、一本芯が通っていたはずの心根が変わりそうなことに浩一は戸惑っていた。

 手に持ったものは自分を損なうと確信していたはず。だが、手元にあるそれは戦果でもって浩一に語りかける。

 この不条理を飲み込めば、強く・・なれるのだと。

(毒刀……俺がこの都市で軍人を目指す理由が、武具の優劣程度で埋められる差だったなら喜んで購入しただろうよ。だが……だが、これを俺の力にすることはできん。できんぞ。修練と実利を考えると腰掛程度にも考えることはできん。楽を覚えたら覚えたで対応能力は下がる。この刀は、明確に俺を腐らせる・・・・・・

 精神の問題ではない、肉体の問題だ。


 ――戦闘勘がなまる。


 それを浩一の肉体は忌避し、浩一の精神へ、不快感としてずっと警鐘を鳴らし続けていた。

 だがこんな棒きれのようなもの一本でも、正しく運用すれば肉体改造をしていない人間にこれだけの暴力を与えてくれる。

(これが人間の進化か……)

 たった千年前は、人類の全戦力を用いてもミノタウロス一匹倒すのが精一杯だった。

 だがたったの千年。今ではこんな隔離施設まで作って多くのモンスターと人間を戦わせるまでになっている。

 このまま都市の技術が進歩したならば、どんな絶大な敵でも武器一つで駆逐できる未来がやってくるに違いない。

 その世界では浩一たちのような戦士たちは個々人の才能を発揮することなく、ただただ武器の力に拠って、統制された動きで世界を救うために動くのだろうか?

 そこまで考えて浩一は頭をふるふると振って妄想を振り払った。

 この思考はまずい。行き止まりどころか、傾きすぎている。

 武具の優秀さだけで戦果が出せるわけがない。戦士を過小評価しすぎている。

 己の今までの努力を思い出せ。軽く考えていいものではなかっただろう、ときつく手を握りしめた。

 如何に強い武器とて、使い手に技量がなければなまくらに堕する。

(雪さえいればな……)

 浩一は手の中の刀を恨めしげに眺めた。

 雪さえいれば、こんなくだらないことを浩一は考えなかった。

 雪さえいれば、ただ敵を見つめていられた。浩一はただ強い侍であれた。

 武具の優劣に傾倒するあまり、力への依存と、自身の肉体への卑屈が生まれかけている。

 浩一は思考を落ち着けることにした。手にいまだ持っていた大蛇の蒲焼を飲み込み、周囲を警戒する。

 敵がいないことを確認し、床に直に座ると胡坐をかき、頭の中を空っぽにしようと――


「ぐッ――ああああああああッッああぁぁぁああッッあぁああああああ…………ッッッッッ」


 ――浩一が精神集中のための瞑想を始めようとした途端、迷宮内に、誰のものとも知れぬ悲鳴が響き渡った。

 通路に反響して位置がわかりにくいが、位置は近い・・

 悲鳴について浩一は特に何も考えなかった。

 立ち上がり、その場所へ向かって走り出していた。

 無数の戦闘といえないただの殺戮が判断能力を奪っていた。

 無自覚に奢っていた。無傷の戦果がこの階層に敵はいないと浩一に教え込んでいた。

「なんだ? ミノタウロスにでも襲われたか?」

 ミノタウロスが出現するのは二十階層からだ。

 よく知られた情報であるから浩一も雪も自分たちの実力を考えてからこの階層に降りる決断をした。

(実力も考えずに降りてくる無謀な連中はどこにでも必ずいる)

 そういう物を知らない人間を助けるのは先に潜っている人間の役目だ。

 無視をしても後味は悪くなるばかりであるし、無視したことが知れ渡れば噂や情報が広まる。

 結果として、人間関係に支障をきたすのだ。

 浩一は一緒に探索をしてくれる友人もいない孤独な人間だが、好んで孤立したがっているわけではないため、この救助行為は必要なことだと自身に言い聞かせた。

 それに救助に向かえば並の学生より強いと思われる個体と闘えるのだ。

 迷宮内の規定では助力に関する賞罰も明確に決まっている。

 襲われているにせよ、闘っているにせよ、無断で倒すと横から獲物を掻っ攫った略奪者と認定され処罰を受けることになる。

 そのため直接的な救助を行うにはそのクランなり、パーティーの認証が必要だ。

 助けが必要な状況であれば浩一は戦える。存分に腕を振るえる。

(一発で終わっちまうかもしれねぇが……)

 浩一は愚かだった。無傷の勝利が多すぎて、自ら戦いを求めるぐらいに戦いに飽いていた。

(どこだ? この先か?)

 今も断続的に聞こえてくる悲鳴を頼りに浩一は走る。

 だが、浩一よ。侍よ。周囲の確認を怠っている浩一おまえは気づいているだろうか。

 その先は、二十一階層への階段がある場所だということに。

 上から降りてきた人間がそこに最短で辿り着いたにしろ、下から昇ってきた人間がそこへ辿り着いたにしろ。

 最低でも十を越えるミノタウロスや大蛇を殺さなければ辿り着けないことに。

 そして、そんな人間がいまさらミノタウロスごときに悲鳴を上げるものだろうか?

 悲鳴がよく聞こえるようになってから、浩一の速度が落ちた。立ち止まり、一応の確認・・を行う。

 一見すると、その先はなんでもない空間に思えた。

 ただの二十階層の通路だ。乳白色の壁に天井がある。白い通路だ。

 この角を曲がって、少し歩けば下階への階段が見えてくるルート。浩一が先ほど見て帰ってきた場所。

 しかし、浩一の身体はそこへ踏み込むことを拒否していた。なんだ? と浩一は自身の身体を見た。


 ――無意識に足が地面に張り付いたように持ち上がらなくなっていた。


(これは、ケダモノの臭いがする)

 浩一は鼻をくん、と動かし、血の臭いを嗅ぎ取った。

 呼吸は止めていた。気づかれる・・・・・かもしれ・・・・ないから・・・・

 浩一はいまだ悲鳴を上げた学生がいるだろう場所へとたどり着けていない。

 音とは、多少の距離があった。

 足は動かせなかった。まるで目の前に壁があるように、浩一の身体が歩くことを拒否していた。

 濃い霧のような、先の見えない濃密な殺気と圧力が壁となって浩一の行手を阻んでいた。

(だからか……俺がこの先には進みたくない、なんて思うのは)

 雲霞緑青の柄に浩一は手を触れた。ここに来るまではあんなにも頼もしいと思えたのに、この武器からは自信も何も湧かない。

 武器に対して信頼を持てないのだ。これならば、なんの能力もない飛燕の方がマシだったかもしれなかった。

(ああ、嫌だ。嫌だな。おい)

 何がいるのかもわかっていないのに、ただただ垂れ流されている殺意で身体が震えている。

 屈辱にはらわたが煮えくり返る。ああ、畜生。なんでビビってやがるんだ俺は、と浩一の魂が吠えていた。

(おいおいおいおいおい。マジかよ俺って奴は)

 だから、いつのまにか恐怖は消えていた。自身に対する憤怒が、足を踏み出させていた。

 諦めのような吐息が浩一の口から漏れた。

 しかし言葉とは裏腹にずんずんと身体は進んでいく。あっさりと越えられなかった境界を浩一は越えていた。

 惰性でか、気性でか、心根でか。傲慢を理由に動き出した身体は、忘我によって歩みを進め、致命の場へと肉体を送り出していく。

「……ああ、糞。糞。糞」

 誰かを助けようなんて思考は既に頭から消し飛んでいる。

「畜生、糞ったれめ。俺は愚かだ」

 これほどまでに自分が賢かったら、と思ったことはなかった。

 目的の階層へ到達したならば直ぐに撤退するべきだったのだ。

 欲に目が眩み、己の本分を忘れた間抜けの死亡率の高さを、この十年でイヤというほど学んでいたはずだったのに。


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